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2014年4月 8日 (火)

日本語の文末決定性について阿川佐和子さんの見方から

 阿川佐和子さんの「聞く力」P.151に次のような文章がある。

 大学時代、言語学の授業で習ったところによると、日本語の肯定か否定かは、欧米の言語などとは異なり、文章の最後に決定されるのですね。

 すなわち、英語の場合なら、「この料理はおいしくないねえ」という場合、「This dish is not so good」という具合に、主語の直後に肯定か否定かを決定しなければならないのに比べ、日本語だと、「この料理はおいし・・・・」まで、肯定否定を表明しなくてもいい。

 「おいしくないなあ」と心の中で思っていても、「おいし」まで言ってみて、目の前にいる上司の顔色を見たら、「ずいぶんおいしそうな顔をしている」ので急遽、「いですよね」と自分の主張を引っ込めることができる。

 つまり、相手の反応を窺いながら、自分の言うことを決められるという、まことに便利な言語のつくりになっているというわけです。

 こうした言語のつくりのせいか、日本人はとかく、自分の主張より、とりあえず相手やまわりの状況をみてから自分の意見を決める傾向にあるように思われます。

 日本語は、阿川さんが書いているように、文の最後に述語がきて、そこで初めて肯定か否定かなど、話者の判断が分かる構造になっている。このことを「文末決定性」という。

 日本語の文末決定性は大事なことなので、国語の読み取りのときにも注意をして読むように指導した。また、外国人に日本語を教えるときにも文末できまることを話している。

 韓国語は日本語と文法が似ているらしいから、やはり文末決定性をもつのだろうか。中国語は英語のように肯定か否定かは主語の後に来る。

 欧米語や中国語のような言語は、話者の判断が初めに示されるので分かりやすいといえる。

 阿川さんの説明を読んで気づいたのは、日本語を話すときに、話者は文の最後で意味(話者の判断)を変えることが可能だということである。

 相手の顔色や反応を見て、はっきり言うとかあいまいに言うとか否定するとか変えることができるのでビジネスや政治の場面で活用されている。

 日本人は態度をあいまいにぼかすのを好むと言われるが、日本語もそれに適した言語になっているから興味深い。日本人の民族性からそういう日本語を育てて来たのか、それとも、日本語の言語構造があいまい好みの日本人を作ってきたのか、どちらなのであろうか。

 英語や中国語で話すと意志や判断をはっきりと伝えやすいが、日本語ではストレートな表現は好まれない。日本では言外の意を察知することが大事だとされてき た。これからも日本語の構造は変わらないだろうが、態度の面では判断をはっきりと述べるように向かうのかも知れないと思う。

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コメント

 ご指摘のように、多民族国家でははっきりとした言い方でなければ困るでしょうね。

投稿: らら | 2014年4月 8日 (火) 08時42分

日本人は略単一民族なので、多くを語らずともお互い理解できることがあると思う。昔からものをはっきり言う人は煙たがられ、以心伝心、阿吽の呼吸、察するという態度が好まれている。アメリカや中国は多民族国家なので単刀直入な言い方でないと通じにくい面があるのかもしれない。日本は外交ベたと言われて久しいが、日本人のこうしたメンタティーによることが大きいように思う。聞く力はよく売れている本なので一度読んでみたい。

投稿: Toshi | 2014年4月 8日 (火) 08時04分

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