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2015年1月23日 (金)

転載「タラの木のふしぎ 末期がんからの生還」(河村光恵著)⑩

21)  宝の道具と涙の別れ

  仕事を終えた夜遅く、自分の仕事をする台の上に、夫は自分の道具を全部並べて私を呼びました。

 「これからは、おれの道具を使って仕事をせよ!」

 と、くちゃくちゃの泣き顔の夫が覚悟の道具との別れを口にしました。

  夫の道具は手入れが行き届きそれは良く切れるのです。

 私の「かんな」「のみ」は使うだけで手入れは夫任せです。自分の道具が切れなくなると、時々内緒でそっと夫の道具を使って怒鳴られていました。命の次に大切な道具なのです。

  夫の気持ちを思い、へなへなと倒れそうに泣きました。私は、

 「うん・・・」

 とうなずき、

 「後の事は何にも心配せんでもええよ!明日は手術だで、早く寝ないといかんよ!」  

 と言いました。

  

(22) この世の別れ、自分との葛藤 

 「明日の朝もう一度風呂に入ってから病院に行く!手術は二時だぞ!」

 と夫が言いました。私は、今日が最後になるかも知れない!と、 

 「そうだ!父さんの喜ぶ返事をしなくては!」と、ふと思いましたが止めました。

 「生まれ変わってもまた一緒にならうね」なんて、この口が言ってはくれません。良い返事をするには、その返事の前に、今までしてきたひどい女性差別の仕打ちに対する心からの詫びの言葉がどうしても必要。

  風習とはいえ、女性の人権を余りにも無視したひどすぎる態度の夫でした。妻は下女か道具としか思わず、無休無給で何年間も下着一枚も私の物は買う事を許しませんでした。むごい仕打ちをしている事にも気づいていないのです。

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