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2015年2月

2015年2月28日 (土)

安倍政権の差別政治と道徳教育

 安倍首相や菅官房長官や沖縄担当大臣は沖縄知事選挙で当選した翁長知事に会おうとせず、沖縄への特別交付金も減らした。

 選挙前は知事選に勝つため特別交付金などを増額すると言っていたのに、負けたら掌を返して非常に冷たい態度である。

 その一方で沖縄県民の意思を無視して、辺野古埋め立てをしゅくしゅくと進めるという言葉通りに進めている。

 先日は、沖縄駐留米軍まで乗り出して反対派の事務局長を拘束した。しゅくしゅくと言いながら強引である。

 政治というのは国民に対して公正、公平であり、国民のために行われなければならない。自分たちが気に食わないからと言って差別してはならない。ところが安倍政権は政治を私物化してしまっている。それが沖縄知事や沖縄県に対する態度としてはっきりと表れているのだ。

 安倍首相が肝いりで行った道徳教育の教科化であるが、文部科学省の指導要領改訂案が示された。それによると、次の項目が追加されている。

誰に対しても公正、公平な態度で接する

 私はこの文言を読んだとき、すぐに頭をよぎったのは、安倍首相や自民党の沖縄に対する冷たい仕打ちであった。安倍政権の沖縄県や知事に対する態度は道徳教育の項目に照らせば真逆である。

 道徳教科では評価をすることになるから、安倍政権は最低の評価に相当するということになる。一国の首相や大臣や政治家が、自ら決めた道徳も守れないというのは言語道断である。よくも道徳を教科にと言えたものである。まず、自らが範を垂れて示すべきである。

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2015年2月27日 (金)

増加する特殊詐欺被害

 「振り込め詐欺」(オレオレ詐欺)や「架空請求詐欺」など、高齢者の間で被害がどんどん増えている。これだけ騒がれていても増えるのが不思議なぐらいである。

  最近私の知った女性がまんまと引っ掛かった。とてもしっかりした人だがやられたのである。自分は大丈夫だと思っていてもひっかけられるぐらい相手は巧妙になってきているのだ。

  こういう詐欺を警察では特殊詐欺と名付けて4つに分類している。上記の他に、「還付金詐欺」、「融資保証金詐欺」がある。

 NHK名古屋の「ホットイーヴニング」でも24日から毎日10分ずつ、4日間にわたって取り上げている。最初の日は、なけなしの老後の資金を7千万円すべてとられた女性の例が取り上げられた。詐欺グループは、国税庁まで持ち出して来たので信用してしまったようだ。

 番組によると、詐欺犯たちは、詳しい台本を用意していて、Aの方法がうまくいかなければ、Bの方法に切り替えるというように用意周到だという。

 私のところにも、毎日のように電話が掛かってくる。普通は出ないのだが、たまに受話器を取ると、その手の電話である。最近は「国税庁の依頼名簿がでまわっている方に注意を呼び掛けています」というのが多い。安心させておいてこちらの情報や出方を探っているのだ。そういう時は「私は関心がありません」と強く言って電話を切るようにしている。

 携帯には「架空請求詐欺」が来たことが2度あり、その都度警察に相談をしたが、「無視しなさい」で終わりであった。でも、しばらくは気味が悪い。

 

 次は、私の友人の撃退例である。

「もしもし、○○様のお宅ですか?」

「ハイ、そうですが}

「お宅、不動産のローンの未払いがありますがご存じですか?」

「エッツ、そんなはずは・・・」

 ここまで応対して、ハッと気づきました。これは今騒がれているオレオレ詐欺の手合いではなかろうかと。すぐ電話を切ってもよいが、ちょっとお相手をしてやろうと思いました。そこで、

「ところで、あなたはどちら様ですか?」

「セキワ不動産、山川です」

「そうですか。それで私がローンの未払いがあるとのことですが」

「そうです。そうです。もう3か月ほどの未払いが滞っています。その分払ってもらいたいです。全部払えなかったら、その一部でもいいです。係りの者を派遣しますので、お金を渡して下さい。」

と言いました。そこで、ここらでケリをつけようと思い、次のように電話で話しました。

「私はねえ、ローンなんてないですよ。ひょっとしてあなた今流行りのオレオレ詐欺なんでしょ?ね、図星でしょう」

ここまで私が言いましたら、相手は、

「何を失礼なことを言うんだ!」

と叫んで、電話を切りました。この対応でよかったのか悪かったのか分かりませんが、被害を免れました。

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2015年2月26日 (木)

またまた起きた閣僚辞任 西川農水相の辞任

 安倍内閣解散前に、小渕大臣と松島大臣が辞任し、総選挙で禊が済んだと大きな顔をしている。カネと政治の腐れ縁は、石川五右衛門の名文句の通り、「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」である。「盗人」のところに、「政治とカネの腐れ縁」を入れればそのまま成り立つ。

  税金から巨額な政党交付金(これは廃止すべきだと考えるが)をもらっていながら、なおかつ金をもらっている。バレなければよい・・・・で、他にも同じようなケースがたくさんあるのであろう。

  西川氏も大臣にならなかったらバレなかっただろうに、大臣になりたかったのだなあ。

  朝日新聞24日朝刊によると、農林水産相というポストは閣僚辞任の鬼門のようである。これまでにも次の人たちが辞任している。

  ●2003年大島理森氏、  

  ●そして、2007年、第一次安倍内閣では、松岡利勝氏。松岡氏は自殺をした。

  ●松岡氏の後農水相になった赤城徳彦氏も辞任したが、安倍首相の任命であった。

 ●福田政権のときも2008年、太田誠一氏が農水相を辞任している。

  そして今回の西川氏の辞任ということだが、辞任した農水相のうち、3人が安倍首相の任命であるというのが問題である。安倍首相は農水相を軽ポストと考えて適当な任命をしているのか、それとも農林水産関係の政治家がカネと結びつきやすいのか。

  いずれにしても安倍首相の任命責任は問われるべきである。安倍内閣がいい加減な内閣であることの証明でもある。

  国会では政党交付金問題も含めて、カネと利益供与の問題を徹底的に究明してもらいたい。「説明しても分からん人にはわからぬ」というような人を馬鹿にした言い逃れや、「私は知らなかった」というような責任の押しつけで済ませないよう、厳格な法を作るべきである。

 

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2015年2月25日 (水)

日本のトップ1%の年収ー約1300万円以上

 フランスの経済学者ピケティ教授の「21世紀の資本」が話題となっている。先日来日し東大で講演をしたり、学者と対談をしたりした。私はまだ読んでいないが、「週刊ダイヤモンド」や朝日新聞の解説を読んだ。

  ピケティ教授は、最も裕福な上位1%の年間所得が、国民所得のどれだけを占めているかを暴いて話題となった。アメリカでは20%を占めるほどになったので、ウオール街占拠という抗議行動が起こされた。欧米でjはトップ10%が国富の60%以上を所有しているとピケティ教授は指摘している。

  日本では、トップ1%の所得シェアは10%だ。23日にネットを見ていて面白い記事を見つけた。「ピケティ格差解説番組に出たら、出演者がみんな『所得トップ1%に入る年収』だった」というのだ。

  トップ1%とは年収が1300万円以上をいうのだそうだ。World Top Incomes DatabaseのJapanのところに出てくるという。それによると、トップ1%の年収は1280万円、トップ10%は576万円、トップ0.1%は3261万円、トップ0.01%は8057万円(201年)だそうだ。

  これは働かないで所得のない人も含めて20歳以上の人口の所得だそうだ。給料をもらっている人の1%ではない点に留意するべきだ。

  給与をもらっている人ではどうかというと、国税庁の資料によると、トップ1%は年収1500万円、トップ4%で1000万円だ。

  そういう訳でBS朝日の番組に出たコメンテーターは、みな1%以上に属していたという訳である。この記事を書いた人は高橋洋一氏で、「現代ビジネス」に書いたものである。

 日本で1%に属する人は年収1300万円以上というのは意外であった。こうしてみると、国会議員などはみな1%組である。99%の人たちの気持ちを汲み取れるのであろうか。

  日本では非正規雇用者が約2043万人もいて、38%を超している。安倍内閣が発足して1年で年収200万円以下の層が11220万人ほどになり、約30万人も増加したのだ。

 ピケティ教授の指摘のように、所得の格差は急速に広がっている。安倍政権は、それでもまだトリクルダウンの幻想を振りまいているのだ。アメリカでは、トリクルダウンはないことがはっきりしたのにである。

 

 

 

 

 

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2015年2月24日 (火)

鈴蘭南座で大衆演劇を見る

 知人のKさんに誘われて、22日(日)に大曽根の鈴蘭南座へ出かけた。ネットで調べたら地下鉄大曽根駅と平安通駅からほぼ同じ距離にあった。どちらの駅からも送迎バスが出ていたが、歩いて行くことにした。

  iphoneのアプリGoogle mapを起動してそれにナビをさせた。大曽根駅4番出口から一直線で700mほど歩き、右折して狭い道に入った。ナビが左側にありますと言ったので、見たら道の角に鈴蘭南座があった。こんなところにと思うよな場所であった。

  Kさんに着いたというメールをしたが返事がないので、そのまま中に入った。木戸銭を1500円払って入るとKさんがでてきた。場内に入ると何とすでにほぼ満席であった。カーペットの敷物の上に座椅子を並べて座布団が敷いてあった。

  その一角に案内されて座った。こんなことなら着いたときすぐに入ればよかったと思った。五目飯と赤飯とどちらがよいか聞かれたので赤飯にした。Kさんが漬物を持ってきていたのでそれで食べた。

  Kさんは19名の団体を率いて来ているということで驚いた。ビールももらって飲んだが開演までには飲みきれなかった。どうやら皆さんは早めに来て弁当を食べてそれから見るというのが楽しみのようであった。歌舞伎の場合は、中休みに食事をするが、ここでは最初にするのだ。Kさんは、皆さんの弁当や飲み物をすべて用意して来られたそうでびっくりした。

  劇場は古くて、地震が来たら倒れるのではと心配であった。舞台は小学校の体育館のステージより少し狭いぐらいで、客席は体育館の半分ぐらいであろうか。

  13時になると、予定通り開演のアナウンスがあった。10分ぐらいすると説明が終わり、幕が開いて第一部の「甲州街道」という劇が始まった。無線のマイクを付けているので声はよく通っていた。

