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2015年1月18日 (日)

転載「タラの木のふしぎ 末期がんからの生還」(河村光恵著)⑤

8)  胸が詰まりのどを通らない食事

  胸が詰まり、なかなかうどんがのどを通りません。 むりむり食べていた長男が、

 「僕、もう食べられない・・・」

 と言って箸を置きました。続いて次男も、

 「僕も、食べられない・・・」

 と言って箸を置きました。お爺ちゃんが大好きな孫は、夫の横に座り、美味しそうに黙って食べていました。静まり返った中で私は、

 「こんなに美味しいうどん、残しちゃー勿体ないよ! 母さん食べるよ!」 と言って長男の残したうどんを食べました。そして、

 「あんたのも食べるよ!」

 と言って次男の残したのも食べました。息子達はがっくりして笑い、

 「ほんとによく食べられるねー」

 と言っていました。夫もいつもの笑顔に戻り、

 「おっかにはまいる・・・」

 と言って笑いました。二人の孫をじっと見つめていた夫は、

 「さあー 帰ろうか・・・」

 と言ってゆっくり立ち上がりました。

  

9)  腰の抜けた二重のショック

  家に着いた夫は、金庫から「カンカン」を一つ取り出しました。

 「何かしら?」

 と思っている私に、夫は、

 「ここに、金がこれだけある・・・」

 と言ったのです。私は「ドキン」としました。結婚以来ゼロから二人で作った財産なのに、なぜか隠しに隠し、全部のお金などたったの一度も見せた事が無かったのです。

  自分だけは驚くほどの大金を持ち歩き、妻の必要なお金など一さい出さず、耳もかさず、自分の身内の事には驚く程の大金を出し、私の身内には義理も恥もかき通して来た人です。いつもの口ぐせは、

 「おれが何に使う! お前や子供のために働いているのだぞ! おれが死んだ後困らんように貯めてるだけだ!」 

 と言い、その言葉をいやと言うほど聞き続けて暮らした三十五年間でした。

 緊張の一瞬でした。一千万か? 二千万か? いや三千万か? と思い、息を飲んで待ちました。しかし目の前にあるのは、十センチ角の高さ十五センチのドロップのカンカン一つでした。

 「おやっ?このカンカンはたしか小銭が入っているはずだが?」

 と思いました。重いのは知っていました。そうだこの中に大金の定期預金通帳が・・・と思い直し、目を皿のようにして、息を飲み中から出て来る物を待ちました。夫は新聞紙を敷き、カンカンをひっくり返し、小銭をあけました。私は急いで中をのぞき込んで見ました。

  久しく見た事のない昔の一万円札がひしゃけて、入っていました。

 「おやっ?まさか・・・これきり?」

 と不安がよぎりました。

 いや!その下に通帳が・・・と、また思い直し、早く!早く!と、なぜか気があせる私でした。

  ギュンギュンに詰め込まれたお札はなかなか出て来ません。

 やっと「スポンー」と出た!急いでカンカンの中をのぞいて驚きました。底は、さびかかったカンカンの底だけしかなかったのです。

 「これで、全部?」

 と思わず言ってしまったのです。

 「うん!」 

  と悪びれる様子もなく夫は答えました。そして、

 「五十万円はある! これで医者代を払ってくれ!」

 と言ったのです。私は「ぺたん!」とついたお尻がもう動けなくなってしまい、口も聞けない状態になってしまったのです。

  銀行にも預けず、穴を掘り何十年もしまって置いただけのお金は、四十分の一以下の値打ちしか無くなり、オイルショックもあり、値打ちのない一万円札になってばたばたと消えて行ったようでした。一ヶ月一万円の給料が手に出来ない時に初めて出来た一万円札は骨董品でしかありませんでした。一ヶ月三十万円、四十万円の給料の時代に出て来たお金が哀れでした。

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