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2014年6月11日 (水)

おれの”おやじ塾” 昭和区の誕生激動の昭和12年

 6月8日の日曜日に昭和区社会福祉協議会で「おれの”おやじ塾”という講座があり、要請を受けて我が昭和男爵コーラスも出演した。この講座の主催者は、昭和区ボランティア連絡協議会と昭和区社会福祉協議会であった。


 おやじ塾というのは今回で第2回目だということであった。サブタイトルに「地域で 家で いきいきおやじ に!」と書いてあった。

 講演は、「昭和区の郷土史講演会」と題して、講師は元中日新聞編集委員の加藤龍明氏であった。

 約50分余りの講演で主題は「昭和区の誕生~激動の昭和12年」であった。昭和区が誕生したのが昭和12年で、今年は77年つまり喜寿の年だそうだ。

 それまであった明治41年4月からの中区、東区、南区、西区の4区から、昭和12年には昭和区の他に、中川区、千種区、熱田区、港区、中村区の6区が分割してでき10区になったのだそうだ。

 私は中川区区制70周年を記念して作られた中川区合唱団に参加し、第九を歌ったが、昭和区なども70周年だとは全く知らなかった。

 我が昭和男爵コーラスも昭和区70周年の年に誕生したのだ。

 ところで昭和区などが誕生した昭和12年は激動の年であったという。日本が、世界が戦争の時代へと突入した激動の転換期であったと講師は話した。

 喜寿の今年、奇しくも安倍政権によって歴史的転換をしようとたくまれている。後世になってあの時がそうであったと言われないことを願っている。

 この年に、名古屋港開港30周年、人口100万人突破を記念する汎太平洋開催への都市基盤が整備された。東洋一と言われた国鉄名古屋駅、桜通り開通、東山動植物園開園、市電路線網拡充、鶴舞駅開業。

 3月15日に半太平洋平和博覧会開幕。78日間で480万人入場。

 しかし、平和を冠した博覧会の後、7月7日に北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が武力衝突して日中戦争が本格化し、12月には非戦闘員を大量虐殺した南京事件が起きた。

 さらにヨーロッパではナチスの空爆ゲルニカ事件、日独伊防共協定、大本営設置など戦争への道をまっしぐらに進み始めたのだ。

 よいこととしては文化勲章制度、ヘレン・ケラー女史来日、トヨタ自動車創立などがあった。

 変わった事件としては、名古屋城金の鯱ほこのうろこが50枚以上盗まれた。この時は事件が解決するまで極秘にされた。それは名古屋城が恩賜であったからだという。

 昭和区に決まったのは、広路村と御器所村が喧嘩しないようにという配慮があったそうだ。

 概略以上のような昭和区制発足当時のことが話された。でも、考えてみれば、名古屋が10区制になった年が激動の年であり、戦争拡大への始まりの年であったということである。

 その後我が昭和男爵コーラスが「遠くへ行きたい」「琵琶湖周航歌」「銀色の道」「上を向いて歩こう」の4曲を歌った。「旅」というカテゴリーで括れる歌であった。

 おやじ塾参加者は高齢男性ばかり37名、関係者7名であった。その人たちには楽しく聴いて頂けたと思う。

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コメント

 おやじ塾ということで高齢者ばかりでしたが、現役の世代の人たち対象のセミナーもあるといいですね。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男の有名な句があるが、昭和も随分遠くなったものである。私が就職した頃はまだ明治生まれの人が上司でいたのであるが、今は明治生まれの人は殆どこの世に存在しない。司馬遼太郎は昭和のことはあまりに近いし、色々と差しさわりがあるので書かなかったが、これからはもっともっと昭和史が書かれ、研究されてもいいと思う。それにしてもなかなか面白い企画だったと思います。

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