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2016年3月

2016年3月31日 (木)

さすが、究極の混声四部合唱

 3月27日に宗次ホールのスイーツタイムコンサートで「究極の混声四部合唱5」があった。「究極」とは随分ずうずうしいネーミングだと思うが、なんかくすぐられるところもある。

  出演者のひとり、テナー歌手が昭和男爵コーラスの指揮者なのでチケットを購入した。その時点で「完売間近」と言っていたが、ホールに行くと入口脇に「完売御礼」が出ていた。小規模ホールとはいえ、完売というのはすごいと感じた。

  完売だから少し早めに行くとよいと言われて早めに出かけたら、開場15分前に入口に着いた。中に入ると正面の三列目に陣取った。出演者の顔がよく見えると思ったからだ。

意外だったのは、聴衆がほとんど高齢者であったことだ。日曜日なのにどうしてだろうと思った。50代以下の年齢層はクラッシックには関心がないのであろうか。

  出演はソプラノが加藤恵利子、メゾソプラノが石原まりあ、テナーが大久保亮、バリトンが塚本伸彦、ピアノが池原陽子であった。女性の歌手は初参加のようであった。

  プロの歌手が合唱をするとどのように表現されるのか興味深々であった。もちろんオペラなどで合唱は聴いたことがある。以前はダークダックスなどや女声コーラスも含めてコーラスグループがたくさんあったが、クラッシックではいつのまにかなくなってしまった。

  この企画をしたのは安田旺司というバリトン歌手で、本人が初めにいきさつを話した。とても好評のシリーズで他県にも進出していると言っていた。

  この日はイースターだったそうで、最初の曲はヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」より”ハレルヤ”コーラスであった。この曲は昨年末に芸術大劇場で歌ったばかりで馴染みのある曲だ。さすがにプロだけあって4人で見事に歌いあげた。

  次は有名な唱歌メドレー「ふるさとの四季」であった。この曲も我が合唱団で歌ったことがあり、なつかしいとてもいい曲だ。

  3番目はシューマンの「流浪の民」を日本語で歌った。4番目はこれも有名な「はるかな友に」で、歌ったことがある曲であった。

  この後「ひとつの朝」「うた」「大地讃歌」「合唱組曲『水の命』」と続いたが、どれも歌ったことはない曲であった。

  大地讃歌はステージの上のバルコニーに立って歌ったが、感じがガラッと変わってよかった。この歌はアンコールの2曲目に会場のみんなと歌ったが、私の両側にいた女性がきれいな声で歌っていたので驚いた。多分合唱団で歌ったことがあるのだろう。

 10分の休憩のあと、最後は合唱組曲「水のいのち」であった。雨、水たまり、川、海、海よ、の5部からなっているとてもいい曲である。

 究極の混声四部合唱は名前に恥じない素晴らしいコーラスで、プロがやるとこういう具合になるのかと思った。アンコールはブラック・ジャックをフォーメーションを変えて歌い楽しませてくれた。 アンコールを含めて100分ほどたっぷり聴かせてもらった。至福の午後であった。

 次回は11月14日(月)だそうで、NHK合唱コンクールの課題曲をたっぷり歌うそうだ。楽しみである。

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2016年3月30日 (水)

歩く速度が落ちた

 健康のために毎朝行っているウオーキングだが、最近目立って歩く速度が落ちたことを自覚する。

 前にも書いたことがあると思うが、歩いていて、いつの間にか後ろから誰かが追いついて来て抜かしていくことがある。後ろには誰もいなかったはずなのに、どこから現れるのか、人が来て抜かされるのだ。不思議でたまらない。

 追い抜かされても、ジョギングの人の場合は何とも思わないが、歩いている人の場合はちょっと悔しい。ましてその人が高齢者の場合にはがっくりする。最近では仕方がないと諦めるようにしているが。

 ウオーキングに出かけるときには、iphoneに入れてあるウオーカーというアプリを使って、歩数と時間を記録している。毎朝同じ距離を歩いているのに、所要時間が増えて来ているのだ。以前は58分前後で歩いていたものが、この頃では1分30秒以上かかることが多くなった。それで歩く速さが落ちたことを実感しているのだ。

 私は、ためしてガッテンで、インターバル歩行がよいと知ってからは、3分ごとに速歩と緩歩を繰り返している。先日、3分で歩く距離を測り直したら、以前測った距離よりかなり短くなっていることが分かった。念のために2日後に測りなおしたら、さらに3分間で歩ける距離が短くなっていてがっかりした。50m余りは減っているのだ。

 3分で歩く距離が短くなったのだから、全体の所要時間が長くなったのも無理はないと納得をした。

 でも、自分では一生懸命歩いていると思っているのに歩く力が衰えているのだ。他の人の歩く様子を観察すると、それほど速く歩いているように見えなくても、私より速いのだ。

 普段道を歩いていて、若い女性がすたすたと歩いているのを見ると、若いのはいいなあと思う。自分も若い頃はあんな風に歩いていたのだろうかと不思議に思うのだ。

 ウオーキングも楽しんで歩くようにしなければと思うのだが、冬場は暗いうちに歩くので辺りの景色を楽しむことはできない。月がきれいに出ている時とか僅かな星が空に見えるときはそれを観るくらいのものである。

 これからは夜が明けるのが早くなるので、景色とか鳥や花などを見ながら歩くことが出来ると思う。歩く速度に拘るのはやめにしようと思っている。高齢になると体力が落ちるのは避けられないのだから。

 

 

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2016年3月29日 (火)

安保法制が施行された―開かれた戦争への扉

 朝日新聞で3月29日午前零時からあの安保法が施行されたことを知った。朝日新聞は1面トップ記事で扱っていたのは妥当で、今後の日本国民のみならず、世界の国々や人々にも大きく関わる重大な事項だからだ。

 それに対してNHKの「お早う日本」では、トップニュースが女子中学生誘拐事件関連で、安保法施行は何と3番目であった。女子中学生誘拐事件は2日前から報じられており、もうトップニュースで扱うほどの緊急性はない。安保法施行の方は先にも書いたように、日本はおろか全世界に関係する重要なものである。

 おそらくNHK上層部の意向で、大した問題ではないという感じのニュースとして意図的に扱ったのであろう。

 今日は3月29日である。どうしてこの日が施行の日に選ばれたのであろうか?語呂合わせをすると、皮肉にも「惨月二重苦日」となる。日本の未来にとってもこの日は将来の運命を左右する転換点の一日である。戦争への扉を開いた日である。

 戦争ほど惨めなものはないし、二重苦どころか多重苦である。それは戦争を経験した者にはよく分かることである。俳優の宝田明氏が朝日新聞で体験を語っているが、同世代の私にはよく分かる。

 自民党は夏の参議院選挙を意識して国連平和維持活動(PKO)での「駆けつけ警護」や平時から米艦船などを守る「武器等防護」をはじめ、同法に基づく自衛隊への新たな任務の付与は、夏以降に先送りにした。実にずるいやり方で国民の眼を誤魔化そうというのだ。

 閣議決定で勝手に集団的自衛権行使を容認し、憲法を事実上改変してしまった。そして国会の議員の数をたのんで安保法制を強引に成立させてしまった。民進党や共産党などが安保法制は無効だとし、廃案に向けて行動しているのも当然のことである。その後ろにはSEALDsやママさんたちや多くの学者など幅広い安保法制反対の声があるからだ。

 自衛隊は今のところ参議院選挙がすむまで「施行猶予状態」にあるが、遅くとも秋には発砲し発砲される状態になる。いったいいつどこで誰が最初に発砲することになるのであろうか。また最初の戦傷者や戦死者は誰になるのであろうか。想像するだけでもぞっとする。

 戦後70年、戦争をしない平和をもっともっと延ばしてほしかった。その盾となる憲法9条が有名無実にされてしまったのだ。

 安倍首相は「安全保障に無責任な勢力」だと反対する野党を批判しているが、本当に無責任なのは安倍首相の方である。積極的平和主義と称しているが、内実はアメリカの言いなりに戦争に加担しなければならなくなったのだ。

 

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2016年3月28日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑮―

 原始仏教の経典は、釈尊に帰依した弟子たちが、入信に際しての師と法に対する感懐を、しばしば次のような言葉で伝えておる。

  「妙なる哉。妙なる哉。譬えば倒れたるを起こすが如く、覆われたるを露わすが如く、迷える者に道を教えるが如く、暗中に灯火を掲げて眼ある者をして色を見せしむるが如く、かくの如く世尊は、種々の方便を以て法を顕示したまえり。我ここに世尊と法と比丘衆とに帰依したてまつる」

  また、次のような感懐もしばしば述べてられておる。

 「己に法を見、法を得、法を知り、法に悟入し、疑惑を超え、猶予を除き、無畏を得、師の教を措きて他によることなく、世尊に白(まを)して言えり。『我願わくは世尊のみ許に於いて出家して具足戒を得ん』と」

  釈尊の法を説くや、理路整然、懇切丁寧、次第段階を経て、人々が自らの経験にかえりみ、その知識と理性を以てすれば、必ず理解しうるが如き説き方をした。弟子たちはそれによって、よく法を理解し、その法によって自覚人格を開発しうることを確信し、その理解と確信の上に、釈尊に対する信頼帰依の情がうちたてられた。この態度を仏教では「聞法随順」という言葉で表現しておる。弟子たちがその師の人格と智慧とに心からなる帰依と信頼を寄せていたことはいうまでもないが、その帰依と信頼とは、さらにその根底に教法に対する理解と確信とが存するのである。

  法を聞き、理解し、確信をして、そこにはじめて帰依し随順するのである。したがって、仏教との帰依信頼は、本来、絶対憑依のそれではなかった。単に教祖の人格に信頼をよせるのが仏教徒の能事ではなかった。教祖の説き教えられたる法を理解し、その教法の理解によって、自分自身の心のなかには自覚人格を開発することこそ、仏教徒の第一義でなければなrなかった。

  釈尊はその入滅に程遠からぬ頃、巴陵弗に遊行して、恒河の渡船場のほとりに立ち、多くの人々が舟を求め筏を求めて渡る様を見て、頌を説いて言ったことがあった。

    仏は海の船師たり。

    法橋にして河津を渡す。

  ここで釈尊は自らを「船師」にたとえ、また「法橋」ち呼んでいるが、原始仏教における釈尊の地位は、この言葉の中にも充分に観取せられるのである。第一義はどもまでも法の開発であって、釈尊はそれへの「橋」であり、「船」であり、最も適切な言葉でいうと「導師」であったのである。

  

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2016年3月27日 (日)

日本語教室ポットラックパーティ2016

 3月26日に愛知県国際プラザ日本語教室平成27年度の締めとして恒例のポットラックパーティが開催された。

  参加者それぞれが何か食べ物か飲み物を持ち寄るもので、いろんな国の学習者が持ち寄るので楽しみであった。

  日本人のボランティアは当然日本の食べ物を持って行くが、中には外国の料理に長けた人もいて、エジプトのケーキを作って来た人やモロッコ料理を作って来た人もいた。それぞれおいしくできていた。

