人種隔離の考えを批判されている曾野綾子氏のコラム
産経新聞の「曾野綾子の透明な歳月の光」というコラムの2月11日のものが、海外でもマスコミなどで大きく取り上げられ、批判されている。また、南アフリカ駐日大使が抗議をし、日本アフリカ協会も「居住区を分けることはアパルトヘイトだ」と抗議をした。
曾野綾子氏は、日本の労働力が減少しているので移民の受け入れの必要性を述べた。その上で、かつて南アフリカに滞在した経験から、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というように分けて住むのがよい」と言った。それがアパルトヘイトだとして問題視されているのだ。
また、コラムでは「特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒をみるのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなけらばならないとかいうことは全くないのだ。」
そこには単なる労働力として使い、要らなくなったらポイ捨てする考えが透けて見える。何の知識もない、言葉も話せない人に誰が介護をしてもらいたいだろうか。曾野氏は高級有料ホームに入れるからいいが、自分でそういう外国人の介護を体験してみるといい。
日本に稼ぎに来たい人はいくらでもいるのだからどんどん来させればよい。ただ移民としての法的身分は厳重にして守らせるべきだと言い、それは非人道的なことではないと述べている。そして、問題の「人種隔離」の記述が続くだのだ。
江戸時代には、日本人同士でも差別があり、士農工商の身分の下に穢多というアンタッチャブルの身分が作られた。それが戦後も後を引いていて、部落解放問題は大きな人権問題となっている。
私が子供の頃、街の真ん中に大きな丘があり、その丘がいわゆる部落となっていた。先祖代々隔離されて住んできたのである。
先日オーストラリアに行ったとき、アボリジニ居住区を通った。塀で囲まれていた。地域を守るためだと聞いたが、白人居住区はオープンなのに奇異な感じを受けた。白人たちはアボリジニたちをいろいろ悪く思っているようであった。
曾野氏は、差別をして住居を隔離するとどういうことになるか想像しないのであろうか。曾野氏は差別ではなく、「区別」だというであろう。仮に区別としても、それが差別になっていくのだ。
曾野綾子氏は、第2次安倍内閣の首相の私的諮問機関である教育再生実行会議のメンバーであった。安倍首相が進める道徳教育の教科化にも関係したはずだ。
そういう人物が、アパルトヘイトを推奨するというのだから開いた口がふさがらない。道徳教育にも人種隔離を入れるのであろうか。
世界中から批判されるのも当然である。日本ではネットでは問題視された。これについて曾野氏は、「今回、間違った情報にもとづいて興奮している人々を知った」と述べている。私もその一人ということになる。
残念ながら主要メディアは簡単に報じただけである。(と思っていたら、17日朝刊で朝日新聞が取り上げた。)
ヘイトスピーチといい、今回の人種隔離発言といい、人種民族の違いを越えて仲良くしていこうという方向とは逆の動きが目につくのが恐ろしい。
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コメント
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はじめまして。
コラム前半の「近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の問題を緩和する」だけでとめておけば、「手前勝手なことばかり言って」と思う人もいれば「そりゃまあそうだ」と思う人もいて、たいした話題にもならなかったでしょう。
ところが、「近隣国の若い女性たち」とはアジア人のはずが、「居住区だけは云々」と余計な話へ飛んだのが間違いの元。
まあ、余計というよりも、それでお騒がせして話題にしたかったのかもしれませんが。なにしろ
・東電に原発事故の責任はない
・放射線の強いところの作業は、じいさんばあさんを行かせればいい
・出産したら女性は会社を辞めなさい
その他その他、創作の泉が枯れてしまったのか、お騒がせ発言で稼いでいるようですから。
投稿: たりらりら | 2015年2月20日 (金) 20時22分