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2014年4月

2014年4月30日 (水)

「老年症候群の診察室」から―④―虚弱化の仕組みとプロセス

 いつの間にか若いときには想像もできなかった年齢まで生きてきた。大学生の頃は人生50年と言われていた。でも、50歳になってみるとまだバリバリの働き盛りであった。

 60歳で定年を迎えたが、まだまだ働きたい気持ちが十分あった。ただ働き口がなかっただけである。

 定年後は人間ドックに行くのもやめて、身体のどこかが不調になったときだけ医者にかかり、70歳をすぎてからは、成人病検査(現在は成人健康診査)を受けるだけである。

 鼠径ヘルニアとか腰痛とか白内障とかの個々の病気では医者にかかるが、これまでのところは長い入院はないので助かっている。

 65歳からが高齢者と言われるようだが、それ以後は毎年体力が落ちていくことを感じ、後期高齢者になったら、一層自覚するようになった。

 健康に関する書物をいろいろと読んで参考にしてきたが、最近読んだのは「老年症候群の診察室」(大蔵暢著、朝日選書)である。この本によって「老年症候群」という言葉があることを初めて知った。

 この本によると、高齢者特有の健康問題を老年症候群と呼び、認知症、老年期うつ、転倒、慢性めまい症などの例を挙げている。

 老年症候群に至る前は、「老い」(しわ、肺活量低下など)と「疾病」(脳梗塞、糖尿病など)、「心理的社会的ストレス」(孤独、経済困難など)があり、それらが作用して「老年症候群」になる。

 それが進むと、老年医学でいうところの「虚弱化」が起きるという。虚弱化した高齢者を「虚弱高齢者」というそうだ。

 高齢者の虚弱化は、日々見えないところで進んでいる。通常の病気でない老いに加えて、複数の病気や多くの薬の服用、心理的・社会的なストレスが加わることによって、物忘れやうつ症状がひどくなったり、転倒したりする高齢者特有の健康問題が出てくる。それらが高齢者の心身全体の虚弱化の大きな要因になると述べている。(P.20)

 虚弱化によって、「悪い健康イベント(急病、事故、要介護、死亡)が起きてくるというのだ。

 虚弱化のプロセスと次のように示している。

①健康期  安定した歩行、栄養状態良好、認知症なし、抑うつ症なし、日常生活

        自立

②虚弱期  不安定な歩行(補助具使用)、早期認知症、抑うつ症状あり、軽度要介

        護

③高度虚弱期  車椅子使用、ベッド生活、体重減少、進行期認知症、重度要介護

④終末期  意識混濁、嚥下障害、脱水・栄養失調、肺炎・尿路感染症

 著明に進行した虚弱をもとに回復させることは極めて困難であり、その意味において高齢者の虚弱化は、ゆっくりと進行する死へのプロセスだと言えると言っている。海外でも85歳以上の高齢者では一度失った日常生活機能を元に戻すことはほぼ不可能だという報告があるそうだ。(P.20~21)

 認知症や老衰の人が死に至るには、3つのパターンがあるという。

●突然死、   ●急病    ●老衰自然死

 高齢になるといつ何が起きてもおかしくない。だからこのような尺度を頭に置いて時々自分がどの位置にあるのかを確かめることが大事だと思った。もっともそれができるのは虚弱期までであろう。

  ※ネットの参考資料  老年期症候群について

 http://www.igaku.co.jp/pdf/1205_resident-01.pdf

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2014年4月29日 (火)

「老年症候群の診察室」から―③―診察と薬の問題点

 高齢者は高血圧とか糖尿病とか眩暈とかいろいろな身体の不調や病気によって医者にかかることが多くなるが、症状によって別々の医者にかかり、それぞれの医者から処方された薬をもらうことになる。

 「老年症候群の診察室」によると、ある人は5つの医療機関にかかって、17種類もの薬を貰っているという。そういうことが医療費を無駄に使うことにもなるが、一方では医療機関が採算上の問題で薬をどんどん出すということも起きている。

 薬には糖尿病や高血圧などの原因になっている臓器や器官へのサポート作用(効果)と他の臓器への負荷作用(副作用)が混在しているので、ある病気を治そうとする試みが、時には裏目に出て、副作用の方が強くでることがある。(P.17)

 病気が1つか2つしかなく、薬も少なければ、シンプルに作用し、医師の側も何が起こっているか理解できるが、病気も薬も増えてくると、病気自体が悪くなったのか、薬同士が干渉し合って相互作用が出ているのか、副作用なのかが、高齢者専門医でも分からなくなることがあるという。(P.18)

 こうした問題を減らすには、患者を全体的の診ることが大事だが、残念ながらそうなっていないそうだ。受診している医療機関が多すぎて、どの医者からも全体を見た適切な治療を受けていない可能性があるというのだ。

 病気をもった高齢者がどうしたら安全に、快適に生活を続けられるかを考えた全人的な見方が必要だと述べている。(P.14)

 そうした考え方に私も賛成である。個々の病気を対象療法的に診るのではなく、高齢者の場合は、総合的な診療が望まれるのである。

 日本では65歳以上が25%になり、すぐに30%、40%になると言われている。団塊の世代が後期高齢者になるのももうすぐである。高齢者医療をどうするかは、経費の面以外にも喫緊の課題である。安倍政権にはすぐにでも取り組んでほしいと思う。

 

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2014年4月28日 (月)

日本は生水が飲める有難い国

 ヤフーニュースを覗いていたら、中国の人民網の「なぜ日本では生水が飲めるのか」という記事があった。

 日頃何も気に留めずに水を飲んでいるが、改めて外から言われると、なるほど日本は生水が飲める有難い国なんだと再認識させられた。

 この記事に書いてあるように、日本ではレストランへ行くと、どこでも先ず水がサービスで出されるし、公園、駅、高速道路サービスエリアなどでも水を飲むことができる。日本人の感覚では水はタダである。

 外国へ行くとそうはいかない。フランスやドイツやアメリカなどでも水道の水は飲めないし、フランスではレストランで水が有料なので驚いたくらいだ。中国ではペットボトルの水さえ危険だから気を付けるように言われる。中国へ行く場合は日本から飲料を持参する人もいるくらいだ。

 日本は山国で、しかも河川は急流が多いから、きれいな水が得られるという利点があるが、その他に人民網は次のことを指摘している。

 1つは、日本人が水質を誇りとしているというのだ。「九州には『太陽と水と緑』という標語がある。山々に包まれた長野県は「水は命」と宣伝している。おいしい米の産地として知られる新潟県は、水を「立県の本」としている。質の高い水源がなければ、質の高い米を作れないことを知っているからだ」

 このようなことは私は知らなかった。しかし、日本酒は水質を大事にするからよい水の土地によい酒が造られるのは有名である。

 私が育った熊野の地は「山紫水明」と言われ、我が母校の校歌にもうたわれていた。

 次に指摘していることは、水資源の管理を非常に重視していることで、水に関わる法律だけでも30数種類あると言っている。環境基本法、工場排水等の規制に関する法律、水質汚濁防止法は知っていたが、公共用水域の水質保全に関する法律とか、湖沼水質保全特別措置法などは知らなかった。

 さらに政府だけでなく、各自治体も水資源の保全のために厳しく管理をしていて、安心して飲める水の供給に努めていると書いている。

 中国のネットでこのように日本の水について取り上げられたことは大変嬉しいことである。ふだん何気なく飲んでいる水をもう一度見直してみることが大事だと感じた。

 21世紀は世界的に「水」が大きな問題になるとい言われている。水不足を見越してひと儲けを企んでいる企業もあると聞く。中国の企業が日本の良質の水源をもつ土地を抑えているという報道もあった。たかが水、されど水である。安閑とはしておられない問題をはらんでいる。

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2014年4月27日 (日)

「老年症候群の診察室から」―②―胃ろうについて

 高齢になって、脳梗塞など何かの病で入院して口から食べられなくなったとき、胃ろうや経鼻栄養補給などいくつかのやり方がある。

 どの方法にも問題点はあるようで、そのような状態になった場合は、何も処置をしない方がよいという医師もいる。

 「老年症候群の診察室」の大蔵氏は「胃ろう」についてP.150、~151に次のように書いている。参考になると思う。

 2000年に米国で行われた比較調査について書いている。その調査は、嚥下がうまくいかないので食事ができない、老人ホーム入居者を対象にした臨床試験でのものである。

 胃ろうを造設し人工栄養補給を行うグループと造設しないグループに分けて調べたのだ。

 結果は造設して人工栄養補給をしたグループでは、1年間では約50%の人が亡くなった。一方何もしなかったグループでは約60%が亡くなったというのである。

 この結果をどう見るか。胃ろうをした方がいいとみるか、それともどの道半数は亡くなるのだから大差はないとみるか・・・・・。

 胃ろうをした方には、体重や血液中の栄養の指標であるアルプミン値が少しだけ増えたという。栄養補給をしているのだから当然といえば当然である。

 では、胃ろうを造設したら、栄養補給ができて、歩けない人が歩けるようになったり、認知症が改善したり、苦痛が緩和したり、幸福度が増したりしたと周囲も認めることができたかというと、そうはならなかったそうである。

