« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »

2013年8月

2013年8月31日 (土)

シリア爆撃に反対!

 アメリカのオバマ大統領はシリアの内戦で政府側が化学兵器を使ったという理由で爆撃をする準備をしている。

 火曜日にそのニュースが報じられると、地政学的リスクという理由で、日本、米国、ヨーロッパなどの株価が下落した。

 最初、英国が米国と一緒になって攻撃をすると言われていたが、30日朝のBBC放送で英国議会はシリアへの爆撃に反対をしたと伝えられた。それで当初は爆撃をすると言っていたキャメロン首相も英国の参加しないと言った。

 英国でもフランスでもドイツでもシリア爆撃については過半数以上の国民が反対だと新聞に出ていた。当然のことだと思う。

 特に英国では、先のイラク戦争のとき、ブッシュ元大統領の言うことを信じてイラク攻撃をしてフセインを倒したが、「大量破壊兵器」は存在しなかったことが判明した。その苦い経験が思い出されるようだ。

 イラクへの攻撃の理由は、フセインが大量破壊兵器を隠しているということであったが、それはガセネタであったことが判明し、後にブッシュ自身それを認めざるを得なかったということであった。

 今回のシリアへの爆撃では、米国は化学兵器使用の証拠を得ようとしている。国際連合も調査団を送り調査している。

 果たしてどんな調査結果がでるかわからないが、強国が力ずくで他国を攻撃するということはやってはならないことである。アメリカは過去に何度もそれをしてきた。

 ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン・・・たしかアフリカのどこかへも介入したはずだ。世界の警察を自称しての行動だが非常に傲慢な身勝手なものである。

 結果として米国自身が大変な苦労をし、戦争に参加した兵士たちは重大な後遺症に苦しめられている。

 シリア爆撃はミサイルによって行われると言われている。かなり精度が高く、ピンポイントでの攻撃が可能という。しかし、同じことはイラク戦争、アフガニスタンでも言われたが、多くの無実な市民も捲き込んでしまった。

 シリア爆撃には米国内の世論も反対が多数と言われるのがせめての救いである。世論の力に期待したい。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年8月30日 (金)

東海バロックプロジェクト 第2回公演―9月21日―

 我が昭和男爵コーラスの指揮者、加藤佳代子先生が所属する東海バロックプロジェクトの第2回公演が9月21日、ザ・コンサートホールで開催される。

 コンサートのタイトルは、「輝かしい古楽の祭典Ⅱ J.S.バッハの肖像」である。東海地区の古楽アーチストたちが結集してお届けする感動のバロック音楽第2弾。

 「今回は、その多方面にわたる活動を今最も注目されている鍵盤奏者、大塚直哉氏を指揮者に迎え、魅力あふれるJ.S.バッハの室内楽をお届けします」とチラシに謳っている。

 大塚紙はスペシャルトークとして、バッハの名曲にちなんだ楽しい話もされるという。

 私はバロック音楽が好きで以前はFMラジオで朝のバロック放送を楽しみに聴いていた。自分では楽器は演奏できないが、リコーダーが好きで、勤めている頃はリコーダーを子どもたちに教えてみんなで合奏したものである。

 昨年9月に東海バロックプロジェクトの第1回公演が長久手市の文化の家で開かれたが大変楽しいコンサートであった。それで今年も楽しみにしている。

 曲目は、

 ●J.Sバッハブランデルブルグ協奏曲 第4番 ト長調 BWV1049

 ●2台のチェンバロのための協奏曲 ハ長調 BWV1061

 ●カンタータ第78番「イエスよ、汝はわが魂を」他

 出演者は、ソプラノの加藤先生を始め、アルト、テナー、バス各2名。リコーダー、オーボエ、バイオリン、ヴィオラ、コントラバス、チェンバロ、オルガンなどに客員コンサートマスター桐山建志を加えた総勢25名であう。

 日時 9月21日(土) 18時開演、(17時30分開場)

 場所 ザ・コンサートホール(電気文化会館地下) 地下鉄伏見駅④出口東へ2分

 入場料 一般前売り 3500円、当日4000円、学生2000円、当日2500円

 http://www.tokai-baroque-project.com/

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年8月29日 (木)

名古屋華マジカルグループ合宿―②One Ahead System

 将魔講師のレクチャーの重要テーマは、他に「ミスコール」と「One Ahead System」があった。

 ミスコールというのは、インターネットで調べると、超能力マジックで違うものを言うことを指すらしいが、将魔講師が話したのは、マジックの演技の途中でわざと間違ったことを言って観客を違った感覚に導くことであった。ミスター・マリックがこのミスコールが非常に上手だと言っていた。マリックは「コインを見せながら、穴が開いていませんね」と言って見せて、そこにタバコを通すというようなやり方をふんだんに使う。

 ミスコールをうまく使ってマジックを演技するのも大切なことだという。

 3点目は、「One Ahead System」についてであった。最初「head」聞いたので、どういう意味かなと思いながらレクチャーを聞いて、帰ってからインターネットで調べたが、「One Head System」で検索したら違うのが出てきた。調べて行くうちにheadではなく、Aheadだと分かった。

ワン・アヘッド・システム (One-Ahead System)

 メンタルマジックの手順の中で用いられる原理のひとつで、もともと秘かに封筒の中のメッセージを盗み見るために、イカサマ霊媒が編み出したテクニックだといわれている。基本的な手順は、複数の客に紙片を渡して何かを書かせたあと、封筒に入れてしっかりと封をさせる。そして演者は封を開けることなく封筒の中の紙片に何が書かれているかを当てる、というもの。本来はサクラ(協力者)を使わなければ演じられなかったが、後にセオドア・アネマンの改良により、サクラを使わなくても演じられるようになった。

 将魔講師は、「One Ahead System」の考え方が大変重要であるが、日本ではほとんど考慮されていなかったと言った。そのためFISMなどの世界のコンペティションでは日本人はなかなか賞を取れず、韓国など外国に負けてしまうという。

 例として、ハト出しをするとき、すぐにハトを出すのではなく、その前に他の物を見せてワンクッション置いてハトを出すというようなことだと言った。

 あるいはバッグからシルクを取り出すとき、同時にくす玉のリングに指を掛けておく、1つ目のくす玉を取り出すとき、2つ目に指を掛けておくというようなことも例として演技をしながら説明してくれた。

 One Ahead System以外にTwo AheadとかThree Aheadをやる人もいると言っていた。

 将魔講師のレクチャでは、以上の3点が私の眼を開かせてくれた。その後、実用的な手品用具の改良とかマジックテーブルの作り方の講義などがあり、有益であった。

 彼はホームセンターや百円ショップなどで安い商品を探して自作もするそうだ。

 1,500円のコートハンガーを利用したマジックテーブルとか、百円ショップの造花を利用した取り出し用薔薇の作り方、昔買って死蔵しているボトルを活かす方法などを教えてくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月28日 (水)

名古屋華マジカルグループ合宿―①オフビート、オンビート

 名古屋華マジカルグループの恒例の合宿が24日と25日にヴィラ・マリーンであった。

 車を運転して行くか、電車で行くか、当日の朝まで迷っていた。結局電車で行くことにした。車を運転して知多半島の先まで行くのは疲れるし、事故が怖いしでためらったのであった。

 金山駅に行ってマナカをタッチして改札出ると声を掛けられた。見るとグループの女性が3人いた。プラットホームへ行くとさらに2人と外部からの参加者が1人来た。

 河和駅まで急行で48分。2時にはホテルから迎の車が来て、約20分でホテルに着いた。

 今年は同室は、同じクラブのMさんだった。Mさんはカラオケ大会でヴィラ・マリーンへは何度か来たことがあると言った。フロントの人たちとも顔見知りであった。部屋は5階で、師崎漁港や篠島が望見できる洋室でとても良い眺めであった。

 3時からは、会議室で手品屋の将魔さんのレクチャーであった。何か手品のやり方を教えるのかと思っていたら、理論から始まったので驚いた。「この話をすると半数の人は眠ってしまいます」と言って笑わせた。初めて聞いた将魔さんは話がうまくて笑いの取り方も心得ていた。

 この日のレクチャーのメーンテーマは、現代マジックで重要だと考えられている3点についてであった。

 最初に「オンビート、オフビート」について話した。ビートは英語のbeatであるがそれがマジックとどういう関係があるのかと興味を引かれた。

 帰ってから調べたら、もともとは音楽用語のようであった。オンビートはリズムの表の拍のことでオフビートは裏の拍のことであった。ドン、タン・・・という時、強いところがオン、弱いところがオフなのだ。

 調べたらマジックでは「オフビートマジック」という用語があった。それについては後で触れることにして、話を戻そう。

 将魔講師は、この命題について分かりやすくするために手品のグッズをプレゼントしてくれた。コインを使ってやる手品である。

 テーブルの上にシルクハットが置いてあり、将魔講師は百円玉を右手に持ち、それを見せて左の手に移した。左手を開けると確かにコインがあるのが分かった。

 それを右手に投げて取り、もう一度先ほどと同じ仕草をした。そして左手でシルクハットの中のコップを取り出した。

 プレゼントしてくれたコースターと同じ物を客に渡して、その上にコップを載せてもらった。それを貰って右手の上に置き、左手でコップの底を叩いた。すると手の中の百円玉がコップを貫通して中に入ったのだ。

 では、それがオンビートとオフビートとどういう関係があるかということを将魔講師が説明した。

 もともとはスライディーンがレクチャーで強調していたそうで、大変重要な演技であるという。

 右手のコインを左手に移したとき、身体の格好はコインを握った左手が頭ぐらいの高さにあり、術者は左手の握りこぶしを見ている。右手はお尻の辺りに自然に下がった状態になっている。 

 この時の左手が「オンビート」であり、右手が「オフビート」であるというのだ。そして重要なのは、オフビートを如何に自然な形で作るかだというのである。右手が如何にも握っていますという形になっていたり、中途半端な位置で止まっていたりするのはよくないのだ。インターネットで調べると、「リラックスした状態」と書いてある。

 マジックをやる人はなぜ右手のオフビートが大切であるかが理解できる思う。

 マジックを演じる一連の動作の中で、必ずオンビートとオフビートがあるのだが、オフビートに留意して演じることが重要なのだ。インターネットでは、「オンビート」で調べてもマジックに関してはヒットしないのを見ても、「オフビート」が大事だということが分かるだろう。

