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2016年2月

2016年2月29日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑧―

 かくのごとく仏教が、その崇拝対象として神を特定する宗教ではなかったこと、またその教祖釈尊は仲保者、審判者、預言者または使徒ではなかったことが理解せらるならば、さらにこれと関連して、当然次のことどもが考えられる筈である。

  すなはち、その第一には、仏教はもと祈祷を必要とする宗教ではなかったこと。元来、インドの宗教は祈祷ということに大きな意味を与えていたのであるが、仏教はその環境の中に生い立った宗教であるに拘わらず、断乎として祈祷を用いることを却けた。それは、これまでに述べた釈尊の宗教の性質よりして、当然しかるべきことであった。

  その第二には、仏教は供犠を行う宗教ではなかったこと。犠牲を供進することはこれまた古来インドの宗教のすこぶる重んずるところであったが、釈尊の宗教にはこれを必要としなかった。特に不殺生の教えにそむく犠牲は、釈尊の最も嫌うところであった。

  その第三には、仏教は祭祀を重んずる宗教でもなかったこと。祭祀はこれまたインド在来の宗教の好めるところであって、婆羅門はこれを施行する知識を有することを誇りとした。だが、釈尊はこれを重んじなかった。原始仏教の経典は釈尊が祭祀の知識を誇る婆羅門を説得する興味多い情景のいくつかを描き出しておる。

  その第四には、仏教はもと司祭たるものを有せざる宗教であったこと。元来出家は決して司祭ではなかった。出家の比丘は在家の信者よりも高い地位にあり、言わば出家は在家の精神的指導者であった。だが彼らは、在家信者のために神と人との仲介者としての役割を演じたり、在家の人々の冠婚葬祭を司る等はなく、それらのことは原始仏教の出家比丘の全くあづからざるところであった。

  かくのごとく、かずかずの宗教的要素を仏教より払拭するとき、読者は或いは考えられるかも知れない。―かかる宗教的要素の欠除せるものもなお宗教と称されることが出来るであろうか。―その疑問は、一応理由のないことではない。曾ては、ヨーロッパの宗教学者の中にも同様の疑問を抱いた人々があって、或いは「原始仏教は宗教ではない」と断じた者もあり、或いは「仏教は仏陀の人格を崇拝するようになってから、はじめて宗教になったのである」との見解をたてた者もあった。

  だが、従来のキリスト教的な宗教観がもっと広い視野を持つようになってきたころ、それにつれて宗教的対象は必ず人格的存在でなければならぬとする考え方が理論と事実の両面から崩壊したことによって、今日ではもはや原始仏教の宗教性を問題にすることは時代遅れの題目となってきたようである。

  なお、これら釈尊が却けた宗教的要素のうち、そのあるものは間もなく仏教に取りいれられ、またそのあるものは何時とはなしに仏教に浸潤し、結局、それらの要素をしりぞけた釈尊の面目は、はったつ仏教の中に於いては決して純粋には保たれなかった。だが、仏教そのものを正しく理解するためには、やはり、かかる要素を払拭した釈尊の宗教から出発することが必要であると思われるのである。

 ※ここで取り上げられている4つの事柄は釈迦の教えとしての仏教を理解する上で、またその後のさまざまな仏教の歴史的展開を理解する上でも非常に重要である。

 4つの事柄とは、

①祈祷をしない

②供犠を行わない

③祭祀を行わない

④司祭をもたない

 増谷氏は、原始仏教に対して、その後の変遷して変化していった仏教を「発達仏教」と定義している。「発達」というと何か元のものよりよくなっていったというニュアンスで受け止めたくなる。「変遷仏教」とでも言った方がよいように思う。なぜなら、釈迦が排除した根幹をなす4つの事柄が釈尊死後に取りいれられて今日に至っているからである。

 私は上記の4点の排除が釈迦の説いた教え(法)の基盤となるものであると考えている。

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2016年2月28日 (日)

5野党の協力合意を歓迎

 2月19日、安倍政権が安保法制を強行採決した日から5か月の節目。多くの国民が要望していた野党の協力が5野党党首会談で一致をみた。その間共産党の安保法廃棄の1点での国民連合政府をつくろうという提案があったが、他の野党が難色を示して実現しなかった。

 

 その後志位委員長は共産党が1人区での候補者の取り下げも考慮すると発表した。安保法廃棄を約束するという条件であった。

 

 立憲主義を無視し閣議で勝手に憲法の解釈を変更し、国会で数をたのんで強行採決した安保法制は、まさに戦争をするための法である。アメリカの要請があれば地球上のどこにでも自衛隊が行かなければならず、発砲して相手を殺す、或いは相手に攻撃をされて殺されるという局面に立たされるのだ。多くの国民が反対するのは当然である。

 

 自民党・公明党はこの声はいずれは小さくなるだろうと高を食っていたようだ。しかし、その後も安保法制反対、戦争反対の声は消えるどころか、高校生たちも立ち上がった。2月21日には仙台、東京、大阪、福岡など各地で高校生デモが行われた。

 

 その動きの中でも野党の共闘を求める声が大きく上がった。今回の5野党党首会談はそうした全国に広がっている戦争法廃棄の願いに答えようというものである。

 

 会談で確認されたことは、

 

①安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする

 

②安倍政権の打倒を目指す

 

③国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む

 

④国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う

 そして、戦争法を廃止する法案を衆議院に共同提出した。安倍政権は審議の応じないなどと言っているようだが、5野党は粘り強く審議を勝ち取って、安保法が戦争法であることや立憲主義について国民に広く分からせてほしい。

 

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2016年2月27日 (土)

増谷文雄「仏教入門」―⑦―

 それらに対し、仏教にもまた教祖釈尊に対する信仰告白が存ずる。曾て原始仏教の人々は、仏教僧伽の人となるにあたって、先ず三宝帰依を三度称することを命じられた。

  仏に帰依したてまつる

  法に帰依したてまつる

  僧に帰依したてまつる

 仏教が釈尊その人の智慧と人格とに出発しておることはいうまでもなく、それに対して仏弟子は心からなる帰依と信頼を寄せた。正法は彼によりて示され、その実践は彼によって垂範せられた。彼は弟子たちにとって最も信頼すべき「信行の導師」であった。もし釈尊の導きがなかったならば、彼らは法を知ることを得ず、また法を行ずる新年を獲得することが出来なかったであろう。

 だが、それ以外には、彼は神との中保者でもなく、審判者でもなく、また預言者でも使徒でもなかった。「神なき宗教」である仏教に於いては、当然、その教祖にも神的属性を付与する余地はなかったのであって、釈尊が結局単なる「信行の導師」たるに止まったことこそ、仏教の教祖としての特色が感得せらるべきである。

 この点については、重ねて詳述する機会があると思うが、もしも読者の中に、教祖に関する先入観念として、イエス・キリストやマホメットに於けるがごとき、神性に関するものを包蔵しておられるならば―発達仏教の信者たる人々にもかかる先入観が予想せられる―仏教の正しい理解のために、一応これを払拭されることが希ましいのである。

※三宝とは「仏」「法」「僧」なりと経典にある。そこには「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」のような「神依存」の思想はない。私の理解するところでは、「仏」は悟りの境地であり、「法」は仏になる道筋であり、「僧」は自らそれを実践する者または法を説いて成仏(悟り)の手助けをする者である。

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2016年2月26日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―⑥―

 三。

 

 次には神の観念に関連して、宗教に関する二、三の先入観が払しょくされることを要するであろう。

 

 その第一には、教祖の神性についてである。

 

 仏教は、キリスト教ならびにイスラム教とともに、教祖の人格を中心とする世界的宗教であるとされる。だが、おなじく教祖を中心とする宗教とはいえ、イエス・キリストがキリスト教において有する地位、マホメットがイスラム教に於いて有する地位に比して、釈尊が仏教において有する役割は、かなり注意すべき相違点を含んでいることが知られねばならない。

 

 キリスト教の宗教的理想は神による救済にある。人々はこの神による救済にあずかるためには「天地の造主、能はざる処なき父なる神」を信ずるとともに、また「その独子」たる主イエス・キリストを信じ、彼が人類のために罪を贖いしこと、やがて審判者として再臨するであろうことを信じなければならぬ。

 

 使徒信経は述べて曰く、「我はその独子、我等の主イエス・キリストを信ず。彼は聖霊によりて孕みし処女マリアより生まれ、ポンティオ・ピラトの時苦を受け、十字架につけられ、死して葬られ、三日後に死人の中より甦り、天に上り、能はざる処なき父なる神の右に坐し、彼所より生ける人と死せし人とを裁判せんがために来たりたまはんを信ず」と。

 

 イエス・キリストに対するかかる信仰告白なしにはキリスト教は成立しない。しかして、ここに於けるキリストは神と人との中保者であり、贖罪者であり、また審判者であって、永久に欠くべからざるキリスト教の中心観念が彼に付与せられるに到っておる。

 

 イスラム教於けるマホメットの地位についても、ほぼ同様のことが言われる。彼はアラーの使徒(ラスール)であり、最大にして最終なる預言者(ナビー)であって、その言行はアラーの神自らの啓示であるとされている。したがって、彼に対する絶対なる信仰なああしにはイスラム教は成立せず、「アラーの他に神なく、マホメットはその使徒なり」との信仰告白は、幾億のイスラム信者によって、日々繰り返されている。

 

 ※ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は同じで、姉妹宗教ともいわれる。

 

  時期はユダヤ教紀元前2000年、キリスト教 紀元後1年、イスラム教紀元後700年

  ユダヤ教の旧約聖書がありそれをキリストが新しくして新約聖書とし、マホメットがそこか

  らコーランにした。

 下記のサイトにはもう少し詳しい説明がある。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012874185

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2016年2月25日 (木)

NGO Sri Yaluva Sri Lanka20周年の集い

 20日の土曜日に日本語教室のボランティアに行ったら、午後にNGO Sri Yaluva Sri Lanka 20周年の集いがあることが分かった。それで河村さんに電話をして知らせたら行きたいという返事だった。

  河村さんと私はスリランカ出身のDilumさんと交流があり、とくに河村さんは長年の深い関係がある。スリランカにも行ったことがあるそうだが、私はスリランカのことは何も知らない。知っているのはセイロン紅茶ぐらいである。

  会は国際プラザ2階のアイリスルームで午後1時から開かれた。待っている間にサマラクーンさんという男性と知り合った。名古屋で会社を経営しているという話であった。

  会は事務局長の男性とその孫と思われる子どもの太鼓の踊りで始まった。民族衣装を着て太鼓を鳴らして動いていた。

  それから女性4名によりスリランカの踊りが披露された。民族衣装を着て音楽に合わせて踊った。独特の足のステップや手の動きが中心の割合単純なものであった。見るのは初めてであったので興味深かった。