 結論として、次のように書いている。

 「これらの研究結果をみると、老衰終末期での胃ろうからの人工栄養法は、患者さんの状態はそのままで、残された時間だけを延ばす「純粋な延命治療」だと言わざるをえないことがお分かり頂けると思います。そしてこのことは、私や他の多くの医師の経験や見解と合致しています」

 これまでも、「大往生をしたけりゃ医者とかかわるな」や「平穏死という選択」や「医者に殺されない47の心得」などにも胃ろうは無用と書いてあったと思う。

 胃ろうなどの処置で多少の延命ができても、QLO(生活の質)が改善される訳ではないのだから、高齢になったら諦めて(現実をしっかりと見て)自然な死を迎えるのがよいと思う。

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2014年4月26日 (土)

大事だ健康な身体を取り戻すために食生活の改善を訴えるシェフ

 4月23日に放送されたスーパープレゼンテーションは、子どもの食生活の改善が大事だと訴えているイギリスのシェフ、Jamie Oliverが登場した。

 演題はTeach every child about foodというもので、動き回りながら熱弁をふるった。

 彼が言うところによると、アメリカでは2/3の人が太り過ぎだという。それについては誰しも認めるところであろう。私もアメリカに行ったとき、余りにも多くの巨体の人に出会ったので驚いたのを思い出す。

 カナダでも太った人が多かった。ロシア美人も年齢を重ねるうちに大変太った女性になる。西洋人は太る人が多いというのが印象である。

 ジェミーは、「皆さんが恐れる、殺人や自殺による死亡はランキングでは下の方にあり、トップは心臓病であり、次がガン、3番目が数字が大きくさがって、脳の病気である」と言って笑わせていた。

 これらの病気は生活週刊からくるもので、食生活を改めれば減らすことができるというのだ。

 今の若い人たちは料理の仕方を教えてもらったことがなく、家庭で料理をすることもないという。ファストフードなどを買って食べるので太るのだという。

 彼は三つの視点から食生活改善の重要さを話した。

 それは「家庭」、「学校」、そして「企業」での取り組みについてであった。まず、家庭では、よい材料を買ってきて料理をしそれを家族で食べることである。アメリカのある家庭のファストフードの写真を見ると、炭水化物、塩、砂糖、油などの塊みたいなもので、それを山のように食べるので、家族が象のように太っている。

 二つ目は、学校給食と学校での調理法の指導についてである。学校給食を各学校での手作りに改め、食材も地産地消で行くべきだというのである。日本でも学校ごとに作る給食から、地域で作るものに変わってきたと思うのだが、以前のような学校での給食調理が大事だと思う。

 それから、子どもたちに学校で、料理の仕方や食物の知識を教えるべきだと言っていた。日本では高学年家庭科で調理を少しは教え、栄養についての授業もするが十分とはいえないかもしれない。

 三つ目は、食品企業が添加物の少ない、砂糖や塩や油の少ない健康的な加工食品を提供すべきだというのである。例として、牛乳の味をよくするために入れられている砂糖の量が大変なものであると角砂糖で示していた。

 加工食品は日本でも危険なものもたくさんあり、とりわけ輸入食品は問題視されている。加工食品を買うときは注意をすることが大事だし、食べる量にも気を付けることが望ましい。

 アメリカ政府は肥満対策に年間1500億ドルを使っているがすぐにそれが3000億ドルになるだろうと警告していた。

 日本でも家庭で料理をしない人が増えているといわれる。でき合いに頼るのではなく、新鮮でよい食材を買って家で料理をする習慣を大切にしたいものである。

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2014年4月25日 (金)

埼玉県の高校の教員の入学式欠席問題

 埼玉県の別々の高校で、1年生担当の高校の教員が入学式を欠席して、自分の子どもの入学式に出席した問題が、ネットで大騒ぎになっているという。とうとう23日の朝日新聞社会面にまで取り上げられた。

 この問題について、Yahooニュースで何度も取り上げられているのは知っていた。でも、それほど関心は持たなかった。新聞によると、賛否は2分でこの行動を支持する派が若干上回っているとか。

 私は、元教員であるが、自分が担任する学年の入学式であれば欠席すべきではないと思う。ただ、高校だからクラス担任でなければ欠席しても問題ないと考える。

 4人の教員の子どもの入学式は、小学校、中学校、高校とあったそうだが、初めての入学式である小学校の入学式には、何としても出席してやりたいというのは人情である。

 でも、中学、高校となれば、休んでまで子どもの入学式を見に行ってやるほどのことではないと思う。

 私が子どもの頃は、中学校や高校の入学式に親が行くことはなかった。というより子どもの方が親が来るのはカッコ悪いと思ったのである。

 それが、昨今は、親が大学の入学式にまで堂々と、しかも人によっては両親が出席するようになっているらしい。

 小学校の入学式には父親も出席するのが普通になっている。時代が変わったのだなあと感心している。我が家は小学校に近く、家の前を両親に手をつないでもらった子どもが通るので、妻と「父親が入学式に行くのは当たり前になったんだね」と半ば感心して話している。

 私が勤めていた頃、自分の子が小学校一年生になるとき希望して1年生の担任をやらせてもらう教員がけっこういた。担任する子達と比べて自分の子を見ることができるからというのが理由であった。その教員が休んで自分の子の入学式に行くことは決してなかった。

 もし、どうしても入学式に出席したければ、1年生の担任を希望しなければよいのである。

 卒業式の場合には同じような欠席は起こらなかったのであろうか?知りたいところである。

 

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2014年4月24日 (木)

働く人を抑圧することばかりの安倍政権

 4月22日の朝日新聞1面トップ記事を読んで驚いた。政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)が、労働時間に関わらず賃金が一定になる働き方を、一般社員に広げることを検討するというのだ。

 労働基準法で原則1日8時間労働と決められていて、残業や休日・深夜の労働には企業が割り増し賃金を支払うことを義務づけている。

 しかし、企業は、人件費を抑えたり、もっと効率的な働かせ方をしたいと考えている。そうした企業の要求に沿って「労働者派遣法」を”改正”しようとしているが、それだけでは飽き足らず、「残業代ゼロ」の対象を広げようというのだ。

 年収1000万円以上の高給社員の他、高収入でなくても、労働組合との合意で認められた社員も、本人の同意の上で組み入れようというのである。

 このやり方が実施されれば、企業が社員を長時間働かせた上で賃金を抑えたり、労働時間が歯止めなく長くなるおそれがある。

 安倍政権は、第一次政権のときにも、高収入の社員を対象とした「ホワイトカラー・エグゼンプション」として法改正をしようとした。だが、過労死促進、残業代ゼロなどの批判を浴びて断念したいきさつがある。

 安倍政権がやろうとしていることは、企業の側に立ち労働者を抑圧し、ひいては搾取しやすいようにすることばかりである。まさにマルクスが予見したことが現実になろうとしているのだ。

 江戸時代には「百姓と菜種油は搾れるだけ搾れ」と言われたが、それは「労働者と菜種油は搾れるだけ搾れ」と言い換えれば現代にも通じる格言である。

 安倍政権は、衆参両院で安定過半数を握っている間に、やれることは何でもやってやろうという政治をブルトザーのように推し進めている。公明党も今や安倍政権の中で飼いならされてしまった忠実なポチである。

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2014年4月23日 (水)

「英語はインド式で学べ」という考え方

 iphoneで週刊誌記事をブラウズしていたら、「従来の英語学習法5つのウソ、インド式英語学習法は非ネイティブに最適『英語はインド式で学べ!』」というのがあったので、興味を引かれて覗いてみた。

 安田正という人が提唱していて、同名の書籍がダイヤモンド社から刊行されているそうだ。

 世界には英語を喋る人口が20億人いて、その内ネイティブは3億人で、あとの17億人は非ネイティブだという。それで非ネイティブ同士の英語によるコミュニケーションを取りやすくするために、「世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ」は、これまでの英語より10倍も簡単になっているというのだ。

 世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ)という用語を初めて知った。誰がいつごろから言いだしたのであろうか。

 それはともかく、簡単な訳は4つだという。

①発音は気にしない

 20世紀までの英語はネイティブの真似をして受け身の英語であったが、21世紀からの英語は通じるための「道具」としての英語だというのだ。

 確かに、国際化が叫ばれるようになって、英語会話が重視される頃から、ネイティブに少しでも近づきたいと、日本人は一生懸命努力をしてきた。それまでは文法と読解と英語作文が大事だとされていたのが大きく変化したのであった。

②イディオム(慣用表現)は使わない

 私も英語会話の勉強を始めたころ、インストラクターから、イディオムを覚えることを強く勧められたのを思い出す。GETとGOとMAKEとTAKEでできたイディオムが大事だという本があったような気がする。

③新しい単語を覚える必要はない 

 英語を話すには最低3000語程度の単語を覚えることと言っていたっけ?

