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2014年4月 7日 (月)

鯨の思い出

 オランダのハーグ国際司法裁判所は、日本の調査捕鯨を中止させる判決を出した。これにより日本の調査捕鯨はできなくなった。

 訴えを起こしたオーストラリアは、調査捕鯨に乱暴狼藉を働くシーシェパードを支援して来た国である。

 日本以外では、捕鯨をするのはノルウェーやアイスランドなど僅かな国であるため負けてしまったのであろう。

 不思議なのは、捕鯨に反対をする連中が、わざわざ飼育をして、大事な食糧として食べている牛や羊や豚や七面鳥などについては何にも言わないことだ。大量に飼育し屠殺をして食べるのは捕鯨以上に残酷なことだと思うのだが。

 鯨が巨大な生物だから憐みに思うのであろうか。生命という点では軽重はないはずである。

 私が鯨をたべていたのは45年ぐらい前までである。子どもの頃は南紀新宮に住んでいたから、近くに捕鯨で全国的に知られた太地町があり、毎日鯨の肉を売りに来た。

 行商のおばあさんが、頭の上に桶を載せてそれに鯨やイルカの肉を入れて歩いて売りに来た。たくみにバランスを取って歩くので凄いと思って眺めたものだ。イルカを売る時は「イルカいらんかのうし」と節をつけて叫びながら歩いていたので、その巧みな洒落に感心したものであった。

 戦時中や戦後は食糧が不足をしていたが、その頃は牛肉や豚肉を食べる習慣はなく、仮にあったとしても高くて食べられなかった。新宮には牛肉店がたしか1軒あっただけである。お金持ちだけがたべたのであろう。

 ほとんどの人たちは鯨とイルカの肉を食べていたのである。鯨の肉はフライパンでステーキのようにして食べた。またイルカの肉は細かく切ってネギなどと一緒に煮て食べた。イルカの肉は臭みがあったし、脂肪がたくさんあった。のちに鴨の肉を食べたとき、イルカに似た臭みがあると思ったものだ。

 太地町の漁港には、捕鯨船がズラーッと係留されていて、しょちゅう太平洋に行って鯨を取っていたから、鯨やイルカの肉は安くて大変ありがたいタンパク源であった。

 大学に入り下宿をしたときも、市場に行って、ときどき鯨のベーコンを買っては食べていた。鯨は栄養もたっぷりあったのだ。

 戦後南極捕鯨が始まって、ナガスクジラや白ナガスクジラなどの巨大な南極の鯨の肉が食べられるようになった。牛肉や豚肉が食べられるようになるのはずっとあとのことなので有難い肉であった。

 鯨肉を食べなくなってから45年以上になると思うから、調査捕鯨中止になっても全く影響はないが、鯨肉を食べる伝統的な文化からみると残念なことだと思う。

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コメント

 たまにスーパーでクジラの肉を売っていることがあります。でも、今は買って食べようとは思いません。

シーシェパードの乱暴、狼藉には私も怒り心頭に発したし、これを支持するオーストラリアもまともな国とは思えなくなった。中国やロシアの調査船なら問答無用で彼らを撃破すると思う。日本はそこまではしないと読んでいるのであろう。それにしても牛や羊の命ならよくて、クジラはだめという理由がまったく理解できない。増えすぎたクジラがえさにする小魚の量は人間が漁獲する量をはるかに超えているとの話もある。生態系のバランスを維持するためにも調査捕鯨は必要であると思うのだが。ところで小学生の頃、給食でクジラをよく食した経験があったが、その当時は固くてそれ程旨い肉とは思わなかった。冷凍技術が進んだ現在、クジラの刺身は絶品だそうである。是非食べてみたいが、、、?

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