  私が教えているタイ人は有名なトムヤンクンを作って持って来た。辛かったがとても美味しくて皆さんに喜ばれていた。学習者の台湾の人は卵と豚肉の料理を持って来たが、これも好評できれいになくなった。もう一人のコロンビア人はピラフのようなものを持って来たがこれもきれいになくなった。

  フィリピン料理とかスイスの菓子やインドネシアの料理もあった。ベトナム人が作って来たのは日本のおへぎに似た菓子であった。似たものがベトナムにもあるのだと知った。

  日本人ボランティアは今年はあげ寿司が多く、おこわやチラシ寿司やおにぎりも多かった。また団子を持って来た人もいた。それぞれの人が自分で算段して持ってくるので偏る場合もあるのは仕方がない。から揚げも多かったがみな食べられていた。

  食事の後は、曜日ごとのグループが用意したエンターテイメントをやった。

   火曜日クラス    ピンポン玉運び

   金曜日午後クラス  アニマルトーク

   土曜日午前クラス  マジック

   金曜日夜クラス   ラジオ体操

   土曜日午後クラス  みんなで歌おう

  学習者は家族や友人を連れて来てもよいので、子どもたちもたくさん参加していてにぎやかであった。 

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                    手前エジプトのケーキ

                    この後たくさん集まった

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                         台湾料理

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                     タイのトムヤンクン

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2016年3月26日 (土)

auの「1G+スーパーカケホプラン」が使えないー何とか改善せよ

 先日、KDDIからメールが届き、下記のような案内が書いてあった。

  「DDI、沖縄セルラーは、2016年4月 より、月額1,700円で5分以内の通話が通話回数の制限なく24時間かけ放題 (注1) となる「スーパーカケホ (電話カケ放題プランS)」と組み合わせてご利用いただける、月間データ容量が1GBのデータ定額サービス「データ定額1」(月額2,900円) の提供を開始します。

  これにより、データ通信のご利用が少ないお客さまの場合、auスマートフォンが月額4,900円からご利用可能となります。
 また、「auスマートバリュー」の適用で、最大2年間月額934円 (注2) が割引となり、月額3,966円からご利用いただけます。」

  私はこのプランを待ちに待っていた。というのは毎月の使用量は多くても0.8以下だからだ。3月中に変更すれば4月から適用されるという。ところが読んでいくと、「毎月割」のお客様は受け入れ出来ないと書いてあった。

 「毎月割」とは何か分からないのでauサポートページにログインして調べたが分からなかった。それでauサポートに電話をして尋ねたら、私の場合ihone6sを分割払いで買っているので、それに毎月割引きが付いているのだと言った。毎月割引を止めれば1gプランが使えるのだが、結果としてその方が高くつくという説明であった。

 2017年11月になると分割が終わるのでそれまで待たなければならないというのだ。私はガックリしてしまった。2月請求額は8800円である。以前ガラケーの時は1800円程度であったから、大違いだ。私の場合、キャリアのauを10年以上使っている。それなのに何の恩典もないのである。

 総務省が携帯料金を安くするように働きかけたが、実態は安くなっていない。もっと料金を下げて利用者の使いやすいようにすべきである。

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2016年3月25日 (金)

Youtubeでは報道ステーション「ワイマール憲法の教訓」が見られる!!

 3月18日に放送された「報道ステーションの『ワイマール憲法の教訓』」は次々に削除されたそうだ。でも、東京の友人がYoutubeではまだ観ることが出来ると、次のURLを送ってくれた。

それが次のURLである。

  http://www.dailymotion.com/video/x3ym0kc_%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-03-18-%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB_news

 しかし、アクセスしてみると「見つけることができません」というメッセージが出た。Yahooでもアクセスを拒否したものとみられる。

  そこでYoutubeへ入り、「報道ステーション ワイマール憲法の教訓」と入れてみたらヒットした。そして画像が現れた。URLは下記の通りである。3月24日午後17時には観ることができた。

 https://www.youtube.com/watch?v=3Kw0uuflXdc

 この貴重な映像を是非多くの人に観てもらいたいと思い、特別に取り上げた。

 Youtubeは何時まで観られるのか心配ではある。権力は自分たちに都合の悪い物は国民の目に触れないようにしているのだ。まるで戦前の治安維持法下と同じではないか。ネットの時代なのにネットが裏で権力に支配されているのだ。まるで中国と同じである。日本が急速に戦前回帰をしていることがよく分かる。

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2016年3月24日 (木)

古館キャスターの「報道ステーション」がまたまた削除される

 ワイマール憲法の「国家緊急権」を利用して、全権を掌握したヒトラーのやり方について取り上げた、古館キャスターの「報道ステーション」が、案の定削除された。一昨日のblogに載せたURLをクリックすると、「規約違反により削除完了しました」とでていた。

  この前の「戦争放棄」を幣原元首相が憲法に入れたという証言の「報道ステーション」が削除されたのと同じである。

  安倍政権にとって不利な報道を削除するというのはあってはならないことである。戦争放棄にしろ、ヒトラーのワイマール憲法悪用にしろ、歴史的事実である。それを蔽い隠そうというのはもっての外である。

  安倍政権に迎合するテレビ局は、この3月限りで著名キャスターの岸井氏、古館氏、国谷氏を更迭した。NHKでは安倍首相の意を汲む籾井会長が支配をしている。大手新聞社やテレビ局の首脳は絶えず安倍首相と会食をして懐柔されている。

  権力を批判する良心的なテレビ番組が、ネットにアップロードされても、すぐに削除されてしまう。4月からは、テレビ番組も政権に都合の悪い番組は作らなくなるであろう。そしてどうでもよいことで大騒ぎをし、出演者だけが楽しんでいるバラエティ番組が増えるのであろう。

  6月には参議院議員選挙があるが、消費税10%増税を延期して、衆参同時選挙に持ち込むというのが自、民党の戦略だと専ら言われている。

  例によって公明党はその動きに反対の素振りを見せているが、本心は「賛成」であろう。これまでの安保法制などの例をみても、最後は「どこまでも付いて行きます、下駄の雪」なのだ。

  「報道ステーション」がアップロードされていたDailymotionとは、どこのサイトだろう?と思って調べてみたら、フランスのだと分かった。

 WIKIPEDIAには次のように書いてある。

 Dailymotion(デイリーモーション)は、フランス動画共有サービス。YouTube と同時期の2005年平成17年)2月パリで設立し、サイト公開YouTube より一ヶ月早かったとされている。サービス開始は3月15日

 元は個人が撮影した動画のネット上での共有の為にバンジャマン・ベジュボムフランス語版オリヴィエ・ポワトレフランス語版の二人がサービスを創立し、この二人と最高執行責任者のディディエ・ラパポール (Didier Rappaport) らが会社を運営している。

 利用登録者数100万人以上、ユニーク数は750万以上というヨーロッパで最も人気が高い動画共有サイトである。日々、9000以上の新しい動画がアップロードされ、1日当たり約1600万以上のページビューがあるという。

 フランスのサイトでにも日本の政権の圧力が及ぶと言うのは何と恐ろしいころであろうか。あのフランス革命をやった世界でも自由と民主の先鋒の国のフランスも堕ちたものだ。

 ※Youtubeでは見られます。

 https://www.youtube.com/watch?v=3Kw0uuflXdc

 

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2016年3月23日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―⑭―

 あかかる教祖釈尊によって創唱されたる仏教に、「廃師自立」という不思議な術語が存しておる。廃師はまた背師であって、師にそむく、または師の教えにそむくことである。自立とは自己の所説を主張することである。もしも真理にてらして正しいと判ぜられる場合には、師の教えに背いて、自己の説を立てることも、別に差し支えないところである。それを廃師自立というのであって、この思想は、原始仏教このかた、ながい間にわたって、実際に仏教の中に行われて来たものである。かかる思想は、仏教を措いて他のいづれの宗教に於いても発見することは出来ない。

  たとえばキリスト教について見ると、その教徒にとって何よりも重要なことは、教祖キリストに言行の證憑であった。その意味において、キリストの言行を記した福音書に高い宗教的価値が与えられておる。彼らの宗教的議論における最後の結着は、キリストはいかに言いたまうたか、或いはキリストはいかに行いたまうたかによって決定せられるのが常であった。キリストはかく言われたが、自分はどうしてもかく思うということになれば、それは異端たるを免れえないであろう。

  中世紀の終ちかく、ネーデルランドのツウオレのほとり、聖アグネス僧庵にトマス・アケンビスという修道僧があって、『キリストのまねび』なるささやかな書物をかいた。これはやがて、聖書についで多くよまれる書物として、キリスト教徒の愛読するところとなったが、この『キリストのまねび』ということこそは、全キリスト教徒の宗教生活をつらぬく一大原則であったと言うことが出来る。

  それに対して、仏教には最初から、必ずしも師のとおりに真似る必要はないとする考え方があった。釈尊は大覚成就の間もないころ、次のごとく述懐したことがあった。

    自ら證知したれば誰をか師と称すべき

    我に師もなく我に等しきものなし

  釈尊の大覚は、天啓によったものでもなく、師示によったものでもなく、ただ法によって自ら證知したものであったが、彼がその弟子に対して教うるところもまたかかる開語の道であった。むろん釈尊が来たってこの法を教示いなかったならば、この法を知り、この法を行うことは出来なかったであろう。

 だが、理論的に言うと、一たびこの教示がなされおわるや、釈尊の業はすでに成就されたのであって、その時以後、仏弟子の依るべきものは専ら法であるべきである。法にてらして正しいを判ぜられることは、自由にこれを主張しても差し支えないのである。法に拠ってかく行うべきものと信ぜられるならば、断乎として行われるべきである。キリスト教徒におけるごとき意味の異端は、仏教徒の知らざるところであった。かくて釈尊滅後の原始仏教僧団においては、釈尊がすこしも言及しなかった多くの題目が、盛んに比丘たちの興味を呼び、思索を誘った。釈尊が判然たる意見を示したと言われる問題に対して、堂々と反対の意見を開陳するものもあった。紀元前三世紀の中ごろ阿育王の外護のもとに、バトナにおいて経法の結集が行われた。そのとき長老帝須は、そのころの教団において意見の一致を見出し得ない問題をおよそ200ばかり調査して、これを結集の席に提出した。その中には、釈尊がもっとも強調した教に対してすら反対の意見を主張するものがあったことが示されている。たとえば無我の原理は釈尊があれほど強調して説かれたものであったが、それにも拘わらず、「永続する個人的実体」の存在を主張するものもあった。釈尊の哲学的立場はいわば経験的唯心論ともいうべきものであるが、それに対して、永遠なる客体を直接認識しうるという意味で「すべては存在する」と主張するものもあった。しかもそれらの者がすべて仏教の旗の下に止まっていたということは、ここでは「釈尊のまねび」が決して仏教のさいこうの基準でなかったことを示しているのである。

 正法こそ、真理こそが、仏教とのまことの基準であったのである。彼らは決して何ものにも束縛される必要はなかった。ただ忠実なる真理の徒、正法の理解者、実践者であればよいのである。

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2016年3月22日 (火)

最も民主的なワイマール憲法を利用したナチス・ヒトラーに学ぶ安倍政権

 3月18日に放送された「報道ステーション」をDさんから送って頂いたので観た。前回と違ってまだ削除されていなかったが、内容的には削除されてもおかしくないものであった。3月限りで報道ステーションを事実上首になる古館キャスタ―渾身の番組になったと言ってよい。