④英語が得意でない人でも使える

 日本人は英語が不得手だと言われ、英語がうまくならないのはどうしてかという議論がなされてきた。そして英語上達の本がゴマンと出版され、NHKは英語番組をずらりと並べて英語偏重の放送をしているくらいだ。

 しかし、世界には、ピジン・イングリッシュとか、インドネシア・イングリッシュとかアフリカン・イングリッシュとかいろいろあって、彼らの話す英語は確かに分かりやすい。アフリカに行ったときなど自分の英語がうまくなったと錯覚したくらいである。

  日本人で英語が喋れない人は99%もいると安田さんはいうが、何を根拠にしているのかは分からない。確かに、ネイティブを基準にして言えばそういうことになろう。

 私はグローバル化の時代になり、英語が世界共通語のようになったのは困ったことだと思う。理由は、ネイティブの3億人には非常にメリットがあるが、そうでない人には劣等感を抱かせるし、ビジネス等の交渉などでも大変不利になるからである。

 そんなとき、大丈夫何もネイティブのようにならなくても、非ネイティブの17億人とコミュニケーションがとれればいいのさ・・・・というメッセージはとても心強い。

 さて、従来の英語学習法には5つのウソがあると指摘している。

①英語の先生にはネイティブが1番

②たくさん聞き流せば英語は話せる

③単語をたくさん覚えれば話せる

④TOEICなどの英語のテストの点が良ければ話せる

⑤ネイティブの発音に近づければ話せる

こうしたウソに脅されて勉強してきたから英語ができないのは当然だという。

 英語で話したり聴いたりするとき、話のポイントがつかめればよいのだと言っている。その程度におさえて気楽に構えればよいというのだ。

 「英語はインド式で学べ」というが、英語を公用語とし、イギリス系の英語を話すインド人の英語の発音は大変聴きづらく、ネイティブでも聞きとれないという人もいるくらいだ。そのくらい堂々としていればよいということなのかと思う。

英語は「インド式」で学べ!

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2014年4月22日 (火)

砂川事件最高裁判決と限定的集団的自衛権行使容認論

 安倍首相の悲願である、憲法9条の廃止と集団的自衛権行使は、憲法改正はすぐには無理だと考えて、憲法の解釈を変更して、集団的自衛権行使を可能にすべく閣議決定をしようとしている。

 それに対して公明党が煮え切らない態度なので、高村元外相が1959年の砂川事件の最高裁判決が有力な論拠になると言った。この高村発言は、朝日新聞によると、外務省の幹部の入知恵だそうだ。「砂川判決が限定容認論を支える知恵になると高村氏に提案した」と話したそうだ。

 当時の最高裁判決では、個別的自衛権について述べただけで、集団的自衛権については全く考えられていなかった。以来歴代自民党政権も個別的自衛権だと言ってきたのである。

 それを安倍首相は、何とか集団的自衛権行使容認にしようと折に触れ取り上げて、今回圧倒的多数で国会を握ったのを機に、一挙に解釈変更をしようとしているのだ。しかも閣議決定というやりかたで。

 高村発言を境にして、限定的集団自衛権行使論が自民党内に増えたといわれる。またこれなら公明党も賛成するだろうと踏んでいるようだ。

 この点に関して、憲法改正論者の小林節慶応大名誉教授は、朝日新聞で「権力による憲法泥棒」だと厳しく批判している。

 そして「憲法解釈の変更だけで集団的自衛権の行使を認めて自衛隊の活動の縛りを解けば、無条件に海外派兵される道を開くことになる。いくら限定的といっても一度認めてしまえば、日本はいずれ米国の要請で世界中の戦争に関わる国になりかねない」と警鐘を鳴らしている。私もそうなることを最も恐れている。

 もう1つ非常に重要なことが朝日新聞社会面に書いてあった。それは砂川判決の一審を担当した松本元裁判官が、2008年以降、米国で開示が進む公文書の中身に愕然としたということである。

 判決前に、当時の最高裁長官が米国側と連絡をとり、全員一致で一審の無罪判決を破棄する意向を伝えたというのだ。

 判決の前に米国に伝えるという耳を疑うようなことが平然と行われたというのだ。最高裁判所は憲法の番人である。それが政治的な動きをして裏で米国の意向に従っていたというのである。日本の最高裁までもが国民の利益に背きアメリカの顔色を窺っていたということが暴露されたのである。

 アメリカは何とかして集団的自衛権行使ができる日本にしようとしている。それに応えようと必死なのが安倍政権である。

 特定秘密保護法ができたし、国民にとって死活の問題も秘密として知らされなくなるであろう。恐ろしい時代になったものである。

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2014年4月21日 (月)

老年症候群の診察室から―①―

 図書館で「老年症候群の診察室」(大蔵暢著、朝日選書)を借りて読んでいるが、日常生活動作を3つに分類していることが分かった。 

 人が社会で自立して生きていくために必要な活動を日常活動動作(Activity of daily livinng=ADL)という。

 それには3つあり、一つは高度日常生活動作(Advanced ADL)で「その人らしさ」を定義する活動や動作である。趣味や専門や職業に関係したものである。

 この「その人らしさ」を定義する高度日常生活動作は、1人ひとり違うので、その人固有の変化が非常に大事だという。他の人と比較してもあまり意味がない。

 二つ目は、手段的日常生活動作(Instrumental ADL)である。買い物や食事の準備、電話の使用、自動車の運転、交通機関の利用、洗濯、食事、薬の服用、金銭管理など独立した生活に不可欠な動作のことである。

 三つめは、単にADLという場合で、基本的日常生活動作(Basic ADL)のことで、食事、着替え、移動、排せつ、入浴など身の回りの動作を指す。いわば動物的な生きていくためにどうしても必要な動作ということであろうか。

 高齢者が最も早く、ひとりで行うことができなくなる基本的日常動作は入浴で、最後まで残るのが食事だそうだ。

 高齢になって身体が思うように動かなくなったり、認知症になったりすると、それまでできていた動作や役割ができなくなる。日常生活のおけるそのような社会、家庭、個人での動作や役割のうち、何ができて何ができないのかを調べることがきわめて重要である。それを「日常生活の機能評価」というそうだ。

 高齢になると心身のさまざまな変化(老い、疾病、心理的・社会的ストレス)が複雑の相互作用して、日常生活動作の変化となって現れるのだという。 

 何ができて何ができないのか、何ができなくなったのか、何ができるようになったのか、などを常に観察して評価しておくことで、身体や脳、感情や気分の変化といった内部変化を早期に発見できる。そして適切な対応が可能となる。

 高齢になると日々変化が進むから、自分も家族も周りも観察・評価を怠らないようにすることが大事であろう。

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2014年4月20日 (日)

朝日デジタルを読み始めて

 4月から夕刊を止めて朝日デジタルを読み始めたことは前に書いた。デジタルで新聞を読むことに最初は戸惑いもあったが、少しずつ慣れてきた。まだまだ操作方法に分からない点もあるが、発見もあった。

 夕刊は名古屋地方では土曜日にはないが、東京や大阪では土曜日も発行されていることが分かった。それで土曜日も夕刊を見ることができる。

 また、各地の版を見ることができるので、名古屋版にない記事を読むこともできる。

 記事を拡大して読んでいると、画面が流れて行ってしまうことがあるが、指を触れていれば動かないことも分かった。

 iphoneで記事を読むと字が小さいが、幸い私は小さい字でも読めるので有難い。指の操作でページめくりや文字の拡大ができるし慣れるにしたがって便利さを感じるようになってきた。

 また、デジタルで記事を読むと紙の紙面より速く読めることも分かった。それは目に入る字の数が多くなるからではないかと思う。

 上から下への目の動きも少なくて済むし、飛ばし読みもやり易い。どこかに、デジタル新聞が始まってから、飛ばし読みをする人が増えたのが問題だと書いてあった。記事(文章)をきちんと読まないからよくないというのだ。

 記事には大事な部分とそうでない部分があるから、飛ばし読みも悪いとは言えないと私は思っている。小説や評論などはじっくり読むのがよいであろうが、情報取得の記事は必要な所を重点に読めばよいのだ。

  これからは記事検索や特定記事をクリップすることなどを覚えてさらに有効に活用したいと思う。

 今から40年ぐらい前だったと思うが、将来は新聞は家庭で印刷するときが来ると言われていた。それが印刷しなくても、スマホやタブレットやPCで簡単に読めるのだ。電子技術の進歩には驚く。 

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2014年4月19日 (土)

サクラは終わったが次々に花が咲きだした

 今年の桜は予想よりも長く楽しむことができた。毎朝山崎川に沿って歩くのだが、人をほとんど見かけないので桜を独り占めしている気分であった。

 その桜も、もう若い葉に変わってしまい、ちらほらと残っているだけである。山崎川沿いの道には桜と雪柳とツツジが多いが他の花は僅かである。それがさびしいと思うが、僅かしかない花が咲き始めた。

