2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« iPhoneの電話が勝手につながるトラブルの原因 | トップページ | 増谷文雄「仏教入門」―⑤― »

2016年2月20日 (土)

増谷文雄「仏教入門」―④―

 二。

  まず第一には、仏教は本来神に依る宗教ではなかったことが説かれるであろう。

  世界に現に存し、また曾て存した多くの宗教は、崇拝の対象として神をもてる宗教であって、宗教とは「神と人との関係」によって成立するという考え方が、古くから弘く行われている。キリスト教はまさしく「神と人との関係」の上に成立している。ふるいユダヤ教もそうであるし、あたらしいマホメット教もそうである。北の方の寒い国々に存した宗教もそうであったし、南の方の文化低き人々の中に残る宗教さえも多くそうである。

  したがって、宗教には必ず人格的な崇拝対象がなければならぬとするのが、今日もなお宗教に関する常識であると言ってよい。しかるに、この宗教的常識に反して、仏教はもと崇拝対象としての神をもたぬ宗教であった。神の存在を必要とせざる宗教であったのである。少なくとも原始仏教は、かかr宗教であったのである。

  仏教の根本原理については、次の章において詳しく述べられるであろうが、そのとき是非とも読者に看取して貰いたいことは、仏教はその根本原理のいずれに於いても、神性の問題を有しないことである。釈尊はその究極の理想として涅槃―心の平和―を説いた。その思想的立場として中道―偏らぬ態度―を説いた。その人生観の原理として縁起の理法を説いた。そして、それらの基礎の上に理論的・実践的体系として四諦八正道―四つの真理と八つの倫理―が提示された。

  それらの教説の中には、世界と人類の創造者も語られず、神の愛も述べられず、審判者の恐怖も説かれていはない。それらは単に「眼を開き、智を生じ、寂静を得しめ、覚悟を与え、正覚に至らしめ、涅槃に趣かしむ」る道であって、そこには神に関する問題は全く介在していなかった。

  そのことは、釈尊がその臨終に際して「我が死せる後には、自らを燈明とし、自らを依拠として住し、また他の依拠によるなかれ。法を燈明とし、法を依拠として住し、また他の依拠に依ることなかれ」と説いた感銘ふかい教訓の中にも、はっきりと観取せられるであろう。

  釈尊の弟子たちが教えられたことは、神に祈りねがうかわりに、自己に沈潜して瞑想することであり、神のあわれみに縋るかわりに、自ら覚れる者となる道にいそしむことであった。それは救済の道ではなくて、解脱の道であったのである。

 ※上記の短い文章の中に仏教の最も大切な部分、他の宗教とのはっきりした違いが説明されている。釈迦が説いたのは悟りであって、自らが到達すべき心の状態であった。それにはどうすればよいかを自らの経験と悟りに至った過程をもとに示してくれたのであった。神がいてその神にたよることを否定したのだ。これはしっかりと心に刻みつけておかなくてはいけないことである。

« iPhoneの電話が勝手につながるトラブルの原因 | トップページ | 増谷文雄「仏教入門」―⑤― »

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 増谷文雄「仏教入門」―④―:

« iPhoneの電話が勝手につながるトラブルの原因 | トップページ | 増谷文雄「仏教入門」―⑤― »