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2015年1月15日 (木)

転載「タラの木のふしぎ 末期がんからの生還」(河村光恵著)②

2)医者に行きたくない夫

 そして、一ヶ月ほどがたった時、夫はまた、

 「トイレの後には、必ず出血が続いている」

 と言うのです。

 「どんな色?」

 と聞く私に、夫は、

 「真っ赤な血だ!」

 と答えました。私は胃ガンの末期で、死、寸前の姑を家に引き取り、この手で看て来ましたので、「真っ赤」と聞いて少し安心しました。

 そして四ヶ月がたった時、私が腸閉塞になり入院し、さらに、二ヶ月が過ぎていました。私は、夫の病状の事はすっかり忘れていました。

  そんなある日、夫はまた、ぽつんと言ったのです。

 「おれ、まだ血が止まらん!」

  びっくり仰天した私は、直ぐ医者に行くようにと強くすすめました。何となく医者に行きたくない夫は、

 「痔だで、ええ!」

 と言って医者へ行きません。私は、

 「病気を大きくしてから行く事はないでしょう!」

 と怒りました。

 すでに大出血から半年がたっていました。それでも夫は、忙しい仕事に気をまぎらわせ、行きませんでした。八月に入り、

 「盆休みにでも、行くか・・・」

 と、やっと行く気になったのです。出血から十ヶ月がたっていました。

  

3)詰まる寸前の肛門

  夫は、細いミミズほどの便が、やっと少しずつしか出ないと、言って、一日に、八回も九回もトイレに入っていました。

  盆休みになり、病院へ行った夫は、真っ青な顔をして帰り、

 「医者が、出来るだけ早く、家族に来て貰うようにと、言ったから直ぐ二人で病院へ行ってくれ!」

 と言いました。私は、

 「わかった!」

 と言って、仕事に出かける長男と、トラックに乗って直ぐ家を出る事にしました。心配そうな夫に、私は、

 「父さん!私は、病院からバスで、直ぐ帰って来るからね!」

 と言い残し家を出ました。

 車の中の二人は、不安で言葉はありませんでした。病院に着き、先生の前に黙って二人は並んで座りました。

 「手遅れです。仮に手術が成功しても、必ず三ヶ月後には、再発します。そして半年と思って下さい!」

 と、一気に言われたのです。 私は、後頭部を「ガーン」と、バットで一撃されたような衝撃を受け、頭がぼんやりしてぼーっとなりました。

 気を取り戻した私は、

 「先生!万が一助かる!という事は、ありませんか?」

 と、震える心をおさえて聞きました。先生は首を横に振り、

 「そういう事は、考えない方がいい・・・」

 と、ぽつんと言われました。そして、

 「ガンも悪性で当然、肝臓にも転移していると思う・・・お尻の出口はガンが大きく、詰まる寸前だった」

 と言われ、あ然としました。

  私は、あふれる涙もふかず、黙って息子の車に乗りました。真っ青な息子は、見た事もない程のけわしい顔をしていました。

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