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2015年1月22日 (木)

転載「タラの木のふしぎ 末期がんからの生還」(河村光恵著)⑨

18)  怒鳴りつける夫

 そして手術の前日、血相を変えて帰って来た夫は、いきなり私を怒鳴りつけました。

 「おれをだましたな!ガンだと分かっていたなら、手術なんかしなかったのに!」

 と。八月三十一日、その日は台風の上陸で物凄い雨と風の日でした。トタン屋根の工場はすざましい音をたて、丁度私達と同じく大荒れでした。

  

19)  泣き!叫び合った二人

  大声で話さないと聞こえない事を幸いに、私は初めて大声で泣きわめきながら腹の底から夫に怒りをぶつけました。

 「そんな事を言って、まだ修治がいるじゃない!まだ死ぬわけには、いかんでしょうがっ!あんたが死ねば修治は片親の子となる!結婚式で誰が親の挨拶をするのよ!嫁を貰ってからなら、いつ死んでもええ!痛くたって苦しくたって生きるよりしょうがないでしょうが!」

 と私は耐えに耐え、こらえにこらえていた悔しさが爆発してしまったのです。私の半狂乱の攻撃にびっくりした夫は、

 「分かった!分かった!明日は手術と決まってる!今さら止める訳にはいかん!」

 と言い、二人は台風に負けない程の声で泣きました。

  

20)  こんな重い仕事を一人でしていたのか?

  ドッと入った仕事は、八個も額の入った重い玄関の扉が四十五本でした。重い扉を横にして、扉のふちを機械で貼る仕事をしていた私に、夫も手伝い

 「こんな重い戸を一人で作っていたのか?」

 「うん・・・」

 「かわいそうに・・・」

 と言って、また泣きました。

 息子も朝早くから夜、遅くまで必死で働いていました。医師から夫のショックが大き過ぎるから、親戚には当分の間知らせないでほしい!と言われ、夫の病気を隠しました。

  三人の仕事を二人でする事になり、ふらふらで命がけでした。

 「父さんがいなくなったら、こんな重い戸も、一人でせならん!(しなければならない)手術をして治ってくれなきゃー困るよ!工場を建てた借金と機械を買った借金を返し、修治が嫁を貰ったらいつ死んでもええ!それまでは死んではいかん!」

 「馬鹿!」

 と夫が怒鳴り、トタンを叩くすごい雨の音の中で、思い切り泣いたりしゃべったりしました。二人はすっきりした気分になって、夜遅くまでもくもくと仕事をしました。三人分を二人でしている苦しさを見て、病める体で夫もおそく迄手伝ってくれました。

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