  劇は、ヤクザの一家の親分が、別の一家の若い衆に相思相愛の女性を譲ってほしいという。若い衆はそれを拒む。それで親分は子分に夜道で待ち伏せをさせて切り殺してしまう。

  第一場は親分の家で、譲れ譲らぬのやり取りである。第二場は殺す場面だが、寂しいところとセリフにあったのに後幕の景色はお城の傍になっていた。また、幕がたるんでいて如何にも田舎芝居という雰囲気であった。スポットライトが真ん丸で影がくっきりと出て大衆演劇候であった。

  第三場は、親分の家で殺したヤクザ一家の親分殺す算段であった。人気があるが酒が飲めない親分に、トリカブトの毒を入れた酒をどうやって飲ませるかということを相談した。

 親分がやってきて、酒を飲め、飲まぬのやりとりが続いて、結局3杯飲まされて死んでしまう。殺された親分の娘が来て49日の忌が明けたら覚悟しておけという。

  その後娘の亭主が長い旅から突然戻ってくる。そこで亭主を夜道で殺すことにする。

  第四場は、待ち伏せしていた親分と子分が亭主に殺されてしまう。亭主は人を殺したからまた旅に出なければならないといい、娘に後を託して甲州街道へ去っていく。

  市川かずひろ一座は、男優5人、女優1人の小さな劇団で、この日は藤なんとかというゲスト出演が一人いた。18歳の男優が一人女形をやっていたが、女性だと思って見ていた。

  第二部は舞踊で連続で70分ぐらい続いた。男優が女性で踊ったり、女優が男性で踊ったりしていたが、とても上手で、誰がどこで教えるのだろうと思った。座長が叩いた大太鼓の撥さばきもみごとであった。

  踊りのときおひねりは飛ばなかったが、ゲストの藤という男優は1万円札を二  人から胸に挟んでもらった。また、胸に差し込んでもらった俳優や、プレゼントをもらった女優もいた。

  大衆演劇は、舞台と観客の距離が近く、身近な感じで見ることができ、花をつけるのを見るのもいい。

  大衆演劇は、母方の祖母が大好きで、子供の頃夏休みに祖母のところに行くと、連れて行ってくれた。当時は名古屋の大須にも小屋がありそこへ行ったこともある。でも、大学に進んでからは縁が切れ、以来ずっと大衆演劇は見ていない。

  鈴蘭南座は、月替わりで大衆演劇団が変わるようで、出し物は日替わりだと聞いた。その辺が大衆演劇の凄いところだ。

 

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                       鈴蘭南座入口
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                         客席

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                          花

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                      カウンターの古びた猫

 

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2015年2月23日 (月)

朝食は抜いてもよいという記事

 iphoneのスマートニュースを見ていたら、「『朝食は重要』はウソだった:研究結果」という記事を見つけた。

 私は朝食を食べないでブランチにして、1日2食にしてからずいぶんになる。(成人健康検査が始まったころからである)67kg~68kgあった体重を減らすために2食にしたのである。妻も同意をしてくれたので2人ともブランチと夕食である。

 当初このことを人に話すと、「腹がすくでしょう?」と言われたものだが、すぐに慣れてしまった。体重は61kg台から62kg台でキープしている。62kgはイエローカードで63kgはレッドカードである。

 体重というものは、食べれば必ず増加する。私の場合晩酌をしたいという欲求があるので、それだけはやめる訳にはいかない。だから酒なら2合、ビールなら350ml缶を2缶を続けている。それでいて体重を減らすには食事の回数を減らすしかないと考えたのだ。

 毎朝ウオーキングをしているが、ウオーキングで消費するカロリーはせいぜい280kal程度である。だから食べる量が体重を決めるのだ。毎朝体重計に乗って計測し、レッドカードにならないように気を付けている。

 厚生労働省は朝食を抜いてはいけないと強く主張している。また成人健康診査でも朝食をしっかりと食べるように指導される。健康についての書物でも朝食を抜いてはいけないという説が多い。だから児童・生徒は学校で朝食を食べるように指導される。

 そんなところへ今回は、朝食は抜いても大丈夫という研究結果が紹介されたのである。

 「一日の食事回数は、短期的には『食物の産生熱量(TEF)』に影響を及ぼす。TEFとは消化吸収や栄養素を体内に行きわたらせるのに使われるカロリー量をさす。でも、24時間のトータル量で考えたら、結局は同じことである。栄養に関する学術誌The British Journal of Nuturitionに発表された研究でそのことが明らかにされた」そうだ。

 摂取カロリー栄養価の総量が同じならば、代謝量も変わらないことが分かったのだ。

 では、食事のタイミングはどうかというと、臨床栄養学の学術誌The American Journal of Clinical Nutristyonに昨年発表された論文で次のことが分かった。

 ボランティアの被験者を朝食を食べるグループと食べないグループに分けて16週間調べたのだ。その結果、朝食を食べようが抜かそうが体重には全く影響しなかったというのだ。

 12週間で調べた研究もあり、こちらでは減量自体には成功していたという。

 朝食抜きはダメと半ば脅迫的に言われているが、朝食を食べなくてもいいのである。私も自分の経験からそれが言えると思っている。朝食を食べなくても朝から頭は働くし身体も動く。

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2015年2月22日 (日)

困窮の末にヤギを盗み食べた記事を読み、ひどい雇用者こそ悪い

 20日の朝日新聞朝刊の社会面に「困窮の末ヤギを盗み食べた」という記事が大きく出ていた。ネットでも同じ記事を読むことができた。

 

 ヤギを盗んで食べたのはベトナム人たちである。ベトナムではヤギの肉を食べるようである。しかし、彼らが食べたのはヤギ肉を食べたかったからではない。その日の食べ物にも困っていたからである。

 

 彼らは外国人技能実習生として日本に来た。150万円の借金をしてまで日本で働き稼ぎたいと思って来たのだ。ベトナムでは月給は1万6000円ほどだったという。日本にくれば20万から30万円稼げると聞いてやってきたのだ。

 

 ところが実際は違っていた。長野県の農業会社でトマトを育てる仕事に就いたが、毎日午前6時から翌日の午前2時まで働かされ、休みもなかったという。午後5時までは時給750円でそれ以後は1袋1円の出来高制でトマトの袋詰めをしたのだという。

 

 住むところは農機具の保管場所で、シャワーがあってもトイレはなかった。電源盤の下の2㎡で寝たのだという。それなのに家賃を月2万円天引きされ、手元には6万円ほどしかのこらなかった。それでも月3万円~4万円の本国送金をした。

 

 外国人技能実習生制度で東南アジアなどから15万人以上来て働いていると言われる。だが実態は、技能の習得ではなくて、単純労働である場合が多いと聞く。

 

 そしてこの例のように、日本人より安い賃金で働かされ、しかも酷使されるのだ。日本の雇う側は安い労働力としか見ていないのだ。ベトナム人たちは7か月頑張ったがどうにも耐えられなくて逃げだしたのであった。

 問題は日本の雇用者の恥ずべき姿勢にある。安く使ってポイ捨てなのだ。まるで江戸時代の百姓と同じである。「菜種の油と百姓は絞れば絞るほど出る」という考えである。

 日本の監督官庁が実態を把握して労働基準法に基づき対処しなかったのも問題である。曾野綾子氏は、「介護の人手が足りないから、東南アジアなどから言葉が話せなくても、技術がなくてもどんどん来させて働かせればよい」と述べた。単純で安い労働力とみなしているのである。そのときにアパルトヘイトの記述をしたので物議をかもした。

 外国人労働者で単純労働であっても、労働権や人権をきちんと守って働いてもらうことが大事である。搾取の考えで働かせる日本人経営者が多いことを残念に思い、恥ずかしくてならない。

 新聞の記事もネットニュースでも、盗みの原因を作り出した日本の雇用者側の責任を一言も追及していないのが残念でならない。

 

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2015年2月21日 (土)

これでいいのか?河村市長と減税「日本の名古屋の未来構想」

 河村名古屋市長が減税日本の後援会で「名古屋の未来」について語ったそうだ。私は直接聞いていないのだが、レジメを見せてもらった。それによると、次の項目が並んでいた。

①名古屋城天守閣を木造で復元する

②港にアジア最大の国際展示場を造る

③1000mタワーを造る

④熱田神宮を盛り立てる

⑤名フィルを応援する

⑥子どもを応援する

  ネットで調べると、「名古屋を世界一どえりゃーあ面白い街にする」ということで、2027年のリニア新幹線開通を念頭においてのことのようだ。リニア新幹線が開通したら東京に吸い取られないように、逆に名古屋に吸い寄せようということである。

 そのためには、目玉がいるので、オーケストラでもよいと言っている。名フィルを応援するというのはそういう狙いがあるのだ。

 名古屋に10万㎡の大国際展示場を作るのは、経済的潜在力が高く、名古屋港で扱う貨物は年間2億256トン、貿易額は14兆円以上あり日本一だという。自動車、航空機、機械などのモノづくり産業の集積地となっていると指摘する。だからポテンシャルを高めていくために必要なのだというのだ。

 展示会場は、ヒト、モノ、情報を世界中から集める重要な仕掛けだという。

 名古屋城の天守閣と熱田神宮の本殿は戦災で焼失したので戦災復興の事業だと位置付けていて単なる復興を超えるものにすべきだと述べている。

 名古屋城の木造で復元することは、以前から市長が唱えていることである。しかし、今更木造で復元してもそれほどの価値がないと思う。松本城とか熊本城のように当時の建築のままで現存するからこそ文化財としての価値があるのだ。今の鉄筋の名古屋城で十分である。税金の無駄遣いだ。

  港に最大規模の国際展示場を造るというのも税金の無駄遣いである。大企業優先のやり方である。アジア最大であることが名古屋の発展にどれほど寄与するというのだろうか。

  1000mタワーも大きな目玉として考えたのであろうが、開いた口が塞がらない。世界一のタワーを目指すということであろうが、地震国の、しかもいつ大地震が起きてもおかしくない名古屋に、そんな高い建造物を建てる必要があろうか。建てれば確かに最初のうちは観光客が集まるであろう。でも、その維持・管理を考えても金の無駄遣いである。バカと煙は高いところを好むよい見本となる。

 熱田神宮を盛り上げるというのは、どのようにするのか分からないが、伊勢神宮、出雲大社にならん歴史のある神宮が今一つパッとしないので観光名所として売り出そうというのだろうか。

 名フィルを応援するというのは、世界的なオーケストラに育てて人を呼び込むシンボルにしたいというのだ。もし、それができるのなら、名古屋の有力なオーケストラでありながら、財政的にも困難があるといわれていつ名フィルにとって、また名古屋の文化にとってもよいことだ。しかし、名フィルだけを立派にしても、他の文化をレベルアップしなければ駄目である。