  古館キャスターはわざわざドイツまでロケに行き、現地から放送した。ドイツのワイマール市国民劇場は1919年にワイマール憲法が制定された場所である。そこから番組はスタートした。古館キャスターは、つぎのように述べた。

  「ヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけじゃありません。合法的に(独裁を)実現しているんです。じつは、世界一民主的なワイマール憲法のひとつの条文が、独裁につながってしまった。そしてヒトラーは、ついには、ワイマール憲法自体を停止させました」

  その条文とは、48条の「国家緊急権」である。「大統領は公共の安全と秩序回復のため必要な措置を取ることができる」というものだ。それを使ってヒトラーは大統領に緊急事態を発動させ、共産主義者を逮捕したり、集会やデモを禁止したり、出版物を取り締まったり、野党の活動をできなくさせ、基本的人権を停止させたのだ。

  ヒトラーが言った「強いドイツを取り戻す」は安倍首相がいう「強い日本を取り戻す」と同じではないか。「敵はユダヤ人」は「中国や北朝鮮」を彷彿とさせる。独裁を「決断できる政治」と言い、戦争の準備を「平和と安全の確保」と言ったと古館キャスターは語る。ヒトラーが演説で「この道しかない」と言っているが、安倍首相も同じことを言っていた。こうして見てくると、ヒトラーと安倍首相の用語は瓜二つである。

  また腹心のゲーリックは、「国民は自分たちの意のままになる。それは簡単なことで『外国からの危険に曝されている』と言えばよい」と述べている。独裁者の常套手段である。「平和主義者に対しては、『愛国心がなく、国家を危険に曝す人々だ』と言えばよい」とも語っている。似たようなことは日本でもよく聞く。

  ところで大事なことは、「国家緊急権」が自民党憲法草案にある「緊急事態条項」とそっくりだということである。

  第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

  事前事後の国会の承認が必要だとか、基本的人権は最大限尊重されなければならないと書いてあるが、うやむやにされる危険性がある。

  ドイツのドイツ・イエナ大学のミハエル・ドライアー教授や元東大法科大学院院長の長谷部恭男氏は非常に危険な条文であると語っている。

 麻生副総理がヒトラーに学べと言ったように、根底には民主憲法の下でも独裁国家に変えることができると思っているに違いない。そのために特別機密保護法を作り、集団的自衛権の閣議決定をし、安保法制を改定し、教育への国家統制を強め、マスメディアを抑え込む・・・・等々着々と布石をしている。その仕上げとして夏の参議院議員選挙と合わせての衆議院解散・選挙で2/3を制して一挙に憲法を変えようという目論みである。安倍首相の憲法を変える広言はその現れである。

 ※報道ステーション まだ観られるかな?

 http://www.dailymotion.com/video/x3ym0kc_

 削除されたが、Youtubeでは見られる(3月24日時点)

https://www.youtube.com/watch?v=3Kw0uuflXdc

 

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2016年3月21日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑬―

3 真理の宗教

 仏教の原動力は、釈尊その人の自覚人格を出発点としている。仏教の理想も、その実践の方法も、すべて釈尊の人格を中心としておる。原始仏教もまた一種の人格中心の宗教であったことは疑いの余地もない。古い経典は、弟子たちが釈尊に寄せた帰依信頼の胸をうつ記録のかずかずを記しとどめている。

  賓祇耶大仙は、年老い、色衰え、目も耳もその力を失わんとすること、はじっめて世尊に法をきき、随喜して弟子となった。彼が元の師婆和利婆羅門に対して述べた述懐は。つぎのごとき偈となって遺っている。

   婆羅門よ、我は、現に見らるる

   即時に果てある,喝愛を盡滅する、

   悩みなき法を我に説示したまえる、

   譬うべきものもあることなき、

 

    かの広慧ある瞿曇(くうん 瞿はおそれる)

   かの広智ある瞿曇より、

   須ユ(ユの字が出てこない 意味はしばらくの)間といえども、

   離れて住することなし、

 

    婆羅門よ、不放逸にして、昼夜に、

  我は意(こころ)の眼もて彼世尊を見る、

  彼を礼拝しつつ夜を過ごす、

  故に我は、離れ住せず思惟す。

  我が信と喜と意と念との

  これら四法は瞿曇の教えより離れず。

  広慧者世尊が赴きたまう方に、

  その方に必ず我は帰向しおれり。

  我が老いて力弱き身は、

  その故に彼処に至ることなし。

  されど思いをやりて常に赴く。

  婆羅門よ、我が意は彼と結合し居ればなり。

 

 その切々の情は、掬すべきものがある。

 ある年、舎衞国の祇園精舎での夏安居が了ったとき、比丘たちは食道に集まって、衣を縫い繕っておった。衣がととのえば、世尊はまた旅に出られるのである。それを聞いて、長者梨師達多と富蘭那の二人は、精舎に詣り、世尊を拝して言った。

「大徳よ、世尊舎衞城より构薩羅に遊行に出たまわんと聞くとき、世尊我等を遠ざかりたまわんとて、悦なく、憂あり。・・・・大徳よ、世尊、构薩羅より摩羅に遊行に出たまわんと聞くときは、世尊我等を遠ざかりたまわんとて、悦なく、憂あり。・・・・大徳よ、世尊摩羅より跋耆(キ)に、跋耆より伽戸に、伽戸より、摩竭陀に遊行に出たまわんと聞くときは、世尊我等を遠ざかりたまわんとて、悦なく、憂あり。・・・・大徳よ、世尊摩竭陀より伽戸に遊行に出たまわんと聞く時は、世尊我らに近づきたまわんとて、悦あり喜あり、・・・・大徳よ、世尊伽戸より跋耆に、跋耆より舎衞城に遊行にい出たまわんと聞く時は、世尊我等に近づきたまわんとて、悦あり、喜あり。大徳よ、世尊舎衞城、祇樹林、給孤独園に住したまうと聞く時は、世尊我らに近く在すとて、少なからず悦あり、少なからず喜あり。」

 ここにもまた、師を慕う情の恋々として尽きざるものが述べられておる。

 

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2016年3月20日 (日)

興味深かった「爆買いはわたし」というルポ

 16日にNHKBSプレミアムで放送された「爆買いはわたし」という番組は面白かった。日本で爆買いをした中国人を空港や港でつかまえて密着取材をしたものだ。

 温水便座は人気商品の一つである。それを買って帰った上海の女性は、自分で取り付けようとするが、便器とパイプのつなぎがあまりにも狭くてうまくできなかった。結局業者をたのんでやってもらったのだ。でも、温水便座の取り付けの希望者が多くて1週間以上も待ってやっと業者に来てもらえた。

 日本で便座を買っていくことはよいが、どうやって取り付けるのかと思っていたが、中国でも無償で取り付けをやってもらえる仕組みになっているのだ。買った時についている保証書をなくさないことが大事だと言っていた。

 炊飯器も人気商品の一つだが、日本で買って帰った夫が奥さんに渡すとき、値段を聞かれて15000円と言ったら、奥さんがそんな安物を買ってといってご機嫌斜めであった。中国人向けにしても安すぎると思って見ていたら、夫が15万円で買ったのを1ケタ間違えて言ってしまったのだった。逆に15万円もする最高級品を買ったのかと驚いた。

 中国人に人気があるのは、家電、便座から医薬品や化粧品に移ってきているという。ドラッグストアで、予めネットで調べた人気商品を爆買いするのだ。下の捨身のように、ネットでは「神薬」と称してお勧めをしているそうだ。

 ある女性は40万円も買ったと言っていた。血液をサラサラにする納豆からできた1箱38000円もするサプリメントを4箱も買ったり、いろりろなサプリメントをまとめて買ったのだ。

 女性には日本の化粧品が中国より安く買え、しかも日本製品は品質が良いと評判なのだそうだ。栄養食品でもキャンデーやラーメンのような食品でも安心だという。中国では粗悪な偽物が多数出回っていることを中国人自身が認めているのだ。

 驚いたのは買い物代行業があることであった。中国語で「代購」というそうだ。代わって購入するという意味だろう。日本製品が欲しいが、日本までいけない人のために、希望の品を買って日本から直送するシステムである。日本製品で直送でなければならないようだ。

 こうした爆買いは、日本への渡航ビザがとりやすくなったことと5000円以上の支払いには消費税が免除されるということが背景にあると言っていた。

 この番組を見ていて興味深かったのは、中国人のマンションの内部が見られたことである。広いマンションに住む人が多く、中には200㎡の部屋に住む人もあった。鄧小平によって改革開放政策が出たころに、中国に行ったことがあるので、その頃の中国とは全く様変わりである。自転車と人民服から、今や日本より広い豪華なマンションに住み、お洒落な衣服をまとっている。そして爆買いを楽しんでいるのだ。

「爆買いの商品 画像」の画像検索結果

 

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2016年3月19日 (土)

NHKアサイチで「今どきのお葬式」を見て

 たまたまNHKのアサイチを見たら、「今どきのお葬式」というのを取り上げることが分かったので、興味をひかれて観てしまった。

  最初は「ドライブスルーのお焼香」というので、どこかの葬儀社がやる新しいお焼香についてであった。どうやってやるのかと興味深々で観た。まず、お香典の受付機があって、そこで名前や金額を記入し、係員に香典を渡すのだ。

  それが済むと、式場の方へ行くのだが、車の窓から手を出してボタンを押すと、祭壇の電飾の花がキラキラと動き出す。また車で拝んでいる姿がカメラで撮られて式場の大型モニターに映し出されるのだ。いくいくは式場の中までドライブスルーにすると言っていた。

  何とも簡略化した、ある意味では礼を失するような方式だが、会社の説明によると、高齢化社会の中で、歩くことに困難がある人でも焼香できるようにと考えたのだそうだ。若い人までドライブスルーで済ませてしまうと何とも味気ないが、そうでなければ一案ではある。

  その後葬儀の簡略化について取り上げていた。直葬(私のパソコンの変換ではこの語は出ない)が多くなっているそうだ。確か25%ぐらいは直葬だと言っていた。病院等から直接火葬場に行くのである。貧困化が拡大する中で増えている一面もあるようだ。

  また、一日葬というのが紹介されていた。お通夜は省いて葬儀をするというものだ。紹介された家族は、葬式の前夜は遺族が静かに亡くなった人と過せてよいと言っていた。

  私は、お通夜はなくてもよいと思う。あるいは葬式に出られない人のために、僧侶抜きで焼香だけできるようにしておけばよいであろう。僧侶はその分収入が減るであろうが、高い読経料を払わなくても済む。

  平均120万円もかかると言われる葬儀代についても、安く上げる仕組みを紹介していた。それを考えたのはIT会社で、ネットによって格安に葬儀を提供できるようにしたという。

  その会社のHPにアクセスしたら、過去2回、「おはよう日本」と「NHKスペシャル」で取り上げられたとトップページに謳ってあった。アサイチで3回目ということになる。まるでNHKが後援しているみたいなネット葬儀社である。こういうのを考えた者の勝ちというべきか。

