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2015年10月 8日 (木)

大村智氏のノーベル医学生理学賞受賞

 ネットニュースで日本人のノーベル賞受賞があるかどうかが話題になっていた。そこへ夕方テレビを見ていたらテロップが流れて大村氏の医学生理学賞受賞が知らされた。

 新聞等では予想されていなかったので大村氏のことは全く知らなかったが、ノーベル賞受賞者の山中教授も1年前まで知らなかったと話していたので、門外漢の私が知らなかったのは不思議ではない。

 翌日の朝日新聞を読んで、大村氏の経歴が変わっていることを知り感銘を受けた。5人兄弟の農家の長男として生まれ、子どもの頃は家畜の世話などの手伝いが忙しかったという。

 1935年の生まれだから日中戦争、太平洋戦争、そして戦後と続く時代を幼少の頃過ごしたわけだが、あの時代手伝いや兄弟の世話などで忙しかったのは同世代として想像がつく。

 弟の泰三さんの話として、大村氏が勉強している姿は見たことがないといい、高校生のころも、机はほこりをかぶっていたという。

 韮崎高校ではスキー部と卓球部の主将として運動に明け暮れたというが、運動能力があったということで運動神経が人並み以下の私は羨ましい。その後猛勉強をして山梨大学に入ったそうだが集中力があったのであろう。

 私がすごいなあと思ったのは、就職したのが東京の墨田定時制高校で、そのとき生徒たちが日中労働をしたあと勉強に来る姿を見て刺激を受け、自分ももっと勉強をしようと東京理科大学の大学院で化学を学び直したことだ。

 生徒の姿に胸を打たれて改めて勉学の道に進み、それが今日につながることになったというのだ。

 お祖母さんからいつも「人のためになることをしろ」と教えられ、それをいつも胸に刻んで人のためになるかどうかを判断の基準としてきたいうのもいい話である。

 特許で稼いだ金200億円は北里大学のものとしたそうだが、自分にも余分の金が入ったのか、美術品の収集をし、故郷の韮崎に温泉付きの美術館を建てて寄贈したというのもいい話である。

 何と言っても素晴らしいのは、年間、2000株、4000株と朝早くから土壌の中の菌を分離していくという地道で辛抱強い研究の中から、「エバーメクチン」と名付ける物質持つ菌を見つけた。

 上村大輔神奈川大教授がコメントで、「砂山の中から砂金を見つけるようなもの」と言っていたが、大村氏が「失敗してもいいからやってみようという気持ちを絶えずおこさなきゃならない。成功した人は、人より倍も、3倍も失敗している。だから1,2回失敗しても、道ってことないよと言いたい」と言っておられたのが印象的であった。

 この菌をのちに改良して「イベルメクチン」という家畜用抗寄生虫薬として売り出され、多くの動物の線虫が原因となる病気をなくした。

 それを人用のイベルメクチンとして開発し、アフリカや中南米で広がる「河川盲目症」というフィラリア線虫による病気の特効薬にしたのだ。このクスリのお蔭で何千万人の人が助かっているというのだから、まさに「人のためになっている」素晴らしい業績だ。

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コメント

 アフリカなどの途上国の深刻な病気を救ったというのは本当にすごいことだと思いました。平和賞でもよいという益川さんのコメントにうなづけます。

不覚にも私は今回のノーベル賞受賞で大村智氏と彼の素晴らしい業績のことを知りました。このところ日本人の受賞が多くなりましたが、彼の受賞に最も感銘を受けました。彼が多くのアフリカの子供たちと写っている写真がすべてを物語っているように思えます。あいつだけにはノーベル賞を与えてほしくなかったと週刊誌に書かれた某氏もいましたが、彼の場合は、もっと早く受賞してもよかったのにと思えてなりません。日本人も含めアジア人がノーベル賞を受賞するにはより高い業績をあげないと認められないと思うのは考えすぎでしょうか。

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