 将魔講師は、「オフビート」を作るのが大変難しいと話した。これは意識して練習をする中で自然体としてやれるようになるしかないであろう。

 後のURLの「たかむらしのぶの虚構の里」というブログに詳しく出ているので見て頂きたい。

 それによると、「ミスディレクション」との違いを次のように書いている。

「二つの違いを簡単に言うと、ミスディレクションが『観客の視線や思考をある場所に誘導しておき、それとは別の場所でトリックを行なう』という要素が強いのに対し、オフビートは『観客をリラックスさせたり油断させている間にトリックを行なう』という要素が強いものです。

 そもそもミスディレクションは「~だと思わせていて実は・・・」という感じが強いので観客を考えさせたり緊張状態にさせたりする場合が多いのですが、オフビートはその反対で、何にも考えない漠然とした時間や緊張が緩んだタイミングを使うので、リラックスな状態を促すものなのです。」

http://www.geocities.jp/eldevol/ohubi-to.htm

Cimg6642

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月27日 (火)

福島第一原発での汚染水流出は深刻

 東京電力福島第一原発での、放射能汚染水の流出が止まらず、対策もうまく行かず苦慮している。

 汚染水の流出は、3か所で起きている。その1は、汚染水を保管したタンク群の中から発生しているが、1日300トンもあり、ストロンチューム90などベータ放射線を出す物質が1リットル当たり8000ベクレルと極めて高濃度で検出された。(毎日新聞20日)

 その2は、タンクからの流出よりさらに深刻な、1~3号機周辺の汚染地下水が直接海へ流れ込んでいることである。政府は1日300トン流出していると試算している。

 重大なのは東電がタンクを巡視する際の点検記録を作ってなかったことだ。東電の汚染水管理が如何にずさんであったかが明らかになった。そのため大量の汚染水流出を防げなかったのだ。

 その3は、坑道の溜まった超高濃度の汚染水が1日あたり10リットルほど直接海に流れ込んでいるということだ。 

 こうしたことから、福島第一原発の港湾内で採取した海水のトリチウムの濃度が1週間で8~18倍に高くなったと東京電力が発表した。港湾外への放射能汚染の拡大が進んでいるとみられている。(朝日新聞24日)

 問題は、汚染水の保管方法を見直すべきだという指摘にも抜本的に解決する対策が見いだせないでいることだ。1日400トンずつ増え続ける汚染水を減らそうと汚染される前の地下水を汲みあげる「地下水バイパス」もうまくいきそうもないようだ。

 タンクにためた汚染水の放射能濃度を下げる試みも行われているが、こちらも思うようには進んでいない。

 そうした中で汚染水は毎日増えていくばかりである。保管するタンクを置く場所もなくなってきた。

 八方塞がりの放射能汚染水対策である。放射能はウイルスより厄介である。ウイルスは殺せば除去できるが、放射能は半減期が来るまで残り続けどうしようもないからだ。福島第一原発だけでも大量の核廃棄物があるからこれからも放射能は出続けるのだ。

 こういう厄介な原発を安全だと言いくるめて来た自民党政権の責任は重大であるが、全く反省の色がない。それどころか海外に原発を売りこんでいるのだ。福島原発の事後処理に手をこまねいているというのに、どうして平気インドやトルコなどにセールスに行けるのか安倍首相の無神経さは理解に苦しむ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月26日 (月)

映画「少年H」

 映画になった「少年H」を見に行った。以前に小説を読んだことがあるが詳細は覚えていない。だから小説のどの部分をどのように映像化したかを確かめることはできなかった。

 観終わっての感想は、神戸の洋服屋の家族があの戦争に捲き込まれ、その中で生き抜いて行く様子が生生しく描かれていた。戦争というものがどんなに過酷なものか、人をどんなに変えてしまうのかが映像を通して心に迫って来るものであった。

 水谷豊演じるお父さんは、物の見方や考え方が柔軟で人間性の豊かな父であり、伊藤蘭演じる母親は敬虔なクリスチャンとして、他の人にも愛を分かつ優しい人柄である。二人の演技は役にぴったりとはまって、自然に雰囲気を醸している。

 少年H役の吉岡は懸命に演じているが、降旗監督は当時の状況をよく説明して演技の指導をしたという。

 B29の神戸爆撃のシーンや住んでいた街が炎上するシーンはどのようにして撮影したのか知りたかったが分からなかった。多分CGを使ったのだと思われる。実際はあんなに周囲が激しく燃えているのにミシンを運び出したり、しゃがみ込んだりはできないはずであのシーンは非常に不自然である。CGの合成だからであろう。

 焼け跡に父親が来て少年Hと出会うシーンはよくできていたが、はるばる韓国のパプチョン映像センターまで行き、2日間燃やして焼け跡を作り、撮影時は本当に火を燃やした中での映像だと知ってなるほどと思った。

 少年Hが通った国民学校もセットにしてはよくできていると思ったが、栃木県に現存する粟野中学校を借りて撮影したそうだ。

 少年Hが入った中学校は、奈良県の畝傍高校の外観を使い、内部は京都の立誠小学校での撮影という。

 妹尾洋服店がある町並みも見事に造られており、セットなら大したものだと思った。実際は加古川市に残るニッケ社宅群を利用して再現したものらしい。

 妹尾洋服店も実際のものを再現しているのだそうだ。こちらはセットである。

 画が好きな少年Hが描いた絵を軍事教官がけなしてピンタを食らわせるシーン。おかまの男性が徴兵されて、逃げ出して自殺するシーン。父親がスパイ嫌疑で警察に連行されるシーン。音楽の好きなお兄ちゃんが特高に連れて行かれるシーン。その他キリスト教を信じていることを隠さなければならなくなる時代背景・・・・など、戦争の激化によって罪のない市民の生活が脅かされていく様子が克明に描かれている。

 警察から帰った父親が、同じくスパイだと友達に言われて憤慨している少年Hを2階に呼んで、戦時下における心の持ちようを語る場面は、この映画の大事な山場だと言われるが、父親の言葉が心の中に入ってくる。

 少年Hの中学校での教練であるが、疑似銃の班と本物の銃の班があったと描かれている。私は当時の中学校のことは知らないが、実弾の銃を扱う教練があったのだろうか。軍事教官が二通りいて、一人は戦時下に追従し、中学生を軍人に仕立てようとする。もう一人は戦争に懐疑的で少年Hをかばってくれる。ホッと救われる出来事であった。

 違和感を覚えたことを書いておきたい。1つは父親や教官の頭が坊主頭でないこと。2つ目は、おにぎりが大きくて数が多いこと。当時はおにぎりを大きく作る習慣があったからだとHPで説明しているが、食糧難の時代にお米は貴重なものであんな贅沢ができるはずがなかった。

 戦時中の妹尾家の食事場面も食べ物が良すぎる。私の記憶では、食べ物が少なくて大変苦労をしたからだ。

 安倍内閣になって、集団自衛権発動を可能とする地固めが着々と行われている。その先には平和憲法を改悪して国防軍を設置することが見据えられている。そんな時期に「少年H」は時宜を得た映画だと思う。できるだけ多くの人に見てもらって戦争がもたらす悲劇、悲惨さを疑似体験してもらいたいものである。

 少年Hのポスター

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月25日 (日)

突然治った「航空性中耳炎」

 4年ほど前エジプトに行った帰り、カイロ空港からドバイ空港まで中型の飛行機に乗った。それが原因で航空性中耳炎になってしまった。

 飛行機が高度を下げてくると耳の奥がツーンとして、耳が聞こえにくくなる。通常は唾を飲んだり、鼻をつまんで思い切り息を出したりすると元に戻る。しかし、こうした状態は飛行機の高度が変わると何度でも起きる。

 空港に着陸すると普通は治るものだが、私の場合は全然よくならなかった。それで帰宅してからしばらくして耳鼻科へ行った。その耳鼻科では鼻の奥から耳の方へ管を通して圧力を変える操作をしたり、モニターに映して調べたりしてくれた。

 そして2週間ほど通ったが少し状態がよくなったが治らないので 医者に行くのはやめた。 

今年の4月にフランスへ行った帰りにまた耳の状態が悪くなった。帰国後違う耳鼻科へ行った。聴力検査などをしたがやはりよくならないのでそのままにしていた。耳がポーンと詰まると、唾を飲みこむ。すると耳の奥で何やら音がして一時的によくなるが、すぐに元に戻ってしまうのだ。

 でも、耳の聞こえは年齢相応だということなので不自由はなかった。半ば諦めもあった。

 8月初めに大須であったコスプレサミットを見に行ったとき、帰りに突然耳がポーンとして聞こえが悪くなった。唾を飲んだり、お辞儀をしたりして一時的によくなるが、すぐにポーンと詰まったような状態になった。

 困ったと思ったがどうしようもなかった。コスプレパレードの間全く水分を摂ってなかった。暑いのでソフトクリームを食べた。

 家に帰ってからお茶を飲んだ。耳がおかしくなってから1時間余りたっていた。しばらくすると耳の状態がよくなった。よくなったというか、全く正常の状態に戻ったのだ。つまり4年前に戻ったということだ。

 どうして急に回復したのか不思議でならなかったが、嬉しかった。月曜日に耳鼻科へ行ったとき、そのことを話したら、医者は「暑いときに水分をとらないと耳がポーンとすることがあります。」と言った。結局それが引き金となってうまい具合に回復したもののようだ。医者は「よかったですね」と言った。

 ○航空中耳炎

  http://www.jata-net.or.jp/travel/info/safety/health/medical/0609.html

 飛行機が上昇すると気圧は低下し、逆に下降すると気圧は上昇します。気体の体積は気圧に反比例するため、中耳の中に入っている空気も上昇時には膨張し、下降時には収縮します。上昇時に耳がつまった感じになるのは、鼓膜の奥にある中耳の空気が膨張するからです。機内で配られるおつまみの袋が膨らんでいることなどからも一目瞭然でしょう。ちなみに、機内の空気の体積は、地上に比べ約30%膨張します。
このように気圧が変化したときに活躍するのが耳管という中耳と鼻を繋いでいる細い管です。飛行機が上昇・下降したときに、この耳管の鼻側が開いて、中耳の圧調整を行っているのです。ところが、風邪やアレルギーで鼻の粘膜が腫れてしまうと耳管は開きにくくなってしまい、圧調整がうまくいかず、中耳が炎症して痛くなったりするわけです。特に下降時が要注意です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月24日 (土)