  その葬儀社は全国3000の葬儀場と契約をしていて、葬儀の申し込みがあるとすぐに近くの葬儀場を探してくれるのだそうだ。初めて知ったのだが、葬儀場の稼働率は10%~20%と低いので簡単に見つかるのだという。稼働率が低いから高額な葬儀料を取るのであろう。

  もう一つ驚いたのは、棺桶が8000円以下でできることと、骨壺が箱ともでたったの500円以下でできることであった。祭壇についても安くできるらしいが企業秘密だと明かさなかった。

  このネット葬儀社の価格は、三種類あって、

  A.188、000円 (遺体の安置と火葬のみ、)

 B.388、000円(通夜なし葬儀のみ)

 C.488、000円(普通の葬儀)

 となっている。一切の追加料金は取らないという。 最低でも19万円は想像より高いと思った。 番組では遺体を火葬までの時間どこに置くかが問題で、需要を見込んでラブホテルの部屋を改造し死体安置の部屋として貸しているラブホテルがあるそうだ。

 葬式については、寺や僧侶に払う高額なお布施が問題になっているが、アサイチでは取り上げなかった。

 アサイチによると、最近では家族葬などの簡略な葬儀が増えているそうで、私の近辺でもそれを実感している。葬式に葬儀場や僧侶に高額な金を払わなければならない仕組みは馬鹿げている。金をとる(儲ける)ために葬儀場も次々と目新しいアイディアを出して利用者の眼をくらまそうとしている。ここは冷静に考えて、葬儀とは何かを見つめ直し、合理的な葬式にすべきであると考える。

 

 

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2016年3月18日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―⑫―

 その点よりして、仏教学者のあいだには仏教を無神論であるとする考え方が行われておる。実をいうと、私もまたその主張をなす者の一人である。だが、おなじく無神論とはいっても、むろん左翼の思想家たちのいう無神論とは、一緒に考えるわけには行かない。左翼理論によると、神とは社会の階級性の不合理によって生まれたものである。したがって、人々はこの理論の実践によって、神をその根底とともに葬り去らねばならないとするものである。それに対して、釈尊の立場は全く異なるものであった。

 神がいかにして生じたか、神が存するか否かなどのことは、釈尊にとっては、大した問題ではなかった。釈尊にとって、たった一つの重大なことは、自覚人格の建設ということであった。この自覚人格の建設という大業に参加しうるものは、ただ自分自身のみであった。たとえこの世の中に神なるものが存在していようとも、自覚人格の建設については、何の役に立つものではなかった。釈尊はかように考えていたのである。

  ともあれ、釈尊の宗教は神を必要とせざる、自覚の宗教であった。その意味よりして、仏教を無神論ということも差し支えないことであると思う。だが、後世の仏教に於いては、無神論としての仏教の特色は、いつのまにか失われてしまっていた。一代の富貴をのぞんで歓喜天に祈る仏教徒もある。災厄を免れんがために観世音菩薩の護符を懐にする仏教信者もある。米相場に勝たんがために不動尊を拝する仏陀の末徒もある。

  「他人の牛を算うるなかれ」と教えた釈尊のおしえは忘れさられて、今や仏教徒は他人の牛を算えることのみに夢中になっている。それは決して仏教の本質ではない。仏教の本質とするところは、どこまでも自覚の宗教たることにある。世のもろもろの宗教は、すべて神をたて、神によって、福祉をもとめ、救済をねがう。それに対して、仏教はただ自覚人格の建設を説くのみであって、あえて神を立てず、福祉をもとめず、救済を願わなかった。これは実に驚くべき特色である。仏教の仏教たる所以は、まずこの特色より出発しているのである。(←P.35)

 日本の仏教は葬式仏教と言われて久しい。それは寺や僧自らが牛を算するからである。戒名料は信士が40万円とか居士は80万円、院号はうん百万円などと言っている。お経も通夜、葬儀で何十万ととられる。それもお布施という美名のもとにである。これは釈迦の教えを全く理解していない行為である。布施の本来の意味を歪曲しているのだ。良寛は托鉢に出かけたがそれが本来の布施の意味である。彼は草庵に暮らし、托鉢の椀で簡素な食事をしたと言われる。良寛のような清貧に甘んじる僧はいなくなった。高級車で檀家回りをし、寺院の改築には多額の寄付を要求するなどは間違っている。自覚の僧はどこにいるのであろうか。

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2016年3月17日 (木)

iphone6sトラブル続き

 1月中旬に交換してもらったiPhone6sはトラブルがトラブルがよく起こる、バッテリーの消費状況の記録を付けていることは以前に書いたいたように現在も続けている。

 不思議なのは「充電しなさい」を示す乾電池が空になった絵とコンセントにつなぐケーブルの絵がよくあらわれることである。朝電源を付けると2,3度続けて現れる。それが2,3日ごとに現れるのだ、

 最近疑っているのはバッテリーの残量が50%台以下になったときに現れるらしいということである。この問題についてはAPPLEのサポートに相談したが、次のアップデートまで待ってほしいということであった。

 13日の朝は、シクラメンがきれいなので写真を撮ろうとしたら、下から上にスワイプすると現れるはずのコントロール画面がどうやっても現れず、やむなくホーム画面のカメラアプリを立ち上げた。ところがカメラの焦点がボケていて焦点の調節ができず、シャッターを押してもびくともしなかった。

 それでサポートに電話をした。調べたいことがあるからホームボタンを押して設定を開くように言われたが、ホームボタンを押してもホーム画面にならなかった。

 iPhoneから電話をしたので、固定から掛け直して欲しいと言われた。固定で電話をしたがすぐには出なかったので、その間にiPhoneの電源を切って再起動してみた。するとカメラが使えるようになっていて、ホームボタンも使えるようになった。

 私は夜寝る前には必ず電源を切って寝るのだが、どうしてこんなことが起こるのか不思議である。サポートの人に聞いてもはっきりとした回答はなかった。ただ電源を切ったり、リセットをすると不具合が直ることがあるというのみであった。

 今使っているiPhone6sは、以前に別のトラブルで一度リセットしたことがある。リセットするとデータを保存して入れ直すのが大変面倒な作業である。 今回は電源を切っただけで直ったのでよかった。

 他のトラブルは、「履歴」を使用して電話を掛けると切った後「掛けた履歴」の上、もしくは下の名前に自動で電話が掛かってしまうという問題である。これをなくすには電話を切った後ホームに戻し、さらに一度画面を暗くすることよいというのがiPhoneのサポートの説明であった。しかし、この現象は電話を切ってすぐに別の所につながるので操作が難しいのだ。

 iPhone6sは値段が高いのだからこんなにトラブルが多くては困る。サムスン製のだからトラブルが多いのか台湾の鴻海製のものならトラブルがないのか知りたいものである。

 

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2016年3月16日 (水)

地に堕ちた読売ジャイアンツ

 先日、野球賭博で、読売ジャイアンツで4人目の選手が発覚し騒がれたと思ったら、今度は試合前に円陣を組んで声を掛けあうことで、試合に勝った場合は、声だし役が各選手から5000円ずつ金を受け取り、負けた場合は、逆に他の選手に1000円ずつ払うということをやっていたという。始まったのは2012年5月頃からだそうだ。

  これについて、巨人の森田清司総務本部長コンプライアンス担当は「験担ぎでやっていた。勝つために、士気を高めるためにやっていたもので八百長とは正反対である」と語った。

  これが始まった年には、リーグ優勝をしたので「ご祝儀を払うという行為が強運を呼び込んだ。まさに験担ぎ」と森田氏は述べた。「賭け事とは異質な行為。額も少額」と言っている。額は勝ってもらうときは6万円~8万円であったというが、庶民の感覚からはずれた高額である。

  円陣を組んで声を出すことは、野球やサッカーなど、チームで闘う競技で普通に見られることである。高校野球などでは験担ぎでやっているのではなく、気合を入れるためにやっているのだと思う。「頑張ろう!勝つぞ!」という意思統一のための円陣なのだ。

  巨人軍では「験担ぎ」だと言い訳をしているが、何ともミミッチイ験担ぎである。シーズンが始まるときに、プロ野球各チームは、神社にお参りをする慣わしがあるが、あれこそが験担ぎである。円陣を組んだときの声出し役がよかったから勝ったというご祝儀は、験担ぎでも何でもないし、そんな験担ぎをして試合をするなどファンをバカにしているにもほどがある。

  かつて巨人は「巨人、大鵬、卵焼き」と言われ、子どもたちの人気を集め、憧れでもあった。そして9連続のリーグ優勝をして「栄光の巨人」とまで言われた。長嶋や王など往年の名選手が、馬鹿げた金銭のやり取りをしていたとは聞かない。

  円陣での金銭の授受はミニ賭博である。その他にもチーム内では、トランプやマージャンなどの賭け事が日常茶飯事であったという。また野球賭博をしていた松本竜也元投手によると、投手へのノック練習でもエラーに現金を払っていたという。

  松本元投手は「日常的にギャンブルをやっていたので、その延長で野球賭博をやってしまった」と話している。日常的なギャンブルが金銭感覚やモラルを麻痺させてしまったのだ。

 読売ジャイアンツは、野球賭博と今回のことは別次元だと言っているが、その感覚が巨人をダメにしてしまったのだ。5万円、10万円程度の賭けは賭博ではないという認識の甘さが背景にあるのだ。

 子どもたちの憧れであり、範を垂れなければならないスポーツ選手が、ギャンブルや賭博を日常にしていたというのは言語道断である。こうしたことは巨人以外のチームでもきっと日常茶飯の事に違いない。その辺も洗い出す必要がある。

※午後のYahooニュースで阪神でも同じことがやられていると出ていた。

 元読売ジャイアンツの清原の覚せい剤といい、」野球賭博といい、今回の一連の事件といい、読売ジャイアンツは地に堕ちたというべきであろう。

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2016年3月15日 (火)

ジャンクメール殺到のYahooメール

 私はメールアドドレスをいろいろ持っているが使うのは2つだけである。Yahooメールのアドレスやマイクロソフトのメールアドレスは使ったことがない。

 インターネットのブラウザにはインターネットエクスプローラーとGoogle Chromを使っている。

  ただ、インターネットエクスプローラのブラウザに、Yahooが入り込んで居座っているのでやむなくそのままにしている。だが検索をするときは、Googleを主にしているのでYahooはあまり使わない。理由は検索のヒット率がGoogle方が優れているからである。

  先ほどブラウザを見ていて、Yahooのメールを見に行けることがわかった。Yahooメールに8通のメールが来ていると出ていたのだ。メールを見ようとしたら、パスワードを要求されたので記入してメール画面に入った。

  来ていたメールはYahoo関係のお知らせでどうでもよいものなので削除をした。そして受信箱の所を見ていたら、迷惑メールに250通もあることが分かった。

  どんなものが来ているかと思って覗いて見たら、一番新しいのは、女性の名前で「本当なら今からでも会ってほしいけど・・・いきなりじゃだめかな」というものであった。女性の名前だが男性かも知れないし、ジャンクメールに決まっているのでメールは開かなかった。