 一番目につくのは、川の流れの岸に咲いている菜の花の仲間である。黄色い花がいっぱい咲いている。どこから来たのか知らないが、菜の花そっくりの花が岸に沿ってずっと咲いている。

 今盛りなのはハナズオウというピンクの花で枝にびっしりと咲いている。テレビではツツジが満開になったところがあると伝えていたが、山崎川沿いのツツジは咲き始めたところだ。

 咲き始めたといえば、山吹も黄色い花をつけはじめた。この花を見るといつも太田道灌の故事を思い出す。「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき」という歌である。

 地べたには誰が植えたのかフリージアの黄色い花が満開である。白い花としてライラックの木が1本あり、花を咲かせ始めた。

 小さな藤が房を垂れている家があった。テレビでは江南の曼荼羅寺の藤が見ごろだと伝えていたのを思い出した。

 松も地味だが花をつけはじめていた。桜が終わるといろいろな花が咲き出し、さらに木々が若芽を伸ばし始めるので自然の青春時代の息吹を感じることができる。

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2014年4月18日 (金)

河村光恵さんのユニークな子育て論

 知人のMさんが、「この本面白いよ」と言って、自家出版の本を2冊貸してくれた。「タラの木の不思議・末期がんからの生還」という本と「私の子育て、子たちを思う私の夢」という題名の本だ。

 著者は河村光恵さんという現在80歳の女性である。河村さんは建具屋に嫁いで夫と共に家業の仕事をしながら、主婦として母親として2人の息子の子育てをし、立派な人間に育て上げた。

 「私の子育て、子たちを思う私の夢」は、子育て体験の実践をもとに書いたもので、それがユニークな子育て論となっている。

 約40ぐらいのエピソードを綴ったもので、独特の語り口で書かれており、読みやすく分かりやすい。

 河村さんの子育てをひと口でいうなら、「子どものすることに干渉をするな」ということである。自由奔放に子どもが好きなようにさせている。世間の親も教師も勉強さえできればよいと考えているが、子どもは勉強はどうでもよいから思い切り遊ぶことが大事だというのだ。

 河村さんの家は職人を4人置いていて、犬も飼っているが、子どもやその友達が家の中で大騒ぎをして遊び、犬も走り回っていたそうだ。将棋盤が2基あり、それで将棋をしているところでも飛び回って遊ぶので、将棋ゴマが散らされることも起きるという。

 また自然の中で遊ばせることも大事だといい、春夏秋冬に田舎にある親戚に連れて行ったり、海釣りや川釣りに熱を上げたりしている。

 カメラを早くから、それも3台も手に入れて、子どもや家族の遊ぶ様子などいっぱい写真に撮っている。今はデジタルカメラで幾らでも撮れるが、以前はフィルムなので大変だっただろう。

 子どもにやらせたことは、家の手伝いである。小さな幼児の頃からその子にできることからやらせ、幼稚園ぐらいになると手当を出している。風呂掃除幾ら、ご飯炊き幾ら、掃除幾ら、買い物幾らと決めて金を渡すのだ。

 その金を貯めて長男は25万円もする天体望遠鏡を買ったというから凄い。子どもが興味を持つことを伸ばすことが大事だとも言っている。

 遊びや仕事の手伝いの中で自然に生きるために必要な技術を学ぶのだという。

「遊びの中から知恵がわき、働く中から生きる自信がつくのです。子どもの時の遊びは、生きていくために何より大切なコミュニケーションの練習です。たくさんの失敗や経験をし、対応を身につけておきたいものです。

 こんな大切な経験や体験をする時期に、暗記だけの役にも立たない勉強に追いやられては困ります。不思議な世の中です。この馬鹿馬鹿しさに力のある子が荒れているのです。」(P.151)

「盆栽を育てるように手をかけ口うるさく世話をやいて育てたら、世話をやかれ言われたことしかできない人になるのは当たり前。親が手を離したら1人で生きる自信もなく枯れてしまいそうです。体を使って働いてこそ『へこたれない』生きる自信がつくのではと思うのです」(P.152)

と書いている。

 河村さんは、独力でカメラやワープロやパソコンを勉強したそうだ。その他にビーズ細工や踊りの趣味も持っている。何といっても凄いのは数々の発明(実用新案特許のことか?)をしていることだ。

 河村名古屋市長のサポーターでもあり、自費出版の本は中曽根、森、菅など総理大臣を始め有力政治家に贈り、返事ももらっているそうだ。

 「私の子育て」は興味深い実践で大変に参考になる。また一人の女性の生き方としても学ぶところが多い。ただ、元教員として「教師や教育」に否定的な言葉が見られるのは残念である。この本に出てくるような偏狭な教師もいるが、一生懸命子どもや生徒の立場に立って指導をしている教員も多数いるのだから。

 もう1つの「タラの木の不思議」は、末期ガンと言われた姑や夫や知人などがタラの木を煎じて飲み続けることで快癒したことを綴っている。ガンの人は試してみるとよいだろう。

 ●ホームページアドレス

 http://www.sequle.co.jp/mitue/

 

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2014年4月17日 (木)

小保方問題に一番的確なコメントはロバート・ゲラー東大教授

 小保方さんのイギリスネイチャー掲載論文を巡って様々な論評がなされているが、私が読んだ限りでは、朝日新聞の「STAP 逆風の科学界」に載ったロバート・ゲラー東大教授のコメントが一番よく分かった。

 「日本の科学技術研究が非常に危険な状態にあることを明らかにした。」と前置きして、語っている。

 「研究者は常に真理をありのままに語るべきだ」という科学の基本姿勢が日本では必ずしも十分に教えられていないと、ノーベル物理学賞受賞のリチャード・ファイマン教授の言を引用して指摘している。

 次に、具体的に、論文の共著者の姿勢に疑問を呈している。共著者は他の筆者が書いた部分も細かく読んで添削するのが普通だという。STAP論文では共著者が読んだかどうかさえ怪しいと言っている。私も同じ疑問を抱き前に書いた。

 さらに、理化学研究所の対応も非常におかしいという。調査委員会は6点の疑惑以外にも全て調査すべきだったと指摘する。

 また、不正があったとする2点について小保方さんだけが関与し、他の共著者は関与していないというのも甘すぎるという。理研の上司たちは、投稿前に原稿や実験ノートを厳しくチェックする責任があるはずだという。全くのその通りである。この点についても私が感じていたことと同じである。

 その上、データが私物のパソコンで管理されていたことに驚き、理研の管理責任のずさんさを指摘している。

 共著者には論文の内容を詳細に確認する責任があるのだから、小保方さん一人に責任を取らせるのはいけないと言っている。

 この点について、田原総一朗さんは、理研の調査報告書を欠陥報告書といい、理研は特定研究開発法人指定法案が4月に閣議決定するのを見込んで、小保方さん以外の理研関係者は一切不正をしていないということにしたのだろう理研の大失敗だと切り捨てている。(週刊朝日)

 

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2014年4月16日 (水)

日本の年金制度は中国以下?という記事

 Yahooニュースを見ていたら、「日本の年金制度は中国以下?支給水準と持続性は先進国内で最下位クラス」という記事があった。Business Journalが報じたものである。

 日本の年金制度が多くの問題を抱えているということは、海外の先進諸国と比べると一層際立ってくるという。

 資料はマーサージャパンというコンサルティング会社が発表した「2013年度グローバル年金指数ランキング」である。

 それによると、日本の年金制度は世界20か国中17位で、メキシコや中国より下だ。

 年金指数は、「十分性」「持続性」「健全性」の3つのポイントから算出されるという。分かりやすくいうと、

 ●十分性とは、「今の年金額で老後は生活できるのか?」

 ●持続性とは、「自分が老後を迎えたときに、年金は約束どおりの額が支払われ

  るのか?」

 ●健全性とは、「そもそも年金制度って、ちゃんと運営されているのか?」

というようなことだそうだ。こうした疑問を中心に、評価しているのが年金指数なのだという。

 望ましい年金制度は、給付水準と平均寿命や労働人口のバランスが取られ、かつ透明性が高いことだ。

 所得代替率という指標があって、現役世代の年収と比べて年金の支給額はどのくらいかということを示すものである。日本の国民年金の場合は、普通に暮らしていけるだけの十分な年金はもらえないのは周知の通りである。

 所得代替率は、OECDの平均が54.4%であるのに対し、日本は35.6%と低い水準なのだ。 また国民年金の持続性は、20か国中最下位だ。

 4月からの消費税増税でさらに生活を圧迫された。その上、年金は減額された。退職するときに貰った金額が年々減っているのである。十分性も持続性もあやふやだというのが実感である。