懸賞ごまかし

8月19日の朝日新聞夕刊に、「『5名様に当たる』はウソだった」という見出しの記事が載った。出版社の秋田書店の読者プレゼントで、当選者数を実際より多く表示をしていたとして、消費者庁が出版社の秋田書店を景品表示法違反として措置命令を出すということだ。

 複数の読者に当たると表示をしていながら、一つも発送していない景品もあったという。

 秋田書店と言えば、「週刊少年チャンピオン」など若者向けの漫画、コミック本などを出版している。同社は過去数年にわたり、複数の雑誌でこうした不当表示を続けていた可能性があるそうだ。

 女性向け漫画月刊誌では、ファッション雑貨や家電製品が「5名」当たると記載されていたのに、実際にはそれより少ない数が発送されたり、当選者が0の景品もあったという。

 雑誌に当選者名を発表していたが、架空の名前を表示したケースもあったという。応募者は景品が届かなくても、当たらなかったのだと思うだけで不審には思わないからばれなかったのだという。

 このような景品のいい加減さは、何も秋田書店だけのことではないと思う。どこでもやっていることであろう。

 一番巧妙なのが「当選は品物の発送でかえさせていただきます」というものだ。これなら誰にも景品を送らなくてもばれることはない。

 「当選者氏名を新聞、雑誌、または店頭に発表します。」というのも、秋田書店のように架空の当選者名を使えば簡単に騙せるのだ。

 「先着○○名様」というのもインチキである。このやり方では嫌な思い出がある。八事のジャスコに「御座候」(姫路に本店)が開店したときのことだ。「開店先着○○名様」というので開店の朝、夜が明けないうちにハガキを送ったのだが、駄目であった。電話で尋ねたら遅かったというのだ。

 こんな経験もある。近所の店でセールをやったのだが、私はセールが終わる間際に行った。するとまだ景品のサインボールなど1等、2等の景品が残っていた。ところが当ったのは4等であった。

 それで分かったのだが、よい景品を最後まで見せておくために籤から外してあったということだ。

 私はもともと籤運が悪いから景品に応募することはほとんどない。たまに確率のよい商品のシールを集めて送っても当たった試しがない。だから運が悪いだけでなく、会社が操作をしているのだと思っていた。

 今回の記事を見て「ああ、やっぱり・・・想像通りだ!」と意を強くした次第である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月23日 (金)

福島の子の甲状腺がんを憂う

 8月21日のNHKおはよう日本や朝日新聞によると、福島県での甲状腺がんやその疑いがある子どもの数が44名だという。これは福島県が福島第一原発事故発生当時18歳以下だった子どもを調べた結果である。

 6月からは16人増えたことになるが、福島県では「被爆の影響は考えられない」と言っている。

 朝日新聞には書いてないが、NHKニュースでは、通常甲状腺がんの発症は数十万人に1人だと言っていた。今回は調べた人数が19万3000人で、18人ががんで25人が疑いありと診断されたという。

 福島県が原発事故とは関係がないと分析した理由は、次のようである。

 チェルノブイリの原発事故の際は4~5年たってから甲状腺がんが増えたことと今回の検査では複数回の検査でがんやしこりの大きさがほとんど変っていないためと説明している。

 それにしても通常の場合との数のかい離が大きすぎる。20万人の検査でせいぜい1人のはずなのに44人というのは、素人目にも差が大きすぎるのだ。

 県の検査や説明に県民の間で疑問や不安があるというのは当然である。県はしっかりとした検査をして、子どもたちに増えている甲状腺がんが原発事故によるものと正直に認めるべきである。

 ゆめゆめ、原発事故に原因があると認めると補償問題が大変だなどとして隠してはならない。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月22日 (木)

国民学校の勤労奉仕―②葛の蔓を集める

 アメリカのB29爆撃機が日夜飛来したり、艦載機の機銃掃射があり、戦争はいよいよ激しく追い詰められていたが、私たちは新聞の発表を信じていた。

 私は新聞を読むのが大好きで、朝日新聞が報じる「○○で敵機撃墜・・・」とか「○○で敵艦撃沈・・・」などの記事をわくわくして読んだものであった。

 戦局が厳しくなって物資が不足して、金属類の供出が行われた。我が家からは何を供出したかは記憶にはないが。

 そんな頃、多分19年の夏だったと思う。学校から葛の蔓を取りに行く勤労奉仕があった。家にあった鎌(多分危ないので鋸鎌)を持って学校からみんなで山の方へ出かけた。勇ましい軍歌を歌いながら行ったことを覚えている。

 今、私が毎朝歩く山崎川沿いに、葛が茂っているところがある。毎年葛の蔓が伸び始めると、子どもの頃葛の蔓を取りに行ったことを思い出す。

 その頃はなぜか葛とは言わず「ラミー」と言っていた。インターネットで調べたが「ラミー」では出てこないが、記憶ではそう言っていた。

 葛の蔓を何に使うのかというと皮をはいで繊維を取り、それで布を作るのだと聞いた。実際に作られた布とか服は見たことがない。

 WIKIPEDIAで調べたら、次のように書いてあった。

 クズのつるは長いことから、切り取ったつるが乾燥して固くなる前に編むことで、かごなどの生活用品を作ることができる。

 また、つるを煮てから発酵させ、取りだした繊維で編んだ布は葛布(くずふ)と呼ばれる。平安時代ごろから作られていたとされる。江戸時代には『和漢三才図会』でも紹介された。かつては衣服・壁紙などに幅広く使われたが、現在では生活雑貨や土産物として、数少ない専門店によって小規模ながら生産が続けられている。遠州、現在の静岡県掛川市の特産品である

 葛の根から作る「くず粉」は葛菓子として有名であるが、漢方薬の「葛根湯」が葛の根から作るものとは知らなかった。かつては牛馬などの飼料としても用いられたことも初耳であった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月21日 (水)

国民学校生の勤労奉仕―①松根油

 先日見たNHKスペシャル「零戦―搭乗員たちが見た太平洋戦争」の中で、第1回特攻隊員大黒さんが”名誉の戦死”を遂げたあと、父親は政府の要請に応えて松根油のために松の根っこを掘り起こすという大変な重労働をする場面があった。

 松根油というのは、戦局が厳しくなって、飛行機の燃料の石油が手に入らなくなってきたので油分の多い松の根から油を搾りとり、燃料にするために作られたものであった。

 お盆が終わったが、迎え火や送り火には松を細く切ったものが使われる。油分が多くて燃やしやすいからである。松は油の多い木なのだ。

 松の根を掘り起こすのは大変な作業で、あのドラマの中でも、村人たちは尻ごみをするのだが、大黒さんは息子の思いを受け止めて松の根堀をするのだ。

 「松根油」と聞いて、私はすぐに子どもの頃のことを思い出した。戦争中は国民学校と言っていたが、たしか4年生ごろだと思うのだが、松の根を運ぶ仕事をさせられた。その頃は授業を受けた覚えはあまりないのだが、松の根を運ぶために遠くの山まで行き、大人たちが掘り出して切り分けた松の根を新宮市熊野地にあった工場へ運んだ覚えである。

 何のために松の根などが要るのかと思っていたら飛行機の燃料油を作るという説明であった。

 子どもだから石油が逼迫していることは知らなかった。ただお国のために少しでも役に立てるという気持ちであった。

 いったいどのくらい生産されたのかインターネットで調べた。WIKIPEDIAによると、20万キロリットルにもなるが実際に使われることはなかった。

 松根油(しょうこんゆ)は、マツの伐根(切り株)を乾溜することで得られる油状液体である。松根テレビン油と呼ばれることもある。太平洋戦争中の日本では航空ガソリンの原料としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかった。松根油はよく樹液樹脂松やに)あるいはそれらからの抽出物ではない。戦前は専門の松根油製造業者も存在し、塗料原料や選鉱剤などに利用されていた。昭和10年頃の生産量は6,000キロリットルほどであった。

 1944年昭和19年)7月ドイツではマツの木から得た航空ガソリンを使って戦闘機を飛ばしているとの断片的な情報が日本海軍に伝わった。当初はマツの枝や材を材料にすることが考えられたが、日本には松根油製造という既存技術があることが林業試験場から軍に伝えられ、松根油を原料に航空揮発油(ガソリン)を製造することとなった。

 1945年(昭和20年)3月16日には松根油等拡充増産対策措置要綱[2]が閣議決定された。原料の伐根の発掘やマツの伐採には多大な労力が必要なため、広く国民に無償労働奉仕が求められた。

 得られた伐根を処理するため大量の乾溜装置が必要となり、計画開始前には2,320個しか存在しなかったところ、同年6月までに46,978個もの乾留装置が新造された。これらは原料の産地である農山村に設置されて、大量の松根粗油が製造された。その正確な量については不明であるが、『日本海軍燃料史』(上)45ページには「20万キロリットルに達す」という記述があるという。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月20日 (火)

「乳酸菌生活は医者いらずから」面白いデータ

 藤田紘一郎東京医科歯科大学名誉教授の「脳はバカ、腸はかしこい」を読みたいと思って図書館に予約をしてあるのだが、ちっとも順番が回って来ない。500名以上の予約待ちなのだ。

 先日、たまたま本屋で見ていて、同じ著者の「乳酸菌生活は医者いらず」という本を見つけた。私は13年以上前からカスピ海ヨーグルトを培養して食べているので乳酸菌には興味があった。

 以前にも書いたことがあるが、現在は調整豆乳を使って培養している。牛乳と比べてどちらがよいのかは全く分からない。牛乳より豆乳の方が良いと聞いたのでそうしただけである。

 上記の本はまだ今年の5月に出たばかりなので、「脳はバカ、腸はかしこい」より新しい知見が入っていると思って買ったのだ。

 前書きのところに興味深い記述があったので取り上げることにした。藤田教授は40年にわたる腸内細菌の研究と自らの実践から「乳酸菌生活をしていれば、健康になれ、医者はいらない」と結論づけている。

 腸と腸内細菌についての研究が世界的に急速に発展し、新しい発見がされているというのだ。

 私が高校の頃は、腸は消化管として働くことを学んだが、単に栄養を吸収するだけでなく、腸内細菌がいろいろなビタミンを合成しているのだそうだ。腸内細菌はそれだけではなく、「脳内幸せ物質」であるドーパミンやセロトニンの前駆物質を作り、それを腸から吸収して脳に送り届けているのだという。(P.1)