  この日のメインは代表の服部和子さんの講演があった。NGO スリヤールワ スリランカ20年の歩みについての話であった。

  平成8年に国際連合地域開発センターの25周年記念滋養の開発途上国派遣員の東海地区代表として、スリランカに派遣され、スラムエリアを視察。そのとき、現地野球協会から支援要請を受け、子どもの夢をかなえるために、同年4月に「Sri Yaluva Sri Lanka(輝ける友だちスリランカ)を設立したのだそうだ。最初は中古の野球道具の支援から始まったという。

  平成9年  モロトワのスラムエリアに桜台高校からの足踏み式ミシンを使っての職業訓練所をオープン。

  平成11年 カルコダワヤに女性の自立のための職業訓練所建設と縫製技術指

  導。

  平成12年 職業訓練所への給水設備事業(井戸の建設)

  平成13年 職業訓練所増設

  平成14・15年 貧困地域女性のための職業訓練・指導

  平成16年 スマトラ沖地震津波被災者救援

  平成17年 ハンバントタに津波被災者のための託児所建設  3・4歳児幼児教

  育スタート

  平成18年~21年 託児所建設・幼児教育の指導

  平成20年 中古消防自動車4台を愛西市の協力で寄贈

  平成21年 農業所得向上のためのドラゴンフルーツ栽培指導。

  平成25年 託児所修繕

  平成26年 服部代表がスリランカ政府から「永年、幼児教育に貢献した」というj

  ことで顕彰された

  講演の後、交流会とお楽しみタイムであった。

 ☆民族衣装試着

 ☆シンンハラ文字体験 名前を書いてみよう

 ☆Tea Break  スリランカ紅茶とクッキー

 シンハラ語はタミール語共にスリランカの公用語だそうで、使用人口は80%近く

 あるそうだ。

 この文字を使って自分の名前を書くことに挑戦したが、大変難しかった。服部さんには褒めていただけたが、サマラクーンさんには「ず」の字が怪しいと言われた。シンハラ語を書くのは我々には大変である。デザイン文字のようで面白く、作り方がハングルに似ていると思った。

 スリランカ紅茶はさすがにおいしく、クッキーも日本製かと思うぐらいよくできていた。とくにピリ辛クッキーがよかった。

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                        服部代表
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                         シンハラ語










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2016年2月24日 (水)

歯のびっくりぽん③ 歯磨きペーストとすすぎ

 フッ化物を使うことも、虫歯を防ぐのに有効で、化学反応を起こして、唾液による再石灰化を促進させる役割があるという。

 フッ化物については、「殺虫剤にも入っている成分を歯磨きに使ってよいのか」といった声もあるが、フッ化物は何種類もあるのでペーストに入っているものは問題ないと断言している。

 

 市販されている多くの歯磨剤にはフッ化物が入っているので、それを歯ブラシなどで歯に付ければよい。その多くは、うがいをするとフッ化物が口から出てしまうので、30分間はうがいをしないほうが本当はよいという。ただ、うがいをしないと歯磨き後口の中が不快になるという問題はある。

 

 ほかに、フッ化物入りの液体である洗口剤や、ペーストのフッ化物を歯に塗る紙面塗布という方法もある。いずれも歯科医の処方や処置が必要ですので、歯医者さんに相談してみるとよいと言っている。

 

 欧米では、水道に微量のフッ化物が入っているそうだ。フッ化物入りの水道水を使うことで、市民に虫歯予防をしてもらうわけだ。真面目に歯磨きをする人が少ない地域などではとくに効果を上げているという。

 

 どのように歯科医を選べBよいかについて、技術と倫理感を保持している歯医者であればよいのだが、そういう人を見つけるのは簡単ではないだろう。

 

 西野歯科医が挙げる条件は、

 

●臨床系の学会に所属していること

 

●その所属先が日本歯科医学会の認める「専門分科会」や「認定分科会」であること

 

●「専門医」や「指導医」の資格をもっていること

 

●その資格の取得者が学会の総会員数と比べて少ないこと

 

 でも、あくまでも目安で、学会に所属していなくても素晴らしい歯科医をたくさんいるが、一般の方には分かりにくいのが現状だ。

※歯を磨いたあと、うがいは少しにした方がよいというのはテレビでもやっていたと聞いたこと

  がある。

※歯科医の数は大変増えて、この近くでも新しい歯科医院がいくつもできている。東西南北150mも歩けば歯科医院がある。犬も歩けば歯科医院に当たるだ。その中でよい歯科医院を見つけるのは大変難しい。

 「治療」優先の医療制度を見直すべき

 

 歯磨きに歯ブラシを使う常識も、歯医者で歯を削られる常識も、ずっと続いている気がするという質問に、多くの歯科医が、先人の業績やこれまでの慣習に追従するばかりで、批判的な姿勢がみられないと言っている。しかし、より大きな問題は日本の医療制度のあり方だと指摘する。

 

 日本の公的な保険は“疾病治療”を対象としており、健康な人への“疾病予防”は対象としていない。歯医者も生活がかかっているから、収入を確保するためには予防より歯を削る治療が優先してしまう。

 

 カナダで開業している日本人の歯科医が、治療でなく予防のための診療で、受診者1人につき2万円ほどの報酬が出るという記事を書いていた。日本でも、一部の良識ある歯医者は無報酬で予防のための患者とのコミュニケーションをしているが、ボランティアでは広まりまらないという。

 

 日本も政策として、歯の予防に力を入れていかなければならないと述べている。

 ※歯の予防についてはこれまでいろいろ啓発されてきたように思うのだが、歯科医は治療の診療が重点になり、予防は金にならないからおろそかにされているというのは感じる。健康保険でも予防にもっと給付するように改めることは大事だと思う。

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2016年2月23日 (火)

歯のびっくりポン② 歯磨きは食前がよい

 虫歯の治療についての西野歯科医師の考えは、今すぐ痛みを取ってほしいという場合や、ごはんを食べられなくなった場合や、歯の機能が失われたときも治療が必要だという。

  しかし、そうした緊急性がなければ、急いで虫歯を治療すべきでないというのだ。安易な虫歯の治療は、かえって虫歯の再発を招くおそれがあるからだそうだ。

  それは歯を削って詰めものがされると、その部分では唾液による再石灰化が起きづらくなるからで、歯の詰めものは一生詰めたままにする。これが歯の再石灰化を阻害するのだという。まず、虫歯の原因を見定めたうえで対処しないと、詰めものをしてもすぐに再発してしまうという。

  歯は本来、自然にしていれば脱灰したところが再石灰化して元に戻るもの。それにもかかわらず虫歯になったということは、何かしらの原因があるはずだ。その原因を見つけて、改善するという考え方が大切だと指摘する。虫歯ができたら削って詰めもので穴埋めをする、というのは応急の工事のようなものに過ぎないというのだ。

  下の表にあるような項目が、虫歯のリスクとなるものである。これらのリスクをなるべく改善するということが大切で、改善できれば虫歯は自然に治癒するというのだ。

 

虫歯の原因となるリスクの項目。「ラクトバチルス菌」は、虫歯との関わりの強い乳酸菌で、糖質から酸(乳酸)をつくる。(参考:熊谷崇企画・監修『わたしの歯の健康ノート』を参考に筆者作成)

 この中でもとくに重要なリスクはプラークだ。プラークは虫歯をつくる菌の集合体である。ミュータンス菌などの菌が“接着剤”を出して歯の表面に付き、バリアも張ってその内側で菌を増殖させていく。プラークの量を減らせば酸の量が減るので、脱灰が起こりにくくなる。

  プラークの量を減らすためには、歯磨きのやり方が大事であるという。一般に行われている食後に歯ブラシを使って歯磨きをするということ習慣は虫歯予防の点ではあまり期待されていないという。

  まず、歯ブラシを使ってもプラークを十分に落とせないという。プラークの多く付いている歯と歯の間に対しては毛先を入れても角度がないために力が加わらないのだ。単純な理屈なのだが、なかなか理解してもらえないという。

  歯ブラシについて効果的であるとする論文は1950年代以降からまるでないという話もだそうだ。

※それでも学校では一生懸命歯磨き運動をやってきたことを思い出す。

 プラークを除去するなら、歯ブラシより柄付きデンタルフロスがよい

  歯ブラシは補助的なものと考え、デンタルフロスという糸を使うのがよいという。糸だけのものより、Y字型のフォルダがついたタイプは、どんな角度でも歯に沿って糸を挿れることができるためおすすめだそうだ。糸を歯と歯のあいだの根本まで挿れたら、向かい合った歯面のいずれかに糸を当て、力を加えながら持ち上げていく。プラークは力を入れないと取れないという。

  プラークを取り除くための歯磨きは、できれば食後でなく食前にすべき

  食前に歯磨きをして口の中の菌を減らしておけば、食事で糖質が与えられても菌が減っていて酸が生じにくくなるからである。

  食事の後でなく食事の前に手洗いをして、手についた菌を取り除いてから食事をするのと同じで、口の中についても、できるだけ菌を取り除いておけば、酸は増えにくくなる。私(西野歯科医師)は、1日に1回、夕食などの食事の前に10分ほど歯ブラシやデンタルフロスで少々力を入れてプラークを取り除くようにしている。

  食後は口の中が汚れるから、食後に歯磨きをするというのも理にかなっているようだが、 プラークを掃除しないで食べた後は酸性度が高まる。当然、歯は脱灰されダメージを受けることになる。だから食事の前にプラークを掃除すべきである。プラークがなければ、食べかすは問題を起こさない。食後の歯磨きは「汚れ=食べかす」というイメージからきているのだ。

  歯磨きには、プラークを取り除く目的(1日1回)と、食べかすを取り除く目的(食後)がある。一般的に、食べかすは目に見えるので気になるが、プラークは目に見えないのでおろそかになりがちなのだ。

  「プラークは歯に接着するものなのでごしごし取り除く。食べかすは歯に接触するだけのものなのでさらさらと取り除く」と覚えてほしいという。

 ※歯磨きを1日1回食前にデンタルフロスを使って念入りにプラークを取るということはまさにびっくりぽんである。歯科医はデンタルフロスの使用を勧めはするが、西野氏のような具体的な指導はしない。私が行く歯科医は歯を歯ブラシを使って丁寧に磨くことと、歯間ブラシかフロスを使うことと、定期的クリーニングである。

 私は歯ブラシと歯間ブラシを使っているが、デンタルフロスは使ってはいない。これからは改めようと思う。

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2016年2月22日 (月)

歯のびっくりポン① 虫歯は自然治癒するという説

 Yahooニュースを見ていたら興味深い記事を見つけた。これまでの常識を覆す虫歯についての対処法である。以下に紹介する。

 

 “食と歯”についての常識について、埼玉県志木市で「ヒロキ歯科診療所」を開業する西野博喜氏にインタビューした話である。氏は歯科学の最新の研究成果などに詳しく、その知識を患者の歯の治療や予防に役立ててきた。日本顎咬学会の指導医であり、また日本歯内療法学会の専門医でもあるそうだ。

