世界緑内障週間と私
世界緑内障週間に合わせて、名古屋テレビ塔、札幌テレビ塔、東京・虎ノ門ヒルズなどが、8日~14日まで緑色にライトアップされたという。
名古屋のテレビ塔がライトアップされた写真を、新聞やテレビで見たが実物は見ていない。このライトアップは、「早期発見で失明の可能性は減らせる」というキャンペーンなのだそうだ。
それを仕掛けたのは、岩瀬愛子さんという眼科医だと朝日新聞に出ていた。この医師が多治見市民病院に勤めていたときに、学会が行った疫学調査の現地責任者を務めたそうだ。
その結果、20人に一人が緑内障で、その人たちの9割は無自覚であったという緑内障の実態を明らかにして、「多治見スタディ」として世界に知られているという。
緑内障は眼圧が高くなるタイプと正常眼圧緑内障がある。実は、私も緑内障で、眼科医に別の治療に通っていて、あるとき眼圧を計ったら高くて緑内障と診断された。45歳の時であった。
私は緑内障を恐れていた。それで30代の頃から夜街灯を見ると、電燈の周りに虹が見えるかどうか試していた。30代のときすでに虹が見られ、40代になるとひどくなっていたと記憶する。昔は緑内障は「青そこひ」と言われ、また「石目」とも言われた。眼球が眼圧で硬くなるからである。
緑内障と診断されてからは毎日目薬をさした。そしてときどき目を抑えて眼球の硬さを調べた。電燈の周りが虹に見えるのも調べた。
視野検査では、右目に暗い見えない部分があった。それは自分で右手人差し指を横にして見ると、指が見えなくなるので自分でも分かった。
2年ほどたって一度市大病院に行ったら、右目をレーザーで手術することになった。眼圧が高くなるのは房水がうまく流れ出ないからで、房水の通りをよくする手術であった。
手術の後は元の眼医者にもどって目薬の治療を受けた。その眼医者は遠いので退職後は近くの眼科医を紹介してもらって転医した。
緑内障の治療は目薬の点眼だけである。眼圧を下げる目薬と房水をコントロールする眼薬をもらっている。20年ぐらいは3本もらっていたが、1本に2種類のコソプトという目薬ができ、それ以後は、1日1回点眼のタプロスと2本をもらっている。
緑内障で一度失った視野は治すことができないが、視野欠損を進行させないことはできるようだ。私の場合、眼圧を目薬で正常圧に保つようにしているので、これまでのところは視野欠損は広がっていない。死ぬまでこのままなら大変有難いことである。
私の友人は正常眼圧緑内障である。でも、視野欠損が進み、左眼の視野はほとんど失われてしまったと言っている。
私の場合、早くから緑内障になり、その後眼科医へは2か月に1回行って診察を受けている。また年2回視野検査がある。死ぬまで眼科へ通わなければならないが、動けなくなったらどうするのかと思っている。
自分の判断で、サプリメントの「ブルーベリーアイ」とか「アホエン」、ビタミンB,C,E,などを飲んでいる。
何がよいのか分からないが、右目の視野欠損が長い間濃かったのが薄くなってきたように感じている。また、現在は虹は見えなくなり、眼球の硬さも普通である。
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コメント
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今は緑内障の点眼薬もいろいろ作られているそうで、有難いことです。
投稿: らら | 2015年3月16日 (月) 12時28分
世界緑内障週間なるものの存在を初めて知りました。緑内障についてはこれに罹病すると失明する恐れがあり、完治は難しいとの認識は持ってました。
医学の進歩によって早期発見すれば緑内障の進行を遅らせたり、改善することは可能になっているのですね。病気とうまく付き合いながら普通の生活を送れるとはいい世の中になったものです。そう言えば
ガンも今では不治の病ではなくなりつつあり、ガンと共存しながら生活している人が多くなったそうです。しかし群馬大学付属病院のような事件もあるので如何に信頼できる医療機関、医師を選ぶかが大切だと思います。
投稿: toshi | 2015年3月16日 (月) 10時48分