 若い人が年金負担を納入しないのもその辺りの不安があるからだと言われている。

 民主党政権のときに健全性がないことが暴露された。民主党政権唯一のヒットであったと言える。

 民の竈からいつも勢いよく煙が立ち上っているような政治をしてもらいたい。それが国民の一番の願いである。

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2014年4月15日 (火)

第12回人生の達人のための音楽会

 13日に、しらかわホールで開かれた「第12回人生の達人のための音楽会」を聴きに行った。

 開場30分前ぐらいに着いて並んだ。すでに50人ぐらい列をつくっていた。待っている間はiphoneでYahooニュースを読んで退屈をしのいだ。本を持ってなくても読めるので便利である。

 ホールに入ると、右側の前から10列目ぐらいに座った。会場は満席となったが、見ると”人生の達人”がほとんどで若い人は少なかった。タイトルから若い人は入りにくいのか、それとも「NPOとうかいマスターズオーケストラ」が年配者なので、どうしても”達人”になるのであろう。

 コンサートは、定刻きっかりに始まった。

 プログラムの1番目は、「ベートーベンの「献堂式」序曲 ハ長調 作品124」であった。1882年、ベートーベンが52歳の時に作曲された曲である。彼がバーデンに湯治に行ったときに、当地の劇場管理者からウィーンのヨーゼフシュタット劇場の改装こけら落とし用に祝典音楽の依頼を受けたのだそうだ。

 祝典序曲だけあって、序奏部の3本のトロンボーンや後半のファンファーレなど華やいだ響きが如何にも祝典曲だという雰囲気を楽しませてくれた。オーケストラは統一のとれた演奏で聴衆をつかんだと思う。

 次が、ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26」であった。解説によると、ブルッフは1838年ドイツのケルンで生まれたそうだからベートーベンが死んだ後である。1868年にヨアヒムの独奏で演奏されて大成功を収めたという。ロマン派の協奏曲として特に有名だというが、私は聴くのは初めてであった。 

 バイオリンは愛知県立芸大を卒業した久米浩介さんで、この奏者も初めて知った。私には演奏のことはさっぱり分からないが、歯切れよい演奏できれいな音が気持ちよかった。

 休憩の後、この日のメインの曲は有名なベートーベンの「田園」であった。私はこの曲が大好きで楽しみにしていた。

 ウイーンに行ったとき、ベートーベンが聴力を失ったときに住んでいたという家を見た。部屋に当時の田園の画があり写真に撮ってきた。

 解説によると、「田舎での生活の思い出、絵画描写というよりも感情の表出」と記されているそうだ。

 1.田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め

 2.小川のほとりの情景

 3.田舎の人々の楽しい暮らし

 4.雷雨、嵐

 5.牧歌・嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち

と記されているそうで、今回はそういう点に気を付けて聴いた。

 田園の頭に繰り返し出てくるメロディが大好きで愉快な感情のめざめを巧みに表していくと思う。

 第2楽章のバイオリンによる小鳥のさえずり、フルートのナイチンゲール、オーボエのうずら、クラリネットのカッコウなどの鳴き交わしが楽しい。

 聴き手にとってはどうしても田園の風景が脳裏に描かれる。そういう表象を呼び起こす曲の構成となっている。

 演奏はアマチュアとは思えない素晴らしいものであり、「田園」に浸ることができた。指揮は、平光真彌さん。もともとはヴァイオリニストのようだが、巧みにオーケストラをまとめていて、最後にはブラボーが聞かれた。

Photo

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2014年4月14日 (月)

エネルギー基本計画閣議決定で原発推進

 朝日新聞4月12日朝刊のリードには、次のように書かれている。

 「安倍政権は11日、民主党政権が掲げた『原発ゼロ』を転換する方針を正式に決めた。内閣として閣議決定をした新たなエネルギー基本計画は、原発を主要な電源のひとつとして、安全性が確認できた原発から再稼働することを明記した。」

 さらに高速増殖炉「もんじゅ」を延命し、核燃料サイクル計画を推進する方針も明記した。

 閣議決定をしたということは、公明党も同意をしたということであり、特定秘密保護法といい、今回の原発推進といい公明党は国民を欺く党であることをますます鮮明にしている。

 福島第一原発事故の原因究明も進まず、汚染水問題など事後処理にも出口が見えていない状況の中で、原発に汚染された地域では未だに避難したままの人たちが多数いる。いつ帰れるか全く先が見えていない。

 日本のような地震国では、一たび大地震が起きたら、取り返しのつかないことになることは福島原発事故で証明された。さらに原発立地は海岸にあるので、大津波が来ればどうにもならないこともはっきりした。それなのに安倍政権は、原発推進を決めた。

 この3年間、火力発電と節電により、エネルギーを賄ってきた。確かに燃料の輸入が貿易赤字を生み出した大きい要因ではあるが、それでも原発の危険性から考えると原発はなくすべきである。

 そのために再生可能エネルギーの開発を進めて、安心して住める日本を作るべきである。もう一度原発事故が起きれば、放射能が拡散して人が住めなくなるだけでなく、放射能が気流に乗り、海流に乗り世界を巡る恐れもあるのだ。

 折りも折り、中部電力は電力料金の値上げを発表した。6月から600円値上がりして月約8230円になるという。東日本大震災以後発電に使う燃料の高騰で3年余りの間に3割もの値上げとなる。

 電力料金の値上げは反対であるが、100歩譲って耐えるとしても、原発稼働は承服できない。国を上げてゼロへ向けた努力をすべきである。

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2014年4月13日 (日)

NHK視聴料前納でも消費税が徴収されるとは

 NHKテレビニュースを見ていたら、テレビの受信料にかかる消費税について報じていた。それによると前納をしてあっても4月から消費税が8%になるという。

 我が家の場合、1月に1年分を前納で引き落とされた。ちょうどNHK経営委員の百田氏や長谷川氏、さらには籾井NHK会長の発言問題があり、腹を立てている頃に引き落としをされたのでがっかりした。

 郵便局でその都度納めるようにしておけば、抗議の意味で受信料納入を拒否できたのにと悔しい思いであった。

 4月になって消費税が値上げになっても、前納をしてあるから税金は5%のままだと思っていたら、8%を支払わなければならないというので、どうしてだろうと疑問が湧いた。

 鉄道やバスの定期券の場合は前もって買っておけばそのまま使えるということで駆け込みで買う人がたくさんあったと言われる。

 NHK受信料は鉄道定期券前買いとどう違うのだろうと思った。Yahooニュースを読んでいたら、定期券の場合は、法律で特別な経過措置の適用があるのだという。法律でそのように決まっているのだそうだ。

 そして鉄道会社は会計処理として、「乗車券発売時」に売上を一括計上することが認められているからだというのだ。

 NHK受信料は、前納した受信料を会計上「前受金」として扱い、毎月取り崩して売り上げを認識しているということなのだそうだ。だから実際にサービスが提供された時点の税率が適用されるのだという。

 なんか分かったような分からないような説明である。鉄道だってサービスが提供されるのは4月以降であることは変わりないのに。

 受信料を前納で払った場合は、NHKはその金を金利なしで使うことができる。その分割引があるにはあるが。前納した分は従来通りの5%にしてもらいたいものである。

 

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2014年4月12日 (土)

朗報!「憲法九条をノーベル平和賞に」推薦受理

 昨日の夕方、朝日デジタルに次のような記事があった。「憲法9条をノーベル平和賞に」という推薦に関して、ノルウェーのオスロにあるノーベル委員会から推薦を受理したという連絡があったのだ。

 連絡は9日夜に、神奈川県にある「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会にメールであった。

 「ノーベル委員会は、2014年ノーベル平和賞の申し込みを受け付けました。今年は278の候補が登録されました。受賞者は10月10日に発表される予定です」という内容であった。

 278もの推薦が世界中からあったというのは驚きだが、平和のカテゴリーでこれほど多くの推薦があったというのは素晴らしい。どんな候補があるのか知りたい気がする。その中に思いがけなく日本も入ったというのは嬉しい限りである。

 受理について、事務局の岡田えり子さんは、「受理されて嬉しい。受賞者は個人か団体となっているが、受賞者を日本国民としたことを委員会は受け入れてくれた。これで日本国民1人ひとりが受賞候補者となった」と話した。

 また、発案者の主婦鷹巣直美さんは、1人ひとりの平和への小さな願いがつながって、候補にまでたどり着くことができました。たくさんの方々の協力に感謝でいっぱいです」と話した。

 推薦書には2月1日までに集まった2万4887人の署名が添えられた。また、それ以後も11日までに4万人以上の署名が届いているという。

 今、日本では安倍首相が主導して、「集団的自衛権行使」ができるように憲法の解釈を変えようとしている。しかもそんな大事なことを”閣議決定”という姑息なやりかたで決めるというのだ。憲法は他の法律と違い簡単には変えることができない基本法である。