 件名を見て行って驚いた。

 「女性を気持ちよくさせるには」

 「私の話を聞いて」

 「硬さこそ女性の求めているものです」

 「90分で3発発精する男性」

 「もしかして疑っていませんか」

 「大幅にディスカウント」

「確実にただにするために」・・・・。

どうみても怪しい件名が並んでいた。

 Yahooメールを使っている友人・知人から、ジャンクメールが多くて困るとか、多い人は1日に100通以上も入ってくるとか聞いたことがあるが、本当にその通りだと実感した。今までメールを見ていなかったので、気づかなかっただけなのだ。

 通常使っている二つのメールにはジャンクメールは来ない。ウイルスバスターを入れてあるからだと思っていたが、ウイルスバスターもYahooメールには効き目がないようだ。

 

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2016年3月14日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑪―

 仏教は仏陀となる宗教、自覚人格の建設を目標であるとするならば、仏教においえて最も大切な要素は自分自身でなければならぬ。自覚とは自分自身が覚醒することである。自分自身の中に埋もれている宝は、ただ自分だけが掘り出すことができる。自分自身が目覚め自分自身で実践するのでなければ、何にもならないのである。自覚人格を建立するという仕事において、本当に頼りとすることのできるものは、ただこの自分自身だけである。

  「自己の依所は自己のみなり。他に如何なる依所あらん。自己のよく調御せられたる時、人は得難き依所を獲得す」

  法句経の一句はかく述べられてある。また、釈尊は、曾てこのことを「自らを燈明とし、自らを依所となし、また他の依所によるなかれ」と教えたこともあった。またある時には、『他人の牛を算うることなかれ」という言い方で諭されたこともあった。

  釈尊の晩年に近いころのことであったと思われる。彼は数多の比丘たちとともに舎衞国の祇樹給孤独園に止住しておった。そのとき、目連の弟子一人と阿難の弟子の一人とが、経唄を誦することの上手下手を競い争ったことがあった。あとでそのことを聞いた釈尊は、二人を呼び出して、つぎのように諭して言った。

 「無益のことをいくら誦したからとて、何の役にも立つものではない。他人の牛を数えることとおなじことである。さようなことは、道を求むる者のなすべきっことではない」

  『法句経』はこの教訓を頌にして、つぎのごとく記しておる。

  たとい経典を誦すること多くとも、放逸にしてこれを実行せざる人は、他人の牛を算うる牧者にひとしく、真の沙門の列に入らず。

  たとい経典を誦すること少なくとも、法に遵いて挙止し、貪欲と:瞋恚(シンケイ)と愚痴とを捨て、正智を得て心よく解脱し、この世に於いてもかの世に於いても執着なきものは真の沙門の列に入る

  大切なことは、正しき法の覚知と実践とである。仏性を開発することである。これを蔽い碍げるものを、仏教の術語では「蓋」と名づける。貪欲、瞋恚、無智などがそれであって、それらを払い却けて覚者となることこそ、釈尊の徒にとって第一の関心事である。仏陀となる宗教に於いては、これを措いて他に重大の事どもはないのである。したがって、釈尊は、誦経を巧みにすることも、呪文を暗ずることも教えなかった。

 先に述べたように、祈祷を献げたり、祭祀を施行したり、そのために牛や羊を犠牲として供することも教えなかった。また祈祷や祭祀の対象となる神々の功徳をも説かなかった。それらはすべて他人の牛を算えるに等しいとするのであった。

 仏教の経典を読んでおると、時たまには釈尊の言葉の中にも、神々の名が出てこないではない。だがそれは崇拝の対象として、礼拝を行ったり祈祷を献げるなどということは全くなかった。そしてそれらの神々と自覚したる者とを比ぶれば、確かに自覚人格の方がまさっているというのが、釈尊の主張するところであった。(P.23中ほどまで)

 仏陀(仏=覚者)になるには、自分自身が釈迦の教えに従って努力をすることで可能であるということだと理解している。それには読経も呪文も祈祷も全く関係がないのである。神は人が不安にかられて依所するものである。その存在を信じてひたすらに頼ることで安心を得るという対象である。釈迦が神を認めないのは当然である。

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2016年3月13日 (日)

アメリカのメディアが見た安倍政権に屈する日本のメディア

 9日の朝日新聞朝刊に「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」という、ニューヨークタイムス記者が書いた本の広告があり眼を引いた。どんな内容か読んでみたいと思った。

  同じ日dannyさんからワシントンポストの社説が送られてきた。そのタイトルは「日本では政権に都合の悪いジャーナリズムはつぶされる」というものである。

  これらからアメリカの大新聞は日本のマスメディアについて同じ見方をしていることが分かる。ワシントンポストのタイトルからはマスメディアを抑圧しコントロールしようという安倍政権のやり方を批判する観点からであり、ニューヨークタイムス記者の本のタイトルからはそうした政権に自ら批判することを放棄し、言いなりになっているということがうかがえる。

  いずれにしても、欧米の政権を監視し批判することを恐れないジャーナリズムの目からは奇異に映るのだ。

  かつて日本のマスメディアは戦争に賛成し国民を駆り立てた。戦後その反省があったはずだが、いつのまにか政権のご機嫌をとるものに変質しつつあるようだ。

  以下に送られてきたワシントンポストの社説を紹介する。

  3年前の選挙時に安倍総理によって打ち出された、日本の低迷中の経済を活性化せんとする野心的プログラムであるアベノミクスはこれまでのところ好調であるといえるものではない。

 安倍首相は、財政的刺激、金融緩和、構造改革(「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略」)のための「三本の矢」を放つと約束した。

 日銀が、最近のマイナス金利を含め、急激な反デフレ手段を講じ、安倍氏は金融面で劇的な政策を打ち出した。

 しかしながら、2015年終盤の3ヶ月間のマイナス成長を含め、迫力に欠ける結果を見て、日本市民は不安感をいだき、安倍政権の支持率も落ち込んできている。

一方、中国と北朝鮮は軍事力を示して地域の安定を乱そうとしている。

 こうした悪いニュースに囲まれると、一般的に、多くの指導者達は、それらのニュースを報道するメディアを非難し始める。残念ながら安倍氏も例外ではない。

 事実、政府とその支援者達による公式・非公式のメディアに対する圧力は、安倍氏が首相になってからの不満のタネである。

 多くの市民が、2014年1月の、公共放送であるNHKの運営を任された安倍政権支援者の台頭の後ろに、批判的報道を封じ込めようとする安倍氏の傾向があるとみている。

 NHKの新会長は、従軍慰安婦問題で戦争時にはどこの国でもあることと発言した。

 それ以来、自民党の調査会は、NHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、自民党議員は沖縄の二紙の広告収入をなくすと脅した。安倍氏は、沖縄の件ついては謝罪した。

 最近、政府の意向に反することで知られている3人のテレビ・ジャーナリストの辞任することになった。

 これは放送網に対して、安倍氏を支持する有力者からの圧力があったのでないかとみられている。

 これらの辞任は、政治報道で「公平さ」を欠く放送局の放送免許を取り消し可能性を述べて波紋を呼んだ高市総務大臣の発言とも時期が重なる。

 日本民間放送労働組合連合会は放送局に対する「どう喝」であると非難した。

 2015年、国境なき記者団は報道の自由度で日本を世界180か国中、61番目であるとの評価を発表した。これは11番目とされた2010年からの大きな後退だ。

 安倍政権を苛立たせている報道は主に集団自衛権などの安全保障政策についてであり、これに関する日本メディアの報道は、米国の報道基準では生ぬるいものにすぎない。

 しかし経済と安全保障の両方の分野で、日本が課題に直面しているのは事実だ。

 安倍氏はこうした問題に対応するために必然的な物議をかもしつつも、自国を近代化しようとしている。

 しかし、戦後日本成果の最も自慢すべきは経済の「奇跡」ではなく、独立したメディア(independent  media)を含む自由な機構の設立であった。

 安倍氏の目標はこうしたメディアの自由等の犠牲のもとに行われるべきではない。

 
「Squelching bad news in  Japan」The  Washington Post(2016年3月5日)
Squelching bad  news in Japan 
 
SO FAR, not so good for Abenomics, the ambitious program for  reviving Japan’s stagnant economy introduced by Shinzo Abe upon his election as  prime minister three years ago. Mr. Abe promised to fire “three arrows”: fiscal stimulus, monetary easing  and structural reforms. He has delivered most dramatically in the monetary area,  where the Bank of Japan has tried radical anti-deflation measures, including,  most recently, negative interest rates on commercial bank  deposits at the central bank. Yet in view of the underwhelming results —  including another three months of negative growth at the end of 2015 — Japanese are  worried and the prime minister’s approval ratings are falling. Meanwhile, China  and North Korea agitate militarily nearby.

Surrounded by bad news, many leaders resort to blaming the  bearers of it; alas, Mr. Abe may be no exception. In fact, formal and informal  pressure on Japan’s media, by the government and its allies, has been a sore  point almost since Mr. Abe took office. To many, his disposition to rein in  critical coverage was behind the rise of a loyalist to run NHK, Japan’s publicly supported  television network, in January 2014. The new boss promptly gave a press  conference observing that the World War II-era Japanese army’s forcing of women  into its sexual  service “could be found in any nation that was at war.”  Since then, officials of both NHK and a rival, Asahi, have been dressed down by a commission of Mr. Abe’s Liberal  Democratic Party, and a member of Mr. Abe’s parliamentary bloc has threatened  two Okinawan papers’ advertising revenue. Mr. Abe apologized for that.

Recent weeks have seen the resignation of three television journalists, all  known to be out of favor with the government, in circumstances suggestive of  pressure from Mr. Abe’s friends in network management. The resignations  coincided with a flap over comments Feb. 8 by Japan’s minister of  internal affairs, to the effect that broadcasters who fail to show “fairness” in  political coverage could lose their licenses, under previously little-used laws  requiring neutrality in the news. The Japan Federation of Commercial Broadcast  Workers condemned that as “intimidation.” Japan’s media remain powerful and  robust, yet in 2015, Japan fell to 61st place among 180 countries on Reporters  Without Borders’ global press freedom  rankings, down from 11th in 2010.

Mr. Abe’s upset with the media seems to revolve mainly around  their coverage — tepid by U.S. standards — of his national security policy, such  as his plans to permit Japan’s military more latitude abroad. Japan does face challenges  both economically and in the security realm. Mr. Abe is trying to modernize his  nation to meet them, an inevitably controversial project. Nevertheless, the  proudest of Japan’s post-World War II achievements was not its economic  “miracle” but the establishment of free institutions, including independent  media. None of Mr. Abe’s goals for Japan, however worthy, can, or should, be  pursued at their expense.

