NHKスペシャル「”終戦”知られざる7日間」を見て
16日に放映されたNHKスペシャル「”終戦”知られざる7日間」を録画して見た。私は戦争は8月15日の玉音放送で終わったと思っていた。8月15日を含むドラマでもみなその日を境に戦争が終わったことになっている。
しかし、NHKスペシャルを見て、実は軍の中では簡単に武器を投げ捨てたのではないことを初めて知った。
終戦の時日本全国には海軍や陸軍の基地があり、また海外では中国に軍隊が展開していた。他にも南方にも軍がいたし、満州や北方では8月9日に卑怯にも火事場泥棒のように参戦した旧ソ連軍と対峙する軍があった。実に800万人もの将兵が配置されていたという。その全体に対し即時停戦を命じることは非常に困難であったのだという。
前線からは徹底抗戦を要求する電報が次々にとどいたというのだ。
国内の各地63カ所に「震洋」という特攻隊の基地があった。ベニヤで作ったモーターボートに250kgの爆薬を積んで敵艦に体当たりをするのだ。25000隻ほど残っていたという。
特攻隊員は17歳という少年兵が中心であったことに驚いた。震洋隊員の中には徹底抗戦を叫ぶ者とか集団自決を唱える者などがいたという。
その動きを止めたのは一般大学出身の中隊長であったというのだ。この中では慶応大出身の渡辺國雄中尉が登場する。上官が徹底抗戦をせよと言うのに抵抗したのだ。
埼玉県上空では米軍のB32偵察機に対して攻撃をした飛行機もあった。
中国大陸では勝っている戦争をなぜ止めるのかと徹底抗戦を叫ぶ軍が多くあったそうだ。
玉音放送があったとはいえ、大本営から停戦の命令がないので戦闘を続けようとしたのだが、大本営が即時停戦を命じることができなかったのは、下部の軍隊の暴発を恐れたからだという。
米軍は日本の電信を全て傍受してその内容を知っていた。そして米軍に抵抗して攻撃をすすることを恐れていた。その場合は徹底的に叩きつぶすことに決めていたという。
米軍の進駐は26日と一方的に決められた。それで大本営が即時停戦を決めたのは19日で、22日を以て停戦をすることを命令したのであった。
7日間の間にさらに大規模な米軍の攻撃に晒される危険があったのだが、それが回避されたということである。
中国では支那派遣軍関係で翌年3月までに3280人の戦死者や6996人の戦病死者があったという。
せっかく終戦になりながらその後も戦って命を落とした人がいて、戦争は本当にむごいものだと改めて思った。
終戦後2日めか3日目ぐらいだった。日本の戦闘機が2.3機わが街の海岸の上空に飛来し飛び回ったことがあった。また、その頃川の岩に自爆した戦闘機もあったのを覚えている。折角終戦になったのに可哀そうなことであった。敗戦を受け入れられない軍人もいたということだろう。
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戦争を終わらせるのは玉音放送でも無理だったと知りました。安倍政権はどんなことがあっても自衛隊を戦争に参加させる気です。これからが正念場です。
投稿: らら | 2015年8月19日 (水) 17時18分
今日のニュースで中谷元・防衛相が国会の法案審議も始まっていない5月15日に指示を出し,自衛隊の統合幕僚監部がこれを受けて自衛隊の詳細な部隊運用計画を記載した内部文書を作成していたことが明らかになりました。国会審議や国民世論を無視し、戦争法案成立ありきで暴走する安倍政権の責任は、いよいよ重大ですね。戦争はいつも軍部の暴走から始まることが多いですから、先制攻撃も可能だと言う法案はこれを後押しすることになりますね。戦争を始めてしまえば誰も止めることができないし、戦争を始めるのは簡単でも、終わらせることは何十年かかっても難しく、戦争が終わってからもたくさんの犠牲者が出ることが、この記事からよくわかります。
投稿: danny | 2015年8月19日 (水) 13時36分