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2014年8月 7日 (木)

広島・長崎に原爆投下69年

 広島と長崎に原爆が投下されて69年になった。8月6日の朝日新聞朝刊は1面と33面に吉永小百合さんのインタヴューを大きく取り上げた。


 1面の大見出しは、「日本人は核にアレルギーを持って」と「命を守るため『さよなら原発』」という吉永さんのメッセージの核であった。

 世界で初めて原爆を2度も投下され、さらにはビキニ環礁でのアメリカの核実験の死の灰を浴びた。日本はただ一つの原爆被害国である。

 ビキニでの死の灰を浴びたのは第五福竜丸だけでなく、当時あの辺りには100隻もの漁船が操業していたという。

 そんな日本人は核に対してアレルギーを持つべきだという吉永さんの訴えは大きな意味を持つ。

 私が高校生の頃、歌声運動がさかんで、陸の孤島と言われた新宮にも歌声運動が持ち込まれ、小学校の講堂で夜に集ってよく歌ったものだ。

 夏になると、友人たちと現熊野古道の熊野川へ行ってボートを漕ぐのが楽しみであった。そんなとき私たちは「原爆許すまじ」の歌を歌ったものである。歌詞と言い、メロディといい心を打つものがあり、「ああ、許すまじ原爆を、三度許すまじ原爆を世界の上に」と歌った。

 あれから60数年、この歌もいつのまにか歌われなくなったが、是非歌い継いで行きたい歌である。

 カラオケに行きはじめてから、美空ひばりの「1本の鉛筆があれば」を覚えた。松山善三作詞のこの歌は第1回広島平和祭で歌われたものだという。でも私はそのことを知らなかった。覚えたらとてもいい歌で、聞くところでは、美空ひばりも10指に入れていたそうだ。

 戦後69年経ち戦争を知る者は少なくなり、戦後生まれの政治家が戦争への道を開こうと憲法解釈を変えて集団的自衛権行使の閣議決定をした。

 今も世界の各地で戦闘が行われているが、パレスチナ ガザ地区とイスラエルの戦争を見ても実に悲惨なものである。この地球上から戦争が無くなることは望めそうもないが、希望だけは捨てずに、戦争を無くそうと言い続けることが大事である。

 同様に核についても核兵器は廃絶すべきであるし、一旦事故が起きれば放射能の被害をどうすることもできない原発は止めるべきである。日本人は核の怖さを誰よりも学んだはずである。だから原爆と原子力はNOだと言い続けることが大事である。

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戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

 私はカラオケに行き、原爆に思いをはせながら美空ひばりの「1本の鉛筆」と藤山一郎の「長崎の鐘」を歌いました。

今年も原爆の日、終戦の日がやってきた。毎年この時期になると原爆や太平洋戦争の秘話といった特集番組がTVで放映される。今年は集団的自衛権の憲法解釈変更による容認が閣議決定された後であり、各メディアが核と平和の問題をどうとりあげるか興味深い。9日の長崎の原爆の日には田上市長が平和宣言に集団的自衛権の文言を入れるといわれている。
私は田上市長はかねてより気骨のある人物だと思っているのでどんな取り上げ方をするのか注目している。個人的にはNHH BSで放映された話題の世界ドキュメント番組「カラー版 第一次世界大戦」を録画したのでこれを見るのが楽しみである。

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