 また、腸には体内免疫細胞の70%もがあって、腸内細菌の助けで免疫細胞が働いて、免疫力を高めているのだそうだ。免疫にも大きく関係をしていることは知らなかった。

 こうした大事な働きを担う腸内細菌は、なんと1000兆個にもなり、その重量は1.5kgにもなるのだという。実に体細胞の60兆個の16倍強の腸内細菌が存在するというのだから驚いた。

 腸から体内に吸収する働きを受け持つ「腸細胞」は腸壁の腸粘膜にびっしりとあるのだそうだ。

 腸細胞と腸内細菌は絶えず「生まれては死んでいる」のだ。糞便の約半分がそれらの死骸で、食物の残滓は15%程度にすぎないのだとか。

 最近の遺伝子研究の発展で、培養できない腸内細菌を遺伝子レベルでの研究が進んで、培養で分かる菌より10倍もあることが分かってきたそうだ。この点についてはNHKスペシャルでもやっていたと思う。

どんな乳酸菌をどのように摂ればよいのか、その働きなどをこの本で知りたいと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月19日 (月)

「24の瞳」脚本によってまるで別映画

 若い頃、木下恵介監督、高峰秀子主演の「二十四の瞳」を見て大変感動したことを覚えているが、ドラマの中で歌われた「浜辺の歌」以外は忘れてしまった。あの映画を見て「浜辺の歌」がとても印象に残ったのだ。

 8月4日に松下奈緒子主演の「二十四の瞳」がテレビ朝日で放映されたので見た。それで高峰秀子主演の「二十四の瞳」を見てみたいとテレビ番組欄を注意して見ていたら、BS日テレで黒木瞳主演の「二十四の瞳」をやることが分かった。

 録画をしておいて見始めたら非常に驚いた。それは松下主演のものとは描き方が全く違っていたからだ。

 冒頭は波止場で大石先生が出征する教え子たちを見送るときに、昔子どもたちと浜で写した写真の縮小版を贈るところであった。

 松下版では、写真を送ったのは、教え子たちが戦地に行く話をしている場面でのことであったように思う。  

 全編を通じて同じであるのは、大石先生が岬の分教場の先生として赴任したこと、1年生の担任で最初の点呼の時にあだ名をきろくすること、浜で足を折ること、最後に分教場の先生として戻ったとき、昔の教え子たちが歓迎会を開くことなどであった。ただその描き方はかなり違っていた。

 黒木版ではどちらかというと、反戦色が濃く描かれている。大石先生の同僚の先生が「アカ」として警察に引っ張られたとき、大石先生も何か持っていないかと校長から聞かれ、「草の実」という綴り方の冊子を取り上げられ燃やされる場面とか、教え子たちに戦地に行って死ぬのはいけないと言ったことが校長の耳に入ってしまうとか、教え子の1人の戦場での様子とかなど・・・・。

 大石先生が本校で再び12人の教え子たちを受け持った頃の昭和7年5月15日には5.15事件が起きて犬養毅首相が暗殺された新聞の見出しで当時の軍国主義が強まる様子を描いている。

 そんな暗い戦時中でも大石先生は、戦争に行っても生きて帰るようにと教え子や夫などに言うのだ。

 松下版では、母親もかなり描かれる。でも結婚式とか娘の死については描かれない。大石先生歓迎会に失明をした教え子を連れてくるのは、松下版では教師になった女性だが、黒木版では生き残った男子の同級生となっている。

 とにかく同じ壺井栄の名作「二十四の瞳」をもとにしても脚本家によって全く違うドラマとして描かれることを知って驚いた。どの部分を取り上げ強調しどの部分を省くかによって違ったドラマになってしまうのだ。

 松下版と黒木版を比べると、私は黒木版の方に点を入れたいと思う。しかし、ますます高峰秀子主演の「二十四の瞳」をもう一度見て見たくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月18日 (日)

監視所―太平洋戦争時敵機・敵艦の監視

 7日の朝、「あまちゃん」を見ようとテレビをつけたら、「おはよう日本」のニュースで「監視所」という言葉が耳に入った。残念ながらそのニュースの詳細はわからなかったが「監視所」という言葉で私の記憶が蘇った。

 新宮は太平洋に面していて、海から山地までの僅かの平地に街が開けている。我が家の近くの太平洋を見渡す格好の峯に戦時中「監視所」があった。

 アメリカのB29爆撃機はグアム島辺りから紀伊半島の最南端串本町の潮岬を目指して飛来し、大阪や名古屋方面に向かうと言われていた。

 そのせいで新宮の上空には毎日B29が飛んでいた。日中に飛ぶときは、天気が良い日だと爆音の他に小さな機影を肉眼で見ることができた。夜に飛ぶときは独特の爆音が聞こえた。

 ラジオが「中部軍管区情報。潮岬南方海上を敵約30機が北上中・・・・方面に向かっている」というような放送があり、警戒警報が出され、近づいて来ると空襲警報に変った。

 夜、警戒警報が出されると防空頭巾を被って、近くの防空壕に飛び込んだものであった。防空壕は近所の人たちと共用のものであった。

 新宮はB29の通り道になっていたので「監視所」が造られたのだと思う。監視所の付近は立ち入り禁止になっていた。子どもの私はどのようにして敵機や敵艦の監視をしているのかは知らなかったが、望遠鏡や双眼鏡で兵隊が監視をしているのだと想像していた。

 監視所の辺りで米軍艦載機による機銃掃射の音を聴いたように思う。戦争末期には艦載機の飛来もよくあったのだ。彼らは何でも撃ってくるので機銃掃射から逃れるには大きな木の周りを逃げろと教えられた。

 NHKのおはよう日本では、古い爆音を録音したレコードを示して、眼が不自由な人が音の種類を勉強して、監視所で聞き分ける仕事をやらされたと言っていた。しかし、全国でどのくらいの数の目が不自由な人が従事したのかは分からないと言っていた。

 私は爆音を聞き分けるために目が不自由な人を徴用していたのは知らなかったので驚いた。

 「監視所」があっても、アメリカのB29爆撃機や艦載機は我がもの顔に日本の空を飛びまわっていたのだ。ある日新宮は戻りのB29が雨のように焼夷弾を落とし、熊野地という地域が焼け野原となってしまった。王子製紙工場があったからだと聞いたが無差別の爆撃であった。

 焼夷弾がぱらぱらと落ちる様子を私は防空壕の出口から眺めていた。きれいというと語弊があるがその光景は今も思い出すことができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月17日 (土)

安倍首相、式辞でアジア諸国への加害に触れず

 終戦68回を迎えた8月15日の全国戦没者追悼式で、1993年の細川首相以来続いて来たアジア諸国に対する加害責任と「深い反省」や「哀悼の意」、そして「不戦の誓い」を無視した。

その理由は、「白紙で一から作り直したい。誰のため、何のために開く式なのか、抜本的に考え直してほしい」ということで、官邸スタッフに指示して、戦死した人々の犠牲の上に今日の日本があるともっぱら、戦没者への追悼に終始した。

 これは詭弁である。国内の出来事だから国内中心でよいという勝手な論法である。日中戦争、太平洋戦争で朝鮮半島や中国のみならず、はるか南方のビルマやインドシナ半島、フィリピン、インドネシアなど南方の島々にまで兵力を送り、現地の人々に多大の損害と犠牲を与えたことを戦没者とは無関係だと言えるはずがない。

 アジア各地に行って戦い、戦死した何百万の兵士はお国のためと狩り出された戦争の犠牲者であるが、戦った相手から見れば理不尽な憎んでも憎み切れない戦争であったのだ。

 戦没者慰霊の式では、相手国への慮りが当然なされるべきである。歴代首相が述べてきた加害責任への言及と哀悼の意、戦争への反省は絶対省いてはならないものである。

 安倍首相は、8月15日の靖国神社への参拝は見送ったが、任期中には必ず行くと公言している。

首相の靖国参拝がなかったということで韓国や中国の態度は多少和らいだと言われるが、戦没者追悼式での式辞で、アジア諸国に対する加害者責任に触れなかったことで不信感を抱かせた。

 安倍首相はどうして執拗に自説に拘るのか私には理解できない。「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と国会で答弁し、中国、韓国だけでなく米国からさえ批判された。侵略については国連で定まっているではないか。

 中国、韓国をはじめアジアの各国と歴史認識でぎくしゃくするのではなく、過去の過ちは素直に認めて、未来へ向けての友好的外交をすべきである。領土問題は外交を通じて解決する努力を積み重ねてほしい。

 軍事力を強化し、集団的自衛権で特定の国に加担をするのではなく、平和外交で世界の理解を得るように努めることが大事である。戦後の日本は戦争をしないことで武力を使わないことで信頼を得て来たのだ。その信頼を崩すような戦争への道を開くことは絶対にやめてほしい。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月16日 (金)

何とも無様な減税日本・・・・予想通りの醜態だ

 減税日本の中村孝道名古屋市議会議員が、政務調査費を不正受給した疑いで連日マスコミを賑わしている。減税日本では議員辞職を求めたが、中村議員はそれを拒否し、断固闘うと言っている。

 同じ減税日本所属の錦見輔県会議員は9日に議員を辞職した。こちらも政務調査会費の不正請求が原因であったが、こちらは潔く議員を辞めた。

 河村名古屋市長が勇ましくぶち上げた「減税」がブームとなり、前回の名古屋市議会議員選挙では減税日本から大量の立候補があった。そして一挙に名古屋市議会の第一党に躍り出た。

 私はこの時の市議会議員選挙では減税日本への警鐘を鳴らした。ブームに乗ってかき集められた連中が、ただ一つ「減税」だけを唱えて立候補したからだ。その他の重要なことについてはこれといった政策がなく「減税」一本槍であった。

 いわば河村市長が「減税」を実現するためにとりあえず数を集めようというのが目的であった。河村市長は大企業を優先するとか、待機児童の多い保育所にこれと言った政策がないとか、市立病院を減らすとか、文化軽視であるとか・・・・減税さえやればよいという感覚であった。

 私はブームに乗った数集めを非常に危惧し、減税日本という地域政党は信頼がおけないと指摘した。

 その後の減税日本の迷走ぶりは予想通りであった。中村市議会議長のだらしない市会運営とそれによる議長辞職、11年6月の市議団長の公約違反の費用弁償受け取りでの議員辞職、12年3月県議と市議が薬事法違反で書類送検、12年7月公費出張に女性同伴、交通事故、そして今回の2件である。