 子どもを応援するというのは中身を聞いていないので分からないが、貧しい家庭で学校に行くのもままならない子どもがいるのを助けることは大事なことだ。

 今日本で大きな問題になっているのは、高齢者の増加と介護保険の給付削減で特別養護老人ホームがピンチになっていることだ。名古屋市も同じである。特別養護老人ホームの入居待機者は全国で厚生労働省に調べで52万人もいる。名古屋市には待機者がどのくらいいるのだろう。特別養護老人ホームを建設することは喫緊の課題だと思うのだ。

 河村市長は「名古屋の医療制度は他の都市より優れている」と胸を張っているが、本当にそうであろうか。高齢者を自宅で介護させるというのが安倍政権の方針である。そのためには医師や看護師や介護士などの確保とそれをどのように動かすのかが重要である。

 花火をボンボンあげることより、市民の切実な要望に応えることが大事である。報われるのなら減税など要らないのだ。減税をやめて市民の生活のために使うべきである。

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2015年2月20日 (金)

マッサンのウイスキー

 NHKの朝の連続テレビドラマ「マッサン」を毎朝見ている。「花子とアン」に引き続き、実話に基づくドラマで高視聴率を獲得しているようである。

 ニッカウイスキーの創始者の竹鶴正孝氏をモデルにフィクションを交えての物語である。広島の造り酒屋の御曹司に生まれながら、ウイスキーの勉強にスコットランドに行き、ハイランドウイスキーの製造法を学び、そこでスコットランド女性リタと恋に落ちる。

  ドラマは恋人のエリーを日本に連れて帰り、何とかして日本で最初のウイスキーを作ろうと頑張る話である。いろいろと波乱はあるが人との出会いにも恵まれて、ついに北海道の余市にウイスキーの工場を建設する。

  ウイスキー造りを始めたのは日米開戦まじかの年であったから、今から見るとウイスキーが売れるはずがないことが分かるが、当時は戦争が泥沼に向かっているとは思わないからわからなかったのであろう。ウイスキーは売れず、出資者から従業員を減らすように言われる。

  そんな時第2次大戦になり、軍の指定工場としてウイスキーを軍需のために造ることになる。私は、あの戦争の時代をどうやって切り抜けたのだろうかと思っていたが、軍需工場としてであったのを知って驚いた。

  ドラマとしてあの戦争の時代をどう描かれるのかは見る側として非常に興味深い。「マッサン」もエリーが外国人であることからエリーへの迫害を通して描かれるようである。

 ところで「マッサン」は竹鶴さんの国産ウイスキーにかける夢を描くわけであるが、その傍らにいてマッサンを影日向で助けるエリーの存在が大きい。エリーとマッサンは本当に素晴らしい夫婦である。朝の連続ドラマはこれまで女性をヒロインとしてきたが、今回も事実上はエリーという女性がヒロインのドラマと言ってよいだろう。

  エリーを演じるシャーロット・ケイと・フォックスさんは好演である。何といってもアメリカ人と日本人の演技の違いを見るのが面白い。仕草や表情が日本人とは違うのだ。外国の俳優が連続テレビドラマの主役を演じるのは初めてであるが、「マッサン」の成功はその点に負うところが大きいと思う。

 一番得をしたのはシャーロットさんではないだろうか。毎日が新鮮で、しかも大正から昭和への激動の日本の生活をドラマで体験できるのである。週刊誌によると収録が終わって帰りたくないと言ったそうだがその気持ちは理解できる。

  ところで「マッサン」で、ハイランドスコッチウイスキーを目指して苦闘する姿を見て、ニッカウヰスキーを飲みたくなった。それでスーパーに行き「竹鶴ピュアモルト」500ml瓶を1600円で買った来た。ウイスキーを飲むのは15年ぶりぐらいであるが、スモーキーフレーバーがよい。

  ドラマの中で、グラスに注いだウイスキーをあおっていたが、あれは不自然である。あんな飲み方をしたらむせたり喉を焼いたりする。やはり香りを嗅いで少し舌の上にのせて静かに味わうのがよい。

  西部劇でカウボーイなどがバーボンウイスキーを呷るのを見るが、あれは十分に慣れているからできることである。

 スーパーなどでは「竹鶴」ラベルのウイスキーが並んでいるが、ドラマを当て込んでのものであろう。私はニッカウイスキーが好きである。

Fullsizerender

 

 

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2015年2月19日 (木)

エウロ・リリカ Concerto di GALA

 知り合いのMさんの紹介で、エウロ・リリカのガラ・コンサートへ出かけた。オペラの歌を歌うというので面白そうだと思った。先日の15日日曜日に、伏見のザ コンサート ホールで開かれた。

 エウロ・リリカというのはどういうグループなのかは全く知らなかった。指導者をしている岡本茂明さんがMさんのコーラスの指揮者だという。

 ヴァイオリニストで、間奏曲を演奏した富田祥子さんは名古屋芸術大の学生であった。バリトンの森拓斗さんは名古屋音楽大学4年生だ。また、テノールの西影星二さんは名古屋大学医学部の学生だというので驚いた。その他東大大学院修了のバリトンの横山弘泰さんも異色であった。

 指導者の岡本茂明さんはバリトンで、さすがにぬきんでていた。とてもいい声の持ち主だ。愛知県立芸術大学出身である。

 賛助出演のテノール、加藤利幸さんは風貌が岡本さんに似ていた。仕草がちょっと変わっていて王子と言われているようであった。

 ソプラノは3人いて、国立音楽大学出身の杉山和代さんは子育てをしていると言っていたが、まろやかな発声でよかった。長嶋莉陽子さんは名古屋芸術大学出身で声量があった。もう一人は名古屋芸術大学オペラ科首席卒業の池田有希さんであった。

 驚いたことに、開演の2時になると、ピアニストの吉井あかねさんの演奏で始まった。吉井さんはイタリアオペラの本質をついて演奏で高く評価されているという。

① しばらくすると客席から男性が立ち上がり歌いながら舞台にあがって行った。意表をついた演出であった。曲は「道化師」プロローグ バリトンの横山さんでトニオ役であった。

②次がエドガール この愛は僕の恥 バリトンの森がフランク役であった。

③3番目は、「ファウスト」 この地を離れる前に バリトンの岡本がヴァランタン役であった。

宝石の歌 ソプラノ長嶋 マルガレーテ役

清らかに輝く天使よ ファウスト荒川、 マルガレーテ長嶋、メフィストフェレ 岡本

 歌はみなオペラからなので、仕草や表情を豊かに歌いとてもよかった。

④間奏曲「カヴァッレシーナ・ルスッティカーナ」ヴァイオリン富田 清楚な感じの演奏であった。

⑤「アルルの女」 ありふれた話  フェデリーコ 西影

⑥「マルタ」 夢のごとく  ライオネル 賛助出演のテノール加藤利幸

⑦「イル・トロヴァトーレ」 この苦い涙をごらんなさい レオノーラ 杉山、ルーナ伯爵 岡本

        10分間の休憩

⑧「セヴィリアの理髪師」 私は町の何でも屋 フィガロ 岡本、横山、森 バリトンのそろい踏みであった。

⑨「カルメン」 花の歌 ホセ 荒川裕介

⑩「ラ・ボエーム」 ミミは重い病に ~あなたの愛の呼ぶ声に ~楽しい朝の目覚めにも

    ミミ 池田 ロドルフォ 西影 ムゼッタ 長嶋 マルチェッロ 岡本

⑪「シモン・ボッカネグラ」 孤児として アメーリア 杉山 シモン 森

⑫「マドンナの宝石」 間奏曲  ヴァイオリン 富田

 

⑬ さあ 窓を開けて ラッファエッロ 岡本、カモリスタたち 荒川、森、西影、松岡、中嶋

⑭「ジョコンダ」 空と海    エンッオ 加藤

⑮「エルナーニ」 目覚めよカスティーリアの獅子よ 

      荒川、中、西影、岡本、松岡、森、横山

 アンコールとしてイタリアオペラの歌があったが題名を忘れた。ソプラノも加わって全員で合唱となったが、その前の男声だけのエルナーニと共に、プロの声楽家の合唱は我々素人の合唱とは違い素晴らしい歌唱と迫力であった。

 プログラムの中で、バリトン3名の合唱もあったが、初めて聴いた。とてもよかった。ピアニストは出ずっぱりなので大変だろうと思った。

 すべて原語で歌われたが、プログラムには日本語の歌詞が紹介してあった。私は顔も見たいので舞台から4列目の席で聴いたので大変な音量で伝わった。みなさんは6列目より後ろで聴いていた。

 オペラの歌曲を表情や演技をつけて歌っていたので大変楽しく聴くことができた。

20150215

 

 

 

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2015年2月18日 (水)

人種隔離の考えを批判されている曾野綾子氏のコラム

 産経新聞の「曾野綾子の透明な歳月の光」というコラムの2月11日のものが、海外でもマスコミなどで大きく取り上げられ、批判されている。また、南アフリカ駐日大使が抗議をし、日本アフリカ協会も「居住区を分けることはアパルトヘイトだ」と抗議をした。

  曾野綾子氏は、日本の労働力が減少しているので移民の受け入れの必要性を述べた。その上で、かつて南アフリカに滞在した経験から、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というように分けて住むのがよい」と言った。それがアパルトヘイトだとして問題視されているのだ。

  また、コラムでは「特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒をみるのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなけらばならないとかいうことは全くないのだ。」

 そこには単なる労働力として使い、要らなくなったらポイ捨てする考えが透けて見える。何の知識もない、言葉も話せない人に誰が介護をしてもらいたいだろうか。曾野氏は高級有料ホームに入れるからいいが、自分でそういう外国人の介護を体験してみるといい。

  日本に稼ぎに来たい人はいくらでもいるのだからどんどん来させればよい。ただ移民としての法的身分は厳重にして守らせるべきだと言い、それは非人道的なことではないと述べている。そして、問題の「人種隔離」の記述が続くだのだ。

 江戸時代には、日本人同士でも差別があり、士農工商の身分の下に穢多というアンタッチャブルの身分が作られた。それが戦後も後を引いていて、部落解放問題は大きな人権問題となっている。

