新聞の書籍広告から
11日の朝日新聞に、次のような書籍広告が出ていた。一つは「将来の学力は10歳までの読書量で決まる!」というものであり、もう一つは「億万長者ボードを重ねるだけでロト7が当たる本」というものだ。
前者の題名を見たとき、直観的に思ったことは、もし、この題名の通りだとしたら、戦時中に育った自分はどうなんだ?ということであった。
日中戦争から始まって、次第に戦線が拡大する中で、「物資」が不足し、食糧や衣類などが欠乏し、配給制となった。生活必需品さえそんな具合であったから、本などは手に入らなかった。
近所の友人の家に、「冒険ダン吉」とか「ノラクロ」の漫画本があり、題名は忘れてしまったが、南方のジャングルの探検を描いた本があり、それを借りて読んだのを覚えている。しかし、読書とはとても言えないものであった。
それに太平洋戦争が始まると、勉強どころではなくなっていった。国民学校の児童でも野外にかり出され、軍馬の餌となる草を刈らされたり、飛行機の油になる松の根を運ばされたりした。
本など読む機会は全くなかった。学校には図書館があり、蔵書があることを知ったのは、戦後2年ちかく経ってからであった。まだ貸し出しをしていなかったのを担任の先生の計らいで借りてきて読んだ。
「丹那トンネル」という、東海道線の熱海付近にあるトンネルの掘削の話と、「ファーブル昆虫記」であった。それをむさぼり読んだのだ。
そういう訳で、先の書籍の広告に従えば、10歳までは読書はほぼゼロであったのだ。10歳までの読書量が将来を決めるというのなら、私の今あるのは読書ゼロのせいだということになる。けれどもあの時代、誰もが同じ境遇にあったと思うのだ。よほど恵まれた子供だけが本を読めたかもしれないが。
私は少年少女時代の読書が大切であることを否定する気持ちは毛頭ない。私も勤めている頃は読書の大切さを説いて、父母の協力を得て学級に本を揃えたりしたし、読み聞かせも毎日やった。
私の子供は、いくら言っても本を読まなかったが、大人になって本に興味を持ち、いつも本を手放してはいない。本人が必要だと自覚して初めて本気で本に向かいだしたのだ。
だから、先述の書名のように、刺激的に書かれると、思わず「ウッ」となってしまうのだ。10歳までの読書量が将来を決める!に惑わされるなと言いたいのだ。
もう一つの本の題名もセンセイショナルである。もし、それが真実であるならば、この本を読んで、その通りにやった人は、全員がロト7に大当たりということになる。そんなことがあるはずがないのは、ちょっと考えれば分かるはずである。
だいたい宝くじを買ったり、馬券を買ったりする人は、自分だけは幸運が来ることを願っている。運を信じるしかないのだ。それを科学的に必ず当たる法則があるかのようにいうのはおかしいということに気付くべきである。
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本の広告や書店で並んでいる本をみても読みたいと思う本は少ないです。売れっ子の著者になると、いろいろな出版社から次々と本を出していますが、そういう本は読みたいとは思いません。
投稿: らら | 2015年1月12日 (月) 09時18分
多くの読者は先ず本の見出しを見て買うかどうかを決めるケースが多い。昨今の出版不況もあって、とにかく刺激的な見出しが多いが、読んでみるとそれ程の話ではないとがっかりさせられることが多い。週刊誌などの見出しは特にその傾向が顕著で、分かっていても騙されることが多い。ベストセラーを連発する?幻冬舎もその傾向が強い。読書については、やはり風雪に耐えて読み継がれた名著を読むべきで、しかも再読が大切である。なぜなら読む時期でまた新たな発見があるからである。因みに私は引越の際に殆どの本を捨てて今、蔵書は100冊程度である。
投稿: Toshi | 2015年1月12日 (月) 07時05分