 憲法9条を変えるには憲法改正が必要だがその手続きを経ずに解釈変更でやろうというのだ。何とも恐ろしいことである。

 戦後70年余り、自民党含めて歴代の政権は憲法9条を守って世界平和に尽くして来た。我々国民も憲法9条の戦争放棄と平和希求の理想を心に刻みつけて平和を願って生きてきた。

 憲法9条は世界に類をみない、世界に誇れる条文である。それを持つ日本国民1人ひとりが守ってきたからこそ、70年にわたり戦争に加担することなく、平和的な方法で世界平和に貢献することができたのだ。

 まず、平和賞の候補に受理されただけでも嬉しいことである。これからも永遠に平和な世界を築くために憲法9条を守って行動したいものである。日出る国から戦争のない平和の理念を世界に発信し続けようではないか。

 

 

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2014年4月11日 (金)

どちらが正しいのか訳が分からない小保方さんのSTAP細胞問題

 イギリスのNatureに掲載された小保方さんのSTAP細胞作製の論文が、「改ざん」と「捏造」ということで理研調査委員会から撤回を言い渡されたことに、小保方さんがやっと反論の記者会見をした。

 記者会見の新聞記事を読み、テレビのニュースを見る限り、小保方さんの言い分も分からぬでもないという気がするが、「素人には分からない」というのが正直な感想である。

 10日のNHK朝一でも取り上げていたが、キャスターやコメンテーターも分からないように見受けた。解説を聞いても今一つ歯切れが悪い印象であった。

 小保方さんは、STAP細胞は確かに存在すると断言して、200回以上も作ったと述べた。素人が分からないのは、200回以上も成功したのなら、十分な証拠写真やデータがあると考えられるのに、なぜそれを示さないかということだ。彼女は全面的に公開することはできない部分があるというのだが。

 クローブアップ現代では、ある科学者が200回以上も作成したということに疑問を呈していた。1回の作成でも長時間かかるものをどうしてそれほどの回数やれるのかというのだ。

 また、別の人が作成に成功したということについて、その人の名を明かせないというのはおかしいという科学者もいた。本当にそうなら言うべきであろう。

 STAP細胞の重要な証拠である、理研が捏造と認定した画像を単純な取り違えであるとして、真正の画像を調査委員会に提出したという。また、NATURE誌にも送ったという。

 小保方さんが、調査委員会の調査の経緯に「調査委からの質問に答えるだけで、弁明させてもらえる機会は少なかった」と述べている。

 調査に当たっては、本人の言い分もきちんと聞き、弁明があればさせるべきである。外国では本人の十分な弁明の機会が与えられるという。さらに小保方さんが別の調査委員会を構成して調査をしてもらいたいと言ったが、理研は同じ調査委でやると言っている。私は別の調査委を作ってやるのがよいと思う。

 クローズアップ現代では、理研が現存するSTAP細胞の資料を最新の次世代シーケンサーという器械でDNAを調べないことに疑問を述べていた。たった2時間ほどでやれるものをなぜやらないのかというのだ。

 論文というものをひとりが執筆したら、チームの人たちでそれでよいのかどうか、誤りがないのかどうかなどを調べないのであろうか。共同研究者がたくさんいるのに、小保方さんひとりが非難をされて、矢面に立たされているのも腑に落ちない。

 彼女が発表した不服申し立て書を読む限りでは、彼女の言い分にも頷けるところがある。申し立てを却下することなく、慎重に真摯に調査をしてあげて欲しい。

 STAP細胞再現の実験には、小保方さんも含めて取り組むのがいいのではないか。小保方さんをのけ者にして、理研の別の人だけでやるというのはおかしい。

 いずれにせよ、小保方さんにも多くの疑問点が残るし、理研の調査のあり方にも疑問がある。これまでのところでは、どうにも分からないことばかりだというのが誰しも思うことではないであろうっか。

 

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2014年4月10日 (木)

血圧基準値の改善を歓迎

 先日の新聞に血圧の基準値が緩和されるという記事があった。それによると従来は130未満を「異常なし」としていた収縮期血圧を147~88とし、拡張期血圧を94~51とするという。(mmHgという単位は省略)

 これは人間ドック学会などがつくる専門委員会が4月4日に発表したものだ。およそ5万人のデータを解析し、正常とされる数値の範囲を調べたところ、血圧や中性脂肪、悪玉コレステロールなどの数値について、現在正常とされる数値に違いが見られるというのだ。

 1960年代は収縮期(高い方の値)が「年齢+90以下なら正常」とされていた。

 1970年代 WHOは収縮期160未満~拡張期95未満

 血圧の基準値については、昔はずっと高くて、1877年から1989年までは拡張期血圧が重視されていた。

 1977年  拡張期90~104   

 1984年  拡張期94以下  

 1993年  収縮期高血圧 140未満   拡張期  90未満

 2008年  日本高血圧学会により、 収縮期130未満  拡張期85未満

 これによって、日本中で2700万人以上が高血圧群に入れられて、降圧剤を飲むように指導されることになったという。実に昔の16倍にも増えることになったのだ。 

 私も2年間にわたり降圧剤を飲んだことがあるが、あるときこれではいけないと思い、自分から飲むのを止めた。そしてウオーキングや早寝早起きやサプルメントなどで血圧を収縮期120前後、拡張期75前後にした。

 ところが数か月前から血圧135~85を超えることが多くなり困っていた。そこへ今度の朗報である。収縮期147未満、拡張期94未満なら楽々OKである。嬉しいかぎりである。 

 もともと高血圧の基準を厳しくしたのは製薬会社を儲けさせる深慮遠謀だという批判があった。基準値をどこに置くかで膨大な数の患者を作るか作らないかというカギになる訳だ。

 医療費を節約し健康な高齢社会を作るためにも今回の改定は大歓迎である。

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2014年4月 9日 (水)

やっと借りられた阿川佐和子著「聞く力」を読んで

 2012年1月に刊行された阿川佐和子さんの「聞く力」が大ベストセラーとなり、私も是非読みたいと思って図書館に予約をしたが、何と手元に来るまでに8か月もかかった。名古屋市の図書館には77冊もの「聞く力」が購入されているのに読みたい人が何百人もいるのだ。

 私の番が回ってきたとき、まだ250人も待っていると言っていた。それほどの大人気の本のどこが読む人を引き付けるのかを知りたいと思いながら読んだ。

 読み終わって分かったことは、週刊文春で掲載している「阿川佐和子のこの人に会いたい」の対談やテレビ番組「タケシのTVタックル」などでのエピソードを取り上げて、それを35項目にわたって他の人にインタビューするときのヒントをまとめていることであった。

 エピソードは、会話をふんだんに入れて具体的場面を描いている。そして最後にまとめのようにコツや注意点が書いてあるのだ。

 「聞く力」という題名から、何か日常生活の中で人と会話をする時の聞く技術のようなものを想像したのだが、読んでみるとそうではなかった。インタビューをする人のためのヒントが書いてある。

 では、なぜ多くの一般人に読まれるのかと考えるに、私のような一般人は書かれている「裏話」に興味をもって読むのだと思う。

 阿川さんは15ページに次のように書いている。

「同じ話も新しい話も、可笑しい話も感動的な話も、人に話を聞くことで、自分の心をときめかせたいのです。素直な気もちで好奇心の赴くまま人の話を聞いたとき、聞き手は自分の記憶や気持ちをそこに重ね合わせ、必ず何かを感じ取るはずです」

 「聞く」を「読む」に置き換えると、この本に語られるエピソードや阿川さんの苦心話などが読み手の心を響かせるものがあるということだ。そして読み進めるうちに、35のヒントの中から自分が感じ取ったものを頂くということだと思う。

 阿川さんの書きぶり(文体)は具体的で分かりやすく、且つ親しみやすいので誰にでも楽に読めるのだと思う。

 ちなみに、この本は30代~50代の女性によく読まれているそうだ。(下図)

 一般人に役立ちそうなことは、

◎面白そうに聞く

◎「あれ?」と思ったことを聞く

◎相手の気持ちを推し測る

◎自分ならどう思うかを考える

◎上っ面な受け答えをしない

◎相槌の仕方

◎「おうむ返し」質問法の活用

◎相手の目を見る

◎慰めの言葉は2秒後に

◎安易に「分かった」と言わない

◎しゃべりすぎない

などであろうか。 

 思いがけず聞けた北野武の胸中、「トークは生もの」と心得た笑福亭鶴瓶とのやりとり――。インタビューの具体的な相手や状況を示しながら、学び、感じたことを、「質問の柱は三本」「観察を生かす」などといった35項目でつづる。(文春新書/840円)。
※ グラフは、購読者の男女比(全国696店舗のTSUTAYA BOOKS、蔦屋書店での購入データに基づく)を示している。最も読まれているのは40代女性。10代を除く男女に広く支持されていることが分かる。

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2014年4月 8日 (火)

