我がblogの原点―書くという行為
私が所属している児童言語研究会に参加した頃、当時東京都立大学の教授であった大久保忠利先生が理論的な指導者であった。
大久保教授は国語学者として有名でNHKなどのマスコミにもよく出ていた方である。その大久保先生を、私は勝手に師だと思っている。
毎年夏の夏季アカデミーや熱海で行われた合宿研究会でいつも一緒で、親しく教えて頂くことができたからである。
大久保先生が、いつも言っておられたことの一つに、「書き慣れノート」というのがある。とに角書くことが大事で、書くことに慣れることだという意味だ。
先生の字は、大変な乱筆で、葉書を頂いても判読に苦しむほどであったが、とにかく書くのは速く、いつでも、どこでも・・・という感じであった。
熱海の温泉で一緒に風呂に入ったとき、ペンと葉書を持っておられた。私が驚くのを見て、「君、風呂の中でも書くんだよ」と言われたことを鮮明に思い出す。
鋭く深い思索で日本文法についても理論化したものを持っておられ、”大久保文法”と言われていた。
先生から直接聞いたことで「国連に登録されている日本語文法は400以上ある」ということがある。それを聞いたとき、そんなにも文法の説があるのかと驚いたものである。当時私が知っていたのは、学校文法、橋本文法、時枝文法ぐらいのものであったからだ。
先生は、文章が書けるようになるには書くことだと言われた。昨日も書いたように、私は作文が苦手であったが、高校ぐらいから書く機会が増えて自然に書くことが苦痛で無くなり、教員になってからは、研究物、学級通信など毎日何か書いてきた。
もちろん読むことも大事で、書く、読むは車輪の両輪のようなものだと思う。児童言語研究会では、読むことの研究を続けているが、先生はその理論的支柱でもあった。
私が書くことで大きな影響を受けたのは、日本作文の会の作文教育からである。この会は戦前から綴り方教育で知られた伝統ある会である。愛知にある作文の会にも所属して指導法の研究を続けた。
その中で学んだことは、対象をよく見るということである。そして詳しく叙述するという書き方だ。それで私の書き方にその影響が残っていると今でも思うことがある。
もう1つ大事にしていることは、誰にでも分かる文章を書くということだ。学級通信を書く場合、読み手である親の学力はピンからキリまである。だから子どもが読んでも分かる文章を書くように心がけてきた。
blogでは時には難しい言葉も使うことがあるが、それは文章のレトリックとしてである。(使ってしまった!)有体に言えば、恰好をつけるためと言ってもよい。
blogを書くときに、先ず、新聞のように、結論とか大事なポイントを述べてから、書いていくとよいと言われる。確かにそれは大切だが、私は、日記のように継時的に書くことも多い。
昔(明治から昭和中ごろ)の人が書いた文章には、大事なことが最後の方に来ることが多かった。高校までに習ったこともそのような文章構成法であったと思う。いわゆる「起・承・転・結」という書き方である。戦後、外国の影響で今のような書き方がよいと言われるようになったのだ。
blogは随筆だし、公開日記のような側面もあるから、書き方に拘る必要はないと思う。気ままに、気楽に書けばよい。
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そう言えば大久保先生は「切れ味」が大切だと言っておられましたね。切れ味のある文章はなかなか書けません。これはよかったと思えるのは年にどのくらいあるでしょうか。数えるぐらいかもしれません。
投稿: らら | 2014年1月 6日 (月) 20時06分
若い頃日記を書いたことがありますが、日記は自分だけのものであり楽しみですね。記録の側面もあります。
投稿: らら | 2014年1月 6日 (月) 20時03分
私は若い頃大久保忠利先生の「文章に強くなる本」を読んで、文章力の向上に努めていました。しかしららさんのように根気よくできなかったので、現在のような状態です。
しかし大久保先生の「文章は切れ味が大切」という言葉はいつも頭の中にあって、切れ味のある文を書くことを意識してきました。
ららさんの文はさすが鍛練されているだけあって、切れ味のある文だと思います。
投稿: takao | 2014年1月 6日 (月) 19時20分
書くという行為は人間が持つ素晴らしい行為の一つと思います。日記も自分の気持ちを落ち着ける行為ですね。毎日夜ほっとしたときに書くときは至福のひとときです。o(*^▽^*)o
投稿: fumiko | 2014年1月 6日 (月) 12時14分
何事もよき師に出会うことが大事ですね。3年師を探せという言い方があります。
投稿: らら | 2014年1月 6日 (月) 08時29分
大久保忠利先生の名前は初めて知りました。ネットで検索するとウィキペディアに詳細な記載がありました。実に多くの仕事をされた斯界の第一人者、権威であったことがよく分かりました。私も勝手に師と仰ぐ先生が2名います。その1人は経済学者の飯田経夫元名古屋大学教授、もう一人は心理学者の国分康孝元東京理科大学教授です。この二人に共通するのは文章が学者特有の難解さはなく、非常に分かりやすいこと、また通説にとらわれず自由な発想であること、何よりも庶民目線であることです。このお二人の謦咳に触れる機会はありましたが、人格的にも素晴らしい方です。引越しに際し、この二人の
著作だけは捨てずに残しました。
投稿: Toshi | 2014年1月 6日 (月) 08時18分