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2015年5月 9日 (土)

改憲を止める国民的共同の提案―渡辺冶一一橋大学名誉教授―②

60年安保闘争の国民的共同から学ぶ

 まず何を学ぶかというと、一番大きく学ばなければいけないのは、安保条約改定反対闘争の国民的共同がなぜできたかということです。私は、その要因の一つとして、「平和と民主主義の結合」に注目しています。「平和」を求める声というのは、おそらく日本では国民の3分の1くらいの勢力が当時あったと思います。おおよそ社会党と共産党に投票する市民の数は、当時、常に投票者の約3分の1でした。この人達は、日本の憲法を守り、再び戦争する国になりたくないという思いを持った人達で、この人達が安保闘争の中心に座り、闘争の原動力となった。安保条約を改定することによって日本とアメリカが共同作戦を行い、それを実現するために改憲するという岸内閣のスケジュールに立ち塞がったのです。

 しかし、そうした人達だけでは、あれだけのたたかいは起こらなかったと思うのです。社会党と共産党が共同して国民会議をつくり、第7次統一行動までずっと盛り上がっていくわけですが、その時はだいたい7~8万人の部隊が国会を取り囲んでいった。ところがその60年安保の国会でのたたかいの追及の中で、批准ができないかもしれないという危機感に襲われた岸内閣が、1960年5月19日に警官隊を導入して強行採決します。

 これを契機に、平和を求める3分の1プラスアルファが生まれた。それは何かというと、「安保も自衛隊も認めるが、こんなやり方で国会をないがしろにし、民主主義を蹂躙するようなやり方は絶対に認めてはいけない」という人達です。こんな民主主義の蹂躙を許せば、戦前の日本に戻るということで、多くの保守的な人々や市民が立ち上がった。この2つ、「平和」と「民主主義」が合流して、数十万の部隊をつくり出した。平和の声だけでは数十万はいかなかった。そして最終的には50万人の部隊が国会を取り囲み、警官隊が動けなくなる状況をつくりました。それはやはり、保守の人々の中に「こういう民主主義の蹂躙はダメだ」という形で立ち上がった人達がいたし、安保に賛成するマスコミも含めて一時強行採決に反対したのも、そういう側面があったからだと思います。

あの石原慎太郎氏も安保反対デモに参加した

 その象徴は、石原慎太郎氏が「若い日本の会」で大江健三郎氏と一緒に5.19後にデモに参加したことです。石原慎太郎氏は、当時から安保には賛成でした。その彼が立ち上がったのは、「民主主義」問題だったのです。石原氏は、朝日新聞のインタビューに答えて、こう言いました。「私は集会とかデモに背を向ける人間だが、今度ばかりは超えさせられぬぎりぎりの一線を感じて立ちあがった」と。あのような人間が、その立場を保持しながら立ち上がったということは、当時の石原氏の背後にそういう多くの国民がいたということです。その人達が一緒に立ち上がることによって、第1回目の憲法改悪の波を防ぐことができたと私は思うのですね。

 今回も、特定秘密保護法の反対運動がなぜ盛り上がったかというと、平和を求める声や戦争する国に反対する声にプラスアルファして、民主主義を求め、こんなやり方では民主主義が破壊されてしまうという声が合流したから、あれだけの盛り上がりになったのでしょう。そういう国民的な共同、そして平和と民主主義の結合をどうやってつくり出していくのかということが、ものすごく重要な課題だと思うのです。

 それを学ばなければいけないのですが、60年安保をそっくりそのまま再現することはできません。1つは、運動の高揚をつくりだした一因である社共共闘、その蝶番になった総評が今はありません。当時の社会党は160議席ですが、これが存在しない。また、総評は今、連合ですから、これはなかなかそういう中心部にはなれない。労働戦線で、改憲を阻む中核部隊は全労連ですが、労働戦線全体の中では少数派です。こういう状態がある。

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