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2013年8月12日 (月)

これだけ騒がれていてなぜ体罰がなくならないのか

 10日の朝日朝刊を見ると、一面に体罰をした教員は昨年度6721人という大きな見出しがあった。文部科学省が9日に発表した実態把握調査の結果である。国立、公立、私立も含めての数だ。愛知県は184人で、その内名古屋市は30人だという。

 公立学校教員ですでに処分されたのは2752人で、免職を含む懲戒処分は162人だという。

 戦後は体罰が禁止されていることは、教員なら知らないはずがない。それでも最初の頃は体罰が行われることもあり、私も教育技術の無い若い頃は体罰も必要な場合があると考えていた。しかし、仲間との研修をとおしてそれが間違っていると気づき、以後は体罰はしない教育を追及してきた。

 校内暴力が起きるようになり、学校が荒れだして、体罰が問題視されマスコミでも取り上げられるようになった。以来30年ぐらいたったであろうか。私が退職したのは学級崩壊が始まった頃であった。

 勤めている頃は、体罰はいけないという注意喚起はあったと思うが、私の周りでは問題になるような体罰は見聞きしなかった。

 退職してからは教育界のことは分からなくなり、友人やマスコミなどで児童生徒の指導が大変だということを知るくらいだ。

 これだけ騒がれても教員の体罰がなくならないというのはいったいなぜだろうと不思議である。児童生徒の状態が悪くなって、指導が難しくなっているという面はあろう。また、部活などで成績を上げなければということで体罰をする場合もあろう。

 愛知県教育委員会はこの1日に、「そもそも体罰によらない効果的な指導とは何か」を議論する研究会を立ち上げたというが、何を今頃・・・という感が否めない。

 岐阜県では、人権問題や生徒指導などをテーマに扱う研修への参加を義務付けたという。三重県では研修ビデオを作り全教員に配布したそうだ。

 来年度体罰教員の数がどうなっているか見ものである。

 私は、勤めている頃は、何事も子どもと一緒にやるようにしていた。学校では清掃が重要であるが、掃除の時間は子どもと共にやった。だから早くきれいに掃除をする子どもが育った。

 靴箱の整頓も点検係を作るのではなく、自覚を育てるようにした。集会に集まるのも自分たちで速く決まりよくやっていた。

 教科では分かること、できることを大事にした。例えば一輪車ではお互いに教え合って、最後にはクラスの全員が乗れるようになった。リコーダーでもそうだ。出来るようになった子が先生役となり、1年後には全員で程度の高い曲の合奏もできるようになった。

 あのゆとり教育が叫ばれたときも、基礎学力を重視して計算力や漢字力、語彙力を付けたし、話し合いの力も付けた。また、書くことにも力を入れてどの子も思いを込めた作文が書けるようになった。

 子どもの状態や到達点は親も含めて皆が共有できるようにした。そうすることで自主的な子どもが育ち、体罰など全く関係ないことであった。

 

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コメント

 学校数からみると確かに少ないですね。それでも無くならないというのが残念です。

愛知県は日本の人口の約6%であるので、大数の法則で愛知県の諸数字は全体の5~7%に収まることが多い。愛知の体罰をした教員の割合は全体数値の2.7%なので愛知県は体罰が比較的少ない県ということになるのか??但し、この場合、体罰をしたというのはどのように把握され、カウントされるのであろうか。また、愛知を例にとると184という数字は学校数からいくと、殆どの学校が1年間に体罰をした先生がいないということになる。昔に比べると激減したということなのか、数字だけでは分からないことが多い。

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