 甘いものを食べると虫歯になる理由

  虫歯には、直接的な原因と間接的な原因がある。
 直接的なものは口の中の常在菌である。そもそも常在菌は、外から入ってくる害のある菌が入ってこないように先に定着しているもの。人との共存共栄の関係をもっているのでだ。

  この、常在菌の中に、自分の体から“接着剤”を出すミュータンス菌のようなものもあり、歯の表面に付いて「プラーク」という菌の集合体をつくっていく。菌は単体でいるときは大したことはないが、プラークになるとバリアを張るようになる。バリアの内側で菌はさらに増えていくtのだ。

  そうした菌たちが酸をつくって、歯の成分であるカルシウムやリンなどの物質を溶かし出すのである。歯からカルシウムやリンが溶け出る現象を「脱灰」というそうだ。一般に、虫歯とはこの脱灰の現象を指す。

  菌が酸をつくる材料となるものは、食べものに含まれる糖質である。糖質が、虫歯の間接的な原因である。糖質は、砂糖のほか、ごはんやパンなどの炭水化物にも多く含まれる。

 ダイエットや糖尿病対策で、糖質制限する人もいるが、そういう人は虫歯になりにくいということかというと、そうだはない。虫歯になるとされる糖質の摂取量はかなり少ないのだ。年間20キログラムを超えると虫歯になりやすいという説があある。これは普通に食事をしている人はもちろん、糖質を制限している人でも超えてしまう量だそうだ。

  食生活が豊かになれば、当然、糖質の摂取量も増えて、口の中の酸の量も増えるから、虫歯になりやすくなる。 

 鍵は唾液にあり、虫歯は自然治癒するのだという。虫歯についてかつては治療をしないと悪くなると教えられてきた。しかし、今では 「虫歯は自然治癒するもの」と考えられているという。

  「自然治癒」とは、唾液は酸を中和して口の中をほぼ中性にしている。すると歯にカルシウムやリンが再び取り込まれ、同時に虫歯の修復作業も行われる。これを「再石灰化」という。虫歯の自然治癒とは、この現象のことをいうのだ。
  甘いものやごはんを食べると、2、3分後には菌が糖質を酸に変え、口の中の酸性度が高くなって歯が溶け出す。しかし、20分から40分ぐらいすると、唾液が酸性を中和していく。唾液にはカルシウムやリンが含まれていて「再石灰化」が起きる。唾液が酸性を中性に戻す力を、「唾液の緩衝能」という。 

 脱灰と再石灰化は食事のたびに繰り返し起きるという。けれども“だらだら食い”をしてしまうと、唾液が中性に戻したそばから、また脱灰が起きることになる。脱灰が起きる時間、つまり食べる回数をなるべく減らし、再石灰化が起きている時間をなるべく増やせば、脱灰のダメージが少なくなるわけだという。

  睡眠中は唾液の出る量が少なくなり、なかなか中性にならない。だから寝る前にべると虫歯になりやすくなる。

 口の中で唾液を多く出せるとよさそうだが、唾液の量や緩衝能には個人差がある。自分の唾液の緩衝能は、試験紙によるテストなどで測ることができます。測定を実施している歯科医院で行えるそうだ。

  手軽に唾液の緩衝能を強くするには、キシリトールガムを噛むという方法がある。甘味料は入っているが、虫歯の原因にならない糖アルコールという種類ですので大丈夫である。奥歯で噛んでいると唾液が出てくる。唾液の量を増やすことで緩衝能を高めるわけである。フィンランドの学校では給食後、子どもたちにキシリトールガムを噛ませているそうだ。 

 唾液による再石灰化に頼れば、歯医者に行かなくてもよいのか。少なくとも「初期虫歯」と呼ばれる、穴のない虫歯の段階では、歯医者に行く必要はない。いまは学校でも、初期虫歯であれば歯医者での治療を避け、学校の保健指導で再石灰化を促すことになっている。

  かつて、虫歯の診査では、進行度によって「C1、C2、C3、C4」と分類されていた。Cは「虫歯」の意味の「カリエス(Caries)」の頭文字です。「C1」でも歯医者で治療するよう言われていた。 

 しかし、1995年から判定法が大きく変わり、「CO(シーオー)とC」という分類になったのだ。

  「CO」は「カリエス・オブザベーション」つまり「観察」のことで、要観察歯とも呼ばれている。これが初期虫歯に該当する。この段階では、歯の表面が白く濁ることがある。脱灰でカルシウムやリンが抜けると歯の結晶構造が崩れ、光の屈折率が変わるため、透き通らない感じになるわけだ。初期虫歯「CO」は、保健指導の対象である。 

 一方、穴がある虫歯は「C」です。児童は学校で「C」と診断された場合だけ、歯医者で再び診査を受けることになる。

  けれども、「穴が空いたら即、歯医者で治療」かというと、私自身はそうは思っていない。それには、いくつかの理由がある。

※私が勤めていたころは、毎年歯の検査があり、C1,C2,C3C4と分類して、C1でも歯医者に行って治療をし、治療済みの証明をもらってくることになっていた。何時の頃から変わったのであろうか。びっくりぽんである。つい先日歯を削って詰め物をしたが、必要のない自然治療が期待できるものであったのか?

記事の元  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46036?page=3

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2016年2月21日 (日)

増谷文雄「仏教入門」―⑤―

 実をいうと、仏教のかかる特色はながく純粋の形のまま保たれることは出来なかった。発達仏教のあるものに於いては、釈尊の地位はいつしか神に等しい地位にまで移され、ついに一種の神として崇拝せらるるに到った。また、主として印度教系の神々は、多数仏教信仰の中に取り入れられて、さまざまな信仰の対象となるに到った。

 また、それらと平行して、救済の原理が仏教教理の中に取りいれられ、いくつかの仏格が救済者として仏教徒の前に立ちあらわれるに到った。だが、それにも拘わらず、「神なき宗教」としての仏教の本質は、依然として厳存しているのである。仏教の洪格はどこまでも解脱の観念を中心としておる。そして、解脱とは、法を知り法を行ずることによって得られるのであって、人格神の信仰は何等これに関わるところがないのである。

 かかる仏教の洪格は、発達仏教の中に於いては、いわゆる自力聖道門の仏教の中に、特に明瞭に存続しておる。他方、他力浄土門の仏教は、救済の原理の上に立つものとは言え、なお全くかかる特色を失ってしまったわけではない。阿弥陀仏の信仰のうちには、往生の思想とともに、少なくとも観念的には成仏の思想を包含しておるが、それこそ浄土門の仏教が、仏陀の宗教たるの系譜を主y等しうる所以でなければならぬ。

 かくのごとく、仏教が神をもたぬ宗教であることに就いて、これまで強い関心を示してきたのは、欧米の宗教学者達であって、仏教徒自身は却って、従来あまりこの点に関心を示したことがなかった。

 だが、仏教の有する基本的な特色の一つが、確かにここに存しているのであって、正しい仏教の理解のためには、是非とも先ず、神の観念を拭いさることがなさるべきであると思う。

※神の観念を排除するべきというが、自力本願の禅宗においても、仏像を拝み経典を読誦する。他力本願の浄土門では南無阿弥陀仏と阿弥陀仏を神の如く信じその救済にすがる。法華門でも対象が異なり南無法連華経を唱えることが違うだけである。真言宗に至っては祈祷を主として神格化した仏にすがろうとしている。また加持・祈祷に最も頼っている。現存するすべての仏教は南方系でも釈迦像を崇拝したり、インド系仏教のようにヒンズー教から取り入れた神々を信仰している。弁財天、布袋天など七福神は大黒天を除いてそうした由来のものである。その辺をどう捉えるのかが興味深いところである。

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2016年2月20日 (土)

増谷文雄「仏教入門」―④―

 二。

  まず第一には、仏教は本来神に依る宗教ではなかったことが説かれるであろう。

  世界に現に存し、また曾て存した多くの宗教は、崇拝の対象として神をもてる宗教であって、宗教とは「神と人との関係」によって成立するという考え方が、古くから弘く行われている。キリスト教はまさしく「神と人との関係」の上に成立している。ふるいユダヤ教もそうであるし、あたらしいマホメット教もそうである。北の方の寒い国々に存した宗教もそうであったし、南の方の文化低き人々の中に残る宗教さえも多くそうである。

  したがって、宗教には必ず人格的な崇拝対象がなければならぬとするのが、今日もなお宗教に関する常識であると言ってよい。しかるに、この宗教的常識に反して、仏教はもと崇拝対象としての神をもたぬ宗教であった。神の存在を必要とせざる宗教であったのである。少なくとも原始仏教は、かかr宗教であったのである。

  仏教の根本原理については、次の章において詳しく述べられるであろうが、そのとき是非とも読者に看取して貰いたいことは、仏教はその根本原理のいずれに於いても、神性の問題を有しないことである。釈尊はその究極の理想として涅槃―心の平和―を説いた。その思想的立場として中道―偏らぬ態度―を説いた。その人生観の原理として縁起の理法を説いた。そして、それらの基礎の上に理論的・実践的体系として四諦八正道―四つの真理と八つの倫理―が提示された。

  それらの教説の中には、世界と人類の創造者も語られず、神の愛も述べられず、審判者の恐怖も説かれていはない。それらは単に「眼を開き、智を生じ、寂静を得しめ、覚悟を与え、正覚に至らしめ、涅槃に趣かしむ」る道であって、そこには神に関する問題は全く介在していなかった。

  そのことは、釈尊がその臨終に際して「我が死せる後には、自らを燈明とし、自らを依拠として住し、また他の依拠によるなかれ。法を燈明とし、法を依拠として住し、また他の依拠に依ることなかれ」と説いた感銘ふかい教訓の中にも、はっきりと観取せられるであろう。

  釈尊の弟子たちが教えられたことは、神に祈りねがうかわりに、自己に沈潜して瞑想することであり、神のあわれみに縋るかわりに、自ら覚れる者となる道にいそしむことであった。それは救済の道ではなくて、解脱の道であったのである。

 ※上記の短い文章の中に仏教の最も大切な部分、他の宗教とのはっきりした違いが説明されている。釈迦が説いたのは悟りであって、自らが到達すべき心の状態であった。それにはどうすればよいかを自らの経験と悟りに至った過程をもとに示してくれたのであった。神がいてその神にたよることを否定したのだ。これはしっかりと心に刻みつけておかなくてはいけないことである。

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2016年2月19日 (金)

iPhoneの電話が勝手につながるトラブルの原因

 私はiPhone6sを使っているが、電話をするときに「履歴」から相手の名前をタップして電話を掛けるようにしている。いちいち「連絡先」を開いて調べるのは面倒だからだ。「連絡先」から掛けるのは必要な場合だけである。

  電話を掛けて切ったあと直ぐに別の相手に勝手に電話が掛かってしまうという現象がよく起きた。その場合掛けた相手の直ぐ上にある名前に掛かることが多かった。それ以外にも電話を掛けないのに誰かに掛かってしまうということもあった。