 新聞に載ったのはまだあったように思うのだが思い出せない。

 減税日本議員を選んだ多くの名古屋市民の責任も大きいというべきである。選挙に当たっては政策や人物を調べてよく考えて選ぶことが大事である。

 代表の河村市長の責任を問う声は報道されないがいったいどうしたことであろうか。前回の衆議院選挙、参議院選挙の結果をみても、減税日本はNOを突きつけられたと見ることができる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月15日 (木)

68回目の終戦の日の特別な意味

 今日は終戦の日である。戦後も68年となった。今年の終戦の日は特別な思いで迎えた。それは安倍首相が12日に山口県で、「憲法を改定することは私の歴史的使命である」と語ったように、自民党・公明党が衆参両院で圧倒的な多数を占めているこの機会を逃さず憲法改悪を進めようとしているからである。

 安倍首相は、憲法第9条の戦争放棄をなくして、日本が戦争ができる憲法に変え、国防軍の設置を目指している。彼は太平洋戦争を知らない世代である。あの悲惨で忌まわしい戦争がどんなものであったかの想像力すら持たないようだ。

 戦争のとき敵と対峙するのは若い兵士である。この前の戦争では、「天皇陛下の御為に!」若い人だけでなく、普通なら兵隊に行かない年齢の人まで赤紙で召集されて戦地に赴き命を絶った。安倍首相は、自分が最高司令官として若い兵士を戦場に送り出すことに何のためらいもないようだ。

 11日のNHKスペシャル「自衛隊と憲法ー日米の攻防」という番組でこれまでの憲法と自衛隊の関係を歴史的に捉えていた。

 憲法は、よくアメリカによって与えられたものだという理由で、改定をすべきだという論拠にされている。確かにアメリカが関与している面はあるが日本の憲法学者などの主張も取り入れられている。

 初めはアメリカは日本から軍事力をはぎ取りたかったのだ。だから軍隊を認めず戦争放棄を憲法に入れたのだ。

 ところが時間が経過すると共に、それがアメリカの国益にとって大変不都合なものとなってきたのだ。番組ではその最初の転換点が湾岸戦争だったというのだ。

 このときアメリカの駐日大使はアマコストで、執拗に日本政府に自衛隊の参加を要請してきた。当時の海部首相は、憲法からみてそれはできないとジョージ・ブッシュ大統領に断った。それは海部氏の見識として買いたい。

 海部内閣の官房長官が後藤田氏で、彼は「それは蟻の一穴だと」指摘したという。後藤田氏は立派なものだと思う。堤防のちょっとした蟻の穴が開くことを放置しておくと穴が広がり最後には水が通り、堤防が決壊してしまうという教訓である。

 結局海部首相は、1兆円以上の金を出すことで決着させたが、アメリカからは「小切手外交」と揶揄されたのだ。

 その次が、ペルシャ湾への掃海艇の派遣であり、カンボジアへのPKOがあった。アメリカの機嫌を損なわないように、少しずつ蟻の穴を大きくしていったのだ。

 栗山外務事務次官は、国連というお墨付の下でのPKOの派遣を進言した。これにはアメリカは強い関心を示したといわれる。1992年にはPKO協力法が成立した。

 その後北朝鮮がノドンを発射したのを機に、アメリカは日本をアメリカの戦略に組み込む絶好のチャンスと捉えた。フランク・ウズナー国防次官は、自衛力以上の力を持てると持ちかけた。

 米軍の最高司令官マイヤーズは憲法解釈で自衛隊が参加できると主張した。柳沢防衛次官は、「後方地域支援」という形にすることにしたら、アメリカはグラスに水が半分入ったと喜んだと話している。周辺事態安全確保法が成立した。

 息子のブッシュ大統領の言いがかりによるイラク侵攻では、終結後非戦闘地域に限るということでイラクのサマーワへの自衛隊派遣を決定した。

 先崎統合幕僚長は、「アメリカ軍の支援のためではなく、地域の人々の支援に行くのだ」ということで、治安維持部隊ではなく、人道支援部隊を位置付けた。2004年1月のことであった。

 このように、アメリカは何とかして日本の自衛隊をアメリカ側の戦力に組み込もうとしていろいろと画策してきたことが、アメリカの公文書館の機密資料公開でわかったのだ。

 60年前に自衛隊が創設されてからこれまでに1830名が「殉職慰霊碑」に名前を記されているという。しかし、その中には戦死者は一人もないのが救いである。

 アメリカは自衛隊との共同訓練を米国内でやるなどエスカレートをしてきている。安倍政権は「集団自衛権」を憲法解釈の変更でやろうとしている。その後に憲法改悪をやるのに燃えている。

 番組では今が日本の歴史の転換点に差し掛かっていると指摘していたがまさにその通りである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年8月14日 (水)

タチヤ商法、八百信商法、魚大商法―親切が一番

 タチヤはかなり古くからやっている安売りスーパーで外国人の客も多い。店舗は市内にいくつかある。

 八百信は最初博物館の前にあったが、現在は少し西に入ったところに店を構えている。

 ウオダイは瑞穂区田光町の津賀田中学の角にあるディスカウントスーパーだ。

 この3つの安売り店は、テレビで報道されたこともあり、よく知られている。ウオダイは開店時には行列ができると聞いたことがある。

 私はこの三店舗とも利用したことがあり、知人にも紹介したことがある。これらの中でウオダイは遠いのであまり行かない。

 タチヤと八百信には毎週買い物に行く。我が家では野菜と果物は主として私が買うからだ。

 これらの3店を比べてみると、それぞれの商法が浮かび上がり面白い。

 まず、八百信であるが、ときどき不愉快な思いをさせられたことがある。レジを担当するおばあさんがいるのだが、大変無愛想の上に口が悪い。いつだったか「私はお客さんだぞ。お客さんは神様だと思え」と言ってやったことがあった。

 店主は機嫌がいいときは愛想がよいが、ときどき勘に触ることを平気で言う。先日梨を買おうとしたときのことである。小さいが9個盛ったものが450円であったが、見かけは青くてまずそうなので

「これはどこの梨なし?」と聞いたら、店主は「どこでもええ。安城だ」と答えた。「でも、箱には何も書いてないよ」と言ったら、途端に顔色を変えて「嫌なら買ってもらわんでいい」と言ったのだ。

 実は八百信は、品物は当たり外れが多いのだ。それは規格外を仕入たり、等級がついていても日にちが経って古くなりかけたのを安く仕入れるからだ。

 安ければいいだろうという商法だと思われる。確かに安いことが多いが、その代わり腐りかけたものが混じっていることがよくある。たまにいいかなあ?と思って安いのを買ってそれが大当たりの美味しい果物のこともある。

 また、いったん金を払った後では交換してくれない。だから支払前にもう一度、品質や売り値や個数を確認することが大事だ。

  ウオダイはどうかというと、最初から規格外品だとか、出来の悪い売れないのを大量に安く仕入れてきたということを客は知っているから、そのつもりで見て買うのである。また安く見せる工夫として外税にしているから安いと思っても買って税金分高くなる。

 値段が安いが品物は何とも言えないという店では、客としてはそれを承知の上で品物を選ぶ眼を鍛えていなくてはならない。

 タチヤはどうかというと、私は良心的だと見ている。とんでもないものを売ったことはないし、品物が悪ければ交換してくれる。

 何よりもよいのは、「この梨はどう?味は甘いかな」などと尋ねると、親切に「それはお勧めですよ。甘いです」とか、「それよりこちらの方が甘いですよ」と別のを勧めたりする。

 時にははっきりと「それはあんまりよくないです」と言ってくれることもある。そうなると客としての信頼感が増そうというものだ。

 その点、八百信はまず教えてくれないし、店主は「ああ、どれでもいっしょ」とか「嫌ならやめておけ」と平気で言う。

 私がウオダイと八百信を勧めた人は最近はウオダイに行っていると言っていた。

 商売はやはり客あってのものだから、お客を大事にする気持ちがなくてはならない。「売ってやる」では幾ら安くても客が離れるであろう。

 現在タチヤ八事店(本店)の店長は、川原店長から見込まれて本店に抜擢されたようだ。彼が川原店長時代に私はそのやり方に信頼感をもち、親しくなったが、客を大切にする気持ちが嬉しいのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月13日 (火)

零戦―搭乗員たちが見つめた太平洋戦争

 NHKスペシャル「零戦―搭乗員たちが見つめた太平洋戦争」前後編を見た。戦後68年、戦争体験者が少なくなっていく中で、映像として次の世代に伝えていくことは非常に大事なことである。

 零戦は造られた最初は世界で最高のスピード、航続性、操作性を持った戦闘機として、日中戦争や太平洋戦争の初めの段階では画期的な戦果を挙げた。私は子どもの頃零戦とか隼戦闘機のすごさを友人と自慢するように語り合ったものだった。

 しかし、アメリカが作ったグラマンが頑丈にできていたことや捕獲した零戦を徹底研究して空中戦で零戦勝つ方法を見つけたことなどは初めて知った。

昭和17年を境にして米軍の圧倒的な物量作戦に戦況が悪化して南方の島々を失っていったが、大本営発表はいつも「我が軍は赫々たる戦果を挙げたり」とか「敵機撃墜、敵艦轟沈」であったことを覚えている。

 番組によると、志願による少年航空兵は学業、身体能力の優れた17歳前後の若者が集められ、厳しい訓練を受けて零戦に搭乗した。生き残っている元搭乗員は初めて飛行したときは感激であったと語っている。

 私も子ども心に将来は7つボタンの海軍士官になることを夢見ていた。短剣を腰に付けた姿がかっこよかったので憧れたのだ。結婚するときは是非その姿でというほどであった。現実は運動能力がなく、高所が怖いのでとても無理であったのだが。

 戦況悪化にともない、志願兵の訓練期間が短縮されて戦場へ送り出されるようになった。そして昭和19年10月にはついに神風特別攻撃隊が編成され、5名の選抜された若者が出撃した。

 出撃前夜は興奮してなかなか眠れず、胡坐をかいて目をぎらぎらさせて眠気が来るのを待ったという。しかし、当日の朝は陽気に戻って出撃したそうだ。僅か20歳ぐらいで死地に赴くというのはどんな心境であったかとても想像ができない。