日本語の文末決定性について阿川佐和子さんの見方から

 阿川佐和子さんの「聞く力」P.151に次のような文章がある。

 大学時代、言語学の授業で習ったところによると、日本語の肯定か否定かは、欧米の言語などとは異なり、文章の最後に決定されるのですね。

 すなわち、英語の場合なら、「この料理はおいしくないねえ」という場合、「This dish is not so good」という具合に、主語の直後に肯定か否定かを決定しなければならないのに比べ、日本語だと、「この料理はおいし・・・・」まで、肯定否定を表明しなくてもいい。

 「おいしくないなあ」と心の中で思っていても、「おいし」まで言ってみて、目の前にいる上司の顔色を見たら、「ずいぶんおいしそうな顔をしている」ので急遽、「いですよね」と自分の主張を引っ込めることができる。

 つまり、相手の反応を窺いながら、自分の言うことを決められるという、まことに便利な言語のつくりになっているというわけです。

 こうした言語のつくりのせいか、日本人はとかく、自分の主張より、とりあえず相手やまわりの状況をみてから自分の意見を決める傾向にあるように思われます。

 日本語は、阿川さんが書いているように、文の最後に述語がきて、そこで初めて肯定か否定かなど、話者の判断が分かる構造になっている。このことを「文末決定性」という。

 日本語の文末決定性は大事なことなので、国語の読み取りのときにも注意をして読むように指導した。また、外国人に日本語を教えるときにも文末できまることを話している。

 韓国語は日本語と文法が似ているらしいから、やはり文末決定性をもつのだろうか。中国語は英語のように肯定か否定かは主語の後に来る。

 欧米語や中国語のような言語は、話者の判断が初めに示されるので分かりやすいといえる。

 阿川さんの説明を読んで気づいたのは、日本語を話すときに、話者は文の最後で意味(話者の判断)を変えることが可能だということである。

 相手の顔色や反応を見て、はっきり言うとかあいまいに言うとか否定するとか変えることができるのでビジネスや政治の場面で活用されている。

 日本人は態度をあいまいにぼかすのを好むと言われるが、日本語もそれに適した言語になっているから興味深い。日本人の民族性からそういう日本語を育てて来たのか、それとも、日本語の言語構造があいまい好みの日本人を作ってきたのか、どちらなのであろうか。

 英語や中国語で話すと意志や判断をはっきりと伝えやすいが、日本語ではストレートな表現は好まれない。日本では言外の意を察知することが大事だとされてき た。これからも日本語の構造は変わらないだろうが、態度の面では判断をはっきりと述べるように向かうのかも知れないと思う。

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2014年4月 7日 (月)

鯨の思い出

 オランダのハーグ国際司法裁判所は、日本の調査捕鯨を中止させる判決を出した。これにより日本の調査捕鯨はできなくなった。

 訴えを起こしたオーストラリアは、調査捕鯨に乱暴狼藉を働くシーシェパードを支援して来た国である。

 日本以外では、捕鯨をするのはノルウェーやアイスランドなど僅かな国であるため負けてしまったのであろう。

 不思議なのは、捕鯨に反対をする連中が、わざわざ飼育をして、大事な食糧として食べている牛や羊や豚や七面鳥などについては何にも言わないことだ。大量に飼育し屠殺をして食べるのは捕鯨以上に残酷なことだと思うのだが。

 鯨が巨大な生物だから憐みに思うのであろうか。生命という点では軽重はないはずである。

 私が鯨をたべていたのは45年ぐらい前までである。子どもの頃は南紀新宮に住んでいたから、近くに捕鯨で全国的に知られた太地町があり、毎日鯨の肉を売りに来た。

 行商のおばあさんが、頭の上に桶を載せてそれに鯨やイルカの肉を入れて歩いて売りに来た。たくみにバランスを取って歩くので凄いと思って眺めたものだ。イルカを売る時は「イルカいらんかのうし」と節をつけて叫びながら歩いていたので、その巧みな洒落に感心したものであった。

 戦時中や戦後は食糧が不足をしていたが、その頃は牛肉や豚肉を食べる習慣はなく、仮にあったとしても高くて食べられなかった。新宮には牛肉店がたしか1軒あっただけである。お金持ちだけがたべたのであろう。

 ほとんどの人たちは鯨とイルカの肉を食べていたのである。鯨の肉はフライパンでステーキのようにして食べた。またイルカの肉は細かく切ってネギなどと一緒に煮て食べた。イルカの肉は臭みがあったし、脂肪がたくさんあった。のちに鴨の肉を食べたとき、イルカに似た臭みがあると思ったものだ。

 太地町の漁港には、捕鯨船がズラーッと係留されていて、しょちゅう太平洋に行って鯨を取っていたから、鯨やイルカの肉は安くて大変ありがたいタンパク源であった。

 大学に入り下宿をしたときも、市場に行って、ときどき鯨のベーコンを買っては食べていた。鯨は栄養もたっぷりあったのだ。

 戦後南極捕鯨が始まって、ナガスクジラや白ナガスクジラなどの巨大な南極の鯨の肉が食べられるようになった。牛肉や豚肉が食べられるようになるのはずっとあとのことなので有難い肉であった。

 鯨肉を食べなくなってから45年以上になると思うから、調査捕鯨中止になっても全く影響はないが、鯨肉を食べる伝統的な文化からみると残念なことだと思う。

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2014年4月 6日 (日)

憲法9条でノーベル平和賞を取ろうという発想

 2日の朝日新聞夕刊に、「9条 ノーベル賞に輝け」という見出しの記事があった。何だろうと思って読んだら、戦争放棄を決めた憲法9条にノーベル平和賞を―ということであった。

 でも、ノーベル平和賞は、人物か団体でないと受賞できないのだそうだ。それで受賞者を「日本国民」にして受賞しようというのだ。

 これを思いついたのは、神奈川県座間市の主婦の鷹巣直美さん(37歳)だそうで、「今こそ平和憲法の大切さを世界に広めたい」という思いからだそうだ。

 「9条を保持し、70年近く戦争をしなかった日本国民の受賞に意味がある。みんなが候補として平和を考えるきっかけになれば」という。

 日本では1974年に元首相の佐藤栄作氏がノーベル平和賞を受賞している。受賞理由は「非核三原則」らしい。当時「えっ ノーベル平和賞?どうして?」と言われたものであった。その後非核三原則は危ういものになっていることは周知の通りである。

 そこへ行くと憲法九条を堅持して戦争を放棄し、70年間の平和を続けてきたのは自慢してよいことだと思う。今安倍首相先導で9条が解釈改憲でなくされようとしている。積極的平和主義という訳がわからない言い方で戦争ができる国にしようというのだ。

 憲法九条は消極的平和主義だからいけないというのだが、戦争をしないで平和な世界にしようというのは崇高なことではないか。

 昨年の8月に「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が発足し、推薦人には大学教授や平和研究所所長など43人が集められたそうだ。推薦状には24887人の署名を添てノーベル賞委員会に送ったそうである。

http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/2014/03/blog-post_4927.html

http://chn.ge/1bNX7Hb

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2014年4月 5日 (土)

期待もてそうな「花子とアン」

 リタイアしてからは、NHKの連続テレビ小説を毎日見ている。この間終わった「ごちそうさま」も一部に”竹本”教授のような変な人物が出てきたり、あり得ないような設定もあったが、まあまあ面白く見ることができた。視聴率も20%以上であった。

 今度の「花子とアン」は「赤毛のアン」の著者である村岡花子をモデルにしたものだそうで興味をそそられる。

 今週は花子の幼少時代が描かれているが、働けど働けど貧乏な小作農の家に生まれて、学校にも行けないような状態の中で、健気にも家の仕事を手伝っている様子がいじらしい。

 明治という時代は、地主が威張り、小作農を搾取していたことも描かれているし、何よりも小作農がどれほど貧しかったかということが詳しく描かれているのがよい。

 父親が花子に字を覚えさせようと小学校に入れるのだが、妹を背中に負ぶって登校する。当時はそれが当たり前のことであったのだ。

 地主に4俵の年貢を取られ、残るのは2俵それでは生活ができないと学校へ持っていく弁当も断る花子は、想像力、空想力の豊かな子で雲を見て食べた気分になるという。花子は幼少から空想力があり、本にあこがれる少女であったことがよく分かった。

 タイトルにプリンスエドワード島のアンの家や付近の風景が出て来るが、あの風景を見るのがとても楽しみである。私がカナダの友人の家に泊ったとき、プリンスエドワード島が対岸にあっていつも眺められたのだ。滞在中に赤毛のアンの家に連れて行ってもらいあの辺りを散策した。それが思い出されて懐かしいのである。

 3日のドラマでは、花子が高熱を出し、辞世の歌を書いていたのには驚いたが、やはり人並みで無い才能があったのであろう。極貧の小作農の家庭に生まれた花子がどのようにして翻訳家に育っていくのかが楽しみである。

 花子の幼少時代を演じる山田望叶ちゃんは大変好演をしていてぴったりと役にはまっている。

 

 

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2014年4月 4日 (金)