 私が子供の頃、街の真ん中に大きな丘があり、その丘がいわゆる部落となっていた。先祖代々隔離されて住んできたのである。

 先日オーストラリアに行ったとき、アボリジニ居住区を通った。塀で囲まれていた。地域を守るためだと聞いたが、白人居住区はオープンなのに奇異な感じを受けた。白人たちはアボリジニたちをいろいろ悪く思っているようであった。

 曾野氏は、差別をして住居を隔離するとどういうことになるか想像しないのであろうか。曾野氏は差別ではなく、「区別」だというであろう。仮に区別としても、それが差別になっていくのだ。

 曾野綾子氏は、第2次安倍内閣の首相の私的諮問機関である教育再生実行会議のメンバーであった。安倍首相が進める道徳教育の教科化にも関係したはずだ。

 そういう人物が、アパルトヘイトを推奨するというのだから開いた口がふさがらない。道徳教育にも人種隔離を入れるのであろうか。

 世界中から批判されるのも当然である。日本ではネットでは問題視された。これについて曾野氏は、「今回、間違った情報にもとづいて興奮している人々を知った」と述べている。私もその一人ということになる。

 残念ながら主要メディアは簡単に報じただけである。(と思っていたら、17日朝刊で朝日新聞が取り上げた。)

 ヘイトスピーチといい、今回の人種隔離発言といい、人種民族の違いを越えて仲良くしていこうという方向とは逆の動きが目につくのが恐ろしい。

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2015年2月17日 (火)

 面白くない「花燃ゆ」、視聴率悪いのは当然

 毎週日曜日に放送されるNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率がよくないそうである。ネットのニュースによると、主演の”文”を演じる井上真央は「私が悪いのです」と言っているそうだ。

  今年の大河ドラマが長州(山口県)を舞台にしたもので、吉田松陰の妹、杉文を通して描くものだと聞いたとき、首をかしげたのであった。

  しかも、吉田松陰の妹については詳しい資料は残っていないといわれる。つまり、完全に創作ドラマということになる。吉田松陰や松下村塾で学んだ人たちについてはいろいろと史料があるだろう。それをもとに創作の妹を肉付けし、幕末から明治への激動を描こうということだと思われる。

 これまでこのドラマを見てきて感じたことは、何を描こうとしているのかが分からないのだ。ストーリーを追っていっても追いづらいのだ。

 例えば、8日は美人の女囚のことが中心になっていたが、どうして文がこの女囚と関わるのか、それがどんな意味をもつのかサッパリわからなかった。もっと大事なことはテレビの音を大きくしてもセリフが聞き取れないのだ。セリフが聞き取れなければストーリーの展開を追うこともできないのは分かり切ったことである。

 以前に、評判が悪かった大河ドラマに「平清盛」がある。あのドラマもストーリーを追えなかったし、セリフが聞き取れないところもあった。

 登場人物同士の関係とかエピソードが、どのように関係しあって展開していくのかが分からないと、見る気がしなくなってしまう。

 ネットでは、このドラマをあえて持ってきたのは、山口出身の安倍首相にへつらってのことだと言われている。そういえばNHKの経営委員は安倍首相のお友達が多いし、籾井NHK会長もお友達であり、ことあるごとに安倍政権の意をおもんばかった発言をしている。私も最初からNHKの意図を感じた。だからネットの論議も納得できるというものである。

 だとすれば、このドラマが面白くないのも理解できる。無理に作り上げたドラマだからだ。安倍政権は長州政権である。明治維新も長州によって担われた。この二つを結び付けようという、つまり長州政権は立派であると視聴者に印象づけたいのであろう。

 私は出演者の問題ではないと思うのだが、下記のような記事があった。でも、面白くないのは変わらないであろう。

『花燃ゆ』視聴率アップの起死回生の切り札としてリストアップされたと「3人の男」は――。

「ひとりは、浅野忠信さん(41)。彼は特に30~40代の男性視聴者の支持が高いのです。制作陣は、三浦友和さん(63)とも出演交渉を始めています。百恵さんとの夫婦仲がよく“理想の夫婦”常連で40代以上の女性からの指示が高い。さらには、山崎努さん(78)。彼の支持層は50~60代の男性視聴者です。サプライズというには、意外に地味な感じがするかもしれません。しかし実力派の俳優たちにイケメンの若手の脇を固めてもらえれば、視聴者も増えてくると考えているようです」(別のNHK関係者)

「花燃ゆ画像」の画像検索結果

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2015年2月16日 (月)

勝手に入り込み、しつこく居座る「hao123」

 去年の秋ごろだったと思うのだが、ある日突然「hao123」という検索エンジンのようなものがinternet explorerのタスクバーに入り込んだ。そのときはエクスプローラのサービスの一つだと思い気にしなかった。

  私はinternet explorerを使うことは使うが、検索にはGoogleを使うので「hao123」は使わない。ところが先日のこと、iphoneでニュースを見ていたら、「hao123」が入り込んで除去が困難だという記事を見つけた。

  それでパソコンから削除をしなければと思い、「hao123」について調べた。それで「hao123」は中国の「百度」のものだということが分かった。そして削除がなかなか難しいとも書いてあった。

  でも、削除の仕方を説明したサイトがあったのでそれを読んで削除に挑戦をした。「すべてのプログラムの中の『日本hao123』を探してアンインストールをすればよいというので、まずそれを試みたら意外にも簡単に「成功しました」というメッセージが出て、すべてのプログラムの中からなくなっていた。デスクトップのアイコンも消えていた。

  その後エクスプローラのホーム画面をbiglobeに切り替えた。

  これで安心と思ってエクスプローラを開いたら、タスクバーに「hao123」が入り込んだままであった。それで次の手段として、コントロールパネルからファイルのアンインストールをしようと思い探したが見つからなかった。仕方がないので、タスクバーの「hao123」を選択して削除したら消えてくれた。

  先日妹のパソコンを見に行ったら、何とその中に「hao123」が入り込んでいるではないか。これは削除しなければと思い、すぐに削除をした。

  ところがinternet explorerからは削除できたが、Google Chromの方からは削除できていなかった。私もGoogle Chromを使っているが私の場合はhao123は入っていなかった。

  どうやっても削除できないので、Google Chrom自体を削除して再インストールをした。するとChromに「hao123」がくっついていた。結局、Google Chromのホーム画面を変えるしかなかったが、「hao123」は居座ったままで除去できなかった。

  Google Chromにくっついて侵入するとなるとお手上げである。何とも厄介な中国のソフトである。「百度」といえば、以前に勝手に入り込んでいたので、その顛末をblogで取り上げたことがあった。中国は勝手放題に何でもやるということを改めて思い知らされた。

  おそらくレジストリーかどこかに入り込んで、こちらの情報を盗んでいるのではないかと思う。

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2015年2月15日 (日)

オーストラリア旅行―⑮―

 オーストラリア旅行は楽しい毎日であった。その中で気付いたことをいくつか書きとめる。

①オーストラリアの公衆便所の男性トイレは、ステンレスでできているが仕切りのない戦前の

 学校にあったタイプのものが多かった。

 また、朝顔式のものでも小さく、隣との仕切りがない。中には大便用のトイレの台座がない

 ものもあった。

②車の駐車方法は、路上駐車が多くメーターが設置されていた。駐車場での駐車は日本と

 逆で頭から突っ込むやり方であった。日本では出るときのことを考えてバックで止めるが、   オーストラリアは入れるときのし易さを考えて駐車している。

③タツーをしている人が非常に多い。男女老若を問わず刺青をしている。夏なので半そでや

 ノースリーブで半ズボンの人が多いから余計に目についたのだろう。英語の先生に聞いた

 ら、タツーとは言わず、Body Artというのだそうだ。ボディアートというと聞こえはいいが刺   青には変わりない。日本人には不良に見える。

④鳥が多く、身近に飛んでくる。オウムは大きくてきれいだが、鳴き声がうるさい。カモメはや

 たらといて食べ物を持っていると近くに来る。

⑤東海岸の海岸線は長くて白い砂浜が幅広く、波が打ち寄せてとてもきれいである。ゴール

 ドコーストとかダイヤモンドビーチなどというのもうなづける。

⑥オーストラリアでは、コーヒーよりミルクティーの方が好まれるようだ。コーヒーはカフェラテ

 が人気があるように感じた。

⑦果物は安いが、水やコーラやジュースなどの飲料や酒は高いと思った。肉やミルクは安

 い。

⑧オーストラリアのゴミの収集は大きなバケツのような入れ物である。各家庭と道路において

 ある。名古屋のような細かい分別ではなく、おおまかである。

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                       昔風のトイレ

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                    前のより良いが仕切りがない
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                       大便はできない

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                     ゴミの入れ物、普通は2つである

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                         カフェラテ

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2015年2月14日 (土)

2015オーストラリア旅行―⑭―

 24日(土)ゴールドコ-スト最後の夜は、王さんがご馳走してくれることになった。エマが安くてよい店があるといって連れて行ってくれたのは、ブラジル料理の店であった。

  この店の特徴は、All You Can Eat(食べ放題)で、しかも、肉や野菜などの料理を1mぐらいの長い串に突き刺して焼いたのを、テーブルまで持ってきて、皿に欲しいだけ載せてくれるのだ。

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 肉は包丁でそいで皿に載せてくれる。ビーフや鳥肉などいろいろあった。ビールを注文して飲みながら食べたが、満腹になった。エマやダニエルはよく食べるので感心した。張さんもたくさん食べていた。

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  その夜、エマが今回の旅行の清算をした。私の分は702$であった。ダニエルの実家に泊まったのでその分は要らなかった。シドニーからゴールドコーストまでドライブして、明日は飛行機で帰るのだがその分も入っていた。

  すべてエマがプランを練り手配をしてくれたのだが、それをアメリカ旅行の間にインターネットを駆使してやったというから凄い。安くてよいレンタル施設を見つけて借りるのもインターネット、レンタカーも飛行機もインターネットであった。

 おかげで私たちは大名旅行をすることができたのだ。本当に楽しい幸せな旅であった。特に私は最年長で年も行っているので何かにつけて気を使って接してくれたのでVIP待遇であった。

 次の25日日曜日は4時半に起き、パキングの確認まですべてした。6時半にはアパートを出るのであった。朝食にシリアルやパンやスイカやバナナなどなるべく片づけるように食べた。でも、ビール1本とワイン1本は残った。飛行機に乗せられないからだ。

 空港の指定の場所にレンタカーを放置して搭乗手続きをした。王さんとドロシーはメルボルンに戻るので空港で別れた。8時5分にゴールドコースト飛行場を飛び立った。飛行機はlCLであった。2つ会社があるそうだが、エマがよい方を選択してくれた。スナックと飲み物が出た。9時35分にシドニー空港に着陸した。