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2016年3月12日 (土)

「やっと見ることができた戦争放棄をスクープした「報道ステーション」

 先日書いた「戦争放棄をしたのは幣原元首相」という記事の中で、それを取り上げた「安倍総理憲法改正の原点」という報道ステーションのスクープが削除されていて見ることができなかったと記したが、その後dannyさんに何度かアドバイスを頂いてやっと見ることができた。

  dailymotionというところにアップロードされていたのだが、実はこのサイトでは「この動画は利用規約違反により削除されました。」というメッセージが出て、削除されていたのだ。ところが、教えていだだいた下記のURLをクリックすると何とか見ることができた。誰かがまたアップロードしたのであろう。

  http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html

  何とか観ることができたというのは、動画を再生し始めると、途中でストップし、いらないコマーシャルに替わったり,びっくりマーク(!)が現れたりするのだ。それにめげずに、初めからの再生ではなく、既に観終わったその次からの再生で見ることによって、12分程度の最後まで観ることができた。

  1957年に安倍首相の祖父の岸信介元首相のときに憲法調査会が作られそこで憲法を改正すべきだという改憲派と護憲派が議論を重ねたのであった。憲法改正を言い始めたのは、岸元首相ら公職追放から復帰した人たちであったそうだ。

  国立公文書館の資料を調べた86歳のジャーナリスト鈴木昭典氏が、段ボールの中に未整理のまま眠っていたテープを発見した。それには60時間以上に亘る議論が録音されていた。それをCDにデジタルでコピーをしてもらったのだ。鈴木氏がつぶさに聞いてその中に、幣原元首相が「戦争放棄」を提案したのだという証言を見つけたのだ。

 マッカーサーの書簡も残っており、元帥は「幣原首相が戦争禁止条項の提案をしてきたので驚いたが、心から賛成だと言ったら、幣原首相は安堵したと言ったので感動した」と書いてあった。

 これだけのしっかりした証言が残っているのに、改憲派はそれを隠して、占領下の状況の中でアメリカから与えられた憲法だから変えなえればならないと主張してきたのである。言い換えれば国民を騙してきたことになる。もし、鈴木氏がテープを発見しなければ、押し付け憲法論がまかり通ってしまうのだ。

 これほど重要な証言が発見されたにも拘わらず、マスコミが取り上げないのはどうしてか不思議でならない。報道ステーションの録画も削除されるぐらいだから安倍政権は非常に恐れているのであろう。政権の息を伺うマスコミだから取り上げることができないのだと推察する。それにしても報道ステーションは大スクープをしたものだ。古館キャスターが番組を進めているがこの3月限りで退陣させられる。最後の大ホームランであったといえよう。

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2016年3月11日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―⑩―

 『大涅槃経』の有名な文句は、「一切衆生、悉有仏性」と教える。すべての人間はみな悉く仏性をもっておる。覚者たり知者たりうる素質を有している。

 だが、世の中には本当に仏陀となり得たる者は甚だ稀である。覚者知者の出現は極めて稀であった。それは何故であるか。

 古来の仏教学者は、仏性の性を説明して、性とは不改の義であるとしておる。因果の関係によってもなおその本質を改めることなきものとの意味である。すなわち、仏性は因果を貫いて、常にすべての人間の中に存するのである。

 しかも、人間の中に自覚人格成立がきわめて稀にしかお行われないのは何故であるか。それが、この輝ける素質がとかく貪欲や愛欲や無知や放逸によって蔽われているからである。蔽われ、縛され、穢されて、徒らに人間性のおくふかく埋もれているからである。

 

 「欲に盲目なるもの、網に蔽われしもの、愛欲の蔽いものに蔽われしもの、放逸の友に囚われしもの、・・・・」と、釈尊は歎いたこともあった。金を儲けたい欲望でいっぱいになっている者もあろう。名誉を求めることに夢中になっている者もあろう。歓楽を追うてとどまるところを知らぬものもあろう。

 また、かの30人の若者たちのように、女をさがすことに我を忘れているものもあろう。そして、自分自身の中に蔽われ埋もれている本当の宝を掘り出すことは、すっかり忘れてしまっている。

 それに対して、釈尊は、自分自身を探し出す方法を教えるのである。一方においては欲望のけがれを拭いとり、他方においては無知の蔽いものを払いしりぞけて、自分自身の有するすぐれたる素質―仏性―に自覚すべきことを教えるのである。

 かかる意味において、仏教とは即ち自覚人格を建設する道である。仏陀となる宗教がすなわち仏教であると言いうるのである。

 (P.18~P.20 ②段落になっているが、読みやすくするために段落をふやした)

 

 「一切衆生、悉有仏性」これは非常に有名な言葉で、種々の仏教関係の書物に引用されている。人間は誰でも仏陀(仏)となる素質を持っているという釈迦の教えの根本である。人間は誰でもいつでも仏陀となれるのである。その方法を説く宗教が仏教だというのである。

 

 人間のもつ「貪欲、愛欲、無知、放逸・・・・等々」の蔽いものを取り除き、自分が持つ真の性である仏性を見出す方法を教えるのである。

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2016年3月10日 (木)

増谷文雄「仏教入門」―⑨―

 仏教なる言葉は、これを文字の上より解けば、二つの意味に解することが出来る。その第一には仏教とは「仏陀所説の教法」という意味に解せられる。「仏陀の宗教」といういみである。ここで仏陀というのは、言うまでもなく、歴史的仏陀すなわち釈尊その人のことであって、釈尊の創唱によって成立したる宗教、それが仏教であるとなすのである。

 その第二としては、仏教なる言葉は、もう一つ「仏陀となる宗教」という意味に解せられる。この場合に仏陀とは、その本来の意味のそれであって、釈尊その人のことを指すのではない。本来の意味に於ける仏陀とは、覚者または知者である。ある経典はこれを「西竺に仏陀と言う。これ覚者、知者を言う。迷に対して知と名づけ、愚に対して覚と名づく。」と説き、またある経典は、さらに覚知を釈して「既に自ら覚め、復たよく他を覚まし、覚行窮満、故に名づけて仏と為す」と述べておる。かかる自覚覚他の行の窮まり満ちたる人格、それがすなわち仏陀である。

 今日の言葉でいっても、やはり自覚せる人格といってよいと思うが、この自覚人格すなわち仏陀となるべき道を教える宗教、それが仏教であると解せられるのである。

 仏教はもちろん釈迦が説いた宗教であり、釈迦が説いたのは仏(仏陀)になる方法であった。まず自らが覚める(悟る)ことが大事であり、それを他の人にも伝えて共に仏陀となる(悟りを開く)という教えであると私は解している。

 釈尊は、自ら大覚を成就してからまだ間もない頃、優留毘羅のある林の中で、30人の青年たちを教化したことがあった。その日、青年たちは、何かのお祝いでかその林で遊びの会を催したのであった。みんな美しく着飾って、夫人を伴って集まって来た。その中に1人だけまだ結婚していない青年があった。そこで、一人の娼婦をつれて来て、都合30組の男女が飲めや歌えの大騒ぎをやった。経文には「放逸に遊びたるに」とあるが、うつつをぬかしてア遊んでいたそのすきに、娼婦はみんなの財布や着物や装飾品などを掻っさらって逃げてしまった。気が付いた青年たちは、真っ青になって賞婦を探し歩いた末、釈尊が一樹の下に坐しておられるところまで来た。

 「一人の女を見かけなかったでしょうか」彼らはそう言って、釈尊に事の一部始終を話した。それを聞いた釈尊は、やがて静かに、諭すような調子で質ねた。

 「若い人たちよ、諸君はどう思われるか。女をさがすことと、自分自身をさがすことと、いずれが大切であろうか」

 「それは、むろん、自分自身を探すことの方が大切であります」

 「それでは、みんなここに坐るがよい。私は諸君のために、ひとつ自分自身をさがす法を説いてあげよう」

 そして釈尊は、さまざまと人生の正しい見方、正しい生き方などに就いて説いた。浄らかな白布のような心の持ち主であった青年たちは、たちまち法に対する眼が開けて来た。やがて、30人の青年たちはみな出家して、釈尊に依って正法に精進することになったというのである。

 この話は、なんでもない話のようであるが、その中には、仏教の根本的な態度が物語られていると思う。

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2016年3月 9日 (水)

WINDOWS10にアップグレードをして

 知人のKさんが昨年買った東芝ダイナブックはWINDOWS8で大変使いづらかった。それでWINDOWS10へのアップグレードをしたらよいかもしれないと思った。

 先ずアップグレードが出来る機種かどうかを確かめる必要があった。東芝のサポートに電話をしたら、アップグレード可能な機種だと分かった。

 その時に大事なことは何か尋ねたら、

①リカバリDISKを作る事(万が一に備えて)

②バックアップを取る事

であった。どのくらい時間がかかるか尋ねたら、機種と環境によって違うのではっきりとは言えないということで、およそ3時間から4時間かかるだろうと言った。

 バックアップはいつもしているので、リカバリDISKを作る事であった。ダイナブックでは、サポートソフトからリカバリDISKを作ることができるようになっている。ところが作るためにはDVDなら4枚、フラッシュメモリの場合は30Gいることが分かった。 それで日を改めてリカバリDISKを作ることにした。

 DVDを4枚用意をして、リカバリDISKを作りはじめたが、思っていたより時間がかかった。全部終わると1時間15分ぐらいかかった。

 その後続けてアップグレードに取りかかった。デスクトップのタスクバーにずうずうしく入り込んでいる、窓の形をしたアップグレードのアイコンをクリックした。するとアップグレード適合機種であることと所要時間が最大90分以内と出た。

 東芝のサポートが言っていた時間とは大幅に異なっていた。これなら有難いと思って早速取りかかった。アップグレードには途中で何回かの再起動があると書いてあった。

 進行時間が表示されて進んでいった。最初に予告された90分をやや超えてアップグレードが終わった。ダウンロードが終わると10分ぐらいセットアップがあった。それが始まるとポインターが動かなくなったので心配になった。電源を切ろうかと思い始めたら、電源を切らないようにという警告が現れた。

 そのまま待っていると、やがて「ようこそ」というメッセージが出てディスクトップが現れた。そしてポインターが動くようになった。

 ディスクトップは紺色のきれいな画面で、アイコンが並んでいた。サポートが言っていた通り、WINDOWS8のものが受け継がれていたので安心をした。

 左下の窓の形のアイコンをクリックすると、WINDOWS8のスタート画面にあったようなものが現れた。スクロールをすると隠れている下の方が現れた。電源は電源ボタンが左にあった。

 いろいろと変わったところもたくさんあったが、WINDOWS8と違って使いやすいことが分かった。それにウイルスバスターの試用期間が切れていたが、削除をすれば、WINDOWS10が持っているセキュリティが働くというメッセージが出たので、ウイルスバスターは削除した。

 WINDOWS8よりセキュリティがよく、使いやすそうなので、アップグレードをしてよかったと思った。Kさんも喜んでいた。アップグレードは終わってみれば意外にスムースであった。

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2016年3月 8日 (火)

戦争放棄を提案したのは幣原元首相

 憲法第9条の戦争放棄を提案したのは幣原元首相でマッカーサー元帥がそれを受け入れたというのは知らなかった。dannyさんから教えていただいて、初めて知った。

  報道ステーションンで2月26日に幣原元首相の肉声で紹介されたそうで、Youtubeにアップされているとアドレスを送ってもらった。ところがアクセスしてみると、不都合な動画だということで削除されていて見ることはできなかった。

  おそらく安倍政権にとっては極めて困る事なので削除されたのであろう。非常に残念である。テレビで放映されたものが不都合だというのは理解に苦しむ。そうしたやり方をするYouTubeも権力に迎合し史実をゆがめることに協力しているのだ。

  小学館発行の「少年少女日本の歴史」という漫画では、1989年発行のものには、幣原首相が戦争放棄を提案し、マッカーサー元帥が大賛成と言っている絵が載っている。しかし、1994年版には、マッカーサーが「いろいろ考えたのだが憲法には戦争放棄ということを盛り込もうと思う」と幣原元首相に言っている絵に替わっている。誰の指図でそうなったのか不明だが、12年前にはアメリカから押し付けられたということに改ざんされたことが分かる。

