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2016年3月23日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―⑭―

 あかかる教祖釈尊によって創唱されたる仏教に、「廃師自立」という不思議な術語が存しておる。廃師はまた背師であって、師にそむく、または師の教えにそむくことである。自立とは自己の所説を主張することである。もしも真理にてらして正しいと判ぜられる場合には、師の教えに背いて、自己の説を立てることも、別に差し支えないところである。それを廃師自立というのであって、この思想は、原始仏教このかた、ながい間にわたって、実際に仏教の中に行われて来たものである。かかる思想は、仏教を措いて他のいづれの宗教に於いても発見することは出来ない。

  たとえばキリスト教について見ると、その教徒にとって何よりも重要なことは、教祖キリストに言行の證憑であった。その意味において、キリストの言行を記した福音書に高い宗教的価値が与えられておる。彼らの宗教的議論における最後の結着は、キリストはいかに言いたまうたか、或いはキリストはいかに行いたまうたかによって決定せられるのが常であった。キリストはかく言われたが、自分はどうしてもかく思うということになれば、それは異端たるを免れえないであろう。

  中世紀の終ちかく、ネーデルランドのツウオレのほとり、聖アグネス僧庵にトマス・アケンビスという修道僧があって、『キリストのまねび』なるささやかな書物をかいた。これはやがて、聖書についで多くよまれる書物として、キリスト教徒の愛読するところとなったが、この『キリストのまねび』ということこそは、全キリスト教徒の宗教生活をつらぬく一大原則であったと言うことが出来る。

  それに対して、仏教には最初から、必ずしも師のとおりに真似る必要はないとする考え方があった。釈尊は大覚成就の間もないころ、次のごとく述懐したことがあった。

    自ら證知したれば誰をか師と称すべき

    我に師もなく我に等しきものなし

  釈尊の大覚は、天啓によったものでもなく、師示によったものでもなく、ただ法によって自ら證知したものであったが、彼がその弟子に対して教うるところもまたかかる開語の道であった。むろん釈尊が来たってこの法を教示いなかったならば、この法を知り、この法を行うことは出来なかったであろう。

 だが、理論的に言うと、一たびこの教示がなされおわるや、釈尊の業はすでに成就されたのであって、その時以後、仏弟子の依るべきものは専ら法であるべきである。法にてらして正しいを判ぜられることは、自由にこれを主張しても差し支えないのである。法に拠ってかく行うべきものと信ぜられるならば、断乎として行われるべきである。キリスト教徒におけるごとき意味の異端は、仏教徒の知らざるところであった。かくて釈尊滅後の原始仏教僧団においては、釈尊がすこしも言及しなかった多くの題目が、盛んに比丘たちの興味を呼び、思索を誘った。釈尊が判然たる意見を示したと言われる問題に対して、堂々と反対の意見を開陳するものもあった。紀元前三世紀の中ごろ阿育王の外護のもとに、バトナにおいて経法の結集が行われた。そのとき長老帝須は、そのころの教団において意見の一致を見出し得ない問題をおよそ200ばかり調査して、これを結集の席に提出した。その中には、釈尊がもっとも強調した教に対してすら反対の意見を主張するものがあったことが示されている。たとえば無我の原理は釈尊があれほど強調して説かれたものであったが、それにも拘わらず、「永続する個人的実体」の存在を主張するものもあった。釈尊の哲学的立場はいわば経験的唯心論ともいうべきものであるが、それに対して、永遠なる客体を直接認識しうるという意味で「すべては存在する」と主張するものもあった。しかもそれらの者がすべて仏教の旗の下に止まっていたということは、ここでは「釈尊のまねび」が決して仏教のさいこうの基準でなかったことを示しているのである。

 正法こそ、真理こそが、仏教とのまことの基準であったのである。彼らは決して何ものにも束縛される必要はなかった。ただ忠実なる真理の徒、正法の理解者、実践者であればよいのである。

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