安倍政権のTV局圧力を許せない
割合はっきりとものを言うTVキャスターやコメンテーターが3月限りで降板することについては以前に書いた。安倍政権が「公平性」という名目で政権批判に神経をとがらせ、TV局に圧力をかけて効を奏している。
安倍政権はそれでもまだ不十分だと、高市総務相は「電波停止」をすることもあると衆議院予算委員会で明言をした。
放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断をした場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条にもとづいて電波停止を命ずるというのである。
高市大臣は、法律に違反したかどうかの判断はその時の大臣がすると答えている。「政治的公平性を欠く」事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間に渡り繰り返す番組を放送した場合」などとし、「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」としたという。
この規定についてデジタル朝日は次のように指摘している。「安倍晋三首相は高市氏と同様、4条を「単なる倫理規定ではなく法規であり、法規に違反しているのだから、担当官庁が法にのっとって対応するのは当然」との立場を示している。
しかし、放送による表現の自由は憲法21条によっても保障されており、憲法やメディア法の専門家の間では、放送法4条は放送局自身が努力目標として目指すべき「倫理規範」とするのが通説だ。4条を放送内容に干渉できる根拠とし、放送事業者に不利益を課すことについては、憲法21条に抵触する疑いがあると指摘されている。
公権力による放送内容そのものへの介入で、「政治的公平」という漠然とした規定によって規制するのは、放送事業者の番組編集権を必要以上に制約して、萎縮させる可能性が強いと考えられるためだ。」
NHKなどは政権の意を体して政権側のニュースはやたらに放映するが、反対する側の動きについては報道しない傾向が強い。特に籾井会長になってそうなったことが感じられる。
政権の側は大臣が判断をして警告をしたり、電波停止をできるが、反対側の国民はそういうことが何もできないのだ。やれることは集会、デモ、ネット、署名だけである。大事なことは政権がいつも正しいとは限らないのだ。それは歴史が示すところである。誰にでも分かるのはヒトラーであり、戦前の日本の軍部がやったことである。
だから政権のやることを批判することはマスメディアの大事な役目なのである。それを封じ込めようというのが最近の安倍政権の動きてある。最近の一連の政権の威圧でテレビ局や新聞が委縮し、権力監視を弱めていたり、政権の広報機関化しているメディアさえあることを大変怖いことだと思う。
特別秘密保護法によって都合の悪い情報は全て隠し、さらに言論の自由を抑え込んで言論統制をはかろうとする。このままでは戦前回帰である。戦争遂行のために大政翼賛化した時代に向かっているとしか思えない。
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今回の甘利大臣のスキャンダルももし週刊文春が取り上げなければ不問に付されたままである。今また男性の育休で名をあげた宮崎謙介衆議院議員の不倫疑惑(疑惑ではなく本当らしい)が同じ文春に取り上げられ話題になっている。週刊文春は与野党を問わず、問題があれば果敢に取り上げる報道姿勢は見あげたものである。(部数拡大がねらいであるにしても)自民党は何とかして政権にとって都合の悪い記事を抑え込みたいと思っていることは想像に難くない。それにしても自民党議員は(だけに限らないが)程度のよくない議員がまだまだ沢山紛れ込んでいるようである。定数削減は喫緊の課題である。
投稿: toshi | 2016年2月11日 (木) 09時53分