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2016年2月21日 (日)

増谷文雄「仏教入門」―⑤―

 実をいうと、仏教のかかる特色はながく純粋の形のまま保たれることは出来なかった。発達仏教のあるものに於いては、釈尊の地位はいつしか神に等しい地位にまで移され、ついに一種の神として崇拝せらるるに到った。また、主として印度教系の神々は、多数仏教信仰の中に取り入れられて、さまざまな信仰の対象となるに到った。

 また、それらと平行して、救済の原理が仏教教理の中に取りいれられ、いくつかの仏格が救済者として仏教徒の前に立ちあらわれるに到った。だが、それにも拘わらず、「神なき宗教」としての仏教の本質は、依然として厳存しているのである。仏教の洪格はどこまでも解脱の観念を中心としておる。そして、解脱とは、法を知り法を行ずることによって得られるのであって、人格神の信仰は何等これに関わるところがないのである。

 かかる仏教の洪格は、発達仏教の中に於いては、いわゆる自力聖道門の仏教の中に、特に明瞭に存続しておる。他方、他力浄土門の仏教は、救済の原理の上に立つものとは言え、なお全くかかる特色を失ってしまったわけではない。阿弥陀仏の信仰のうちには、往生の思想とともに、少なくとも観念的には成仏の思想を包含しておるが、それこそ浄土門の仏教が、仏陀の宗教たるの系譜を主y等しうる所以でなければならぬ。

 かくのごとく、仏教が神をもたぬ宗教であることに就いて、これまで強い関心を示してきたのは、欧米の宗教学者達であって、仏教徒自身は却って、従来あまりこの点に関心を示したことがなかった。

 だが、仏教の有する基本的な特色の一つが、確かにここに存しているのであって、正しい仏教の理解のためには、是非とも先ず、神の観念を拭いさることがなさるべきであると思う。

※神の観念を排除するべきというが、自力本願の禅宗においても、仏像を拝み経典を読誦する。他力本願の浄土門では南無阿弥陀仏と阿弥陀仏を神の如く信じその救済にすがる。法華門でも対象が異なり南無法連華経を唱えることが違うだけである。真言宗に至っては祈祷を主として神格化した仏にすがろうとしている。また加持・祈祷に最も頼っている。現存するすべての仏教は南方系でも釈迦像を崇拝したり、インド系仏教のようにヒンズー教から取り入れた神々を信仰している。弁財天、布袋天など七福神は大黒天を除いてそうした由来のものである。その辺をどう捉えるのかが興味深いところである。

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コメント

イエスキリストは預言者ですから、唯一神の言葉を預かっているという意味だと理解しています。釈迦は神の存在を認めてないということが重要だと思います。

私は長い間、イエスキリストが神とばかり思っていたが、それは間違いでイエスキリストは神の子で、
父である神及び精霊と併せて三位一体というらしい。三位一体は高校時代、英語の勉強で英文解釈、英文法、英作文を併せて三位一体といっていたが、
本当の意味は前者であったのだ。キリスト教の本質を理解する上でこのことは大切らしいが未だによく分からない。仏教はそれに比べればシンプルに思える。困った時に神様仏様あるいは神も仏もないとよくいうが日本では神と仏は同じような使われ方をするように思う。

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