  頻繁に起きたので、15日にauサポートに電話をした。この前に書いたようにauサポートデスクにはすぐにつながった。受け付けた人からテクニカルサポーターの女性に替わってサポートを受けた。

  そのときは、電波の質のよいものにつながるようになっているので、それを普通のものにすると改善されることがあると言ったのでそのようにして様子を見ることになった。

  しかし、電話が自然につながる現象は毎日1回は起きたので、17日に再度auサポートに電話をした。今回もすぐデスクにつながって、テクニカルサポーターの竹沢さんという男性に替わった。

  事情を話すと、すぐに理解をして、Siriの設定を調べた。Siriはオフにしてあった。というのはバッテリーを節約するためにオフにした方がよいとネットで読んだからだ。

  ところがSiriをオフにしておくと音声コントロールが働いて、例えば「佐藤さん」と言っただけで電話が立ち上がってしまうのだという。またホームボタンを1秒以上長押ししても電話につながるとも言った。便利と言えば便利だが不便と言えば不便でもある。

  それでSiriをオンに設定した。その後、iPhoneの電源をいったん切って10秒後に再起動するとよいと言った。

  また、電源は毎日1回は切るようにするとよいと言ったが、私は毎晩寝る前に電源を切って寝ることにしているのでそれは問題なかった。

  電源を切ったり再起動するのは充電器につないでない状態でやるようにということであった。さらに使ったアプリはホームボタンを2度タップしてスワイプして消しておくとよいそうだ。私はいつもそうしている。

  今回のようなトラブルはiPhone5cの時にもよく起きた。auやアップルのサポートに電話したが結局解決にはいたらなかった。しかし、今回の竹沢さんは最初から明快に答えたので感心した。これでしばらく様子をみて、勝手に電話がかかることがなくなれば凄いと思う。そうなることを期待している。

 

 

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2016年2月18日 (木)

停車中のアイドリング禁止を徹底せよ

 早朝ウオーキングでよく見かけるのは、タクシーが公園や喫茶店前でアイドリング状態で停車していることだ。

 瑞穂競技場近くの道路には、つばめタクシーや他のタクシーが、エンジンをかけたまま停車して運転手が休憩をしているのを目にする。夏場は暑いからエアコンをつけるためにエンジンをかけているのであろう。冬場は逆に暖房をつけているのだと思われる。

 石川橋の近くに二葉グループのユタカタクシーの本社がある。そこではエンジンをかけたまま道路に止めている車を見る。その会社の近くに喫茶店があり、朝早くから店を開いているのだが、その前にタクシーをエンジンをかけたまま止めて喫茶店で運転手が休憩していることがよくある。隣のユタカタクシーが多いようだ。

今朝も瑞穂競技場付近にMKタクシー、ツバメタクシー、それに大型トラックが停まってアイドリングしていた。トラックの排気ガスは辺りにまき散らされて匂っていた。ユタカ本社前でも向かいの歯科医院の駐車場にタクシーをアイドリングしたまま停めていた。

 でも冬でも車に戻りエンジンをかければすぐにエアコンが効くはずだ。それなのになぜアイドリングをしているのか不思議でならない。ガソリン代は会社持ちだから自腹が痛まないの平気なのだろう。

 トヨタクラウンで30分アイドリングするとガソリンの消費量はどのくらいになり、また、二酸化炭素排出はどのくらいになるのであろうか。

 最近は車も進歩し、交差点で停まってもエンジンが停止するようになっている車が増えている。私の車は10年前のだから残念ながらエンジン停止をするとエンストすることがある。

 27年ぐらい前にドイツを旅行したときに、感心したことが2つあった。1つは道端に停車している車はどれもエンジンを止めていたことだ。ドイツではそんな以前から停車中はエンジンを止めることになっていたのだ。

 もう一つは清掃工場がクリーンな煙しか出さないようきちんとゴミを燃やしていたことである。当時は日本はまだそこまではいっていなかった。

 ドイツは福島の原発事故の後すぐに原発禁止に踏み切った。環境保護へのドイツの対応は素晴らしいと思う。

 日本はどうか。停車中に自動車のエンジンを止めるという法律はない。調べたら昨年10月に名古屋市では条例で禁止されたことが分かった。こういうことは交通法規で全国で禁止をてっていずべきことがらである。二酸化炭素排出を削減するといいながら政府の怠慢も甚だしい。

※名古屋市のHPから

 平成15年10月1日から、名古屋市内はアイドリング※を禁止しました。(※「アイドリング」とは駐停車中にエンジンをかけっぱなしにすることを言います。)

 次のような場合には自動車のエンジンを止めてください。

駐停車中のアイドリングが禁止される例

  • 買い物など自動車から離れる場合
  • 駐停車中の休憩、電話
  • 駐停車中の車内の冷房・暖房のためのアイドリング
  • 荷待ち、客待ち
  • 荷物の積みおろし中
  • 洗車中、給油中

 過去に名古屋市に寄せられた苦情には次のようなものがありました。いずれの場合もアイドリングは禁止です。

  • 近所の公園脇の路上でアイドリングしながら仮眠している車があって排気ガスが部屋の中に流れ込んでくる。
  • 工場の前で、早朝に工場が開くまでアイドリングしながら待っている車があり、エンジン音がうるさくて眠れない。

 

 なお、次のような場合は例外として禁止されません。

駐停車中のアイドリングが禁止されない例

  • 信号待ち、渋滞での停車
  • 冷凍冷蔵車やミキサー車などが、冷凍機能やミキサーなどを使う場合
  • 急病、事故などの緊急時

自動車を事業で使用する場合の運転手への周知義務について

自動車を使用する事業者に、その管理する自動車のドライバーにアイドリング・ストップをさせることを義務付けました。

違反した場合、会社に対して勧告が出され、勧告に従わない場合は、会社名が公表されます。

駐車場におけるアイドリング・ストップの周知の義務付けについて

一定規模以上の駐車場の管理者等に、アイドリング・ストップをするように看板などで周知することを義務付けました。

対象となる駐車場の規模

駐車マスの合計面積が500m2(およそ駐車台数が乗用車で40台)以上

※1つの事業所もしくは営業所に駐車場が複数ある場合は合計します。
※二階建て以上の駐車場は各階を合計します。
※判断に迷う場合は、できる限り周知してください。

周知の方法

対象となる駐車場の管理者または設置者は、その駐車場を利用する人に対して、看板、ポスター、放送、ちらしなどで、駐車場内でアイドリング・ストップをするように周知しなければなりません。周知の方法や大きさ、文面などについての規定はありません。

 

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2016年2月17日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―③―

仏教の輪郭

 

1.仏教はいかなる宗教か

 

  一。

 

 仏教はいかなる宗教であるか。

 

 仏教と名づけられる宗教は、現に私たちの前にもある。仏教寺院は村にも町にも都にもいらか高く聳えている。僧侶はその中にあって、経を読み、葬いを司り、老いたる善男善女をあつめ、或いは来世を説き、或いは加持を行い、或いは禅を修しておる。それらは疑いもなく仏教である。在家にあっても、或いは念仏を 称し、或いは題目を唱え、或いは仏寺に詣で、或いは時に仏書を繙いて瞑想の時をたのしむ者もあろう。そこにも確かに仏教はある。

 

 それらの寺院は、本山末寺の関係を連ねて大いなる組織をむすび、それらの在家の人々は、檀徒としていずれかの寺院に属せしめられておる。かかる教団の組織もまた仏教たるに相違ない。だが、この現前の仏教にも拘わらず、人々は依然として、仏教はいかなる宗教であるかを質ねるであろう。

 

 そのとき人々が意識的または無意識的に求めているところのものは、仏教をその本来の面目において理解するであろう。現前の仏教は枝葉徒にのび歪んで人々の精神の糧となすには適せず、むしろ釈尊の説けるままの仏教こそ尋ねたいとなすのである。かかる希望を、学問的に追求せんとする人々は、これを原始仏教と呼んだ。また、かかる仏教の理想を、現代にもたらさんとする熱情をもって追求する人々は、これを根本仏教と呼ぶのである。

 

 さて、かかる意味の 仏教はいかなる宗教であるか。その輪郭をえがかんとするに当たって、私はまず消極的の手法を用いてみたいと思っている。もし人が黒板の前に立って、これに何ものかをえがかんとすうrとき、そこに無用のものが描かれてあれば、先ずこれを拭き去ることを為すであろう。

 もしそれが、仏教の正しい理解に役立たぬか障げとなるかである場合には、それを寧ろきれいに拭き去らるべきである。そして、人が既に有している仏教の智識には、意外にかかる種類のものが尠くないのである。きれいに拭い去られた黒板の前に立って、新たに仏教の輪郭を描きはじめるために、私は先ず、仏教がいかなる宗教にあらざるかを語ることからはじめたいと思うのである。

※仮名遣い及び漢字は現代用法に改めた。また、段落も読みやすいように増やした。

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2016年2月16日 (火)

ソフトバンクの煩わしいサポート

 知人のKさんはソフトバンクのiPhone6sである。通話をすると途中で切れてしまうという。それで友達に聞いたら、「ソフトバンクの掛け放題は途中で切られてしまう」と言ったそうだ。どうもソフトバンクは電話の途中で切れることが多いようだ。私の知人もよく切れると言っていた。

  それでソフトバンクに確かめようと思ってサポートに電話をした。157番のサポートに掛けたらガイダンスが流れて項目によって1番とか2番とか選ぶように言われる。確か4番だったと思うが選んだら、音声での質問に音声で答えるシステムになっていた。何でも新しいシステムらしかった。

  「通話の途中で切れるのはどうしてか?」と聞いたら、「ホームボタンを2回押すと使っているアプリが横並びになります。それを左から右にスワイプすると停止します」と言った。

  指示の通りにしたが、アプリは横に並ばない。繰り返し何度も聞いても同じ答えであった。10分ぐらいやってバカらしくなったのでやめた。

  それからiPhoneを買ったソフトバンク八事店に電話をした。八事店では通話を途中で切るようなことはしていないが、詳しいことは分からないと言った。

  それでソフトバンクのサポートに電話をしたが、自動応答のガイダンスがサッパリ要領を得ないことを話した。すると「157の後に♯10♯をやるとオペレーターにつながる」と教えてくれた。そんなことはどこにも書いてなかったのだ。初めて知ったことであった。

 試しにやってみるとオペレーターにつながった。通話の途中で切るようなことはしていないと言った。そしてiPhoneの問題かも知れないと言った。契約に入っているLETの仕組みを停止するとよくなるかもしれないから今からどこかに電話をして試して欲しいと言った。すぐに試すことはできないので、しばらく様子を見ると答えた。

 その後サポートのガイダンスの非常に煩わしいことを話したがただ聞き置くだけであった。私自身はauなのだが、auのサポートではソフトバンクのような煩わしさはない。

 Kさんは自宅のパソコンのインターネットをYahoo BBに変えてスマホと込みで割引をしてもらってソフトバンクのiPhone6sを買ったのであった。Yhoo BBのサポートも余りよくなくて後悔をしている。