 100名もの特攻隊員を送った指揮官は生きて、55歳で仏門に入り62歳で亡くなるまで供養に努めたという。世間からは指弾されて針のむしろにいる気持ちであっただろう。

 もう一人、出撃する編隊を警護しながら、その成果の具合を見る人がいた。その人も100人以上の航空兵の最後を逐一見たそうだ。戦後生き延びて94歳で亡くなるまで亡くなった戦友の供養を続けその家族を見舞っていた。

 米軍機や米艦と戦い体当たりをしたり、撃墜される様子をどんな気持ちで見ていたのかと思う。

 生きて帰れたのは、運だったとかたった人がいたが、その通りだと思う。でも、死ぬも地獄、生きるも地獄だったと思うのだ。

 私の親友の前田君の兄は7つボタンの海軍士官で、その葬儀に代表として先生と参加したことを忘れられない。学校の運動場が芋畑にかわり、収穫された芋を2つ弁当としてもらって汽車に乗って行ったことを覚えている。だから戦況がひどくなった19年だったかもしれない。特攻で突入した1人だ。

 私は戦争が終わるまでは、将来海軍士官になるという夢は変わらなかった。番組で見ると若者は士官ではなく、上等水兵とか兵曹長で死んでいる。16歳から20歳ぐらいだから士官まで行かずに亡くなったのだ。

 この番組のモデルとしての大黒上等飛行兵は2階級特進して、兵曹長になり、神鷲院中烈永鑑大居士という戒名、そして軍神と崇められたのである。

 しかしそれも終戦と共に逆転して、人びとの態度は逆転してしまい、家族は悔し涙を隠せなかった。

http://hashigozakura.wordpress.com/tag/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E7%B9%81%E7%94%B7%EF%BD%9C%E7%89%B9%E6%94%BB%E9%9A%8A%E5%93%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%88%A6%E6%AD%BB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%BC%E3%83%AD%E6%88%A6%E6%90%AD%E4%B9%97%E5%93%A1/

 前途有望の若い命は4500名も絶たれたという。失われた零戦は1200機だそうだ。この人たちが生きていたら、どれだけ日本のために活躍しただろうと思うと戦争は2度とやってはならないと強く感じた。

 現在の若い人たちがどれだけこの番組を見たかは分からないが、こういう番組を是非見て戦争について考えてもらいたいと思った。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月12日 (月)

これだけ騒がれていてなぜ体罰がなくならないのか

 10日の朝日朝刊を見ると、一面に体罰をした教員は昨年度6721人という大きな見出しがあった。文部科学省が9日に発表した実態把握調査の結果である。国立、公立、私立も含めての数だ。愛知県は184人で、その内名古屋市は30人だという。

 公立学校教員ですでに処分されたのは2752人で、免職を含む懲戒処分は162人だという。

 戦後は体罰が禁止されていることは、教員なら知らないはずがない。それでも最初の頃は体罰が行われることもあり、私も教育技術の無い若い頃は体罰も必要な場合があると考えていた。しかし、仲間との研修をとおしてそれが間違っていると気づき、以後は体罰はしない教育を追及してきた。

 校内暴力が起きるようになり、学校が荒れだして、体罰が問題視されマスコミでも取り上げられるようになった。以来30年ぐらいたったであろうか。私が退職したのは学級崩壊が始まった頃であった。

 勤めている頃は、体罰はいけないという注意喚起はあったと思うが、私の周りでは問題になるような体罰は見聞きしなかった。

 退職してからは教育界のことは分からなくなり、友人やマスコミなどで児童生徒の指導が大変だということを知るくらいだ。

 これだけ騒がれても教員の体罰がなくならないというのはいったいなぜだろうと不思議である。児童生徒の状態が悪くなって、指導が難しくなっているという面はあろう。また、部活などで成績を上げなければということで体罰をする場合もあろう。

 愛知県教育委員会はこの1日に、「そもそも体罰によらない効果的な指導とは何か」を議論する研究会を立ち上げたというが、何を今頃・・・という感が否めない。

 岐阜県では、人権問題や生徒指導などをテーマに扱う研修への参加を義務付けたという。三重県では研修ビデオを作り全教員に配布したそうだ。

 来年度体罰教員の数がどうなっているか見ものである。

 私は、勤めている頃は、何事も子どもと一緒にやるようにしていた。学校では清掃が重要であるが、掃除の時間は子どもと共にやった。だから早くきれいに掃除をする子どもが育った。

 靴箱の整頓も点検係を作るのではなく、自覚を育てるようにした。集会に集まるのも自分たちで速く決まりよくやっていた。

 教科では分かること、できることを大事にした。例えば一輪車ではお互いに教え合って、最後にはクラスの全員が乗れるようになった。リコーダーでもそうだ。出来るようになった子が先生役となり、1年後には全員で程度の高い曲の合奏もできるようになった。

 あのゆとり教育が叫ばれたときも、基礎学力を重視して計算力や漢字力、語彙力を付けたし、話し合いの力も付けた。また、書くことにも力を入れてどの子も思いを込めた作文が書けるようになった。

 子どもの状態や到達点は親も含めて皆が共有できるようにした。そうすることで自主的な子どもが育ち、体罰など全く関係ないことであった。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月11日 (日)

NHKテレビ小説「あまちゃん」大フィーバーだが

 NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が大フィーバーだという。今週の週刊朝日が取り上げてそう書いていた。確かに7月ごろから、週刊ポストが2回取り上げたし、週刊現代も扱った。赤旗日曜版まであまちゃんを評価していた。

 このところ視聴率は21%~22%である。前篇ではだいたい17%~18%であったから、東京篇になって視聴率が上がり、それに週刊誌などのマスコミが話題としたので余計にアップしたのであろう。

 私は、退職後朝の時間ができたので連続テレビ小説は毎回見ている。前回の「純と愛」のようなつまらないものもいくつかあった。

 「あまちゃん」も始まった時は朝からドタバタの劇で、マンマミーヤ(なんてこった)と思って見ていた。いいのはテンポの良いテーマ音楽である。これは近来にないヒットだと思う。

 夏ばっぱの宮本信子は演技は申し分がないが、漁村の人間にしてはインテリすぎるのが惜しい。まあ、泥臭さを要求しても無理だろうが。

 天野春子役の小泉今日子は出色のできである。彼女の演技は初めてみたが昔のアイドルとは思えない。水口役の松田龍平は映画「舟を編む」で初めてみたが、あの無表情のような役柄がぴったりである。

 ところで「あまちゃん」にはおかしなところがいっぱいある。夏ばっぱたちが経営する駅のスナック&バーにはいつも同じグループだけがたむろしている。あれで経営がなりたつのであろうかと心配である。

 水口がスカウトに来て琥珀の勉さんにくっついていたのも変だ。アイドルになりたかったユイの父を突然倒れさせたのはいいとして、それをきっかけにユイをぐれさせたのもおかしい。また母親が突然家出したのも妙である。

 春子が突然上京したと思うや、アキたちの練習場に現れていろいろと指導したり、レコーディングにまで乗り込んだのもあり得ない。

 安部ちゃんがいつの間にか上野に来ていたり、種市先輩がいつのまにか寿司屋に雇われたり、ご都合主義もいいとこだ。

 寿司屋といえば、鈴鹿ひろみがやけに気前がいいし、寿司屋でアキが高いウニをいっぱい食べるのも変だ。

 アキが東京に来てもいつまでも岩手なまりで話すのも奇妙である。もともと東京育ちなのだから、東京に来ればすぐに東京弁に戻るものである。

 前篇のことだが、猿時演じる高校教師が教師にはありそうもないキャラクターだったり、大吉の杉本のオーバーな演技もドタバタ喜劇だからこそであろう。

 北三陸鉄道やアキら海女をめぐる前篇での何度かの大フィーバーぶりもあり得ないシーンであった。

 また、北三陸の人たちが美寿寿や玉恵など惚れっぽく、あっけらかんとしているが、それも喜劇タッチだからであろう。

 「あまちゃん」ヒットの元は、宮藤官九郎のこれまでにない、大胆でずっこけたところのあるドタバタ喜劇にあることは間違いない。庶民の日常生活から見たらおかしなところがいっぱいあるが、あえてそれを無視した構成が良かったのかも知れない。

 前篇で岩手県の北限の海女の村を舞台にしたのがよかったし、東京編では、AKB48を思わせるアイドルグループの裏側をちらっと見せたのが受けている。

 主役の天野アキを演じる能年玲奈はぴったしである。週刊誌で誰かが透明性があると評していたが、回を追うごとに演技がうまくなってきている。

 彼女は最初水泳が全くできなかったそうだが、僅か3日で潜れるようになったというのだから凄い。

 「あまちゃん」は能年玲奈も言っているように明るいのがよい。これからどこかであの東北大震災に遭う訳だが、それをどう乗り切って行くのかが注目される。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月10日 (土)

名古屋児童言語研究会第39回国語研究集会から

 名古屋児童言語研究会が主催する「第39回国語研究集会」が、5日ウイルあいちで開催された。

 教育を取り巻く情勢が年々厳しくなる中で頑張っている後輩たちの様子を見ようと出かけた。参加者は、福岡、神奈川など遠方から来た人もいてその熱意に頭が下がった。

 挨拶のあと加藤さんの基調報告があった。現場を離れて久しい私は今の現場がどうなっているのかには興味がある。

 新任教員の研修が強化され、最初の研修だけでなく、2週間ごとの研修もあるのだそうだ。教員には自己評価が課せられて、それをもとに校長が評価をするのだという。私のいた頃も勤務評定があったが校長が評価したものは教育委員会に提出されるが本人には知らされなかった。今はどうなっているのだろうか。

 また、教員には10年ごとの免許更新がありそれも大変だと言った。私は更新をしてないので免許がないのかと思ったら、私の頃の教員免許は更新が要らないというので安心した。

 学力一斉テストも問題が多いと話した。結局こうした教育への締め付けは、2006年の第1次安倍内閣の時から始まったのだという。教育基本法が改定され、道徳教育の強化が叫ばれた。さらに教育にも経済の市場原理主義が導入されて、競争を煽るようになった。

 道徳教育により、規範意識強化が重視され、児童生徒には決まりを守ることが強く指導されることとなった。

 例えば、挨拶、名札、靴箱の整頓などがある。挨拶運動が児童会で行われ、大きな声を出せた者の名前がヒーローとして集会で発表され、一週間のヒーローの中からスーパーヒーローが選ばれる。

