年末に第九を歌う楽しみ
今年も残すところ僅かとなった。名古屋では11月ごろからベートーベンの第九を歌うコンサートが頻繁に開催されている。
その一つが名古屋市芸術文化センターが公募で選んだ市民のコーラスで、これは11月下旬に終わった。以前に参加したことがあるが、最近は聴くだけである。
阿波踊りの名言に、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損、損」というのがあるが、第九にも当てはまる。
私が第九合唱に初めて参加したのは、中川区政70周年を祝うために結成された「中川市民合唱団」であった。当時有志と年配者の男声合唱団を作たのだが、指揮者の先生が中川第九のことを教えてくれたので申し込んだのであった。
かねてから一度第九を歌ってみたいと思っていたので、まことによい機会であった。何よりも幸いであったのは、初心者にも丁寧に指導してもらえることであった。だから練習に通っているうちにドイツ語の歌詞を暗譜して歌えるようになった。
それが病みつきとなり、以来毎年第九合唱団の募集を探してどこかに参加して来た。毎年違う指揮者の指揮で歌うのも楽しみの一つである。指揮者にもいろいろあり、指導の仕方や歌い方の重点が異なっている。
女性指揮者は、松尾葉子さんと田中優子さんの二人を経験したが、どちらも最後の追い込みでものすごく速い歌い方を要求された。必死に舌を動かすのだが、気分はよかった。田中優子さんの指揮は身振りが大きく分かりやすくて、非常に歌いやすい。
第九を歌い続けて来て改めて思ったのは、この歌が大変変化に富んでいて、その構成が巧みであることだ。音の高いところは非常に高くて大変だが、ベートーベンが交響曲の手法で作ってあるので、そうなっているという説明を聞いて納得した。
ソロあり、ソリストの合唱あり、男声合唱あり、また、非常に静かに歌うところやものすごく高揚するところがあり、テンポの速さもいろいろ変わる。だから毎年歌っていても楽しいのだ。
そして、いつも思うのは、ベートーベンが聴力を失ってから交響曲第9番ニ短調125が作曲されたということである。自分の耳で確かめることができないのに壮大な交響曲を作曲したことに思いを致すのである。
ただ、ベートーベンはシラーの詩に感激をして作曲をしたといわれるが、私はクリスチャンではないので天国もキリストも無関係である。その辺は理解の外にあるが、それはそれとして、曲そのものを評価し、いい曲だと思うのだ。
通常、ドイツ語で歌うが、それをみても詩の意味は重要視されていない。それに日本人は宗教には寛容であるから、詩の意味などは深く考えないのであろう。
「自由と平和の歌」とも評される「歓喜の歌」である。「同じ阿呆なら歌わにゃ損、損」である。第九は日本で殊の外愛されていると言われるが、ベートーベンは全予期していないことであった。天国でどう見ているであろうか。
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コメント
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私は鳴門へ行ったとき、第九の記念館を見てきました。そのときはまだ第九を歌うとは思ってもいませんでした。
投稿: らら | 2014年12月26日 (金) 09時14分
第九は日本映画の忠臣蔵と同様に年末に興行されれば必ずお客を呼べる定番公演になっています。今回、その第九が日本で初演されたエピソードを初めて知りました。それによりますと、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ軍の兵士が日本での捕虜生活の待遇が良かったことに感謝して、収容所内で演奏したのが始まりだそうです。時は1918年、場所は徳島県の鳴門町で映画化もされたとのこと。日本はその頃までは国際法に則って紳士的に捕虜を扱っていました。ところが昭和の戦争あたりからおかしくなってきたのだ。それはさておき久しぶりに生の第九演奏を聴いて感動しました。
投稿: Toshi | 2014年12月25日 (木) 06時31分