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2014年1月23日 (木)

靖国神社についての2人の学者の指摘

 19日の朝日新聞朝刊と20日の夕刊に二人の学者の靖国神社についてのコメントが載った。

 朝刊は「秘密法は立憲主義を守れますか」というタイトルで長谷部恭男東大教授と杉田敦法政大教授の対談であった。

 長谷部教授は特定秘密保護法が必要だという立場での発言をしている。その人が靖国神社について次のように述べている。

「安倍首相は昨年末、『国のために戦い、尊い命を犠牲にした御英霊に哀悼の誠をささげる』と、靖国神社に参拝をしました。

 しかし、私に言わせれば、靖国にまつられている人たちは、戦前・戦中の憲法を守るため、つまり今の日本とは『別の国』を守るために死んでいった。参拝は当然だという首相の論理は相当あやしい。『国を守る』と言っても私と首相の言う意味は全く違います。」

 御英霊は天皇陛下のために徴兵され、戦わされて命を落としたのだ。多くの兵士は天皇陛下万歳と叫んで亡くなった。その人たちの多くは本当は死ぬことが分かっている戦争には行きたくなかったに違いない。でも、それは言えなかった。なぜなら非国民として罰を受けたからである。

 そうやって無理やり戦争に狩り出し、戦死した人たちを英霊として神として靖国にまつったのである。長谷部教授の指摘は重要である。

 長谷部教授は「国を守るためと称して集団的自衛権の行使容認や、憲法改正を目指している安倍政権に多くの人が不安を抱くのは理解できる。私も集団的自衛権行使容認や憲法改正には反対です」と語っている。

 20日の夕刊には、島薗進上智大学教授が、「対立生む『国家神道』」と題して靖国問題について述べた一部分を抜きだす。

 「もともと靖国神社は、尊王、つまり天皇のために忠誠を尽くして闘った人をまつるために建てられた。兵士として死ぬことが崇高な価値を持ち、神としてまつるにふさわしいとなる。そうした思想にもとづく宗教施設が、現在においても国家的な追悼・慰霊の場としてふさわしいかということだ」

 私たちは幼少の頃から「忠君愛国」を叩きこまれた。「天皇陛下」ということを口にするときには直立不動でなければならなかった。歌の文句に「天皇陛下の御為に死ねと教えた父母の・・・・」というのがある。天皇は絶対的な権威をもち、憲法上も主権者であった。

 戦後今の憲法となって象徴に変わった天皇である。戦前の靖国は帝国憲法時代の天皇への忠誠を鼓舞するためにあったのだ。

 戦争の犠牲者を慰霊するには別個に無宗教の施設を作るべきだという島薗教授の指摘はもっともである。

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コメント

 靖国神社が天皇に忠誠を誓い戦争に狩り出す道具という指摘は大事ですね。

投稿: らら | 2014年1月23日 (木) 14時38分

ドイツと違い、日本は太平洋戦争の総括はされていないと思います。だから安倍首相のような考えがことある度に出てくるのだと思います。

投稿: らら | 2014年1月23日 (木) 14時37分

 靖国神社は、国民を戦争に送り出すための装置であったということを読んだことがあります。
 靖国神社は英霊の慰霊・顕彰を行うための施設であり、追悼するためのものではないのです。
 英霊を顕彰するためには「あの戦争が正しかった」という靖国史観が必要となり、追悼のために靖国神社に行くと言うのなら、場所を間違えているのです。

投稿: takao | 2014年1月23日 (木) 11時10分

敗戦後の東京裁判は戦争勝利者の敗者への裁きであり、A級戦犯も一方的なものでしかない。また侵略の定義も定まったものではない、という一部学者の考え方(自虐史観に反対する立場)に安倍総理は強いシンパシーを持っていることは明らかである。元々の考え方が違うので、いくらこの問題で議論してもかみ合わないと思う。なら日本人によるよる先の戦争の総括はきちんとなされているのだろうか?色々な議論はあるが統一見解なるものは示されてない。すべて曖昧なまま推移していることが今日の問題を生んでいるように思う。

投稿: Toshi | 2014年1月23日 (木) 08時41分

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