ここまで書いて来てauのサポートを受けることがあったのを思い出して電話をしたら、直ぐにつながった。聞いてみたら先週から高齢者にはまたせなくて、速くつながるように変えたと言った。また、一般でもauはガイダンスのあとオペレーターにつながるようにしていると言っていた。ソフトバンクは全て音声ガイダンスでサポートするようにしているようだと話していた。

 ソフトバンクの煩わしさには辟易した。アップルのサポートは親切だし、KDD系のCommufaとauのサポートもとてもよい。私は満足している。ソフトバンクにはがっかりである。

 

 

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2016年2月15日 (月)

素敵なコンサート「イタリアバロック名歌集」

 13日に伏見の電気会館地下にある「ザ・コンサートホール」で「イタリアバロック名歌集」というタイトルのコンサートが開かれた。私が所属する昭和男爵コーラスの指揮者の加藤佳代子先生が出演されるので聴きに行った。

 加藤先生は名古屋バロック音楽協会に関係しておられ、毎年バロック音楽のコンサートを催しておられる。

 今回はソプラノの加藤先生の他に、ソプラノの本田美香さん、テオルボ(リュート)の坂本龍右さん、バロックチェロの懸田貴嗣さん、チェンバロの平井美帆さんの5人が出演した。

 演目は次の通である。

●遠いところにいけるだろうか   2重唱

●この上なく甘いため息      ソロ (本田さん)

●東の門から            ソロ  (本田さん)

●ヴィオローネのためのトッカータ、ルッツジェーロ  チェロ独奏

●お前の自由を容赦なく奪う者   ソロ(加藤さん)

●私は可愛い羊飼いの娘     2重唱

●第2旋法のトッカータ      チェンバロ独奏

●フォリア              チェンバロ独奏

 休憩

●マリア・ストゥアルダの哀歌 待ちなさい、私に話させなさい ソロ(本田さん)

●トッカータ  リュートソロ

●死が我を別つまで      ソロ(加藤さん)

●タランテッラ          チェロ独奏

●12のトッカータより     器楽3重奏

●哀れな美貌         2重唱

アンコール   プッチーニの曲

 休憩を除いてたっぷり2時間余の演奏であったが、バラエティに富んでいてとてもよかった。

 加藤先生は暗譜で歌われたので驚くと共に感心した。日ごろ暗譜せよと言われているがなかなか覚えれない身として、イタリア語の歌を暗譜して表現力豊かに歌われたのだ。

 もう一人の本田さんも厚みのある声で表情を添えて歌われて素晴らしかった。2重唱は大変きれいにハモっていて気持ちよかった。

 リュートはイタリアで大きく改造されたものだそうで、チェンバロは当時のものを名古屋の製作者がまねて作ったという大きなものであった。バロックチェロは弦にガットを使ってあると言っていた。いずれの楽器もチューニングが大変なようであった。

 演奏されたイタリアの曲は普通あまり演奏されないそうで、私も初めてであったが、とても気持ちよく、癒される気分であった。歌詞を訳した紙が用意されていたが主に音とリズムと雰囲気を楽しんだ。

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2016年2月14日 (日)

増谷文雄「仏教入門」―②―

 ※原文は旧漢字と旧仮名遣いで書かれているが現代文に直した。またこの著作は終戦直後(昭和21年)に書かれたものである。序文にある「平和」「独立」「自由」などの言葉は今もなお大きな課題である。

 序 文

 一.私は、今日なお仏教が、私どもの精神的原理として高い価値を持つものであることを確信する。私どもはいま、はげしい時代のうずまきの中にあって、新しい精神生活の態度を建立しようとしておる。永遠に平和を愛する国民となりたい。真理の前に謙虚でありたい。愛と寛容につつまれて生きたい。世界と人類とをわれらの最高の奉仕の対象であらしめたい。つねに内的生活の価値に眼をそそいで、独立にして自由な人格をたっとぶものでありたい。

  しからば、私どもに平和をもたらし、愛と寛容の徳を与え、世界と人類への奉仕を教えるものは何か、また私どもに真の内的生活への価値を知らしめ、独立の人格の尊さを知らしめるものは何か。それを思うとき、私は今日仏教が果さねばならぬ重大なる役割を確信せざるをえない。

 一.私は、ここに仏教を説くに当たって、何よりもまず釈尊の教法を説くことに中心をおいた。仏教は釈尊に出発した宗教である。だが釈尊によって仏教が創唱されてより、すでに2500年あまりの歳月がながれた。その間には、おどろくべき発展と変化とが仏教の上にもたらされた。それは発展であるとともに本質の喪失でもあった。そして今日では、末流の仏教の立場からでは、釈尊本来の仏教は、その真の面目を知ることはできない。

 かくて私は、いずれの宗派の立場にも依らず、もっぱら釈尊本来の仏教を説くことに重点をおいた。かかる態度は、今日専門家の間で、根本仏教主義と呼ばれるものである。

 ※先回書いたように、原始仏教または根本仏教主義と言われるものである。この後増谷教授はよりどころとして、漢訳経典より巴利語経典に多く依拠したこと、現代語を使って説明すると書いている。「仏教独特の術語に寄らなければ仏教は説かれ得ないとするのは、保守的仏教学者の偏見である」と述べている。その通りだと思う。お経は漢語で書かれたものをそのまま朗誦してよしとしているが仏教関係者の怠慢である。凡人には分からないから「アリガタイ」と思わしめるためであろう

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2016年2月13日 (土)

逆流性食道炎は歯が胃酸で溶けるので注意!

 昨年の12月に歯のクリーニングをしてもらった。そのときに歯医者が虫歯が2本有るので治療が必要だと言った。

 それで先日治療をしてもらった。2本の治療に1時間近くかかった。歯を削ってそこにプラスチックを詰めたようであった。幸い2本とも麻酔注射をしなくても全然痛くなかったのでよかった。

 1年に4回歯医者に行き、歯のクリーニングをしてもらっているのに、どうして虫歯になったのか不思議であった。医者はいろいろ質問をして私が逆流性食道炎を患ったことがあるというと、それが原因だろうと言った。 

 これまで私は何度か耳鼻咽喉科にかかり、逆流性食道炎の治療をした。そのことはこのblogでも書いたことがある。

 耳鼻科も2回変わったのだが、どの医者も逆流性食道炎が歯に悪い影響をするとは言わなかった。ただ胃液が逆流するからそれに対処する薬を処方されただけであった。

 歯医者にそのことを話すと、耳鼻科の医者は胃液が歯を溶かすことを知らないのであろうと言った。私は毎日ヨーグルトを食べていると言ったら、ヨーグルトの酸は大したことがないと言った。それに比べて、胃酸はものすごく酸が強く、2時間で歯を溶かしてしまうと言った。

 私は歯はきれいに磨いているし、定期的にクリーニングもしているので、この20年ほど虫歯になったことはなかったのだが、今回はとんだところに伏兵がいたことを知らされた。

 歯医者の話では、40歳前後の若い人にも逆流性食道炎が増えていて、歯を痛める人が多いと言っていた。若い人の逆流性食道炎はストレスが原因になっていることが多いという。

 いずれにせよ逆流性食道炎には歯を守るためにも気を付けなければならないことが分かった。

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2016年2月12日 (金)

何とかならないのか。大量に廃棄される食べられる食糧

 2月10日の朝日新聞朝刊22ページに「食べられるのに なぜ捨てられるの」という記事が載った。廃棄食品横流しで浮かび上がった「食品ロス」を取り上げたものである。

 それによると、2012年の農林水産省が行ったメーカーや卸売り、小売業での食品ロスは年間推計331万トンという。

  廃棄の理由は、「規格外」「過剰在庫」商品リニューアルによる「定番カット」、外食産業での仕込み過ぎも含まれる。

  今回問題になった異物混入などはここには含まれないから実際はさらに量が増えることになる。

  卸売りなどからの返品が大量に発生する背景には、以前にもこのblogで触れた「3分の1ルール」という食品業界の慣習がある。

  それは小売店への納品は賞味期限の3分の1、店頭での販売は3分の2時点までというのだ。3分の2を過ぎると「販売期限切れ」で返品や廃棄に回されるというのだ。

  ある回転ずし店では、15分回ると捨てているという。客としては新鮮なものを食べられてよいが、食品の側から見ると何とももったいない話である。

  この記事にはこんな例も紹介されていた。讃岐うどんの会社だと推定されるが、大量に生産されたうどんがベルトコンベヤーで流れる間に計量され、規定の量より少しでも多いか少ないと廃棄されるという。廃棄は1日で300キロ~500キロにもなるそうだ。

  こうした生産・流通過程での食品ロスの他に、家庭での調理くず、食べ残し、手つかず食品の廃棄が312万トン(2012年)推計されている。

  この記事では触れていないが、レストランや学校給食などでの食べ残しも相当な量があると思われる。私が勤めていた頃は、給食はクラスとしては残さないように、食べたい子に食べてもらったり、パンは欲しい子に持って帰ってもらっていた。(今はそんなことはできないだろうが)

  世界の飢餓人口は、国際連合食糧農業機構の2014年9月に発表した数字によると、8億500万人で、9人に1人の割合である。大変な数である。日本の飢餓人口がどのくらいあるのか知りたかったが、残念ながらネットでは出てこなかった。しかし、貧困が叫ばれている現在、食べ物に困る人々は、ホームレス以外にもたくさんいるはずである。そうした統計がないのは政府の怠慢ではないか。

  日本は世界中から食料を買い集めてしのいでいる。自給率は2012年で僅かに39%に過ぎない。食糧安保という言葉を聞いたことがあるが、日本の首根っこを食糧で握られているのだ。生活必需品ではないが、コーヒーの値上がり、バター不足などもその現れである。中国が魚や穀物を買うようになったのでそうしたものの値上がりも招いている。

  安倍政権は、軍事力こそ安全保障だと安保法制を改定したが、兵糧攻めという言葉があるように、食糧こそ安全保障の重大要素である。それなのにTPPによって農業を苦境に追い込もうとしている。

  食糧は生存に不可欠のものである。ところが日本では、先にみたように、大量の食品ロスを出している。神様がいれば罰を与えること必定だが、具合の悪いことに神様はいないようだ。

  食糧ロスをなくすことは喫緊の課題の一つだと思うのだが、僅かに民間でフードバンクの活動があるぐらいで、政府としての政策も施策も聞いたことがない。自民・公明政権は、貧乏人のことや食料の浪費などはどうでもよいのだ。というか、食糧の浪費によってGDPを上げることが出来ると思っているのである。

  食糧を無駄にしないことによって、どれだけ地球の二酸化炭素減少に貢献できるか、という研究はないのであろうか。食糧生産に使われるさまざまなエネルギーを試算すれば分かると思うのだが。

  食品ロスを何とかして最小限度まで減らすことは、直ぐに取り組むべき重要な課題である。

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2016年2月11日 (木)