  幣原喜重郎「外交50年史」によれば、幣原自身が次のように述べている。

  「私ははからずも内閣組織を命ぜられ、総理の職に就いたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのよう戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならんということは、外の人は知らんが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。それは一種の魔力とでもいうか、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本にやってきて、今度の新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない。決して誰かから強いられたのではないのである。

  軍備に関しては、日本の立場からいえば、少しばかりの軍隊を持つことは、ほとんど意味がないのである。将来の任に当たってみれば、幾らかでもその任務を効果的なものにしたいと考えるのは、それは当然のことであろう。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっているような劣勢の軍隊ならば、誰だって真面目に軍人となって身命を賭するような気にはならん。それでだんだんと深入りして、立派な軍隊を拵えようとする。戦争の主な原因はそこにある。中途半端なやくに立たない軍隊をもつよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だと思うのである。」

 何とも立派な見識である。報道センターでは幣原元首相の肉声で証言されていたというからYouTubeで削除されたのが残念でならない。

 その後歴代自民党首相によって歴史が改ざんされてきたのだ。

http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html

http://sun.ap.teacup.com/souun/19545.html

 

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2016年3月 7日 (月)

今年もシニアコーラス交歓会に明日出演

 私が所属する昭和男爵コーラスは結成9年になるが、名古屋市市民会館フォレストフォールで開かれる第8回シニアコーラス交歓発表会に今年も参加する。この交歓会には第1回より出演しており、今年はもう8回目である。月日の経つのが速いことに今さらながら驚かされる。

 結成当時10名で発足したが指揮者の加藤先生のご指導の下、年々少しずつ進歩していると自画自賛している。この間ピアニストや会員が亡くなられたり、病気で退会されたり、紆余曲折はあったが、若手の男性指揮者や男性ピアニストにも指導を仰ぎ、ここまでやってきた。

 今年は31グループとこれまで最高の参加数である。それだけ多くの期待があるということである。昭和男爵コーラスは 明日、午前10時半ごろ舞台に上がる予定である。

 1グループ8分以内なので我がグループは、2曲歌うことになっている。最初は古い歌で「山の彼方に」次が有名な「昴」である。フォレストホールの大会場で思う存分歌いたいと思っている。是非多くの方が聴きに来て下さることを望んでいる。

 


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2016年3月 6日 (日)

高市発言は憲法違反と憲法学者らが見解

 3月3日の朝日新聞に「高市総務相言及の『停波』 憲法学者ら『違憲』」という見出しの記事があった。昨日のこのblogで取り上げた岸井氏らの6人のジャーナリストの抗議に続くものである。

 学者らは「政治的公平」などを定めた放送法4条を根拠として処分を行うことは憲法違反にあたるとする見解を記者会見で発表したのだ。

  会見したのは樋口陽一東大名誉教授(憲法9ら5人で、法学や政治学などの専門家でつくる「立憲デモクラシーの会」の会員である。

  見解は「総務大臣に指揮される形で放送内容への介入が行われれば、放送事業者の表現活動が過度に萎縮しかねず、権限乱用のリスクも大きい」としている。

 テレビ、新聞などではすでに「萎縮」が始まっていると言われ、dannyさんのコメントにもあるように、逆にケント・ギルバードのような安倍政権応援団のテレビへの露出があるようだ。dannyさんが指摘するように、政権を支持する放送局はいくら政治的公平性がなくても電波停止にはならないのだ。

  樋口氏は「何人も自分自身が関わっている事柄について裁判官になってはならいという、自由民主主義社会の基本原則が肝心な点だと述べ、政治的公平を政治家自身が判断することへの問題点を指摘した。

  また、西谷修立教大特任教授(哲学)は、「政府を批判することは偏向であり、政治的風潮が広がるなかでの大臣の発言。言論に携わるものは深刻に考えてほしいと語った。

 この問題に関してマスコミやマスコミ関係者からの危惧感の表明は先の6人以外にはないようだ。これについては非常に危機感をもつ。これに関連して次のキャンペーンが展開されている。

キャンペーンについてのお知らせ

新しい署名を始めました!&岸井さんご本人が応援署名を紹介してくれました!

政治家に放送法の遵守を求める視聴者の会

2016年3月2日 — 岸井さん応援署名につづく、第二弾!
「【高市総務大臣「電波停止」発言に抗議する放送人の緊急アピール】を応援します」署名に賛同を!
https://goo.gl/TNskKX

2/29に、TBSの岸井さん・金平さんはじめ6人のジャーナリストたちが高市総務大臣の停波発言に抗議する記者会見を行いました。

現役のキャスターたちがこうした会見をするのは、非常に勇気あることだと思います。これで、他のジャーナリストたちも後に続くのか、政権のメディア圧力は異常だという声を大きくしていけるのかが、今問われています。

ただ残念なことに、この会見を伝えるテレビニュースの多くは、短いものでした。報道ステーションもNEWS23も、短く伝えてコメントもありませんでした。

これは、視聴者が応援するしかありません。
署名という目に見える形で、テレビ局に「高市発言はおかしい」という声をつきつけましょう。
電波は、放送は、メディアは、国民のものです。
政府や、大臣や、総務省のものではありません。

Facebookでシェア→
https://goo.gl/XOINRy
Twitterでリツイート→https://goo.gl/9GM9ZV

※2/29の会見で、岸井さん応援署名を岸井さんご本人が紹介してくれました!署名用紙も手に持って。
その部分を書き起こしましたのでご覧ください↓

https://goo.gl/O7blSc

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2016年3月 5日 (土)

岸井氏、田原氏ら高市発言に抗議

 朝日デジタルに「『私たちは怒ってる』高市氏発言に抗議 岸井氏降板語る」という記事があった。「高市早苗総務相放送法4条違反を理由にテレビ局に「停波」を命じる可能性に言及したことについて、「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)の司会者田原総一朗氏や「ニュース23」(TBS系)のアンカー岸井成格氏らジャーナリスト6人が29日、東京都内で会見を開き、「私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている」とする声明を発表した。」というのだ。

 

 安倍政権のテレビ局や新聞等への圧力と懐柔について、これまでにも何度か取り上げてきた。自民党が中心になってやっているのだろうが、公明党がそれを認めているということは同罪である。自民。公明と一部迎合野党が数をたのんでやっていることだが、民主主義、言論統制からみて非常に危険な状況になってきている。

 この点について、金平氏は、「自主規制とか忖度とか、過剰な同調圧力やそれによって生じる萎縮が今ぐらい蔓延(まんえん)していることはないと、自分の記者経験から思う」と語り、すでにマスコミが安倍政権側の思うつぼにはまったことを証言している。

 

 それについて田原総一郎氏の「高市氏の発言は非常に恥ずかしい。全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、残念なことに、多くのテレビ局の多くの番組が何も言わない」という指摘は的を得ている。田原氏の言う通りなのだが、テレビ局も新聞も何の講義もしていないのだ。

 

 安倍政権に懐柔されて骨を抜かれてしまったのか、或いは外国メディアが指摘するようにもともと権力に立ち向う精神が弱いのか、マスコミとの役割を果たしていないと言える。政府広報機関化するという危惧も当たっている。

 この抗議へ参加した人は、次の6名である。「ジャーナリストの青木理氏、大谷昭宏氏、鳥越俊太郎氏、「報道特集」(TBS系)キャスターの金平茂紀氏に田原氏、岸井氏を加えた6人。出席はしなかったが、「週刊ニュース新書」(テレビ東京系)で司会を務めるジャーナリストの田勢康弘氏も声明の呼びかけ人に参加している。」

 

●青木氏は「政権と政権の応援団がメディアを非常に不当な形で攻撃してきているという事実を真剣に受け止め、黙っていられないという思いでここに来た」。

●大谷氏は「視聴者にすでに多大な影響が出ている」と指摘。東日本大震災の被災地で復興が進んでいるところを取材をしようとすると、「復興がなっていないのに、あんたがたは、そういう取材をさせられているんだろう」との批判を受けると語った。

●鳥越氏は「これは政治権力とメディアの戦争。政治権力側が一方的に攻勢を強め、メディアが後退している。ここまで露骨にメディアをチェックし、牽制(けんせい)してきた政権はなかった。下から変えていくしかない。声をあげましょう」と呼びかけた。

●岸井氏は、3月で「ニュース23」のアンカーを降板することについて、「私個人は圧力に屈したとは思っていない。具体的に私に言ってくる人はだれもいなかった。交代は局の意向」と説明した。

 やや遅きに失した感もあるが、今の状況の中でたった6名にしろジャーナリストが抗議の声をあげたことは大事である。権力の言いなりにならないマスコミ関係者が増えるとこを切に望んでいる。

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2016年3月 4日 (金)

春の柑橘類そろい踏み

 いつの間にか3月となり、桃の節句も過ぎてしまった。時の経つのが速いことに驚くばかりである。こうして死んでいくのだねと妻と話している。桃の節句は我が家とはまったく関係がない。ずっと昔には桃の木があったが家を改築するときに切ってしまった。

 

 おととい安売りのスーパー八百鮮に行った。店頭に黄色の山があった。近づくとかんきつ類の山であった。清見、伊予かん、ハッサク、甘夏、デコポン、不知火、普通のみかん、その他の新しいみかん類がそろい踏みをしていた。3月になって春の柑橘類の時期になったのだと感じた。

 

 先日、伊予かんを貰って食べたが、甘い汁が口の中に広がった。今年の伊予かんは出来がよさそうだ。前に来たときは晴見を売っていたが今回はなかった。よく似た名前の清見は皮が薄くてむきにくいが甘い。ポンカンと掛け合わせてデコポン(不知火)が作られたのだ。

 私はデコポンが大好きである。皮がむきやすく、ふくろごと食べられて香りや味もよい。デコポンを最初に食べたのは10数年前であったように思う。まだほとんど売られていなかった。それが今では各地で栽培されるようになった。

 デコポンは熊本県で作られたので熊本産のものを言うのだと思っていたら、先ほど調べたら違っていた。

 「デコポンは、熊本県果実農業協同組合連合会(熊本果実連)の登録商標(平成4年認可)です。
 元々は熊本県産の「不知火(清見とポンカンの交雑品種)」の中で、一定の基準をクリアした果実が「デコポン」として流通していました。
 しかし他地域産の「~ポン(という名前の不知火)」が増え、消費者が混乱する可能性が高くなったため、熊本果実連と日本園芸農業協同組合連合会(日園連)との間で商標権使用許諾契約が締結されました。
日本園芸農業協同組合連合会(日園連)傘下の農協が出荷する「不知火」のうち糖度13度以上、クエン酸1.0%以下の基準をクリアしたものには産地にかかわらず「デコポン」の名称を使用して良いことになりました。

 以上の経緯から、「デコポン」は日園連傘下の農協を経由し、かつ品質基準に合格した「不知火」を指します。
それ以外の名称の物は日園連傘下の農協を経由しないで出荷される果実、または品質基準を満たさない果実です。」