 名札の点検を全校集会で行いクラスごとの成績を競うところもあるという。靴箱の点検では点検係を作って点検させているそうだ。

 名札といえば、児童目当ての犯罪が増えて、一時名札を付けないことが勧められたのだがまた復活したのであろうか。この場合は規範というより、管理を目的だと思われる。

 基調報告にもどる。国語科における問題点として次の4点を指摘していた。

 ①パターン化された話し方やマニュアル的な文章を書くことは比較的嫌がらずにできるが、思いや考え、感想や意見を求められるようなことは苦手である。

 ②人の意見を聞いて、自分の考えを深めたり、関わって発言しようとする姿勢、構えが乏しい。

 ③漢字練習のような反復や一問一答式で、あまり考えないでできるものは、それほど嫌がらない。

 ④聞く、話す、読む、書く、語彙力、読書量などは個人差が大きい。

 指導要領の改定で文学・説明文を読むことが削られた。物語の続きを書くとか、説明書を作るとか報告書をかくというような技術主義が重視されている。

 児童言語研究会では国語教育においては一貫した指導を貫いてきた。例えば文学では、読み手は登場人物の生き様から人間を理解し、その行動を評価し自分の生き方とつないでいく。優れた文学作品を読めば人間に対する認識を深め、生き方も変わるそういう授業を目指してやってきた。

 教室に集う子どもたちの意見から互いに学び合うことも人間認識を深め学級づくりにもつながっている。それが文学を読む楽しさであり、文学を文学として読むことにもつながる。

 この後、2年生(光村)にある本日の講師近藤睦美さんの「わたしはおねえさん」の実践を紹介した。

 基調報告の後、この日の講師石井睦美さんの「言葉の贈り物」と題する講演があった。

午後は分科会で、文学と説明文の実践発表があった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 9日 (金)

広島平和記念式典、安倍首相のあいさつを読んで

 8月6日、広島平和記念式典でに安倍首相が出席してあいさつをした。その中に核に触れた部分として次のことがある。

 「私たち日本人は、唯一の戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に伝え続ける務めがあります。」

 そして結びとして次のように述べている。「核兵器の惨禍が再現されることがないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器の廃絶に、また、恒久平和の実現に、力をおしまぬことをお誓いします」

 私は安倍首相が上のように世界へ向けて発言したことを必ず守って欲しいと思った。なぜなら安倍首相が参議院選にも大勝してから、数をバックにやろうとしているのは、憲法を改定して、国防軍を設置することに向けて着々と準備を進めているからである。

 まず、現行憲法の解釈を改めることにより、集団自衛権を行使できるようにしようとしている。そのために内閣法制局長官を集団自衛権派に替えた。そして集団自衛権推進派で構成する安全保障の諮問会議を作り、形だけ第三者の意見を聞くと見せかけて、実際は「やらせ」で集団自衛権行使を正当化しようとしている。

 安倍首相は、あいさつの中で福島原発については全く触れていない。広島平和宣言が次のように述べているのとは大違いである。

 「この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら、故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。そして、日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し実行することを強く求めます。」

 私はこの言い方には奥歯に物が挟まったような、非常な物足りなさを感じるが、安倍首相のように無視するよりはましかなと思う。

 福島第一原発の事故は、原爆と同じ核の問題なのだ。核爆弾だけが危険なのではない。ヒロシマやナガサキの原爆の何百倍もの危険な核が事故を起こしたのである。

 しかも、日本には原爆を作るもとになるプルトニュウムがどんどんと蓄積されているのである。

 平和宣言では、「『絶対悪』である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓う」と結んでいるが、「絶対悪」は「核」そのものなのだ。ドイツや北欧の国のように原発の廃止をすることが大事なのだ。

 安倍政権は、4月の核不拡散条約再検討準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える声明に署名をしなかったことに見られるように、言葉とやっていることが矛盾しているのだ。

 さらに安倍首相は自ら原発の営業活動をして、インド、トルコ、ベトナムなどに売り込んでいる。

 私は非核三原則には、原発も加えるべきだと思う。一切の「核」は持たない、造らない、持ち込まないことが地球の安全と平和のために必須なのだ。

 今日は長崎に原爆が投下された8月9日である。世界に向けて徹底した核廃絶を宣言してほしいものだ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 8日 (木)

映画監督オリバー・ストーンの広島での言葉

 米国の映画監督オリバー・ストーン氏が8月6日の広島平和記念式典に参加した。オリバー・ストーン氏は「プラトーン」や「7月4日に生まれて」アカデミー監督賞を2度受賞している。

 彼は原爆投下は間違いであったと考えているという。今回来日して平和式典や夜の被爆犠牲者を供養する灯篭流しに参加したり、被爆者の話を聞いたりした様子をNHKニュースで報道した。

 オリバー・ストーン氏は、「原爆投下に対して、(日本人は)怒りや報復ではなく、記憶を語り継ごうとしている」と話したのが心に響いた。彼の言葉を聞くまでその意味の大事さに気づいていなかったのだ。

  戦後68年、被爆体験者は年々減少して今では生存しているのは1割程度になってしまったと言われる。この68年の中で被爆した人たちは原爆の恐ろしさや悲惨さそして平和の大切さを語り継いできたのであった。

 報復や怒りは憎しみがもたらすものである。それではいつまでも争いは絶えないし、わかりあうこともできない。オリバー・ストーン氏が指摘したように、アメリカに報復しろとか露わな怒りをぶつけて来たのではなく、静かに原爆の体験を語るという行為を通して平和がどんなに良いものか、原爆はどんなに恐ろしいか、広島や長崎の悲劇を繰り返させてはならないということを根気よく語り継いできたのだ。

  それは沖縄でも同じであった。米軍の上陸により戦場となった沖縄では数多の犠牲者を出したが、その悲劇を語り部たちが語り継いできたのであった。日本では「語り継ぐ」ということにより、戦争の酷さや平和の有難さを伝え、広めてきたのであった。

 オリバー・ストーン監督は、灯篭に英語でメッセージを書いて流した。それを読もうとしたが読めたのは残念ながら最初の部分だけであった。

 それは「Memory is The slender thread」であった。「A」ではなく、「The」が使われていたことに特別な意味が込められていると感じた。

 彼が書いたのは「記憶の細い糸をつないでいく」ということであったようだ。

 「記憶の細い糸」・・・・確かに戦後68年、戦争を知る者は70歳以上になってしまった。その中で原爆体験、戦争体験を語れる人は更に高齢の人しかいない。それでも細い糸でつないでいくことが平和な世界のために重要なことである。

 明日9日は長崎に原爆が投下された日である。オリバー監督は長崎の平和記念式典にも参加されるはずだ。

 Oliver Stone

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年8月 7日 (水)

見世物とマジックの世界―名古屋市女性会館公開講座―

 7月20日に学校の夏休みが始まると同時に名古屋市博物館で「世界初」というマジックに関する展覧会が開かれている。この催しは夏休みが終わる9月1日まで続く。題して「マジックの時間」である。

 世界初と銘打つのは、単に品物や資料を展示するだけでなく、連日プロマジシャンによるショーや「おもしろ口上」、そして大学の奇術クラブによるレクチャーがあるからだ。

 6日には名古屋市女性会館で展覧会関連行事として「見世物とマジックの世界」―女性マジシャン松旭斎天勝、登場~」という公開講座があった。

 講師は名古屋市博物館の学芸員武藤真氏であった。この日は朝から大雨警報が出ていて、出かける時刻にはものすごい大降りであった。どうしようかしばらく雨を見て思案していたが思い切って出かけた。

 10時に会場に着くと、クラブのMさんが声を掛けてきた。Mさんが舞台かぶりつきに席を取ったので一緒に座った。しばらくするとSさんの姿も見られた。

 女性会館の公開講座なので耳が不自由な人のために要約筆記者と手話通訳者が用意されていた。

 舞台には映画用の大スクリーンが設置してあり、それに投影をして話すようになっていた。受講者は高齢者が殆どで女性が多かった。

 10時半に講義が始まった。始め博物館でやっている展覧会についての宣伝を知ったが、講義のなかでも同じようなことを話したので重複していた。

 博物館の展覧会では、「おもしろ口上」というのをやってるがそれはどうしてかということから話した。

 「こうじょう」と聞いたとき、「工場?」と思ったが、やがて「口上」だと分かった。それは要約筆記者が書いたからだ。「おもしろ」というキャッチフレーズをプロは「そういうことを言うのは素人だ」と言ったそうだ。

 「口上」を取り入れた訳は、江戸時代の見世物などには「口上」が付き物であったからそれを再現したかったのだという。「口上」というのは、見世物を面白く見せるために話す説明で、節をつけたり「地口」(だじゃれ)を入れたりして話したのだそうだ。

 展覧会では、落語家の雷門師篭、雷門福三、雷門幸福、女性講談師の小池鱗林、他にあおき、柳亭三亀司などが務めているそうだ。

 ところで江戸時代の見世物は、細工、曲芸、動物、手妻などで芝居と並ぶエンターテイメントであった。

 名古屋には大須近辺に芝居小屋や見世物小屋が幾つかあった。また、寺院の境内も使われた。

 明治になり近代化してからは、曲芸はサーカスとなり、動物は動物園、細工など珍しいものは博物館というように変わり、口上も今では音声ガイドに代わってしまった。

 1892年(文久2年)には、篭細工というのがあり、オシドリなどを竹を編んで作り、それを口上で面白く説明をしたそうだ。

 手妻は例えば天保10年~(1843年~46年)養老瀧五郎が「刃渡り」をしている。安政4年(1857年)には早竹虎吉が「胡蝶の舞」を演じた。松網駒壽が「曲持ち」と言って長い孟宗竹に船をぶら下げたのを男が持ち、船の中で水が噴き出す水芸をやったそうだ。弘化元年(1844年)、竹沢藤次が曲独楽をやった。

 手品を曲芸と一緒にやる場合と手品を単独でやる場合があったそうだ。いろいろなジャンルのものが一緒に演じられることが多かったようだ。

 江戸時代には手品の普及本も出版された。何冊にもなっていて全部を買わなければやり方が分からなかった。「影絵」も手品に入れられていたという。「猫ちゃん集まれ術」(1779年)とか「酒をたくさん飲む術」などというものもあったそうだ。不思議なことは手品と考えられたようだ。

 明治になり、西洋奇術を学んで名をはせるマジシャンが出てきた。松旭斎天一はイタリアのサムタイをわがものにして西欧で有名になった。この頃は日本の手品は演じ方がゆっくりしていたので西洋では低く見られたそうだ。

