光恵の面白い話から転載
命がけの愛
母の幼なじみの「スーちゃん」が転んで、太ももの骨を折ってしまいました。外科に入院しましたが、八十七歳の高齢のスーちゃんには、痛いリハビリには耐えきれず入院が長引き、半年がすぎまったく動けなくなってしまいました。食事も出来なくなり点滴だけの毎日が続きました。医者も家政婦さんも首を横に振るようになってしまったのです。
口も聞けないスーちゃんに、家族は今日か?明日か? と心配し、つききりの看病が続いていました。息子の聡ちゃんは、デザインメリヤス製造の忙しい社長さんです。もう何日も生きられない母親に、聡ちゃんは、母が時々口にしていた、
「家に帰りたい!」
という願を、何としても叶えてやりたい!と、思い医者に何度も頼んだのです。
「一度でいいから家に連れて行ってやりたい!」
と。
しかし、医者は、
「とんでもない!」
と言うだけでした。もう長くない命に、いたたまれなくなった聡ちゃんは、とうとう医者と大喧嘩になってしまったのです。鼻からのクダ、胸からの点滴、酸素マスクと、目の離せない母の姿に息子の聡ちゃんは、一大決心をしたのです。
「死んでもいいから帰りたい!という母親の願が聞いてやりたいから家に連れて帰る!」
と、医者に宣言をしたのです。怒った医者は、
「家につくまでに命はない!」
と、怒鳴ったそうです。母を思う聡ちゃんは、自分で点滴をはずし、酸素マスクを取りはずし、小水の管を取り、やせ細って軽くなってしまった母親を、両の手でしっかり抱きしめ病院をあとにしたのです。
そして意識のうすれる母にほほをよせ、聡ちゃんは、
「おれの腕の中で死ね!」
と言ったそうです。その時のことをスーちゃんは、
「家に帰れる!息子の腕の中で死ねる!と思い、嬉しくておうおと泣いたよ!」
と嬉しさいっぱいに私達に話されました。
家に着き生きていた母親に、聡ちゃんは、
「なんでもいいから、食べられそうな物を考えて言え!」
と、言ったのです。すると何とスーちゃんは、
「美味しいアナゴの寿司が食べたい!」
と言ったそうです。
人を大切に思う聡ちゃんは、
「よし!わかった!うまいアナゴの寿司を買って来るで待っておれよっ!」
と言い、とうてい食べられないと思った寿司を最後の食事にと急いだのです。幾月も何も食べていないスーちゃんは家に帰れた嬉しさに興奮して、
「わしが死んだら、息子が殺人者になる!生きないかん!」
と思ったのだそうです。そして「かんで、かんで一生懸命食べたんだよ!」
と私に話されました。なんと
「おいしい!おいしい!」
と言って二つも食べられたのです。息子を思う母の一念と、母を思う息子の一念がなんと奇跡を生んだだのです。
アナゴが食べられた事で勢いづいて必死の看病が始まりました。気持ちがすっかり元気になったスーちゃんは、社長夫人(嫁)の涙ぐましい看病に、立ち上がり歩けるまでになったのです。
見舞いに行った仲良しの私の母に、スーちゃんは、
「トメちゃん!わしは考えをかえた!トメちゃんが寂しがるで、死ぬわけにはいかんで、頑張って生きることにした!」
と言いました。沢山あった友達が年と共にいなくなり、気がついた時は幼なじみの仲良がたった二人にまでになってしまったのです。
泣いて喜び合う年老いた二人を、聡ちゃんと、奥様と、私は幸せいっばいで見守りました。すると聡ちゃんは母親のスーちゃんに言いました。
「お前さんは、トメちゃんに話したいことがいっぱいあるだろう?あっちに行ってとるで、何でも話せよ!」
と笑って言いながら立ち上がって工場の方へ行きました。スーちゃんはいつものスーちゃんにもどり、
「あるある!話すことはいっぱいあるぞ!」
と、へらず口をたたいたので、皆で大笑いになりました。
スーちゃんは「医者にこの人は百歳までは生きる!と言われて、又これも悩みだよ!」
と言いながら嬉しそうでした。
「早く嫁を楽にしてやりたい」
と、言うスーちゃんに、私は、
「おばさんはこの家の宝なのよ!宝をなくした家族の寂しさも考えて生きてね」
と言いました。私の母のためにも生きていてほしいと願いました。母とスーちゃんの、心温まる老いた二人の友情に嬉しい一日が過ぎて行きました。
母とスーちゃんが八十歳、母の姉九十歳を過ぎた頃からの、毎月行く一週間ずつの三人の温泉行きは、私が付き添って行きました。そんな時、タイルが滑るのが怖くて一人ずつ手をひいて湯船に入れる私ですが、スーちゃんは、
「聡が、タイルは滑るで、はってお風呂に入れ!と言ったでよー、はって行かないかんで、湯船まではって行くわな!」
と言い、息子との約束を守り、タイルをはって温泉に入るスーちゃんに、面白い私の母は
「聡は見とれせんでええで、光恵にとまって歩いてはいりゃぁー」
と言い、息子との約束を守って脱衣場から湯船まではっているスーちゃんにいつも笑うのです。
思い合う親子の愛に、胸が熱くなる私でした。戦前戦後と助け合い、食糧難の時期に五人も、六人もの子どもを育て生き抜いた幼馴染みのすーちゃんと、トメちゃん!残り少なくなった人生の一コマでした。
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