安倍政権のTV局圧力を許せない

 割合はっきりとものを言うTVキャスターやコメンテーターが3月限りで降板することについては以前に書いた。安倍政権が「公平性」という名目で政権批判に神経をとがらせ、TV局に圧力をかけて効を奏している。

  安倍政権はそれでもまだ不十分だと、高市総務相は「電波停止」をすることもあると衆議院予算委員会で明言をした。

  放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断をした場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条にもとづいて電波停止を命ずるというのである。

  高市大臣は、法律に違反したかどうかの判断はその時の大臣がすると答えている。「政治的公平性を欠く」事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間に渡り繰り返す番組を放送した場合」などとし、「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」としたという。

 この規定についてデジタル朝日は次のように指摘している。「安倍晋三首相は高市氏と同様、4条を「単なる倫理規定ではなく法規であり、法規に違反しているのだから、担当官庁が法にのっとって対応するのは当然」との立場を示している。

 しかし、放送による表現の自由は憲法21条によっても保障されており、憲法やメディア法の専門家の間では、放送法4条は放送局自身が努力目標として目指すべき「倫理規範」とするのが通説だ。4条を放送内容に干渉できる根拠とし、放送事業者に不利益を課すことについては、憲法21条に抵触する疑いがあると指摘されている。

 公権力による放送内容そのものへの介入で、「政治的公平」という漠然とした規定によって規制するのは、放送事業者の番組編集権を必要以上に制約して、萎縮させる可能性が強いと考えられるためだ。」

 NHKなどは政権の意を体して政権側のニュースはやたらに放映するが、反対する側の動きについては報道しない傾向が強い。特に籾井会長になってそうなったことが感じられる。

 政権の側は大臣が判断をして警告をしたり、電波停止をできるが、反対側の国民はそういうことが何もできないのだ。やれることは集会、デモ、ネット、署名だけである。大事なことは政権がいつも正しいとは限らないのだ。それは歴史が示すところである。誰にでも分かるのはヒトラーであり、戦前の日本の軍部がやったことである。

 だから政権のやることを批判することはマスメディアの大事な役目なのである。それを封じ込めようというのが最近の安倍政権の動きてある。最近の一連の政権の威圧でテレビ局や新聞が委縮し、権力監視を弱めていたり、政権の広報機関化しているメディアさえあることを大変怖いことだと思う。

 特別秘密保護法によって都合の悪い情報は全て隠し、さらに言論の自由を抑え込んで言論統制をはかろうとする。このままでは戦前回帰である。戦争遂行のために大政翼賛化した時代に向かっているとしか思えない。

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2016年2月10日 (水)

株式の暴落はアベノミクス失敗の証明

 2月9日の日本の株価は日経平均で930円もの暴落を記録した。今年になって500円以上の大下げが何度かあり、昨年の大納会の19033円の終値から2900円近く下げたことになる。チャートを見ると1月21日の16017円までほぼ下げ続け、その後2月1日の17865円まで上げたが、再び下げに転じて、9日の大暴落である。

 一時980円も下げたが、終値は-918円の16085円であった。

  その朝のモーニングサテライトでは、ギリシャ問題再燃による115円の円高や石油価格の低迷を挙げていた。石油価格の低迷は続いているが、それがどうして悪い材料になるのかが分からない。日本のような石油を全面輸入に頼っている国には有難いことだと思うのだが。 

  石油が高かったときは、サンマ漁、イカ漁などの漁船が非常に困っていたし、イチゴなどの温室栽培農家もぼやいていた。

  先日日銀が1票差でマイナス金利を決定した。それで元々利息がないに等しかった銀行の預金利子がさらに0に近く下げられてしまった。それでも借りる方は払う利子が減るので恩恵を蒙るから、一般国民にはプラスだという説明もある。でも私のようにローンのない者には全く関係がない。

  このところの株価の暴落で年金機構は運用で135兆円の年金積立の内130兆円も損を出したといわれる。

  http://vvarabidani.hatenablog.com/entry/2016/01/12/101417

  これは1月12日の時点の話だから、2月9日の下げでは更に損害がふくらんでいるであろう。安倍政権は株価を上げるために、昨年GPIFが株式で運用する率を増やし一時は成功したかに見えたが、昨年10月下旬には次のような数字が話題となった。

   「140兆円を超える公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の2015年7-9月期の年金運用損失が、約7兆9000億円に上っていることが大手証券会社のアナリストの試算でわかった。世界的な株安が年金運用損を膨らませた格好だ。」

  あのリーマンショックのときでさえ、5兆7000億円の損であったのだ。それが今や30兆円というとてつもない金額である。

 我々の年金はどんどん減らされているのにこの先どうなるのであろうか。第一次アベノミクスによって円安になり、株価の上昇につなげることができたように見えたが、結果は失敗に終わり、その失敗を隠すために第2次アベノミクスを打ち出した。

 しかし、青写真すらないスローガンだけのもので、このところの世界的株価の不安定に翻弄されてどうにもならなくなっている。

 浜矩子同志社大教授は、つとに「アホノミクス」と批判してきたが、最近では21日号の「サンデー毎日」で「ドアホノミクス」だと言い、完全に失敗であったと指摘している。

 結局儲かったのは一部の大企業と富裕者だけで、90%以上の一般国民は生活が苦しくなるだけであったのだ。下流老人、老人の貧困化、貧困女性、子どもの貧困など貧困が社会問題化してきている。

 それでも毎日新聞と時事通信の世論調査やNHKのそれは50%以上の安倍内閣支持という数字を出している。国民の意識はいったいどうなっているのかとこの先が心配でならない。

 浜矩子教授は、安倍首相がやりたいのは「富国強兵」であり、そのための「憲法改正」であると指摘している。マイナンバーもそのために使われる恐れがあるとも言っている。

 アメリカでの演説で安倍首相は消費税を上げると国防予算を増やすことが出来ると言ったことも紹介している。

 庶民は低所得層ほど消費税の負担を強いられ、富裕層は懐が痛まないのだ。また大企業は減税により大恩恵を受ける。まさに富国強兵路線である。

 このところの株価大暴落で安倍首相はひやひやしているであろうか。今朝のコメンテーターは当分株価は下がったままになるだろうと予想していたが。

 今日2月10日10時45分には―430円の15655円であった。

 

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2016年2月 9日 (火)

増谷文雄「仏教入門」―①―

  私が大学1年の頃、名古屋の中心地の栄に「松本書店」という古書店があった。その頃は古本はまだ価値があって、古本屋に本を持っていくと、よい値で買って貰えた時代であった。

 ある日松本書店を覗いて、天井まである書棚を眺めて歩いた。そして1冊の本を見つけた。それが「仏教入門」(増谷文雄著 青山書院刊 定価250円)であった。初版が昭和22年(1947年)で、私が買ったのは昭和30年の第8版であった。買ったのは多分昭和32年だったと思う。※コロッケ1個5円、うどん1杯10円、週刊誌30円だったと思う。

 大学に入ったが仏教については全く知識がなかったので、どんな宗教か知ろうと「入門」というタイトルに惹かれて買ったのだと思う。

 読み始めて分かったことは、この本が「原始仏教」について書かれたものであるということであった。原始仏教とは釈迦が悟りを開いて説法をした大本の仏教のことである。私はそのことに非常に興味をひかれた。

 釈迦が辿りついた最初の教えがどのようなものであったかは大変重要である。現在に伝わっている仏教は長い年月と、インドから中国、朝鮮を経て日本に来るまでの距離によって、釈迦が説いたものから大きく変わってしまっているのだ。

 釈迦の教えが、弟子から弟子へと受け継がれて行くあいだに、解釈が変わったり、伝承者が自分の考えを付け加えたりしたのだ。釈迦の時代には紙や筆がなく、口伝であったから、伝える内容が変わって行くのも仕方のないことであった。

 後世の研究者たちは膨大な経典を調べることによって、釈迦の教えに迫ろうとしたのであった。増谷文雄氏は当時東京外国語大学教授で東京大学講師でもあった。

 私は最初にこの本に出会ったことが幸運であったと思っている。「仏教入門」によって釈迦の教えを知ることができたからだ。

 昨今日本の仏教は葬式仏教と揶揄されている。どの宗派も葬式を金儲けの手段と考えて、お布施と称しながら、高い戒名料や読経料を当然のように取っている。私の母の場合葬儀でお寺に出した金が110万円にもなった。

 そういうことへの批判もあってであろう、ここ数年家族葬が増え、出来るだけ簡素に済まそうとする風潮ができてきた。また葬式ビジネスの中には、僧侶派遣業も出てきて、数万円で葬儀ができると謳って批判を受けている。

 こうした変化は、日本の仏教宗派がいずれも、訳の分からないお経を読誦して済まして来たことで、僧自らの怠慢がもたらしたものである。

 釈迦は来世のことには触れていないし、祈祷をせよとも言っていない。釈迦自らを祈る対象にしてはいけないとも弟子に言っているのだ。ところが仏教ではあの世があると言い、仏像等を造って拝み、僧侶が経を読んで祈祷をする。お御籤まで売っている。

 仏教がそのような変容を遂げたことについてはその功を認めない訳ではないが、本来の釈迦の思想からは逸脱しているのだ。

 そこで私は「仏教入門」を折に触れて転載して紹介することにした。幸い著作権はとっくに切れているので問題はないはずだ。この分かりやすくて優れた本を通じて仏教の本質に触れてほしいというのが私の願いである。

 

 

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2016年2月 8日 (月)

おそがけに咲き始めたシクラメン

 私はシクラメンが好きでこれまでにも何度かblogで取り上げて来た。ここ数年はシクラメンが終わった後も夏を越させて花を咲かせることができるようになった。

 ところが、昨年はサボって植え替えが遅くなってしまった。本来なら9月になったら植え替えをしなければならないのを10月の半ば以降にずれこんでしまった。

 シクラメンは赤と白の2鉢を育てていたのだが、一つの鉢は葉がでて来たのに、もう一つの鉢は全く芽が出なかった。芽が出た方はそのうち赤だということが分かった。だから白の方の芽がでなかったのだ。

 あの有名な歌にある「真綿色したシクラメンほど・・・」の歌の通りの大きな花弁の真っ白なシクラメンであったが芽を出させるのにしくじってしまったのであった。

 赤の方は大きな葉っぱをいっぱいつけて葉っぱが育っていったが、葉っぱが大きいのは花がよくつくと思って楽しみにしていた。

 1月の下旬になってようやく赤いつぼみが一つでて来た。シクラメンは普通11月にはかなり咲いて店で売られている。そこから考えると3か月も遅いことになるが、植え替えが遅かったから仕方がない。

 最近になって花が開きだし、葉っぱの陰にはつぼみがいっぱい出ている。これから3月、4月と咲いてくれるだろうと楽しみである。普通は4月いっぱいまで花が持てば十分と言われるが、おそらく5月いっぱいは花が咲くのではないかと期待している。

