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2016年2月29日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑧―

 かくのごとく仏教が、その崇拝対象として神を特定する宗教ではなかったこと、またその教祖釈尊は仲保者、審判者、預言者または使徒ではなかったことが理解せらるならば、さらにこれと関連して、当然次のことどもが考えられる筈である。

  すなはち、その第一には、仏教はもと祈祷を必要とする宗教ではなかったこと。元来、インドの宗教は祈祷ということに大きな意味を与えていたのであるが、仏教はその環境の中に生い立った宗教であるに拘わらず、断乎として祈祷を用いることを却けた。それは、これまでに述べた釈尊の宗教の性質よりして、当然しかるべきことであった。

  その第二には、仏教は供犠を行う宗教ではなかったこと。犠牲を供進することはこれまた古来インドの宗教のすこぶる重んずるところであったが、釈尊の宗教にはこれを必要としなかった。特に不殺生の教えにそむく犠牲は、釈尊の最も嫌うところであった。

  その第三には、仏教は祭祀を重んずる宗教でもなかったこと。祭祀はこれまたインド在来の宗教の好めるところであって、婆羅門はこれを施行する知識を有することを誇りとした。だが、釈尊はこれを重んじなかった。原始仏教の経典は釈尊が祭祀の知識を誇る婆羅門を説得する興味多い情景のいくつかを描き出しておる。

  その第四には、仏教はもと司祭たるものを有せざる宗教であったこと。元来出家は決して司祭ではなかった。出家の比丘は在家の信者よりも高い地位にあり、言わば出家は在家の精神的指導者であった。だが彼らは、在家信者のために神と人との仲介者としての役割を演じたり、在家の人々の冠婚葬祭を司る等はなく、それらのことは原始仏教の出家比丘の全くあづからざるところであった。

  かくのごとく、かずかずの宗教的要素を仏教より払拭するとき、読者は或いは考えられるかも知れない。―かかる宗教的要素の欠除せるものもなお宗教と称されることが出来るであろうか。―その疑問は、一応理由のないことではない。曾ては、ヨーロッパの宗教学者の中にも同様の疑問を抱いた人々があって、或いは「原始仏教は宗教ではない」と断じた者もあり、或いは「仏教は仏陀の人格を崇拝するようになってから、はじめて宗教になったのである」との見解をたてた者もあった。

  だが、従来のキリスト教的な宗教観がもっと広い視野を持つようになってきたころ、それにつれて宗教的対象は必ず人格的存在でなければならぬとする考え方が理論と事実の両面から崩壊したことによって、今日ではもはや原始仏教の宗教性を問題にすることは時代遅れの題目となってきたようである。

  なお、これら釈尊が却けた宗教的要素のうち、そのあるものは間もなく仏教に取りいれられ、またそのあるものは何時とはなしに仏教に浸潤し、結局、それらの要素をしりぞけた釈尊の面目は、はったつ仏教の中に於いては決して純粋には保たれなかった。だが、仏教そのものを正しく理解するためには、やはり、かかる要素を払拭した釈尊の宗教から出発することが必要であると思われるのである。

 ※ここで取り上げられている4つの事柄は釈迦の教えとしての仏教を理解する上で、またその後のさまざまな仏教の歴史的展開を理解する上でも非常に重要である。

 4つの事柄とは、

①祈祷をしない

②供犠を行わない

③祭祀を行わない

④司祭をもたない

 増谷氏は、原始仏教に対して、その後の変遷して変化していった仏教を「発達仏教」と定義している。「発達」というと何か元のものよりよくなっていったというニュアンスで受け止めたくなる。「変遷仏教」とでも言った方がよいように思う。なぜなら、釈迦が排除した根幹をなす4つの事柄が釈尊死後に取りいれられて今日に至っているからである。

 私は上記の4点の排除が釈迦の説いた教え(法)の基盤となるものであると考えている。

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