 空港から家までは、大型タクシーで帰った。100$余りかかった。10時35分に家に着いた。

 しばらくベッドで昼寝をした。それからスーパーに連れて行ってもらった。頼まれていたスパイスを探したり土産物を買うためであった。車でしばらく行くと小さいスーパーが3つあるところがあった。日本に持って帰りたくても重量制限があるので軽いものしか買えなかった。

 スーパーで、エマがカンガルーの肉を買うと言った。張さんも私も食べないと言ったのだが買ってしまった。串に刺した肉を買って、家に帰ると照り焼きにして出してくれた。恐る恐る食べると、予想した匂いはなく、オーストラリアのビーフとよく似た食感であった。それでほっとしてビールを飲みながら食べた。張さんは少し食べたが、李さんは食べなかった。ネットで調べたら、カンガルーの肉は低カロリーでヘルシイだと書いてあった。よい経験ができたと思った。

 家に帰ると、次の日は朝早く出るので荷物を整理した。つぎの日空港で計ったらちょうど20kgだった。私は預ける荷物の制限は20kgだと思っていたのだが、係りの話では23kgまでよいということであった。もう少し買えたのにと思うと残念であった。

 夕方、少し離れたところにあるベトナム料理の店に夕食を食べに行った。ダニエルがお気に入りの店だそうだ。私が代金を持つと言い張ったのだが、店のオーナーが受け取らず、結局エマが払った。私は米を食べたかったのでリングイカのおかずとご飯にした。スープがついていた。10$であった。カンガルーの肉を食べたので腹が一杯になった。

 夕食の後家の近くの川へ行って散歩をすることにした。少し歩いたが暗くて足元が危険なので私のことを思ってその辺を歩いて帰った。

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                                             カンガルーの肉

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                     ベトナム料理店
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2015年2月13日 (金)

2015オーストラリア旅行―⑬―

 24日(土)。4時半に起床。洗顔、シャワー、トイレの後、荷物の整理をした。この日はゴールドコースト滞在最後の日だ。前夜の雨は次第に止むようであった。有難いと思った。

 朝食にはまたスイカを食べた。バナナやネクタリンも食べた。トーストやエッグやベーコンなどとミルクたっぷりの朝食であった。

 9時45分に出発した。雨は上がっていた。車は雨できれいになっていた。10時20分ごろに自然公園(Fleays Conservation Park)に着いた。ここは動物や植物を保護して見せている公園であった。入園料は20$だった。

 園内には周遊式の道がありそれにしたがって見て回るのだ。最初のところにエミューがいた。広いところになぜか1匹いた。

 道の両側に金網の仕切りがしてあり、そこに鳥や動物がいた。トカゲもいたがこれは勝手に入り込んだのだろう。鶴の仲間の鳥などを見ながら行くとクロコダイルの池があった。それを過ぎると犬の仲間がいた。可愛いワラビが餌を食べていた。木にコアラが2匹いて写真を撮ろうと思ったら眠る姿勢に入ってしまった。

 一通り見て建物に戻り、サンドイッチを買って食べた。4.9$で大きなサンドイッチだった。ダニエルが13時からクロコダイルの餌やりを見せると言ったので、クロコダイルのところへ行った。係りの人が長々と説明をしたがほとんど分からなかった。係りの人が餌を投げるとクロコダイルが飛び上がって取った。すごいジャンプ力であった。注意書きに子供を柵にのせるなと書いてあったのが納得できた。

 その後13時半から蛇のショーがあるというのでそちらへ行った。女性の係りが太い蛇を持って説明をして見せてくれた。持たせてくれると言ったが触るだけにした。もう1匹掌に載る小さな蛇も見せてくれた。

 14時から木の上カンガルーの餌やりがあった。先ほどの女性の係りがカンガルーを呼んで餌をやった。カンガルーは木の上を上手に跳ねてこちらにやってきた。動きはカンガルーそっくりであった。

 14時半から暗い洞窟に入り、夜の生き物の説明を聞いたがよくわからなかった。それが終わったら休憩所に戻った。しばらく休んだ後、園から出て湿地帯を歩いた。園の外側に湿地が広がっていた。ガジュマルのような木がたくさん生えていた。

 15時45分ごろに園を後にした。途中で果物を買った。小さな桃を丸かじりしたがとても甘いので驚いた。

 アパートに戻ると休憩をして、17時半ごろ、今度は近くのホテルのプールに行くことになった。大きな大きなプールが2面あり、人々が泳いだりしていた。私たちは浅い方のプールに行った。驚いたことに着替えの施設がなかった。トイレとシャワー室が1つあるだけであった。

 仕方がないのでトイレでパンツに変えた。でも財布など貴重品は自分で保管しなければならなかった。エマが袋に入れて預かってくれた。

 ドロシーは怖がるかと思っていたら、嬉々として泳いでいた。エマは泳げないのでダニエルと浮かんでいた。私は体力がないことをまざまざと知らされた。早々にプールから上がった。

 更衣室がないのでまたシャワーを使った後トイレで着替えた。立派なプールなのに更衣室やロッカーがないのが不思議であった。着替えた後は皆さんの持ち物を監視しながら見ていた。

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                     自然公園の入口

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                         通路

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                       犬の仲間

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                        七面鳥

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                        木の上の鶴

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                         コアラ

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                    跳び上がるクロコダイル


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                     私の掌に載る蛇

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                    木の上カンガルー

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                      立派なプール


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2015年2月12日 (木)

2015オーストラリア旅行―⑫―

 5時に起床。この日は大雨であった。

 10時40分に出発して、Burisbaneへ行った。そこにエマの親しい友人のTonyが住んでいるので会うことになっていた。

 エマとダニエルがTonyを迎えに行く間、私たちはCenter Museumを見ることにした。12時45分ごろに中に入った。無料であった。大きな博物館で様々な展示をしてあった。3m以上もある巨大なイカの標本とか、巨大な恐竜の化石やオーストラリアの動物の展示などがあった。夏休みなので子供たちや家族連れが多く来ていた。

 時間があったので美術館へ行きたかったが、大雨で雨具の用意がしてなかったので諦めた。Museumの前に大きなバス乗り場があった。そこにはひっきりなしにバスが発着していたので驚いた。市の中心なので四方八方にバスの路線があるのだろうと思った。

 Museumに戻り、館にあるCafeに入った。カプチーノを注文したら4$であった。李さんがザクロを持ってきていたので食べた。ザクロを食べるのは初めてであった。種ばかりだが香りと味はよかった。中国人はザクロを好むようだ。張さんはザクロは子孫繁栄の果物だと言った。

 やっとエマがTonyを連れて来た。自己紹介をした。彼はペルーインディアンを祖先に持つ人であった。現在はアメリカ国籍を持っていると言っていた。

 16時ごろに、マーケットを見に行った。主として中古品を扱っているマーケットであった。

 17時15分ごろ中華街へ行き夕食を食べることにした。運よく無料で駐車できる場所が見つかり、そこへ車を置いて歩いて中華街まで行ったのだが、アーケードがあったので雨にぬれなくてすんだ。

 PHOBというベトナム料理のレストランに入った。ダニエルがベトナム料理のファンなのだ。彼の勧めで私は大きな鉢にホウと牛肉と鶏肉が入ったものを注文した。別の皿でモヤシなどの生野菜が出て、それを入れて食べるのであった。11.8$であった。ローカルビールを飲んだ。5.8$であった。

 Tonyはまだ日本に来たことがないといったので是非来るように勧めた。9時半ごろ帰宅したが、その晩は夜通し雨であった。

  帰ったらスイカが待っていた。何しろ巨大なスイカを2つも買ったので食べきれないのだ。

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                      Center Museum
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                        巨大イカ

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                         恐竜

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                     オーストラりの鳥

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                    次々とバスが来る乗り場
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                       ベトナム料理店

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                      肉入りホウとビール

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2015年2月11日 (水)

2015オーストラリア旅行―⑪―

 22日(木)。5時に起床して洗顔、シャワーなどを済ませた。大便も気持ちよく出た。

  朝食の時、前日食べ残したスイカを食べた。その後9時40分に出発してTamborine Mountain へ向かった。そこにはGalleries Walkという通りがあって、両側には店が並んでいた。

  画廊もあったので絵を描く李さんと画廊に入った。なかなかよい油絵などが展示してあった。カッコー時計の専門店もあった。壁にはさまざまなカッコー時計がつるしてあった。王さんはそこで熱心に時計の説明を聞いていた。どうやら1つ買いたい様子であった。

 それから王さんは、ワインを買うというのでワイナリに戻った。試飲しながら3本選んで買った。オーストラリアのよいワインだということであった。

 15時ごろSky Walkへ行った。熱帯森林で高い木の間に高い歩道が作られていた。空中を歩くからSky Walkというのだと思った。珍しい木がたくさんあった。名前を書いたプレートがあったがすぐに忘れてしまった。

  16時15分にSky Walkを出発して帰途についた。途中でスーパーに寄ったら、大きなマンゴが12個入った箱が1箱10$で山積みにしてあったので1箱買った。

  18時にアパートに帰着した。マンゴは大変おいしかった。18時40分ごろから大雨になった。22時30分に床に就いた。

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                     Galleries Walk 1

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                                             Galleries Walk 2

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                                                Galleries Walk 3 

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                                             Galleries Walk 4 
   

                                 Photo_3                               

                                             カッコー時計の店



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                                          Galleries Walkのワイナリ

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                      Sky Walk 入口看板
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                    Sky Walk入口を入ったところ 

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                       Sky Walk 1 

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                      Sky Walk  2

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                       Sky Walk 3

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                      Sky Walk 4

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2015年2月10日 (火)

2015オーストラリア旅行―⑩―

 21日(水)、6時に起床した。洗面所やシャワーが1つしかないので、他の人が起きてくる前にすべて済ませる必要があった。その点私は早起きは何ともないのでよかった。

  8時半に朝食を食べた。いろいろなシリアルがあって、牛乳を掛けて食べるのだ。その他にベーコンや卵や果物を食べた。飲み物は皆さんはジュースを飲むが私はあまり好まない。

  エマとダニエルが車の交換をしに行く間、私たちは街に出た。トラムが走っているので乗ってみたかった。1時間ほど街を見て回って、約束の11時に戻ったが、エマたちはまだ来ていなかった。

  レンタカーの会社に英語が分からないスランス人の客がいて、車の交換をするのに、手間取っているのだという。待っている間、ドロシーらにカードマジックを見せたり教えたりした。