 白のシクラメンを失敗したので紅白にならないのが残念でならないが今更どうしようもない。

 外の鉢に植えっぱなしの小さい花のシクラメンは今元気に咲いている。小さい種類は外で夏を過ごさせても大丈夫のようだ。

シクラメンの花言葉

「内気」「はにかみ」「遠慮がち」・・・花を下向きに咲かせることから。

「絆(きずな)」・・・家族が集まって過ごす真冬のリビングどに置かれる鉢花というところから、人の縁や絆が深まるというイメージ。

赤のシクラメン「嫉妬」・・・反り返って咲く花びらを、嫉妬の炎に見立てたもの。

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2016年2月 7日 (日)

全国・東京・大阪・名古屋の名字上位20

 コーヒーの焙煎店名古屋ビーンスへ行って面白い本を見つけた。東京・大阪・名古屋を比べた「ココが違う、東京・大阪・名古屋」(文芸社刊 1200円】という本である。サービスのコーヒーを飲みながらぱらぱらとブラウズした。

  その中に全国、東京都、大阪付、愛知県に多い名字を20位まで載せたページがあった。全国では「佐藤」が多いが、東京と愛知では鈴木が一番になっていた。愛知では加藤。伊藤・近藤などが多いのは実感していた。佐藤は7番目である。

  鈴木姓は和歌山県の田辺辺りが発祥だと聞いたことがあるが、愛知に多いのはなぜだろう。鈴木は大阪では20位であるのも面白い。

  神谷、太田は愛知県で20位までに入っているが東京や大阪には見ない。柴田・榊原も愛知だけである。

  私の知り合いにもこれらの名字の人がいる。やはり結構多い姓のようだ。

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2016年2月 6日 (土)

野田聖子氏の指摘

 アベノミクス3本の矢について、初めのものと今のものとはつくられる過程が違っていると指摘している。

  インタビューアーの質問は、

  「アベノミクス第二ステージの新三本の矢では、希望出生率1.8の実現、待機児童ゼロ、幼児教育無償化などを目指す『夢を紡ぐ子育て支援』や、介護離職ゼロなどを目指す『安心につながる社会保障』が挙げられています。しかし、今後どのように進めて行くのかが、漠然としている印象はあります。」であった。それに答えて野田氏は次のように述べている。

  「最初の三本の矢と今の三本の矢は、見かけこそ似てはいますが、過程は全く違います。最初の三本の矢は、自民党が野党時代から練りに練って考えてきた政策です。各部会の政調のエキスパートが外部の有識者や有権者から集めたたくさんの意見やアイデアを収斂させ、総務会が決定し、国民に提示したものだから、厚みがある。

  それに対し、今の三本の矢は、党内も役所も事前に何も知らされず、突然発表されました。いみじくも一億総活躍の担当大臣が、『中身は今からつくります』と言った言葉に象徴されるように、看板をかけただけ。ですから、厚みは全く違うのです。」

  今の3本の矢については党内も役所も全く知らなかったという驚くべき発言である。だいたい「中身は今から作ります」ということ自体あまりにも無責任であった。

  「(知っていたのは)ほんの一部だったと思います。総務会長でさえ知らなかったようです。『希望出生率1.8』についても、本来立案の核となるべき厚労省が、発表されてから初めて知ったと聞きましたから。」

  知っていたのは安倍首相や菅官房長官や麻生財務相などだけであったのだろう。担当の省庁も知らない目標を掲げ、後から中身を作って行くということであったのだ。

  政権を奪還して安倍首相に異を唱える者がいなくなった自民党内は一部の人の思うままに動いていることを伺わせる発言である。

  政府は緊急対策として、保育所や介護施設を拡充しようとしていることについて、女性の雇用・労働環境が整備されていないなかで「施設」を増やすというハードなことばかりが優先されるのをどう思うか。保育や介護の仕事に携わる女性たちの賃金を上げる、一方でそうしたサービスを求める女性たちがそれを受けられるよう生活支援をする、といったソフト面の対策が、まずは重要ではないかという質問に対し次のように答えた。

 「その通りです。介護や保育の従事者はほとんどが女性です。しかし、本当は働きたいけれども、給料が低く生活ができないので辞めてしまうという方も多い。ですから、働き手がいないわけではないのです。こうした労働環境を整備し、女性の就労意欲を上げることがまずは大事なのです。

 しかし、安倍内閣の『一億総活躍』はきちんと現状を認識できていないのではないかと思います。子どもの世話をしてくれる保育士や、認知症などにより、実の子どもですら面倒を見切れなくなった親のお世話をしてくれる介護士の仕事が、どれほど大変なのか。政策を考えている人たちがそれをきちんと把握できていない。いわば現場感がないのです。それが政策にも表れている気がします。」

 野田氏が認識しているように大変な労働内容に見合わない非常に低い介護関係の給料、そのために資格者がたくさんいても就職をためらい、離職者が多い現実。介護福祉関係の学校への志望者数が減少しているのもそうした労働条件を嫌ってのことである。

 これに対して政策を考えている人たちの現場感がないと指摘しているが、それを象徴する出来事があった。先の参議院予算委員会での安倍首相の答弁である。パート女性の収入について聞かれた首相は、「25万円ぐらいはある」と答えてひんしゅくをかったのだ。

 年収1億8000万円の首相にはパート女性の月収など想像もできないようだ。そういう首相が率いる政権がいくら口先ではいいことを言っても中身は伴わなうはずがないのだ。

 安保法制に賛成したのは絶対にいただけないが、昨日、今日と2回にわたり紹介した野田聖子氏の指摘はまともである。自民党内にこういう人物が増えることを願っている。

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2016年2月 5日 (金)

野田聖子氏がいいことを言っている!

 自民党元総務会長の野田聖子氏がDIAMOND ONLINE いいことを言っている。「一億総活躍社会」についてどう思うかと聞かれて、次のように答えている。

 「安倍総理は、国政に携わる者として当たり前のことをおっしゃっているに過ぎない、という印象です。なぜなら国会議員の仕事は、国民全てが活躍できる社会をつくることだからです。『一億総活躍』という看板のインパクトで、『相当すごいことをやるのではないか』と思った国民もいるかもしれませんが、我々国会議員にとっては当たり前の義務なのです。」

 野田氏の指摘はその通りだと思う。国政に携わる者は当然その気概でやらなければならないのだ。それがこれまで大企業とか富裕層優先の政治が行われてきたのだ。その結果どうなったかについてについて野田氏の見方は次のようである。

 「しかし、『一億総活躍』という言葉がクローズアップされたことによって、できることとできないことがよく見えてきました。アベノミクスが始まった当初、国会議員、経済人、学者の多くが、金融政策などによって優良企業の利益が大きく増えれば、良い影響が川下にも波及するというトリクルダウン理論を唱えていましたが、3年経った今、期待していたようなことは起きていません。」

 野田氏がトリクルダウンは起きていないとはっきり言っていることは注目に値する。これが安倍政権を支える自民党員のいうことだろうかと目をこすったくらいだ。さらに野田氏は次のように指摘している。

 「むしろ、アベノミクスによって、女性、高齢者、そして地方に住む方々の生活が苦しくなりました。大企業は円安などで自分たちに利益が生まれても内部留保に走るためトリクルダウンが起きず、低所得者層にまで恩恵が及ばない。先進国ではあり得ないほどの逆転現象が起きています。政府が「大きな人たち」を支えても日本は良くならないということが、分かってしまったわけです。」

 おいおい野田さん、貴女はいつから浜矩子になったんだい?と突っ込みたくなる。私が指摘してきたように「内部留保」を増やしただけで、低所得者層には滴り落ちていないのを認めているのだ。先進国ではありえないと言い、大企業を支えても日本はよくならないことがみんなに分かってしまったという。ここでのみんなは自民党・公明党の議員や支持者以外というべきであろう。

 「最近では、トリクルダウンを唱えていた竹中平蔵さん(元経済財政政策担当大臣、元金融担当大臣)までもが、『トリクルダウンなんて起きない』とメディアで発言されています。こうなると国民は、『アベノミクスが全てではない』という現状認識を持つことが大切です。アベノミクスには経済的にプラス効果もありましたが、マイナスの部分もあった。第二ステージの最優先課題は、そのマイナスとプラスを相殺して、何とかイーブンまで持って行くことに他なりません。そのような状況の中で出された『一億総活躍』というキャッチフレーズに、私は疑問を抱いています。」

 竹中平蔵教授までトリクルダウンはなかったと言っているというのは初めて聞いたが、小泉内閣の経済政策を実行してきて、アベノミクスを支持してきたあの竹中教授が?と意外であった。

 アベノミクスは破綻したことは明白である。その破綻から目をそらそうと新アベノミクスを打ち出したのだがそれもあやふやである。

 それにしても野田聖子氏がここまでいうとはおどろきであった。

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2016年2月 4日 (木)

メーテレドラマ「名古屋行最終列車」のくだらなさに驚く

 メーテレで2月1日から4日まで、深夜0時過ぎに放送されている30分ドラマがある。名鉄電車の最終列車を舞台にして起こるドラマで、名鉄電車の全面的協力のもとで作られたという宣伝につられて録画をして見た。

 最初1月30日の土曜日に放送と書いてあったので、それを録画して見たのだが、どうやら前回の再放送らしかった。

 大阪の人の息子と名古屋の人の娘が、親の反対を押し切って岐阜市で結婚式を挙げる。その結婚式に出るために、双方の両親が待ち合わせをして、名鉄電車で岐阜へ向かうのだが、間違えて逆方向に乗ってしまう。

 気がついて乗り換えをしたが、また間違えてセントレアに行ってしまう。双方の父親は頑固者で相手が悪いと言い、互いに自分の非を認めようとしない。険悪な状態になるのだ。

 セントレアの風呂に入った二人はそこでまた出食わし、話していて自分が悪かったと謝る。次の日子どもたちに会いに行くと、実は結婚式は今日だという。頑固な親たちに式に出てもらうために、みんなで仕組んだというどでん返しであった。

 ドタバタのナンセンス喜劇で、何とも詰まらないストーリーあったが、2月1日からのはどうなのだろうと、試しに録画した。

 観てみたが案の定のドタバタナンセンス劇であった。セントレア空港に着いた客が名鉄電車に乗るのだが、なぜかある車両の客たちのスーツケースがみな一人でに動きだしてしまう。そして一カ所に集まってしまう。

 その中に同じ色形のスーツケースがあった為に、取り違えが起きて、互いに自分のを取り戻そうと探すのだ。その過程でまた取り違えが起きるというストーリーである。

 名鉄特急の中で、客のスーツケース全部が動いて、前方に集まるということは絶対に起こりえないことである。動かないように気を付けるし、動いてもすぐに手で止めるなどするはずだ。

 またスーツケースには、自分のだと分かるように目印を付けるのが常識であり、誰でもそうやっている。取り違えは起きないはずである。

 たまたま2つのドラマを観たのだが、どうしてこんなくだらない、幼稚な発想のドラマを作るのかと不思議であった。深夜0時以後の放送とはいえ、単なる穴埋めの時間つなぎのドラマにしても、余りにも酷い筋書と作りであった。

