早乙女勝元氏の講演「語り継ぐ平和への想い」
早乙女氏は、最初に次のように話された。
◎知っているなら、伝えよう。知らないなら、学ぼう。
戦争や平和を考える上で、これは大変大事なことだと思った。私が大学生の頃ベトナム戦争があった。日本の沖縄基地からもB52がベトナムまで飛んで行き、爆弾を落とした。沖縄がまだ返還されていなかったとはいえ、日本も間接的にベトナム戦争に参加したことになる
ベトナム戦争については、アメリカ国内では支持が多かったが、そのとき、戦争に反対をする人たちから「図書館へ行って調べれば分かることだ」という指摘があった。つまり本当のことを知ろうとすること、学ぶことが大事なのである。
また、戦後多くの人が原爆や沖縄戦や空襲などについて語り部となって真実を伝えようと努力をした。早乙女氏はそのことの大切さを言われたのだ。
講演では、3つの点について話すと前置きをされた。
1、平和ってなんだろう
2、東京空襲を語り継ぐ
3、ア.3.11と子どもたちの未来
イ.何事も1人から始まる
まず、平和とは何かについて早乙女氏は、「ごく当たり前の日常」と言われた。例えば3.11ではある時刻を境に日常が非日常に変わってしまった。しかも、東北大震災は最初は「天災」であったが、それが福島第一原発事故により「人災」にかわってしまった。
戦時中、昭和19年11月を境に日本は激変した。それまでは海の向こうのことであったが、アメリカ空軍がグアム島などから日本国土に飛来して爆弾を落とし始めたのだ。
原発事故も戦争も人災という共通点があるのだ。
アメリカのB29は北海道と青森以外の全ての都市を爆撃した。青森以北は燃料の関係で行けなかっただけだ。
3月11日の未明の東京空襲は、真夜中のことで、300機のB29が2000mの低空で焼夷弾を東京下町の人口密集地域にばら撒いた。それは2時間続いた。11万人が家を失い、約10万人が死んだ。
そのときの大本営発表は、「都内に何か所か火災が発生した。皇居の主馬寮の火は消し止めた。」というものであった。当時国民は「民草」と呼ばれ、雑草扱いであったのだ。
名古屋空襲では、艦載機も含めて2000機が飛来し、8625人が亡くなった。54万人が被災をした。
なお、太平洋戦争による戦死者は日本が310万人、中国、韓国、フィリピンなど東南アジアも含めて2000万もの戦死者が出た。
日本政府は、昭和20年より人口統計を取り始めた。それによると、昭和20年の平均寿命は男23.9歳、女37.5歳であった。
それが翌21年には、男42.6歳、女51.1歳となった。これをみても男子の多くは戦争に狩り出されて減少したことが明白である。
軍人・軍属への補償はこれまでに50兆円以上になるが、民間人への補償は訴え続けても取り上げてもらえないのである。
東日本大震災や福島第一原発事故でも、災害の悲惨さや避難生活の大変さという非日常がいつの間にか慣らされてしまっている。
原発事故は収束したと宣言され、再稼働が声高に叫ばれ、原発輸出が画策されている。
早乙女氏の著作には多くの感想が寄せられるという。その中で共通しているのは最後に「日本が平和でよかった」というものだそうだ。しかし、早乙女氏はそれに首をかしげるのだ。「本当に平和であったのだろうか?」と。
横須賀米軍基地には、アメリカの原子力潜水艦や原子力空母がある。もしそこに事故でもあればどうなるのか。アメリカは戦後も世界で戦争を続けて来た。日本には基地があり、イラク戦争やアフガニスタン戦争に狩り出されたではないか。
今、改憲が企まれ、とりあえず解釈による改憲をして「集団自衛権」に変えようとしている。自衛権というから誤魔化されやすいが、「戦闘権」なのだ。
3.11後福島の92歳の老女が、「このままでは足手まといになるから、お先にお墓に避難します」と書いた紙を手に握って自殺をした。これは戦争中と同じである。戦争中も年寄りや動くのが不自由な人たちは「足手まとい」とされて不当な扱いをされたのだ。
戦争と原発の類似点は、原発の安全神話と大東亜共栄圏である。どちらも安全で幸せをもたらすと言われたのだ。しかし、実際に起こったことは悲惨であった。
今、非日常をどうやって「日常」に戻すかが問われている。
今からでも遅くない。まだ間に合う。子や孫のために平和に生きる権利を引き継ぎたい。
どんな運動でも最初はひとりがら始まった。そして地下水のように広がり、人々の心と心を結ぶようになった。
以上は講演をもとに私なりに解釈をして構成し直したものである。誤解があるかもしれないことをお断りしておく。
安倍内閣によって、かつてない勢いで政治が変えられようとしている。日本は政治的にも経済的にも分岐点に立っていると言ってよい。早乙女氏がいうように、その事態をよく学習し、知ってることを広げることが重要である。マスコミは抱き込まれてしまったものもあるが、ネットには良心ある人たちが本当の資料を提供してくれている。自分の頭で捉え考えることが大事である。
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兵器の開発は戦争を前提にしています。いくら兵器が発達しても戦争が悲惨になるだけで平和にはならないと思います。
投稿: らら | 2013年10月 4日 (金) 08時24分
昨日、テレビで傷痍軍人会が戦後68年になり、創立60周年の式典とともに、今年で解散するというニュースが流れました。子供の頃、松坂屋の前で白い服を着た義足の元兵士がアコーディオンを弾いて
募金を求める姿が強烈な印象に残っているので、大変懐かしい思いがしました。創立当時32万人いた会員は今は5000人、平均年齢は92歳。もう数年も経てば戦場で戦争を実体験した人は皆無になるでしょう。先日、クローズアップ現代で、今、戦争はコンピューターで遠隔装置された無人飛行機やロボットがやるようになり、各国とも開発競争にしのぎを削っているという話題が報道されました。兵士が戦場で戦うという古典的な戦争は将来なくなるかもしれません。戦争がハイテク化、ゲーム化していくとその悲惨さはどのような形で伝わるのでしょうか。
投稿: Toshi | 2013年10月 4日 (金) 06時30分