 不知火を安く売っていたので買った。他の柑橘類も買いたかったが一度にたくさん買う訳にはいかないので、ハッサクにした。帰宅して、不知火とハッサクを試食したらどちらもおいしかった。

 このシーズンは柑橘類に期待が持てそうだと感じた。私は何でも食べたい方なので3月は楽しみである。

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2016年3月 3日 (木)

日本のTV局への安倍政権の支配―英エコノミスト誌の記事―②

 元官僚で退官後ニュース解説者に転身した古賀茂明氏は、今日日本においてジャーナリストに対する脅迫が社会の中で日に日に強まっていることは、前例の無い異常事態だと語りました。

 そして2月9日、高市早苗総務大臣は、政治的中立を保たなければなら無いと定めた規則をないがしろにするテレビ局を閉鎖すると脅迫しました。
高市大臣は3人のニュース解説者の番組降板に関わる質問が行われた中、この発言を行いました。

  本における報道機関に対する政治的圧力は、新しい問題ではありません。
日本の全国紙5紙はそれぞれ主要全国放送の民放ネットワークのグループ企業です。そして事実に対し掘り下げて分析することも、互いに異なった見解をぶつけ合うことも滅多にありません。

 概ね言えることは、その性格は商業的利益を優先するため、時の権力者の意向を反映した番組作りをする傾向があるということです。その仲良しぶりは、最先進国社会において極めて異質・異常です。

 今年1月、安倍首相は世界最大の発行部数を呼号する読売新聞のオフィスで、再び全国紙全国放送の経営者たちと会食しました。

  9年前、安倍首相が辞任に追い込まれた時、実質的に首相の後継者に福田康夫氏を指名したのは読売新聞社の渡辺恒雄会長でした。

 さらに渡辺氏は与党と野党による『大連立』を画策しましたが、この時は読売新聞社が日本の政治家たちに渡辺氏の意図するところを理解させることができず、事は失敗に帰しました。

 東京のテンプル大学のマイケル・キューセック氏は今日日本のメディアは  「利害対立の概念を持っていない」と語ります。すなわち政府に全く迎合していると。

こ れらの事実すべてが、2011年以降続いている日本の『報道自由度』の世界ランクの低下を進めてきました。
 そして今年、古賀氏が懸念するように日本の報道自由度は尚一層低下することになりそうです。
 古賀氏は『報道ステーション』の解説者としてテレビ出演していた間、安倍政権と対立していました。そして昨年末、安倍首相官邸の圧力により番組を去ることになったと主張しました。古賀氏はあえてこの発言を行った目的は、安倍政権の干渉に対し、報道機関を結束させることにあったと語りました。

  しかしテレビ朝日の選択は安倍政権に対する謝罪、そしてゲスト出演者に対する管理を一層厳しくすると約束することでした。

 そして今度は古舘氏が番組を降りることになりました。安倍政権はメディアの動向に極めて神経質になっている、そして報道統制に成功している、古舘氏が語りました。

 

What is unprecedented today, says Shigeaki Koga, a  former bureaucrat turned talking head, is the growing public intimidation of  journalists. On February 9th the communications minister, Sanae Takaichi,  threatened to close television stations that flouted rules on political  impartiality. Ms Takaichi was responding to a question about the departure of  the three anchors.

Political pressure on the press is not new. The mainstream media  (the five main newspapers are affiliated with the principal private television  stations) are rarely analytical or adversarial, being temperamentally and  commercially inclined to reflect the establishment view. Indeed the chumminess  is extreme. In January Mr Abe again dined with the country’s top media  executives at the offices of the Yomiuri Shimbun, the  world’s biggest-circulation newspaper. Nine years ago, when Mr Abe resigned from  his first term as prime minister, the paper’s kingpin, Tsuneo Watanabe, brokered  the appointment of his successor, Yasuo Fukuda. Mr Watanabe then attempted to  forge a coalition between ruling party and opposition. Oh, but his paper forgot  to alert readers to all these goings-on. The media today, says Michael Cucek of  Temple University in Tokyo, has “no concept of conflict of interest.”

It has all contributed to an alarming slide since 2011 in  Japan’s standing in world rankings of media freedom. Mr Koga expects a further  fall this year. He ran afoul of the government during his stint as a caustic  anti-Abe commentator on “Hodo Station”. On air last year he claimed that his  contract was being terminated because of pressure from the prime minister’s  office. His aim, Mr Koga insists, was to rally the media against government  interference. Yet TV Asahi apologised and promised tighter controls over guests.  Now Mr Furutachi is quitting too. The government is playing chicken with the  media, Mr Furutachi says, and winning.

From the print edition: Asia 

 

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2016年3月 2日 (水)

日本のTV局への安倍政権の支配―英エコノミスト誌の記事―①

英国の経済誌エコノミストの記事の原文と翻訳をTさんが送ってくれた。興味深い記事なので2回に分けて紹介する。

 翻訳は下記のところによるものだそうだ。

星の金貨プロジェクト

 

 この10年間日本国内の数百万の人々は、テレビ朝日の夜の人気ニュース番組『報道ステーション』で、辛口のニュース解説者古舘伊知郎氏を見るため、テレビのスイッチを入れてきました。しかし来月、古舘氏は番組を去ることになっています。

 彼はゴールデンタイムに放送されている、比較的リベラルな番組を去ることになった3人の有名なニュース解説者のうちのひとりです。番組を降りることになった3人全員が、日本の規準から見て政府の政策に厳しい立場を取る人々であることは偶然でも何でもありません。

 昨年、岸井成格氏はTBSネットワークの報道ステーションのライバル報道番組の中で、日本が海外での軍事活動能力を拡大するための安全保障関連法案の合法性について問いかけました。しかしその問いそのものは、すでに日本国内の多くの憲法学者が行なっていたものと同じ内容のものでした。

 さらに退官した法関係部門の元政府高官は、たとえ近隣諸国の軍事的圧力が増大し、日本が安全保障面での強化を行う必要があるとしても、安全保障関連法案そのものは憲法違反であることを認めていたのです。

 しかし岸井氏の厳しい指摘は国内の保守派の反感を買い、報道解説者が守るべき中立を犯したと非難する彼らは岸井氏が編集委員を務めていた新聞社への広告出稿を差し止めるよう動きました。そして現在TBSは岸井氏が番組をやめることを公表しましたが、同社は広告出稿差し止めの問題とは関係ないと語っています。しかしそんな話を信じる人はほとんどいません。

  そして第3の事件の舞台は日本の公共放送局であるNHKです。この件ではさらに名の売れた著名なニュース解説者を、放送の場から引きずりおろすことになりました。

 国谷裕子氏は20年間、調査報道による番組『クローズアップ現代』の舵とり役として活躍してきました。NHKは国谷氏がなぜ番組を去ることになったのか、理由を明らかにしていません。

 しかしNHKの関係者たちは、国谷氏が昨年安倍首相に最も近い立場にいる菅義偉官房長官に対し行ったインタビューが彼女の番組降板の原因だと指摘しています。

 菅官房長官は安倍内閣の運営に厳しい統制を敷き、さらには報道関係者のインタビューや取材に関しては、事前に詳細な内容説明を要求する事でも知られています。

 しかし国谷氏は菅官房長官へのインタビューの中でこの原則を踏み越え、新たに制定される安全保障関連法案が日本を戦争に巻き込む可能性があるのではないかと迫る大胆さを見せました それでも唾を飛ばしながら政治家に詰め寄るイギリスやアメリカの報道関係者の対応に比べれば、国谷氏の質問は予定にはなかったものの抑制が効いたものでした。

 ところが日本のテレビ報道関係者が政治家に対し強く詰め寄ることは、滅多になく、果然、菅官房長官の側近たちは激怒しました。

  テレビ朝日の古舘氏、TBSの岸井氏、NHKの国谷氏、すべてのケースが現在の安倍政権が政府批判に対していかに寛容でないかを証拠立てるものである、同じニュース解説者で岸井氏の同僚でもある佐高信氏がこう語りました。その実例としてあげたのが、2012年首相の座に復帰した安倍首相がまずやったのが保守タカ派の『お仲間』をNHKの役員に就任させたことです。

 
 国営放送の会長の座に就いた籾井勝人氏は、就任するやいなや、NHKの第一の役割は政府の方針を放送に反映させることだと主張したのです。

 FOR a decade, millions of Japanese have tuned in to watch Ichiro  Furutachi, the salty presenter of a popular evening news show, TV Asahi’s “Hodo  Station”. But next month Mr Furutachi will be gone. He is one of three  heavyweight presenters leaving prime-time shows on relatively liberal channels.  It is no coincidence that all are, by Japanese standards, robust critics of the  government.

 Last year another anchor, Shigetada Kishii, used his news slot  on TBS, a rival channel, to question the legality of bills passed to expand the  nation’s military role overseas. The questioning was nothing less than what most  constitutional scholars were also doing—and in private senior officials  themselves acknowledge the unconstitutionality of the legislation, even as they  justify it on the ground that Japan is in a risky neighbourhood and needs better  security. But Mr Kishii’s on-air fulminations prompted a group of conservatives  to take out newspaper advertisements accusing him of violating broadcasters’  mandated impartiality. TBS now says he will quit. The company denies this has  anything to do with the adverts, but few believe that.

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2016年3月 1日 (火)

高校生の校外での政治活動届出不要は当然だ

 原発問題、集団的自衛権閣議決定や安保法制などで高校生の中にも集会やデモを企画したり、参加する動きが広がっている。18歳選挙権も認められたことだし、高校生が社会問題や政治問題に関心を持ち積極的に行動することは大変よいことである。

 文部科学省はそれまで通知で禁じていた高校生の校外での政治活動を解禁し、今年1月には学校への事前届け出を認める考えを示した。朝日新聞の調査によると、全都道府県と政令指定都市では、4府県と2市が「届け出は不要」としているそうだ。

 愛知県は「生徒の判断に縛りをかけてはいけないと考えた」と説明。大阪府は「校外活動を全て把握するのは難しい」としているという。あの大阪府が届出不要としているのは意外であった。北海道や東京都など27自治体は「判断は各校に任せる」としている。「検討中」と「未検討」が33自治体あるそうだ。

 集会に参加する高校生たちは「届け出制はちょっと怖い。学校に白い目や偏見で見られるような気がして、参加しづらくなる」といったそうだ。仙台市の担当者の心配も同じで「生徒が政治活動に参加しにくくなる恐れがある」と校長らに説明したという。

 「進学校なので『そんな時間があったら勉強しろ』と嫌味を言われそう」

 「政治に眼を向ける1歩が踏み出せなくなる」

 などという高校生の意見はその通りだと思う。政治活動に参加することも立派な勉強なのだが、親からすれば進学には役立たないというのだろう。

 とにかくこうしたことは生徒の自主判断に任せることが大事である。安倍政権の本音は何とかして政治参加を食い止めたいということだろうが、安保法賛成の団体もあるのだからそうした集会に参加するのは歓迎するだろうから、両刃の刃である。

 高校生ともなれば大いに社会問題、政治問題の関心もち、SEALDsの学生のように勉強をして、自分の考えを持って参加などをして欲しいと思う。

 名古屋でも開かれた、T―ns SOWLなどの高校生の活動に大いなる拍手を送りたい。

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