  12時過ぎにやっと戻ってきた。新しい8人乗りのワンボックスカーであった。12時15分ごろまず、Honey Worldへ行った。ミツバチを飼育して蜂蜜の製品を販売していた。10種類ぐらいの蜂蜜が置いてあってテイストができた。

  蜂蜜といえば、iphoneのニュースに、蜂蜜を毎晩寝る1時間ぐらい前にスプーン1杯を食べるとダイエットになり、さらに美容効果もあると出ていた。エマたちにそのことを教えた。

  次いでトロピカルフルーツ・ワールドに行った。中には入らなかったが、辺りにはアボガドなど果物の木があった。アボガドの実は丸くて大きく、なっているのを見るのは初めてであった。トロピカルフルーツの店があったのでそこに入ってみて回った。

  帰りに大きなドリアンにそっくりの実がなっていたので、聞いたらジャックフルーツという名前であった。

  2時ごろそこを出て、Main Beachへ向かった。途中にスイカを売っている無人スタンドがあった。もの凄い大きなラクビーボール型のスイカであった。大きいのを選らんで買ったら、張さんがもう一つと言ったので私が一つ買った。1個4$であった。持とうとしたが私の力では持ち上げられないぐらい重かった。

  beachの近くに日本式食堂を見つけそこに入った。先に食べていた人がこのラーメンがおいしいよと言ったので、他の人は12.5$のラーメンを注文したが、私は9.95$のヴェジカレーを注文した。驚いたのは金属のお盆に盛られてでて来たことだ。お盆だと言ったらお皿だと言っていた。

  男の子がいる夫婦と一人の男性がやっている店でまだ開店して1か月だと言っていた。

 食事の後beachへ行った。トイレに行きたかったので浜辺の公衆トイレに行ったら、何と電子タッチ式の鍵が付いていた。

  その海岸を見た後、Byron Bayに行った。17時ごろになっていた。オーストラリア最大の灯台があった。その灯台がある場所はオーストラリア最東端だそうだ。その看板のところで写真を撮った。

 帰る途中で、Frozen Yoghurtにフルーツトッピングしたものを食べた。重さで値段を決めるのだった。8.5$であった。ヨーグルトを凍らせたのだがソフトクリームと同じであった。

 19時ごろゴールドコーストに戻り、Coleというスーパーに行った。スーパーWoolworthと向かい同士になっていた。19時にはテナントは店を閉めていて食品売り場だけがあいていた。

 21時ごろ夕食を食べた。あの大きなスイカを腹いっぱい食べさせられた。それでもまだ半分残っていた。最初に買った大きい方を割ったのだが棚落ちであった。

 22時50分に床に入った。

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                     ハニーテイスチング

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                 トロピカルフルーツワールド

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                    ジャックフルーツ

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                     ジャンボスイカ

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                        ヴェジタブルカレー   
         



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                     電子式キーのトイレ

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                     Main Beach

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                       Main Beach

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                      最大の灯台

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                      最東端のサイン



      

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2015年2月 9日 (月)

2015オーストラリア旅行―⑨―

 ゴールドコーストの海岸で遊んだあと、街の方へ行った。両側に商店がならび人がたくさん歩いていた。

  夕食は、Irish Restaurantがいいというのでそこへ行った。大きなレストランで、ワインなどの飲み物を並べた棚があり、その前にカウンターがあった。

  ダニエルが席を見つけて7人が座った。ピザがおいしいという。10種類ぐらいのピザがあった。どれがいいかわからないのでエマの勧めに従った。大きなピザが10$であった。

  ビールが欲しいのでカウンターへ行った。どのビールがいいかわからない。Goldとついたオーストラリアビールにした。7.5$だから高かった。地元の人は氷を入れて飲んでいた。私は氷は要らないと言って氷のないのに変えてもらった。「日本では氷は入れないよ」と話した。

  席に持って帰ったら、ダニエルがそのビールは最低のビールだと言って笑った。Goldとついていたからいいビールだと思ったと言った。

  レストランでは女性の歌手が弾き語りをしていたが、あまりにも音が大きいので他の客も困っていた。スタッフに音がうるさいと言ったが知らん顔であった。

  レストランを出ると夜の街を歩いて見物し、アミューズメントのInfinityというところへ行った。なんでも迷路のようなものだと言った。ドロシーも見ると言ったので入ることにした。20$もした。

  グループごとに中に入ることになっていて、順番が来るまで時間がかかった。入る前にカメラなどを預けて白い手袋と白い靴カバーをつけた。

 中に入ると次の部屋に行く扉を探さなければならないのだが、手探りで探すのだ。上から下まで色がついた光線でデザインされた部屋とか、空中を渡る廊下とか真っ暗な部屋とか様々な工夫が凝らされた迷路で20分程度のものであった。

 ドロシーは先頭に立って次の部屋をへの扉を探していたが私は後ろについていくだけであった。日本では見たことのない面白い施設であった。写真撮影が禁止なのがざんねんであった。

   アパートに帰るとシャワーを浴びた後、ドロシーたちにカードマジックを見せた。するとドロシーもカードを持っていてマジックを見せてくれたが、私の知っているマジックで驚いた。ドロシーが興味を持っていることが分かったので2つ教えた。

 この日は12時に床に就いた。

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                        リビング
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                        キッチン
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                         部屋

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                     ゴールドコーストの街

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                      トラムの線路
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                       レストラン

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                        ピザ

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                     レストラン入口

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                       Infinity入口

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2015年2月 8日 (日)

2015オーストラリア旅行―⑧―

 1月20日(火)。6時に起床した。洗顔、シャワーを済ませ、借りて行ったWi-Fiルーターの設定をしたが、どうやっても受信できるようにならなかったので諦めた。14000円も払って借りて行ったのに使い物にならないのでがっかりした。

  このレンタルハウスの前は、高いバンクがあり、その向こうに川が流れていた。出発する前に川に降りて行ってその辺を見て歩いた。コガモの群れがいた。パンくずを投げてやると2羽が近寄ってきた。 他に、アヒルやトカゲもいた。

 10時10分ごろから1時間ほど、Macleanの小さな街を見て歩いた。ある手芸品店で見ていたら、日本語が聞こえた。中年の女性と熟年の女性が入ってきて、「早く来てよかった」と言っていた。

  話しかけたら、日本人で、若い方はその町に住んでいると言った。驚いたことに出身は名古屋だという。私も名古屋から来たと言ってしばらく日本語で話をした。この小さな街で日本人を見たので驚いたと言っていた。

  張さんは骨董に興味があるので骨董店に入って熱心に見ていた。中国の骨董もたくさんあったが、どうみても偽物臭さかった。

  街のストリートに車が走っていたが、ゆっくりと走っていた。横断する人がいると歩行者優先で待っていてくれた。

 11時50分ごろ、Turners Beachに着いた。広い砂浜が続いているきれいな海岸であった。

 それから車を走らせて、途中給油所でガソリンを入れた。ガソリンを入れるとペットボトルの水を1$と書いてあったのでそれを買った。ペットボトルの水はスーパーでは、2.5$である。日本とは比べ物にならないくらい高いのだ。だからオーストラリアの人は水道水を大きなボトルに入れて持って歩くのだ。

  トイレを借りたら、鍵を貸してくれたので驚いた。私が済ませるとすぐ男の人が入ってきた。ちゃっかりした人だ。

  途中ファストフード店でチキンサンドとグリンピーズを7.5$で買った。コーラは1缶2$で高かった。

  それからBellinaの近くのLennex Head(Beach)へ立ち寄った。とても美しい海辺であった。

  ゴールドコーストに着いたら、4時過ぎであった。先に来た李さんの友人の王さん親子がでて来た。互いに挨拶を交わした。王さんは2年前からメルボルンに住んでいるそうだ。

  レンタルのアパートを借りて5夜過ごすのだ。このアパートも食糧などすべて揃っていた。ただ行けば泊まれるという仕組みである。惜しいことにトイレが一つしかなく、オーストラり式なので洗面所と洗濯所とシャワーとトイレが同じ場所であった。7人で使うので、洗面やシャワーやトイレなどには大変不自由であった。

 夕方、ゴールドコーストの海辺に行った。アパートから2分もかからなかった。ゴールドコーストというだけあって、砂浜が広くてきれいでコーストラインが永遠に続く感じで延びていた。波の荒いところではサーフィンをしていた。

 100mぐらいの幅で旗が立っているところがあり、そこでは人々がたくさん集まって海水浴をしていた。エマは、旗と旗の間で海に入るとコーストのレスキュー隊が助けてくれるのだと言った。それ以外の場所は監視がなく、自己責任だそうだ。たった100mの幅である。オーストラリアではどこでも同じであった。

 浜辺には中国人をたくさん見かけた。私たちもダニエルと私以外は中国人であった。王さんの娘のドロシーは海を怖がって入らなかったが、ダニエルが巧みに説得してやっと渚に入った。次第に慣れてきて足元の波とたわむれるようになった。

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                      Macleanの街

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                      家の前の川

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                      Turners Beach

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                      Lennex Head
                     
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                        Lennex Head

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                       Goldcorst

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                        遊泳範囲   


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2015年2月 7日 (土)

2015オーストラリア旅行―⑦―

 1月19日(月)。今日は次の目的地Macleanに向かう。朝5時50分に起床して、洗顔などを済ませ、パッキングをした。

 7時20分ごろにベランダに出て皆さんとお茶を飲み話をした。このパラダイスともお別れだと思うと寂しい気持ちになった。李さんと真ん中に立っている大きな木を見に行った。地面からいくつもの幹が重なって出ている面白い形の木であった。別の木ではcokkadooがけたたましく鳴いていた。

 朝食を済ませると、10時半過ぎに出発をした。この日は曇りであった。途中果物店があった。安いが品物はよくなかった。少し行くとまともな果物店があった。そこでネクタリンなどを買った。

12時15分ごろ、マクドナルドに立ち寄り、簡単な昼食を食べた。簡単と言ってもサイズは大きかった。

 Wool Worthというオーストラリアの大きなスーパーへ立ち寄ってビールを買った。ドイツビールの小瓶6本入りで25$であった。オーストラリアでは缶ビールが少なく、ほとんどが小瓶のビールだった。

  途中の道路の風景は相変わらず代わり映えがしなかった。両側に林があり、牧場がありという同じような風景が続く単調な道であった。オーストラリアの道路標識で気付いたことは、スピード制限がたびたび変わることであった。100km、110kmがあるかと思えば60km、40kmなどの制限がある。それと交差点がロータリになっているところが多かった。

