子どもが大好きなドッジボールは危険か?
Yahooニュースを見ていたら、「ドッジボール、怪我の実績から考える」という記事があった。それによると、勝部元気氏がドッジボール批判をし大反響をよんでいるそうだ。同氏は「ドッジボール、学校での強制参加を禁止するべきでは?」とblogに書いている。
次に、一部引用する。
「まず、ドッジボールは、運動エネルギーを相手の身体にぶつけることが許容されており、その意味では、ボクシング・柔道・剣道などの格闘技に近い要素がある競技です。それにより、以下3つのことが起こります。
(1)運動能力の差による影響が大きい→弱い側に恐怖心や心的外傷が生じやすい
「運動エネルギーを相手の体にぶつける競技」では、運動能力や体格の差による影響がモロに出てしまいます。それゆえ運動が苦手な人は恐怖心に苛まされやすいなど、子供の心に大きな傷を与える可能性が他の球技に比べて高いと考えられます。
(2)構造上、悪意のある生徒に悪用されると、被害者の心的外傷を増幅させやすい
子供の人格形成に歪みを与えてしまう可能性があるということは疑いも無い事実です。
にもかかわらず、スポーツマンシップの欠如した人が加害意思を持ってボールをぶつけることに対して「警告・退場・参加禁止」などの制裁を加えられることはありません(※あくまで学校の現場で)。そもそも教師が悪意を見抜くのもかなり難しいと言えるでしょう。アメリカではドッジボールはキラーボールやマーダーボールと呼ばれたこともあって、禁止されている地域も出てきているとのこと。(※これはあくまで他国の事例であり、私の見解ではございません)
(3)感受性の問題で受け入れることができない人が一定程度いる
とりわけ女性に多いですが、相手の体にボールをぶつけるという行為自体に嫌悪感を持つ人も少なくありません。ボールをぶつけるということを野蛮だと感じる人は一定程度いるわけです。」
私は定年退職まで小学校で教員をしてきたが、その間一度もドッジボールで事故や問題を起こしたのを見聞きしなかった。
子どもたちはドッジボールが大好きで、体育の時間だけでなく、休み時間もドッジボールをしていた。各学級にはドッジボール用のボールが用意されていた。
体育の時間は病気でなければ全員参加であったのはもちろんである。体育の時間でなくても学級活動の一環として子どもの要望に応えてドッジボールをすることはよくあった。また、学年で学級対抗ドッジボール大会をすることもあった。
硬いボールを力いっぱい投げるから危険だと言っているが、ソフトなボールもあった。
ドッジボールというのは、もともとアメリカから来たもので、ドッジとは「避ける」という意味である。だからボールに当たらないように上手に逃げるのが本来のゲームなのだ。最後に何人コート内に残ったかを争うゲームである。だからボールを受けるのが苦手な子はいつも逃げ回っていた。 上手な子が前面に出て相手のボールを受け止めていた。
勝部氏は悪意を持った子が意図的にいじめる機会になると言っているが、そんな場面は一度も見なかった。教師は悪意を見抜くことが難しいと言っているが、日ごろ学級を把握して指導しているからそんなことはない。
弱い子はトラウマになるというがそれも一度も見なかった。体にぶつけることを野蛮だとも言っているがそんなことを言い出したらきりがない。
私が退職した前後から、徒競走で全員が横並びにゴールするというやりかたが、全国的にみられるようになったが、民主主義のはき違えだと思っていた。競争はいけない。負けた子が可哀そうだといのであった。
勝部氏は技術的に同じレベルの者同士でグループを作ることを提案しているが、もともとは子どもの遊びなのだ。しかも子どもたちはドッジボールが大好きなのだ。勝部氏の意見はクラスを均一にして、できる子クラス、できない子クラスで教えよというのと同じである。
私が教えたクラスには障害を持った子どもがいたこともあるが、いろいろな子がいて助け合って学校生活を送ることが大事なのだ。均質にしてしまえば効率は良いかもしれないが、なくすものも多い。
ただ、中学校や高校のことは分からないし、今の小学校の事情も知らないので、勝部氏が心配するようにドッジボールが危険なスポーツに変化しているのかもしれない。そうだとすると非常の残念なことである。
« 安全保障関連法案が憲法違反は常識 | トップページ | タマネギの効用 »
「教育・生涯学習」カテゴリの記事
- 日本の大学の世界ランキングが低迷(2023.04.07)
- 教員になり手がなくなっているという(2023.01.22)
- 教員の多忙さの生々しい現状(2022.05.08)
- 朝日新聞連載「いま先生は」に期待すること(2021.12.03)
- IT時代で手狭になった教室(2021.07.19)
コメント