 テレビドラマが以前のような人気がなくなったと言われるが、よいドラマを書く脚本家がいなくなったのか、テレビ局が安易にドラマを作っているからなのか。

 私が見ているのは、NHKの朝の連続小説とNHKの日曜夜の大河ドラマだけである。たまたま地元の題材だというので観て、損をした気分であった。

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2016年2月 3日 (水)

自民党が頼りにする公明党の組織力

 自民党は先の衆議院議員選挙で多数の議席を獲得したのに相変わらず公明党と連立を組むのはなぜかと思っていた。公明党の母体である創価学会の組織力が頼りになるからなのだ。

 選挙になると創価学会員は戸別訪問をして候補者への支持を訴えて回る。私の所にも何人かやってくる。その熱心さは半端ではない。公明党がいつも手堅い得票で一定の当選者を確保しているのはその組織力がすごいからである。

 先日の沖縄県宜野湾市の市長選挙で自民党と公明党が推す現職の市長が当選をした。対立候補の民主党・共産党・社会大衆党・生活の党などが推す候補は破れてしまった。

 自民党が徹底して辺野古基地問題を避けたのが勝因だという見方がもっぱらである。しかし、別の見方をする人がいた。

 沖縄県の住人のIさんという人の見方は違っていた。

宜野湾市長選の敗北の原因は、軽減税率です。谷垣が絶対に公明党の軽減税率は譲れないということを、ギリギリまで頑張っているフリをして、最後は、安倍の一声で、公明党の最大の要求を受けるという演出をしました。これはすべて、創価学会公明党員むけのポーズでした。

 この瞬間、ぼくは 宜野湾市長選での敗北を予想しました。案の定、その翌日、公明党は佐喜眞候補の推薦を決定したというニュースがながれました。これでオシマイと、内心、思いました。」と述べている。

 どうしてか?公明党が自主投票にした選挙では、名護市長選、沖縄県知事選すべて勝利したが、自民党と共に公明党が推薦をした石垣、宮古、那覇市ではみな自公側が勝っているというのだ。

 公明党が自主投票にすると創価学会員は自分の考えで投票に行くようだが、推薦をすると組織の判断を優先するということなのだ。ここに宗教の怖さをみることができる。

 安保法制審議の時には創価学会の中からも安保反対、戦争法案反対の行動をする勇気がある人々が現れたが、残念ながら宜野湾市長選挙では辺野古基地より自民党の掲げたエサの方に目がくらんでしまった学会員が多かったのだ。

 自民党は公明党と連立を組んで10年以上になる。公明党は下駄の雪と揶揄されながら政権の中にいるメリットからへばりついている。かつての平和の党の看板を投げ捨てて平然と戦争参加への道を開く加担をし、沖縄基地の存続に手を貸しているのだ。

 宗教を信じるのは自由だが政治の判断は自主的にやってもらいたいものである。少なくとも基地問題、戦争と平和、原発問題は正しい判断をして欲しいものだ。

 

 

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2016年2月 2日 (火)

「糖質制限の真実」という本から

 1月26日の朝日新聞朝刊に「糖質制限の真実」山田悟著(幻冬舎新書)という本の広告が載っていた。書名に惹かれて本屋に行った。ページをめくって内容を確かめ買ってもよさそうだと判断して買った。

  「いつものパンがあなたを殺す」という本を新聞広告で見つけて買って読んだのが「糖質制限」と「糖尿病」などとの関係を知った最初であった。アメリカ人医師が書いたので分厚い本であったが読んだ後blogで紹介をした。

 この本を読んで炭水化物を摂らなければ糖尿病は治せると思った。さらに確かめるために「炭水化物が人類を滅ぼす」という日本人医師が書いた本を読んだ。

  さらに「インシュリンもいらないすごい糖尿病治療」「ココナツオイルが糖尿病に効く」という本も買って読んだ。

  糖尿病のSさんにやり方を説明し、実行してもらったらなんと1か月でよくなった。以上のことについてはこのblogで書いてきた。

  今回屋上屋を重ねるように「糖質制限の真実」という本を買ったのはこれまでの本とどう違うかを知りたかったからだ。

  結論からいうと、一番厳しいのは「いつものパン・・・」で、次が「炭水化物が・・・」で、今度買った本は一番ゆるいやり方である。

  それは「ロカボ」という耳慣れない言葉に表されている。「ロカボ」は山田医師たちの造語である。「低糖質」を英訳した「ローカーボハイドレート」を縮めたものである。この語に2つの意味を込めているそうだ。一つは普通の「糖質制限」で、もう一つは”緩やかな”糖質制限である。(P.116)

  糖質を1食20g~40g、それとは別に間食で1日10g。糖質摂取量を1日トータルで70g~130gまでにしようというものである。

  日本人は平均的に1食で90g~100g、1日で270g~300g食べているそうで、それを半分程度に抑えようというのだ。

  炭水化物はダメということになると、ご飯、パン、麺、芋、菓子などすべてダメになる。そうではなくて量を少しにして何でも食べられるようにし、しかも「糖質制限」の効果が出るようにするというものである。

  アメリカの糖尿病学会のガイドラインは、最近では2006年、2008年、2013年に改訂されているという。2006年版までは糖質制限をやってはいけないとされていたのが、2008年版では肥満治療の選択肢の一つだと変わり、2013年版では糖質制限が糖尿病治療の第Ⅰ選択肢の一つだとされたのである。

  ロカボの食事は主食の量を減らすことである。ご飯は70gほどにするというのだ。ご飯茶碗半分ぐらいなのだが茶碗の大きさによって変わってくるので、実際に計ることを勧めている。私も計ったみたがほんの僅かである。パンは6枚きり食パン1枚、うどんは半玉までだそうだ。

  おかずはいくら食べてもよいが、お勧めは肉、魚、豆腐などの大豆食品、野菜、ナッツなどである。気をつけるのは芋類、カボチャ、豆類で糖質(デンプン)を多く含むからだ。

  また果物も果糖が多いので気を付ける必要があるそうだ。

 最近ベジタブルファーストということが言われ、アメリカでも広まっているが、山田医師はご飯を最後にして少し食べればよいという考え方である。

 「糖質」とは「炭水化物」から「食物繊維」を省いた部分、つまり糖類,3糖類以上の多糖類、糖アルコールその他だとだと説明している。

 炭水化物であるデンプンは糖に変わるのだがそれについての説明はどこにもないのが不思議である。「いつものパン・・・」ではその辺が詳しく説明されているのだが。

 私の理解ではこれまでの上記の本の考え方からするとかなり緩いようにみえるが、ご飯、パン、麺類、芋、果物などを相当制限していること、脂肪については有用としていること、カロリー制限は効果なしとしていることなどからこの方式でもよいのではないかと感じている。

 

 

 

 

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2016年2月 1日 (月)

iphoneのバッテリー充電について

 iphoneのバッテリーを長持ちさせる方法について調べたらあるサイトを見つけた。そこにはバッテリーの充電の仕方について詳しく書いてあった。

  先日も書いたと思うのだが、ソフトバンクのiphoneのページの説明によると、バッテリーは400回フル充電すると能力が80%に落ちると書いてあった。しかし、それ以上のことは何も分からなかった。APPLEのサポートに問い合わせてみたがそれについては知らないということであった。

  400回フル充電すると能力が落ちることについて、そのサイトでは詳しく説明がしてあった。

  iPhoneのバッテリーは、充電回数400回を過ぎると、電池容量いっぱいに充電しようとしても、バッテリーが弱っていると認識されて、新品時の80%程度の容量までしか充電しないよう、バッテリー側の制御コンピュータで抑制されるというのだ。この方法は、Apple MacBook に掲載されている方法です。
 Apple が推奨している再調整の方法は、1度100%まで充電されても、トリクル充電を続けて、2時間以上そのまま充電。
 充電を止めたら、バッテリ0%まで使い切る。残量不足で自動的にスリープするまで使い続けて、自動スリープしたら、電池0%のまま、5時間以上放置。
 こうする事で、電池の制御コンピュータが、バッテリが100%充電された時の状態と、ほぼ0%まで使い切った状態を新しく記憶して、充電時間の制御とバッテリー性能を再認識する可能性が有るとの事です。

  その400回をどのようにカウントするのかについて、次のように書いている。この400回の数え方は、0割 → 10割 の充電が400回と言う計算になるようです。
 月曜日に40%→100%に充電すると6割分、火曜日に60%→100%だと4割分でして、これでちょうど10割 = 1回分 と言う計算になるようだと推定している。

  そうだとすると、使い切って100%まで充電するのはよくないということになる。私はこれまで40%とかある程度減ったと感じたら100%になるまで充電するようにしていた。一般に夜寝る前にコンセントにつないで朝までそのままにしておき、100%でその日を始めるというやり方が多いと思うのだが、このサイトの説明では、100%になったらすぐやめることが大事だと言っている。

   iPhoneの電池80%までは急速充電する。私の経験でもその通りで、80%を過ぎると充電に時間がかかるようになり、97%あたりからはさらに時間がかかる。
 80%後は100%まで通常充電となり、100%の満充電以降は、微弱な電流を継続的に与えるトリクル充電に移るという。
 これらは電池に搭載されている制御コンピュータで制御されているのだそうだ。iPhoneが制御している訳ではないという。
 バッテリーを100%まで充電させても、充電しているかぎり、それ以降も微力ながら充電がずっと続くのだ。私はiphoneに詳しいKさんに、100%になってもしばらく充電する方がよいと聞いて、そのようにしてきたが、このサイトの説明では、このずっとトリクル充電している状態も、バッテリーの寿命には悪いと言っている。100%になったらすぐに充電をやめよというのだ。

  完全放電もフル充電もよくないという。80%~90%で止めるのがベストだという。100%になってもコンセントにつないでおくのはよくないというから、寝ている間充電は悪い充電法である。

 また、iphoneを使いながら充電するのもよくないとそうだ。

 新品を買ったときは、バッテリーを使い切ってフル充電をするとよいそうだが、これまでauでもソフトバンクでもそういう説明はなかった。

 最近電池の持ちが悪くなったと感じたら次の方法を試すとよいといっている。この方法は、Apple MacBook に掲載されている方法でそうだ。
 Apple が推奨している再調整の方法は、1度100%まで充電されても、トリクル充電を続けて、2時間以上そのまま充電。
 充電を止めたら、バッテリ0%まで使い切る。残量不足で自動的にスリープするまで使い続けて、自動スリープしたら、電池0%のまま、5時間以上放置。
 こうする事で、電池の制御コンピュータが、バッテリが100%充電された時の状態と、ほぼ0%まで使い切った状態を新しく記憶して、充電時間の制御とバッテリー性能を再認識する可能性が有るとの事。

※このサイトのURL:http://www.vpsset.net/denchi-2/

 

 

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