「いつだって猫展」を見てきた
名古屋市博物館で6月7日まで開催されている「猫展」のチケットをMさんからもらってあった。5月の日曜日に出かけたら、ものすごい人だったので日を改めて出かけることにした。ところがうっかりして猫展のことをすっかり忘れていた。年を取ると困ったものである。
昨日突然思い出して、メモ黒板に「ネコ展」と記しておいた。木曜日は良い天気であったので出かけた。
猫展の入り口には人がいなかったのでよかったと思って中に入ったら、展示物の前に人が並んでいて動かなかった。どうして動かなかったのか・・・多分観客が多いことと説明を読む人が多いからだろうと思った。
しばらく待つと少しずつ動いてやっと最初の展示まで来た。列がなかなか動かないから説明を読んで展示物を見た。
最初はネズミと猫の戦いを擬人化して描いたもので、ネズミが知恵を出して猫をやっつけるというのが面白かった。
分かったのは江戸時代の終わり近く(1820年前後)に歌川国貞や国芳などが猫を取り入れた浮世絵をたくさん描いたということだ。
美人画に猫が描かれたり、猫の化け物が歌舞伎の中に出てくるのを描いたものがたくさんあった。鍋島猫騒動は有名な話だがあれは創作であると知った。
また、歌舞伎俳優を猫の顔で描いた浮世絵もたくさんあった。現代の我々が見ても分からないが当時の人が見ればきっと分かったに違いない。
猫は弥生時代にすでに人に飼われていたようだ。奈良、平安時代になると貴族の愛玩動物になったそうだ。
江戸時代には庶民にも飼われ、江戸は日本で一番猫が多いところだったという。その理由はネズミが多かったからだそうだ。
猫を取り上げた今でいう漫画のようなものも展示されていた。「猫遊び」としてあったように思う。江戸時代後期には「猫ブーム」が起きたというのだ。その火付け役が国貞たち浮世絵作家であった。猫を擬人化して描くというのは、あの鳥獣戯画の手法である。面白い発想である。
これまで浮世絵というと美人画や風景画や人物画を見てきたが、猫という特定動物を取り上げたのを見たのは初めてであった。しかも猫をテーマとしてたくさんの浮世絵を集めて解説してあってとても興味深かった。
最後の方には「招き猫」など立体の猫が集めてあった。招き猫は昭和20年以後に広がったそうで、その起源は不明らしい。ただ江戸時代末に土で焼いた猫の土偶があり手を上げているのがあるので、江戸時代末頃にはあったのだろうか。
日本各地から集めた招き猫もよかった。我が家には右手を上げた招き猫が一つある。
歌川国芳「たとゑ尽の内」
歌川国芳「絵鏡台合かゝ身(猫)」
何をかたどっているか?
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以前、語学学校(英語)で猫派と犬派にわかれてディベートをしたことがあったが、犬派の圧勝であった。クールで犬ほど人に媚らない猫は分が悪いのである。それはさておき猫にまつわることわざ慣用句は猫が圧倒的に多い。しかもそのほとんどがネガティブな意味で猫には気の毒なほどである。ねこばば、ねこ背、ねこ舌、ねこ毛、ねこの額、ねこめし、ねこに小判、ねこ撫で声、ねこも杓子も、ねこかわいがり、猫またぎ等々、それでも猫が好きだという人は多い。
投稿: toshi | 2015年6月 6日 (土) 09時46分