Ipad miniを買った

 3月31日に松坂屋の前にあるApple storeへ行った。Ipad miniを見るためであった。30日に4月から「朝日デジタル」を申し込もうと決めたときに、自分はiponeを持っているから朝日デジタルを読めるが、妻は夕刊を読めなくなるので、Ipadを買ったら・・・と思ったのであった。

 インターネットで調べると、Ipad AirとIpad miniがあることが分かった。さらに調べるとipad miniの最新版はRethinaだということも知った。

 インターネットには、何人かのユーザーが両方の機種を比べて投稿していた。さらにYoutubeの動画にも何人かが投稿していた。それらを調べてipadとminiの違いや類似点が分かった。

 端的に言って、両者の違いは性能的にはほとんどなく、重量とサイズであることが分かった。

 ipad miniには、WiFi付きの機種とWiFi+LTEの2種類がある。いろいろ考えたがipadの方は自宅で使うのでWiFiがあればよいと思った。LTE付きにすると毎月インターネット使用料が5000円ぐらい必要になるのだ。WiFiだけならPCと共用できる。

 31日は消費税5%の最後の日であった。それで午後にApple storeへ出かけたのであった。店員に疑問点を聞いて納得したのでipad miniの黒を買うことにした。カメラ機能はiphoneより劣ると言っていたがカメラは別にかまわないのでminiを買うことにした。ところが欲しい黒色の機種は売り切れてしまってないと言った。白より黒の方が画面が見やすいので仕方なく他で探すことにした。

 栄のauに行ったが+LTEしか置いてない。それもそのはずだと今度は歩いて大須へ行った。Good willに行ったら置いて無くて、九十九に行くとあるはずだというので九十九電機に行った。そこで黒色のIpad miniを買って、ついでにケースも買った。ケースを買うとフィルムもついていた。本体が41900円でケースが3480円であった。

 操作方法は殆どIphone 5cと同じなので設定をすればすぐに使うことができた。アプリをいくつか入れたが、分かったのは、iphoneで入れてあるアプリが記録として出てきたことだ。そこから入れれば簡単であった。

写真を撮ってみてそれを見たらipad miniの写真のところにiphoneで撮った写真も入っていたのでびっくりした。サポートに尋ねたら、iCloudによって共有されるのだそうで大変便利だと感じた。

ipadにアプリをインストールしたら、iphoneの方にも同じアプリが勝手に入っていた。便利といえば便利ではあるが。

 WiFiは家の中のどこでも使えるので大変便利である。外に持ち出してもWiFiのあるところなら接続できる場合がある。

 妻は料理のレシピに関心があるので、クックパッドというアプリを入れたら喜んでみていた。ipad miniは単行本のサイズで重さも400g程度で使いやすい。置き場所もとらないし便利になったものだと感心している。

 

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2014年4月 3日 (木)

「朝日デジタル」を読むことにした

 新聞は週刊誌で嫌われている朝日新聞を購読してきた。子どものときに、父が朝日新聞を取っていたから、あの戦時中の大本営発表の記事はいつも楽しみにして読んでいたことを思い出す。

 その朝日新聞がデジタル版を作りしきりに宣伝をするので、昨年4月に一度試したことがあった。でもほとんど見なかったのでお試しだけで止めた。今年になってまた宣伝を始めたので、長い間考えた挙句、デジタルを購読しようと思った。

 3月の終わりごろに販売店に相談したら、4月から、朝刊と夕刊を取っていれば、新聞形式のデジタル版の紙面が無料で見られると分かった。そのとき「本当は言いたくないのだけれど、夕刊を止めて朝刊とデジタルにすれば朝刊代とデジタル購読料500円で済みます」と言った。

 夕刊を読みたければデジタル版で読めばよいからその方が紙の節約にもなるし、料金も朝刊と夕刊を取るより安くなるからよいと思った。それで4月から朝日新聞の夕刊を止めてデジタル版で補うことにした。

 私はiphone5cを使っているのでパソコンと両方で読むことができる。外出した場合などは、地下鉄とか待ち時間でデジタル版を読めば便利である。

 そういう訳でデジタル版を読み始めたが、最初東京版が現れたので名古屋の新聞と一面の記事が大きく違っていた。そのうちに分かったのは、東京版だけでなく、名古屋版、大阪版、福岡版なども読めることであった。これはデジタルならではの利点といえる。

 1日の夕刊はいくら探しても出てないので、準備に手間取るのかと思っていたが、試行錯誤してやっとわかったのは、右上の「更新」ボタンで更新をすると新しい紙面が出ることであった。

 デジタル版には、デジタルでなければ読めない記事があるし、横書きのテキスト版もあるから好みに応じて使い分けることができる。

 古い記事も見ることができるし、写真だけでなく動画も見られるのもよい。また、必要な記事もスクラップできるそうだから、切り抜いてスクラップする必要もなくなった。

 まだ始めたばかりだがこれからが楽しみである。

 http://www.asahi.com/

 

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2014年4月 2日 (水)

消費税が上がったが庶民には厳しい春

 4月1日から、予定通り消費税が8%に増税された。エイプリルフールの日だったがウソではなく、おりしも風の穏やかな暖かい日差しで山崎川の桜は満開だが、庶民の生活には厳しい春が始まった。

 朝の「おはよう日本」では、消費税増税分は社会保障の充実に使われると3月下旬に新聞に折り込まれた政府の広報の通りの説明をしていた。籾井NHK会長の意向に沿ったものであるようだ。

 朝日新聞の社説では、消費税が社会保障に使われるのではないとして、予算の改革がカギだと書いていた。

 消費税増税を見込んで補正予算を含めた予算が過去最大の100兆円をこえたと述べ、公共事業費を膨らませたことに危惧をしている。自民党ではいわゆる族議員が復活し、自分の方に予算を引き込んだと言われている。予算が膨張する原因である。

 NHKも朝日も黙っていることがある。それは消費税で増収となる5兆円が社会保障に回るのではなく、僅か5千億円にしか過ぎないことである。全国の病院ベッド数を大幅に減らし入院し難くするとか年金給付額を減らしたり、年金保険料率をひきあげたりしている。

 以前にも指摘したように、一番の問題は、大企業向けの法人税を減税することである。4月から復興特別法人税を廃止し1兆円減税。安倍政権はさらに法人税率10%減税をすると言っており、それが5兆円になるのだ。

 つまり消費税で増収した分がほとんど法人減税に消えていくということである。この点をNHKも朝日新聞も黙っているのだ。あの池上さんの解説を聞きたいものだが聞くまでもなかろう。

 一般国民の生活を犠牲にして公共事業や法人に大盤振舞いをし、貧しい者ほど痛手を蒙る消費税に「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍べ」とばかりのやり方をしているのだ。

 ちなみに、夕方イオンへ行ったが、割引デーの火曜日だったので、パプリカのような1個売りの野菜やリンゴは税を入れる98円で3月までと余り上がった印象なかった。またトップバリューは本体価格を下げて値段は据え置いていた。

 ヤクルトは278円で買えたものが298円と20円も高くなっていてがっかりした。安売りスーパーのタチヤは2月末から便乗値上げをしていたが、どうなっているであろうか?

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2014年4月 1日 (火)

我が家の改装着手までに7か月もかかった

 築45年ほどになる木造の我が家は、もともと桧は大事な柱4本だけで、あとは米栂どいう安普請である。

 当初家を建てたときは30代初めであったので、桧を使った家を建てる余裕はなかったのと、いずれ退職する頃には建てなおすことができると思っていたので、安普請で建てたのであった。

 木材が米栂とべニアというだけでなく、屋根は鉄板、外壁は石綿板であった。また塗装部分もたくさんある。それでどうしても時々手を入れなければならず、ペンキの塗り替え、屋根の補強、外壁の取り替え、室内の壁紙や天井の取り替え、風呂やトイレの取り替え・・・・さまざまな補修をしてきた。

 退職したときには、建てなおしができると思っていたのが、金利が付かない時代になっていたのと建築費が高くなっていたのとで結局住み続けるしかなかったのである。

 今回は外壁の一部の塗装と雨戸や網戸の取り換えを行い、さらに鉄製で錆びていた手すりを3か所アルミ製に取り換えた。

 この工事を依頼したのが昨年の9月初めであったが、何とやってもらうのに7か月待ち、3月26日と29日にやっとやってもらえた。

 26日が取り替え、29日が塗装で、どちらも1日で終わったのだが、そんな簡単な工事でも人手がないということと材料不足という理由で7か月待ちであったのだ。

 4月から消費税が上がるので、7それに引っかからないようにと強く言って、やっとぎりぎりに終わることができたのだ。

 東日本復興と東京オリンピックで、工事関係はタイトになっていると聞くが、実際体験してみると驚きを禁じ得ない。

 消費税が上がると住宅建設は落ち込むのかどうか知らないが、東日本復興関係で人手不足が影響しているのは困ったことである。

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