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2015年5月 7日 (木)

吉田松陰の「幽囚録」戦前の日本の大東亜共栄圏の予言があったとは

 高橋哲哉教授の資料に中には吉田松陰の「幽囚録」の一節もあった。私はそれを見るのは初めてであったが、非常に驚いた。それは戦前の日本が朝鮮半島や中国や東南アジアなどに軍隊を送って、影響力を広げていった原点を見るからである。

 「オーストラリアは日本の南にあって、海を隔ててはいるが、それほど遠くでもない。その緯度はちょうど地球の真ん中あたりになっている。だから草木は繁茂し、人民は富み栄え、諸外国が争ってこの地を得ようとするのも当然なのである。ところがイギリスが植民地として開墾しているのは、わずかその十分の一である。僕はいつも、日本がオーストラリアに植民地を設ければ、必ず大きな利益があることだと考えている。」

 松陰が海外の事情を勉強して、日本の海外進出の想を練っていたのはすごいと思うが、当時の考えからは、西洋諸国が植民地をつくっているのだから、日本も植民地をつくれば利益がはかりしれないという植民地主義の考えであることに注目したい。

 次に、「朝鮮と満州はお互いに陸続きで、日本の西北に位置している。またいずれも海を隔て、しかも近くにある。そして朝鮮などは古い昔、日本に臣属していたが、今やおごり貴ぶった所がでている。なぜそうなったのかを詳しく調べ、もとのように臣属するよう戻す必要があろう。」と述べている。

 ここには朝鮮は日本の属国であったのだから元に戻せと言っているのだが、そういう歴史的事実があったのかどうか。仮にあったとしても非常に傲慢な意見で、おごり高ぶったのは松陰であることが明白である。明治になっての征韓論とか朝鮮進出などをみると松陰だけでなく他の人たちにも同じような認識があったことが分かる。

 続いて「太陽は昇っていなければ傾き、月は満ちていなければ欠ける。国は盛んでいなければ衰える。だから立派に国を建てていく者は、現在の領土を保持していくばかりでなく、不足と思われるものは補っていかなければならない。」

 ここで言っていることは、領土の保全だけでなく、日本に足りない資源の確保のためにも外国へ行けと言っているのだ。

 「今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩主に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャッカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて、日本の諸藩主と同じように幕府に参観させるべきである。」

 富国強兵の考え方が顕著である。ただこの時点では明治政府のような新しい組織を作ることまではなかったことが分かる。琉球が日本に組み入れられるのは後のことである。

 「また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の気勢を示すべきである。その後に人民を愛し、兵士を育て、辺境の守備をおこたらなければ、立派に国は建っていくといえる。そうでなくて諸外国の争奪戦の真ん中に坐りこんで、足や手を動かさずにいるならば、必ずくには滅びてしまうだろう。」

 朝鮮を攻略することと満州を手に入れ、台湾を組み入れることはその後の日本がやったことである。それを松陰は提言していたのだ。明治以後の日本は松陰の考えた通りの戦略を取って、中国、東南アジア、ルソンはおろかインドネシアなど広範囲に軍靴で進出したのだ。あの大東亜共栄圏のようなものを脳裏に描いていたのであろうか。

 その点では松陰は先見の明があったと信奉者からは尊敬されるのであろう。しかし、視点を変えれば松陰は侵略主義に立っていたことが分かる。欧米が植民地を拡大しているのだから、日本も後れをとってはならないという考えである。それが間違っていることは今では明白である。

 安倍首相の「新富国強兵論」は尊敬するという松陰から学んだということか。

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コメント

 私も同じです。幕末から明治へかけての歴史をきちんと勉強していません。今頃驚いているのではダメですね。歴史ドラマを見ても分かるとは限りません。

投稿: らら | 2015年5月 7日 (木) 13時51分

日本史では吉田松陰、松下村塾、安政の大獄で獄死した幕末の思想家としか覚えていなかった。彼が具体的にどのような思想を持ち、明治維新後の日本にどんな影響を及ぼしたかまでは知る必要もなかった。勿論「幽囚録」なるものも初めて聞いた。そう言えば西郷隆盛については征韓論、西南戦争が有名なアイテムであるが彼がどうして征韓論を唱えるに至ったかまでは知らない。こうしてみると学生時代に学習した歴史は受験のために必要なことのみ覚えただけで実に表面的な知識であったことが分かる。

投稿: toshi | 2015年5月 7日 (木) 08時56分

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