タラの木情熱を燃やす河村さんのブログから―②―
医師に宣告を受け、生きる希望を無くした人たちに、姑の生き抜いた道をお手本にして頂きたく、ありのままの、そしてせめてあきらめる事無く、つまらぬ落ち込みをさけ、回復して欲しいと願って報告します。
男尊女卑の最たる農家で暮らす姑が、胃痛で苦しみ、置き薬をひんぱんに服用していたのが、昭和42年頃の四月との事です。それから七か月後の十一月になり、やっと医者に行かせてもらったのです。レントゲンのない村医者は、すぐ岐阜の大学病院に行くように勧めました。
大学病院では驚き、その日に家に帰され、最後を大切にとの事でした。そして一か月後の十二月三十日に、八人の息子、娘全員に「おばあが永ないで正月にでものぞいてくれや」とはなしました。
一月四日、名古屋に連れて来て、手術がして貰える医師をさがしましたが「こんなにひどい人は珍しい」と言われました。「死ぬまで働いた人と言われたい」 と言う姑に、せめて最後は大切に、そして幸せな日々にして上げたいと私の手で看取ることにしました。
宝の毎日と考え、泣いたり笑ったりの楽しい日々にと全力を尽くしていました。そんなとき、舅が西田原小学校の校長先生から「とげのある タラの木が 癌にきくらしい」と聞いてきました。何でも良いと言われることはしたいと考え、タラの木を切り、煎じて朝、昼、晩と湯呑に一杯ずつ飲ませました。
食欲はなく、流動食に近いものをたべていましたが、美味しい物に全力をつくしました。栄養剤も取り入れました。わずかな命と聞いていましたが、何と九月迄生きていました。苦しみ出す姑のお腹をさするとこぶしほどの塊が隆起していました。何とケイレンを起こしてくるたびに隆起している位置がかわっていたのです。
ひどいケイレンに苦しむ姑に一緒に泣きました。そして痛み止めに全力をする事とし、薬局からいくらだめな人でも、三倍も四倍も飲ませてはいけないと言われましたが、痛みを和らげる事に必死でした。
そんな時、田舎から、秋が始まり「忙しくてかなわん。おばあを返してくれ」と、長男兄から電話があり、怒った私は怒鳴り返しましたが、姑は「家に帰ったとき 悲しい思いをするから、はってでもお勝手、洗濯くらいはしてやらないと」 と言い、田舎へ帰ったのです。
仕方なく栄養剤と痛みどめを運びました。それから半年近く過ぎ、もはや歩くことも心配なほどになり、痛々しく、何とか楽な最後を迎えさせて上げたいと名医の堀田先生に相談にいきました。 もう充分に苦しみました 何とか楽な最後を迎えさせて上げたいと訴えました。その頃は一日かけて牛乳が湯呑に軽く一杯とさかずきに一杯のお酒とタラの木の煎じ茶だけでした。
やせ衰え痛々しい姑に涙する日々でした。先生は一旦手術をした人は楽なようですと言われたので、その場で手術を頼みました。田舎まで見に行って下さり、手でお腹を抑え「内臓は一つの団子になっている。これはひどい」と絶句されました。
岐阜医大で「わずかな命、大切に看取ってあげてください」と言われてから何と一年と三か月もたっていました。手術と言っても内臓はすべてそのままにして、胃の上部の管に下部の腸をつなぐとのことでした。
手術の部屋の隣に小さい部屋があり、手前に足がきていて、手術のすべてがドアの透明の窓から見えるように成っていました。私はケイレンを起こしたときにあちこちに隆起したかたまりはどこにあるかと必死で見ていました。
何と内臓のすべては、白い網状の線の袋にすべて包まれ、その上には大小の血豆をぱっと散らしたほど多くありました。9人の医師は血豆を持ち上げる人、それを切り取る人、白い繊維のような袋になっている線の切とりと、延々と続きました。
しかし、そこに思わぬ奇跡が起こっていたのです。手術後の院長先生は、何と不思議な事に、一つにくっついていた内臓が不思議にも簡単にはがれ、胃の全摘出はもちろん、悪い所がすべて上手くいき、大成功の手術だったとの事でした。
あの体で家に来てから、一年半も医者にも行かず、生き続けられた事が何としても不思議だったのです。私にはタラの木のおかげとしか思えませんでした。
岐阜医大の医師から、あのおばあさんが生きていて、そして手術をした医者がいたと驚き、是非取り出した臓器を見せて欲しいと依頼があり、私は先生に伝えました。
手術の後、例の如く「田植が始まるで、おばあを返してくれ」と兄から電話があり、その後兄は一度も医者に連れていきませんでした。42年にすでに置き薬を頻繁に飲むようになり、43年の1年間私の看病が続きました。44年4月12日に手術をし、5月の中旬に私の家に退院してきました。すぐ田植えが始まる時期になったので、田舎から帰れと言われ田舎へ帰りました。そして7月に御嶽山の頂上に登りました。驚いたことにそれ以後そのまま13年も生き、老衰で逝きました。
不思議でした。岐阜医大でわずかな命と言われた姑が、なぜ一年半も生き続けれたのか、どうしても不思議なのです。今でも私は、タラの木茶を飲み続けたからとしか思えないのです。
―つづく―
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