 3時40分ごろ、Jettyのbeachに着き、スナックを食べた。それから海岸を歩いた岩の上に大きなトカゲがいた。初めて見るトカゲであった。この後行くところでトカゲにであった。

 張さんたちはその海岸で水遊びをするといったので、エマと二人で長く突き出した桟橋のところまで行った。釣りをする人たちがいた。そこからはさらに向うに広がる砂浜が見られた。

次は車で展望台に登った。遠くの町や海が望まれた。エマがBig Bananaへ行かなきゃと言ってそこへ行った。大きなバナナ園であった。ここでも50cmぐらいのトカゲがいた。

19時半ごろに、スーパーに行き必要な食糧を買った。22時ごろやっと今夜泊まるレンタルハウスに到着した。戸建のきれいな家で、トイレが二つあり便利であった。何と食糧はすべて備わっていた。スーパーで買う必要はなかったのだ。とてもいい家なのでここにずっと居たいと言った。すべて込みで240$だといった。5人で割ると一人5000円程度である。

 エマが焼きそばを作ってくれた。ビールを飲みくつろいだ。23時ごろ床に就いたが、この夜は夜通し雨が激しく降り雷鳴があり稲光がしていた。

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                        大きな木
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                       安物果物店

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                      普通の果物店

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                      Jettyの海岸
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                      大きなトカゲ

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                      Jettyの海浜

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                         桟橋

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                        展望台
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                      展望台からの眺め

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                     レンタルハウスの居間

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                     レンタルハウス外観

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2015年2月 6日 (金)

2015オーストラリア旅行―⑥―

 1月18日(日)、朝5時半に起床し洗顔やシャワーをすませた。それからベランダに出て朝のきれいな空を眺めきれいな空気を吸いながらマイケルや張さんたちと歓談をした。マイケルは飲み物は何がいいと聞いて、ミルク紅茶を作ってくれた。ここは本当にパラダイスだと感じた。

 9時半ごろ朝食を食べた。グレープフルーツのシロップがあった。それで作り方を教えてもらった。グレープフルーツをスライスして汁を絞り、網のザルで濾すのだといった。グレープフルーツ7に対し砂糖を3の割合で入れるのだそうだ。

 マイケルとレスリーがプロパティを案内するというのでトレッキングに出かけた。10時45分ごろに出発をした。芝生を歩いて水を溜めてある池のそばを通った。水が足りなくなるとそこからポンプで貯水槽まで汲み上げるのだそうだ。

 またカンガルーが遊びに来ていた。林にはいろいろな実をつけた果物があった。途中林の中に入っていくと谷川があった。マイケルはそこで老犬に水浴びをさせるととても喜んでいた。川の水はクリーンで飲んでも大丈夫だと言っていた。

 林を過ぎて歩いて行くと隣家が遠くに建っていた。本当に広い敷地であった。芝生の一角に大きなカボチャがあった。種を蒔いておいたのだという。まるで野生のカボチャであった。林には高い木があり、灌木があり、果物の木があった。

 説明によると、パッションフルーツ、ラズベリー、ミンツ、梨、マカダニアナッツ、グアバ、Jabonicaba,などいろいろあった。タバコの木もあった。珍しいのはアボリジニが紙を作る木で、樹皮が薄くはがれた、それを使って紙を作るのだそうだ。

 梨をかじってみたが食べられた。パッションフルーツはもちろん食べられた。自然の中を歩いて家に戻ったら12時半であった。これでもプロパティの半分であった。マイケルたちは、いつもプロパティの中を歩き手を入れているので忙しいと言っていた。でも、自分の土地の中をトレッキングできるのは素晴らしいことで羨ましい。

 午後は少し昼寝をして14時45分ごろに出発して昨日とは違った海岸へ海水浴に行った。Cresent Headというところで、海岸に大きなキャンプサイトがあった。波が少し荒い海岸と波のない入り江があった。私たちは入り江の方に行った。

 浮子の代わりをするプラスチックの丸い大きな棒を使って浮いた。流れがあるので体をまかせて流れるのだ。李さんは泳げないので浮子につかまって楽しんでいた。エマも泳げないのでカメラで写真を撮っていた。

 私は泳ぐのは20年ぶりであった。そして分かったことは泳げなくなったことであった。筋力が衰えてしまったのだ。泳いでも少し泳ぐと疲れてしまった。それ浮子を借りて流れた。

 この入り江には、変わったクラゲがたくさんいた。変わったというのは足がないのだ。巨大なジェリーの塊のようであった。その写真をfacebookにアップロードしたら、小島さんから危険なクラゲかもしれないと忠告があった。マイケルは害を与えないと言った。

 夕方まで楽しんで、帰宅したら20時近かった。遅くなってしまい、カードマジックを見せる機会を失ったのが残念であった。

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                      広い芝生

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                  小川で遊ぶ老犬

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                       高い木

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                       梨を取る
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                     パッションフルーツ

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                         変わったクラゲ

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2015年2月 5日 (木)

2015オーストラリア旅行―⑤―

 マイケルの家には、プールもあった。夜マイケルの勧めでプールに入った。マイケルは「Beautiful!」と言った。後で分かったのだが、これは彼の口癖であった。プールに入ったあとシャワーを浴びてさっぱりとした。

私は「天国ですね」と言ったら、「Paradiceだ」と答えた。本当にパラダイスであった。

 プールの傍のテラスの梁にカエルがいた。じっと動かないで獲物を待っているのだ。触っても逃げない。エマが虫を捕まえて口の前に置くと、大きな口をぱくっと開いて食べた。また、網戸には小さな雨カエルがいた。

  家にはWi-Fiもあったので使うことができた。日本のメールのチェックや連絡にも不便はなかった。blogも読むことができた。

 1月15日の朝は、5時半に起床した。洗顔、シャワーを済ませると外に出た。空は真っ青で晴れ渡っていた。マイケルたちも起きて外のテーブルにいた。口真似をして「Beautiful」と言うと「Beautiful」と答えた。こういう空は日本では日本晴れと言いますと話した。

 指さす方を見るとカンガルーが来ていた。その後また家の周りを案内してもらった。敷地のことをPropatyと言っていた。40エーカーもあるのだと言った。隣家まで500m以上あるという。

 この日は張さんがマーケットを見たいというので、車で1時間ほど走ってHorse Shoe Bayまで行った。フリーマーケットをやっていたのでそれを見た。それから海岸の景色を見て砂浜の波とたわむれた。

 突端を回るとさらに別のbeachが展開していた。オーストラリアの海岸は砂浜の幅が広くて海岸線が非常に長いので日本にはない美しい海岸である。

 私がベルトを買いたいと言うと、レスリーが手作りクラフトショップに案内してくれた。そこで手作りベルトを買った。レスリーは自分が描いた絵を売っていた。なんでも絵をやり始めてから10年ぐらいだというので驚いた。手作りのJaboticabaジャムなどもここで売っていた。

 帰り道に第2次世界大戦のとき、岬に建っているドイツの捕虜を入れたという刑務所の外観を見た。中に入るには拝観料が高かったのだ。

 往復の途中アボリジニ居住区を通った。政府から住宅を供給されているのだそうだ。塀で囲まれていた。

 帰宅後一休みして、夕方カヌーイングに連れて行ってくれた。買ってから18年になるという日本車のバンの後ろにカヌーのキャリヤーを引いて川まで行った。

 3人乗りのカヌーで一人が1本のパドルを操るのだ。カヌーは初めての経験であった。上流に向けて上って行って下流に戻ってくると思って操っていたら、逆であった。もう1回どうかと言われたが、疲れたのでもう結構だと言った。張さんは2回目に挑戦をした。

 ディナーのあと、リビングで、持って行ったマジックをいろいろと披露した。みなさんとても喜んでくれた。

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                       プール

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                     Beautiful day

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                          カエル
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                      Horse Shoe Bay  


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                       レスリーの絵

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2015年2月 4日 (水)

2015オーストラリア旅行―④―

 シドニーに着いた翌日16日の金曜日はゴールドコーストまでレンタカーで行く日だ。途中ダニエルの実家に2泊し、さらにMacleanという町まで行き、そこで1泊して、ゴールドコーストまで行くのだ。

 朝、4時半に目が覚めた。顔を洗ってシャワーを浴びた。それからパッキングをした。

  出発したのは9時15分ごろで、Suthernland駅まで行った。そこで電車に乗ってCity Center駅まで行くのだ。電車は2階建ての車両であった。運賃は5$だった。

 Center駅に着くととても大きいので驚いた。各地へつながる線路が集中しているようであった。ダニエルたちがレンタカ―を借りに行っている間、張さんたちとHangry Jackという駅の中のCafeでカフェラテを頼んで待つことにした。2$であった。

 オーストラリア人はカフェラテを好むように見受けられた。大きなカップにすり切れ一杯でこぼさないように持つのが大変であった。

 駅の中のCafeまでカモメが来ていた。餌をやらないようにと書いてあったが李さんがやるとついばんでいた。

 Ctiy Center駅から借りてきたトヨタカムリでドライブが始まった。Sydney を離れると、高速道路の両側は灌木の林が続き、ところどころ牧場があり、どこまで行っても同じような風景であった。

 14時10分ごろにNewcastleに着いた。そこのBelmontのマッコーリ湖で昼食を食べることにして、近くのジャンボヌードルという中国料理の大衆食堂でそばをtakeoutした。10$もした。

 海岸のテーブルで食べたが日差しが暑かった。でも、海はきれいで眺めがよかった。イギリスのNewcastleにはDilumさんが住んでいる。同じ地名である。それで写真に撮ってfacebookにアップロードした。

 Newcastleを出発して、16時20分ごろ途中休憩をした。ボランティアがやっている休憩施設で、オーストラリアには各地にあるという。1$寄付してトイレを使った。張さんはここぞとばかりにボランティアに話しかけ英語の実践をしていた。

 17時10分ごろに、ダニエルの実家に到着した。広大な敷地であった。家のそばまでカンガルーの家族が来て出迎えてくれた。ワラビのような小さなカンガルーでこちらを見ている様子が大変かわいらしかった。

 荷物を部屋に置くと、家の周りをマイケルとレスリーとが案内してくれた。ところどころにいろんな果物の木が植えてあった。みかん(マンダリン)は終わりかけていた。オレンジ、レモン、バナナ、アボカドから柿まであった。その他珍しいJABOTICABAという果物の木もあった。ポリフェノールいっぱいの黒っぽい皮を剥くと白い身が出てきて食べると甘い。大きな木の根元から実が一杯ついていて別名を木のブドウというそうだ。この実を使ってレスリーはジャムなどを作って売っていた。とてもいい味であった。

