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2014年1月10日 (金)

授業研究は日本の誇るべきお家芸とはつゆ知らず

 7日の朝日新聞「教育2014」という記事に、「授業研究、お家芸」というバーナーで大きく扱っていた。

 リードでは、「教師同士が学び合う『授業研究』は、日本の学校教育が世界に誇れるものの一つであろう。その手法は世界各地に広がり、レベルアップを目指して教師らの連携も進む」と書いてある。

 私は教員一筋の人生を送ってきたが、授業研究はしょっちゅうあり、当たり前のことだと思っていた。だからこの記事―日本以外ではない―を見て驚愕であった。

 日本の教員は常に授業研究をして、互いに学び合い、より良い指導法を開発してきたのだ。あの曽野綾子さんが毛嫌いする日教組でも「教研」を重要な研究会として位置付け、継続的に発展させてきた。それを嫌う右翼から毎年嫌がらせを受けながらも続けているのである。

 就職すると、すぐに新任教員研修会があり、そこで早速授業研究が行われる。今はどういうやり方かは知らないが、私の頃は、ベテラン教師の模範授業があり、それを見て研究会が行われた。また、新任教師の中から何人かが授業をして研究会が行われ、先輩教師からいろいろと指導を受けるのであった。

 朝日新聞は、「授業研究は、教師が授業を公開し、授業後に検討会で話し合う、明治以来続く『文化』で、担当する教師は、何週間もかけて授業案を作り、多くの教師で議論、時に全校を巻き込んで練り上げる」と説明しているがその通りである。

 小学校では、全校授業研究会と学年授業研究会があり、中学校では教科別研究会もあったはずだ。

 全校授業研究会には、戦前は視学という校長級の指導者が来て授業一般について指導をした。戦後は教育指導主事という名前に変わったが、実態は同じであった。

 新任の頃は、指導法について何も知らないから、指導主事の批評を感心して聞いたものであった。授業研究会では、平の教員からそれぞれ批評や感想を述べ、偉い人は最後の方で批評をするのだ。指導主事は、最後に話すのだが、それまでに出ていない別の見解を話すのが凄いと感じたものであった。

 児童生徒という人間を指導するのであるから、絶えず研鑽をするのは当然のことだと思っていた。それが新聞によると、世界に広がって取り入れられているというのでびっくりしたのであった。

 米国、モンゴルでは、授業研究を取り入れてから教え方が激変したと書いてある。カザフスタン、マレーシア、台湾など多くの国に広がって効果を上げているそうだ。

 退職してから長く、現在の授業研究のことは分からない。授業研究も教師たちの自由な雰囲気の中で行われればよいが、戦前のように視学官がいかめしく権威をちらつかせて、戦争賛美の教育を監督統制するのはあってはならないことである。

 大阪府や最近の文部省の動きをみていると、教育の統制の方向が強く感じられる。とりわけ道徳教育の教科化と日本歴史の必須化を通してやろうとしているようだ。授業研究はその道具として使われるであろう。それでは本来の授業研究の意味が失われてしまう。

 世界が学ぼうとしている授業研究を自由で民主的な運営のもとで行われるように守って欲しいと思う。

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教育・生涯学習」カテゴリの記事

コメント

 授業研究が世界に広がるのは嬉しいことです。IT時代になっても形を変えて必要なことです。

義務教育を終えて50年以上を経過し、当時の記憶は殆どありません。ただ教生という名前で将来教師になる大学生が教育実習にきて、緊張しながら先輩教師の見守る中、授業をしていたのをかすかに思い出します。ブログ子が書かれたような弛まぬ研究、努力が当時受けていた授業の背景にあったことは
初めて知りました。日本では教育現場に限らず、民間会社も人材育成には他国に比べ力を入れていると思います。飯田教授はヒラの社員の力が日本の産業競争力を支えているといつも言っていました。

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