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2015年9月27日 (日)

友人の死に思う

 先日夜電話があり、出てみると友人の長男からで、友人が亡くなったという知らせであった。葬儀に参列して友人の冥福を祈った。

 式場には小学校の同窓会を取り仕切った写真が飾ってあった。同窓生に囲まれてその中心にいたが元気そうであった。でも、そのすぐ後に遠い東京の病院に入院し、まもなく亡くなったと知った。

 現役の頃は同じ研究会に属して、はるばる岐阜から名古屋まで来て参加していた。東京の全国研究集会にも一緒に行ったことがあった。

 退職後しばらくは年賀状の交換にとどまっていたが、私がblogを始めたのをきっかけに年にときどき会うようになった。

 私のblogで知った吉田文さんのオルガンコンサートにも一緒に行きファンとなった。他のコンサートにも行き、終わると話好きの彼と多岐に亘る話をしたものである。

 彼は原発問題、安保法制などにも強い関心を持ち、原発再稼働に反対し、安保法にも反対をしていた。私のblogにもそのスタンスで時折コメントを書いてくれた。

 彼が亡くなったのは安保法制が参議院で成立した3日後であったので、おそらくそのニュースを聞いて知っていたに違いないと思う。悔しい思いで亡くなったのではないかと想像する。

 彼が亡くなったのは69歳であったと葬儀の時知った。その時私はふと自分のことを思い出した。69歳と言えば私が大嫌いであったカラオケを始めた歳である。

 その後70歳の時には男声合唱団を仲間と作り、ついでに中川区にできた区政70周年記念の第九合唱団で第九も始めた。

 さらに退職後止めていたマジックも始めた。さらにblogもスタートして以来今日まで続いている。吉田文さんのオルガンコンサートに魅せられたのもその頃であった。

 今思えば69歳以後いろいろな新しいことを始めたのであった。そう思うと友人が69歳でこの世を去ったのは非常に残念である。もし生きていたらたくさんの新しい経験をできただろうと思うのだ。

 このところネットでは川島なお美さんの死が話題となっている。54歳の死は余りにも早すぎる。世の中にはモーツアルトのように30代で亡くなった天才もたくさんいるが。

 人が死ぬということは運命であって個人の力ではどうしようもないことである。その運命を受け入れるしか仕方がないのだ。

 釈迦は生老病死を「四苦」として最も耐え難いものとしたが、それをしっかりと見つめる(諦める)ことによって乗り越えることを説いた。諦めるとは実相を見極めることである。その結果到達する境地が「諦め」なのだ。

 私もこの先どれぐらい生きられるか、どのように死を迎えるのかは皆目分からない。それは誰にでも同じことである。だから今の刻を大事にして生きることが肝要であろうと思う。

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コメント

身の回りの整理はしなければならないと考えています。なかなか踏み切れないだけです。ミニマリストまではいかなくても持ち物の整理には手を付けないと・・・と思います。

昨日、私が定年後に知り合い兄事して止まないNさんより米寿の記念に認められた随想録が送られてきた。所謂、自分史である。普通この種の本は長々と自慢話が続き、正直辟易することが多いものだが、
彼の場合は全部で56ページ、一気に読むことができた。それによると、彼は奥さんを亡くされた後、70歳を過ぎてから1人で海外にでかけ、ロングステイをし、英語を学び、旺盛な探究心を発揮されておられた。80代半ばで残念ながら体調を壊されたが、回復したらやりたいことがあると未だ生きる意欲は衰えていないのである。ブログ子も70歳を過ぎてから多彩な活動をされているのは素晴らしいことです。不肖、私は今年70歳となり、そろそろ終活をと考えていたので、大いに刺激を受け、勇気づけられました。

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