道徳を「教科」にする必要があるのか?
安倍首相は、第一次安倍内閣のときからの”悲願”であった「道徳の教科化」をやることが決まった。10月21日に文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が答申を出したのだ。それにより、2018年度にも小中学校の道徳が「教科外の活動」から「特別の教科」に格上げされる。
「特別の教科」というと、私には戦前の「修身」が思い起こされる。国民学校の頃、修身によって「忠君愛国」「戦争賛美」が叩き込まれた。少国民と呼ばれた私たちは、「天皇陛下」の言葉を口にするときには「直立不動」の姿勢をとったのであった。
戦時中なので、「欲しがりません勝つまでは」とか「鬼畜米英」「チャンコロ(支那=今の中国)などの言葉が刷り込まれた。また「君に忠に、父母に孝に」「長幼の序」が徹底してたたき込まれた。
道徳が教科になることで、そして検定教科書が使われることで、特定の価値観が子どもに押し付けられることが懸念される。これまでのような多様な教材ではなく教科書となるとその内容を教え込むことに指導の中心を置く教員も出るであろう。
第一次安倍内閣の時に「教育再生会議」が道徳教科化を提言したときに、当時の伊吹文科相が難色を示し、教科書検定や評価が困難だとして見送られたのであった。それが安倍首相よりの下村文科相の下で異論なく教科化がきまったのである。
自民党は、特別秘密保護法にしても、集団的自衛権行使の閣議決定にしても教育委員会制度改革にしても、全て大した議論もされずにすんなりと決めてしまう。今回も同じである。
いったい安倍首相の本当の狙いは何であろう。これまでの道徳教育のどこがいけないというのであろう。いじめが多いからであろうか。モンスターペアレントが増えているからであろうか。
これまで社会のマイナスの面が「日教組」のせいであると、安倍首相を取り巻く評論家や政治家から決めつけられてきた。日教組の教員が道徳教育をゆがめて今ある様な社会をつくりだしてきたというのだ。だからこの辺りで道徳を教科にし、文部科学省の意図する道徳教育を徹底しようというのである。
いじめにしても本当は政治貧困が作り出したものだ。収入の少ない不安定な仕事にしか就けない人が増え、生活保護受給者が過去最高となり、そうした中で貧困な子供が増え、結果として学力の格差が広がっている。政治はそうした重要な課題を優先して取り組むべきである。
アベノミクスにより潤ったのは大企業関連だけである。何度でも言うがトリクルダウンはなかったし、今後もない。社会の格差はますます広がるであろう。
道徳教育の強化では子どもや人々の考えや態度を変えることはできない。政治が温かい眼で国民の生活の不安を取り除き、国民が安心して暮らせる世の中にすることが大事である。
幸い日本には良い伝統と培われた世界から注目されるよい点がある。その例の1つは、大災害時の整然とした行動と助け合いである。こうしたことは人々の日常の生活の中から自然に作りだされるものである。東日本大震災後、絆が生まれ、思いやりの心が広がった。そうした中で子どもの心も育まれていくのである。
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日本では、ご指摘の中間層が減ってきているのが問題です。低所得層を増加させ、一握りの富裕層が優遇されている状況で道徳強化はお門違いだと思います。
投稿: らら | 2014年10月26日 (日) 18時08分
世界を震撼させているあの残忍極まりない「イスラム国」は有志連合による空爆にも拘わらず、勢いは衰えていないという。欧米からこのイスラム国に加わる若者は後を絶たないそうだ。その背景にあるのは絶望的な貧困問題にあるといわれている。このまま希望のない生活を送るより、イスラム国にはまだ希望があるかもしれないと思う若者がいても不思議ではない。資本主義はほかっておけば、強者がますます太るシステムである。グローバル化がさらに拍車をかける。極論すれば政治の役割はそれに歯止めをかけ富の再分配政策(社会保障)を推進することである。日本は分厚い中間層が存在することが強みであった。それが他国に比べモラルの高さや治安の良さを維持してきた要因である。道徳教育が不必要というつもりはないが、中間層を没落させない経済政策が先であると思う。
投稿: toshi | 2014年10月26日 (日) 10時35分