 水は天からのもらい水だそうで、雨水を大きなタンクに貯蔵してパイプで引いて使っていた。

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                    Ctiy Center駅

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                      Belmont マッコーリ湖

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                   カンガルーの出迎え

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                    Jaboticabaの実 

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                    Jabotikabaの木

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                      オレンジの木

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                       バナナの木 
                

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2015年2月 3日 (火)

2015オーストラリア旅行―③―

 エマの家に着いたら12時近くになっていた。お互いに久しぶりの再会を喜んでハグをした。ダニエルともハグをした。

 荷物を部屋に置いて居間に行った。5年前に来た時と変わってはいなかった。昼食に何と香川県のそばを使った料理を作ってくれた。そばだから汁を使うと思っていたら、西洋風に油で炒めたものであった。こういう食べ方は初めてであった。日本そばがあることとその変わった食べ方に驚いた。

 大きなマンゴやネクタリンやスモモが籠に盛ってあり、それらを食べた。ダニエルがマンゴの安いのを見つけて買ってきたのだそうだ。マンゴは3つにスライスして種以外の2つには賽の目に切れ目を入れて、それを広げて食べるのだ。

 日本と違ってマンゴもネクタリンも安いようであった。だから果物は腹いっぱい食べた。

 隣家のSandyに挨拶に行って持っていたちょっとした手品を見せた。以前クリスマスに彼女の家でパーティをしたとき、マジックを見せたら喜んでくれたのを思い出したのだ。

 昼食後少し昼寝をして、夕方に車でドライブに連れて行ってくれた。行先は、Sutherlandの入り江のCoronulla Beachであった。風光明媚なところであった。車から降りて散策をした。大きな岩があり子供が軽々と登っていた。私も登ろうとしたが足元が不安定で中々難しかった。年を取ったものだと感じさせられた。

 夏のオーストラリアは、夜8時でもまだ明るかった。途中でCafeによってコーヒーを飲んだ。帰宅後ステーキがメインのディナーを作ってくれ、用意してくれた小瓶のビールを2本飲んだ。Sandyも来て一緒にテーブルを囲んだ。

 食後ダニエルに借りて行ったWi-Fiルーターの設定を相談した。分からないので日本に国際電話を掛けてサポートを頼んだ。結局シムカードを差し替えてみてほしいということであった。ダニエルにシムカードを差し替えてもらった。そのときシムカードの名前がついているのを見つけた。その名前とパスワードを入れて設定をしてくれたらその時はつながった。

 エマの家にいるときは、Wi-Fiを使えるので問題ないが外出した時にルーターがないと困るのだ。それで借りて行ったのであった。

 床に就いたのは、23時ごろであった。

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2015年2月 2日 (月)

2015オーストラリア旅行―②―

 仁川空港の出発時刻は、19時5分であったが、例によって40分も出発が遅れた。地上作業が遅れているというアナウンスが何度か流れた。

  離陸したのは19時40分であった。5時間も待たされてその上遅れるのはイラついたが仕方がなかった。B747は満席であった。ほとんどが韓国人であった。韓国とオーストラリアの関係がうかがえるように思った。

  安定飛行に入ると夕食が出た。3種類から選択できたが分からないので知っているビビンバにした。でも、食べ方が分からないのでフライトアテンダントに聞くと、日本語の食べ方の説明書を持ってきてくれた。隣の人もビビンバなのでそれを横目で見ながら説明書で確認をして食べる用意ができた。

 ビビンバは、モヤシなどの具が入ったケースとご飯のケースがあり、赤いビビンバのソースが入ったチューブと油があった。ご飯を具のケースに入れ、油を掛け、ソースを掛けてよくかき混ぜるのであった。味はなかなかよかった。ワカメの吸い物もついていた。

 サッポロビールと韓国のビールをもらって飲んだ。韓国のビールはあまり良くなかった。長いフライトなのでゆっくりと食べた。

 オーストラリアまで11時間ほど、長い夜であった。音楽を聞いたり、うつらうつらとして過ごした。現地時間4時ごろに朝食が出た。チキンを選んだが隣の人のビーフを見てそちらの方がよさそうなのでがっかりした。

 パンとおいしくないフルーツとものすごく甘いケーキが付いていた。ケーキはコーヒーと一緒に食べた。朝食はおいしくはなかった。

 コーリアンエアのフライトアテンダントは、背の高さが揃っていて、スタイルの良い美人ばかりであった。韓国では背の高さも選考の基準にするようだ。美人のアテンダントを眺めるのは無聊の慰めになった。

 距離が長いせいか飛行機は遅れを取り戻し、数分の遅れでシドニー空港に着陸した。iphoneの時刻は自動で変わっていた。現地時間7時8分ぐらいであった。

 出国の検査を済まし、手荷物受取へ行った。荷物を受け取ると傍に通貨交換所があったのでそこでとりあえず10万円交換した。107.38で950ドル余であった。後で分かったのだが、その交換所の手数料が一番高かった。ただ、領収書をくれてオーストラリアドルを円に戻すときは手数料は要らないから大事に持っているように言われた。

 外に出ても迎えは来ていなかった。エマたちは1か月間のアメリカ旅行から前日に帰ったばかりで迎えに来られないのだ。空港には2時間後に上海からエマの両親が到着するので合流して、タクシーで行くことになっていた。

 時間があるので、まず、Wi-Fiを使えるようにしようと思った。そばにVodaphoneのカウンターがあったのでやり方を教えてもらった。Free SydneyのWi-Fiがあった。

 Wi-Fiが使えるようになったので、Cafeでコーヒー(3.9$)を頼み、エマに連絡をした。通信ができるのでホッと安心をした。WiーFiで日本のメールのチェックや日本のニュースを見ることができるので便利であった。

 日本で借りて行ったWi-Fiルーターも使えるようにしようと思いやってみたがうまくできないので、またソフトバンクのカウンターへ行った。親切にいろいろやってくれたが結局できなかった。

 エマにオーストラリア旅行にどのぐらいドルを用意したらよいか尋ねたら、交換した分だけでは足りないというので、また交換をすることにした。2か所交換所があったが手数料は違っていた。それで一番安いところで6万円分交換した。104.40で565ドルであった。円安なので円の値打ちが下がっていると実感した。

 空港の通貨交換所の手数料は便利なとこほど高いことが分かった。遠くなるほど安いのだ。ちなみにもう一つのところは、106.50であった。

 いろいろやっているうちに2時間過ぎた。上海からは同じ時刻に着くフライトが2つもあることが分かった。カンタスだと聞いていたのでその到着時間を調べた。

 中国人が次々に出てきたが両親はなかなか現れなかった。エマに連絡しようと思って操作していたら、突然声を掛けられた。両親だったのだ。再会を喜んだ。空港タクシーに乗ってエマの家に向かった。

 シドニーのタクシーで驚いたのは、刻々とメーターが上がっていくことであった。信号待ちの間にも50セントぐらい上がってしまうのだ。空港から家まで40分ぐらいで100ドル余りだから1万円余りになる。

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                    Satharnlandの入り江  

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2015年2月 1日 (日)

2015オーストラリア旅行―①―

 シドニーに住むエマの招きでオーストラリア旅行に出かけた。最初に声を掛けられたのは昨年の9月頃であった。今回はゴールドコーストまでレンタカーでドライブするということであった。私は東海岸には行ったことがなかったので非常に魅力を感じた。しばらく考えた末行くことに決めた。

  10月に格安航空券を探し、結局HISを通して大韓航空で行くことにした。キャセイ航空も魅力的であったが、最安の大韓航空にした。113220円(すべて込み、往復)であった。

  1月に入ってレンタルWI-FIルーターの格安キャンペーンを申し込んだ。予備電源共で1日約1000円であった。

  70歳以上は海外旅行の保険を受け入れてくれるのは、損保ジャパンだけである。それで直前に申し込んだが3800円程度であった。

  オーストラリアは夏なので夏のシャツや下着や靴下を8日分用意をした。結果的には、パンツと上着のシャツと半ズボンで過ごしたので、肌着は無用であった。

  オーストラリアに向けて中部空港を出発したのは、1月14日11時50分。まず韓国の仁川空港へ向かった。約2時間のフライトであった。

  仁川空港での乗り継ぎには5時間の待ちであった。5時間をどう過ごすか思案したが、とりあえずあの大きな空港の中を歩いてみることにした。

  歩いていると、中にトラムが走っているところがあったので驚いた。時間つぶしに乗ってみようかと思ったが、次々と中国人が降りてくるのでやめにした。どうやら中国行のGateへ行くらしかった。

  中国と言えば、仁川空港の中の表記は、韓国語と英語以外は中国語で、どこにも日本語はなかった。日本の空港では、韓国語表記をしているのとは大違いであった。それから見ても中国人で韓国に訪れる人が如何に多いかが想像できた。実際歩いている客も中国人が圧倒的に多かった。

  そのうちに無料のネットを利用できる場所があることが分かりそこへ行った。パソコンが5台ほど置いてあった。Wi-Fiは使えるのでiphoneで接続をした。

  近くに休憩所があり休んでいる人がいたので、私もしばらく転寝をすることにした。有料のラウンジがあったのでいくらか尋ねたら、39ドルと言ったのでやめた。そしてしばらく歩きまわったが、韓国ウオンを持ってないし日本円も細かいのは持ってなかったのでどうしようもなかった。

  また、ネットのできるところへ戻ってそこにある体をもむ機械を使うことにした。使い方の戸惑っていたら、隣のご婦人が声を掛けてくれた。日本人であった。

  それがきっかけで体を揉みながら時間を過ごすことにした。その女性はツアーでドバイに行ってきた帰りで、やはり待ち時間が5時間以上あるのだと話した。気さくな方であった。札幌へ戻るのだと言っていた。

 時間があるので、持っていた簡単な手品を見せたら驚いていた。手品のタネを2つ上げたら喜んでいた。

 その人は仲間のところへ戻って行ったが、まだ出発の7時までには2時間ほどあった。5時間待つというのは長いとつくづく感じた。空港の中の店はたくさんあっても興味がないので覗く気にはならなかった。仕方がないので、Gateの待合室に行って待つことにした。

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                   Sydney Suthernlandの入り江

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                  Sydney市中行きの鉄道が通っている

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