 松旭斎天勝は天一についてアメリカへ行った。当時日本三大美人と言われたそうだ。後の二人は川上貞奴と松井須磨子だ。

 天勝は「四つ玉」を得意とし日本で初めて演じた。また、演劇やダンスも取り入れた。魔術の女王と呼ばれた。天勝一座は美人を揃えていた。演劇風の「サロメ」で人気を博した。昭和9年に引退したが人気が衰えず、多くの偽物が現れたという。

 石田天海は天勝一座加わり昭和元年にアメリカに行き、2年から33年までアメリカで活動した。天海パームが有名でグレート天海と称された。帰国後は名古屋に居を構えた。

 今回の講座は博物館でやっているイベントの紹介のようなもので博物館に見に行けばすべてが目で見ることができる。大雨の中をわざわざ行くほどのものではなかった。Mさんは「こんなこと、博物館の地下でやればいいのに」と言っていた。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013年8月 6日 (火)

2013世界コスプレサミット大須パレード

 8月3日のNHKニュースで、世界コスプレサミットが開かれたことを知った。河村市長も出演して宣伝をしていた。

 名古屋を発祥の地とする世界コスプレサミットもかなり有名となり、名古屋発の世界文化となりつつある。

 4日の朝、CAFE VITAでモーニングを食べていて、マスターの月城さんとコスプレサミットの話をしたら、コスプレサミットの発案者はマスターだということであった。へえッと驚いた。名古屋の大須にメイド喫茶を作ったのもマスターであった。

 パレードについてインターネットで調べたら、11時から大須観音を出発するということが分かった。それで急いで大須へ行った。

 観音の山門のところで団扇を配っていたのでもらって、パレードのコースについて尋ねたら、仁王門通りを歩いて行くと言った。

 観音の境内にはステージが作られていて、その前にコスプレーヤーがたくさん集まっていた。

 門の前には消防音楽隊が待機していた。仁王門通りにはずっと観客が並んでいた。私は仁王門を出た仁王門通りの入り口に隙間を見つけて陣取った。

 11時10分から音楽隊の演奏を先頭にしてパレードが始まった。初めの方は外国人の参加者であった。さまざまなコスプレをしているがアニメの知識がないので何のキャラクターに扮しているのかさっぱり分からなかった。

 パレードは延々と続いた。炎天下で冬の支度のようなコスチュームや体全体を覆うコスチュームの人は暑くて大変だろうと思った。

 日本の侍のようなコスチュームや鉄人のようなのや可愛い人形のようなコスチュームもあった。子どもも2,3人いたし、年寄も数人見かけた。

 男が女装したり、女が男装をしているのもあった。胸を大きく開いているのに恥ずかしそうに手で隠している女性もいた。

 写真の要求に快くポーズをしている人が多かったが、中には恥ずかしそうに歩いている人もいた。

 パレードは12時45分まで1時間35分も続き最後をドアラが歩いた。

 帰りに万松寺通りを帰ったら、パレードが戻ってくる道であった。それでコスプレーヤーを見ながら帰った。

 この日は大須夏祭りだと分かった。その行事の一つとしてコスプレパレードをやったのであった。大須はいろいろなイベントで街を活性化し成功させている。今や名古屋で唯一のエンターテイメントの街となった。

 

 

Cimg6449

Cimg6463

Cimg6468

Cimg6497

Cimg6561

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 5日 (月)

中国のひどい公害、癌症村、ゴミの山

 7月31日のモーニングサテライトで中国の公害問題を取り上げていた。

 まず、あの有名な西湖がある杭州市付近を流れる銭塘江の汚染である。この河の近くのある村では癌で死亡する人が70%もいるということであった。中国の環境問題活動家は、「癌症村」と呼んでいた。このような癌が多発する村が他にもたくさんあるそうだ。

 その村に取材に入るとき厳しくチェックされた。そして地方政府は癌の死亡率は一般と変わらないという分厚い文書を取材した記者に渡していた。

 記者は、その村で10年以上も前から公害対策を地方政府に訴え続けている一人の女性を訪ねた。その人は銭塘江の水をペットボトルに集め政府に持って行ったが全く聞き入れなかったという。ボトルの水は汚く濁って色もさまざまであった。

 女性の案内で銭塘江の汚染現場に行くとき、環境局の車が尾行していた。彼女の携帯も盗聴されていると話していた。

 中国では住民が政府に訴えても無視されることが当たり前で、以前にもNHKでシャドーバンキングを扱った番組で、土地や住居を強制的に収用された住民を扱っていた。その時も、盗聴や尾行や監視は当たりまえのことだと言っていた。

 銭塘江といえば、海の水がものすごい勢いで逆流することで有名である。私は以前に銭塘江に行ったことがあるが、海のような大河の水が泥のように濁っていたことを覚えている。

 水の汚染は工場からの排水によってであり、その水に危険な化学物質が大量に含まれているのだ。しかし、政府の説明では人体に安全な程度まできれいにして河に流しているというのだ。それは真っ赤なウソであることは間違いない。

 番組では、もう1つの公害を取り上げていた。同じ浙江省の温州市の近辺である。温州市といえば新幹線鉄道事故で有名になったところだ。

 その辺りではゴミが大問題になっていた。ゴミの焼却施設がないためどんどんと山積みにされているのだ。生活の向上でゴミは増える一方なのにその処理が放置されているのだ。

 農村地帯ではゴミの山から沁み出した有害化学物質で土地が死んで農作物が作れなくなったところもあるという。作物を作れないのはいいとして、作物が作れる農地が問題だと思う。有害物資を根から吸い込んだ作物が汚染をされ、それが食べた人の人体に入ることが恐ろしい。

 中国ではゴミの焼却設備が殆ど造られていないという。あれだけ経済発展をし、大きなビルを次々に建てているのだ。なぜゴミや工場排水の問題に取り組まないのであろうか。

 ひどいのは住民が窮状を訴えても取り上げてもらえないことだ。何事も金次第の中国では工場側から多額の金が流れているのであろう。それで垂れ流しも大目に見てもらっているのだ。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 4日 (日)

安城の七夕祭り

金賞の飾りCimg6433

 8月2日の夕方のNHKニュースで安城市の七夕を取り上げていた。仙台の七夕祭りは有名であるが、安城の七夕も日本3大七夕祭りの一つだと言っていた。

 2日金曜日から始まり4日の日曜日まで3日間開催されると言った。それを聞いて急に見に行きたくなった。妻に尋ねたら暑いから嫌だと言ったので一人で行くことにした。

 インターネットで調べたら、JR安城駅前で朝10時からやることが分かった。3日土曜日、朝8時半ごろに家を出た。JR金山駅に行くとちょうど特別快速電車が来るところであった。マナカで改札を通った。タッチするだけなので楽だ。

 電車は途中からゆっくりとなったり、駅に止まったりした。岡崎と安城の間で異常が発生したと言った。結局15分遅れで安城駅に到着した。改札を出るとどちらへ行けばよいのかわからなかった。きれいな吊り看板を見て行くと左に「出口」とあったのでそちらへ行った。

 しかし、どうも様子がおかしいので、祭りの係りらしい人に聞いたら、メーンは反対側だと言った。私は駅の吊看板が不親切だと言ったら、駅がやったことだと言った。それでもとに戻った。そして駅長に会って案内板を分かりやすくしたらどうかと言った。駅長は市から頼まれただけだと言い、来年は分かりやすくするように市に話すと答えた。

 南出口へ出ると、そこには七夕飾りがあった。青年会議所の若者が準備をしていたので案内所はどこにあるのか聞いたらそっけなく知らないと言った。

 駅前の高い場所から見ると、道が真っ直ぐにあり、両側に七夕飾りがずっと続いていた。

 下に降りて行くと、ステージが作られていた。通りに向かうと七夕飾りが道の両側から長い孟宗竹で飾られていた。時間はまだ9時半ごろであった。なんと家から1時間で着いたのであった。安城がこんなに近いとは思わなかった。

 通りの両側では屋台が準備中であった。仕方がないのでゆっくりと歩いて行った。七夕飾りはそれぞれの店や会社が手作りで作ったもののようだ。それぞれが工夫をして飾りを競うのであろうと思った。

 いろとりどりのペットボトルのキャップをつないで垂らす飾りにしてあるのがあった。いいアイディアだある。

 途中東西に飾りがある通りがあったが後で行くことにして、暑いのでそろそろと歩いて南北の通りの端まで行った。10時前なので屋台はみんな準備中であった。

 反対側の道を戻りステージのある広場に行ったが、10時なのにまだ始まっていなかった。看板には高校の吹奏楽があるはずであった。

 朝の食事をしてなかったので、どこかにレストランでもないか気を付けて歩いたがそれらしいのはなかった。また別のステージがあったので観に行くとヒップホップダンスをやっていた。

 東西の西の道通りへ行くと、やっと「新実南吉館」という変わった名のレストランがあった。焼きそばやカレーを食べさせるようであった。南吉と言えば今年は新実南吉生誕100年ということであちらこちらにそんな表示が見られた。南吉は安城高等女学校の教師をしていたのだ。

 JAの一角があったので見に行くと、野菜などの展示即売をしていた。安城は日本デンマークで有名である。かわったカボチャやナスなども売っていた。梨は1個400円もしていた。

 次は東の方の通りへ行った。こちらは短いと思っていたら延々とづづいていた。屋台もいつしか始まっていた。道の両側にある屋台は、氷、ジュース、フランクフルトソーセージ、バナナ揚げ、焼き肉、ビールなどお決まりのばかりであった。

 ある飾りのところに「金賞」と書いた紙が貼ってあったので七夕コンテストをしたことが分かった。確かにいろいろと工夫をした七夕飾りが両側にならんでいた。安城の七夕は距離にして3.5kmだというから日本一の規模なのだそうだ。

 七夕飾りと道の両側の屋台、そしてところどころにあるステージで歌や踊りや演奏などを披露するというイベントだと知った。

 各地からの若者、子ども、高齢者などがステージで表現をするのはいいことだ。でも暑いので見る方が大変で観客は少ない印象であった。

 大須の大道町人祭りはところどころで案内のチラシを配ったり、案内所が設けてあってプログラムを売っていたりする。安城の七夕はそうした工夫が見られない。今年で60年も続く祭りのようだがまだまだ工夫の余地があると感じた。

 来年も行きたいとは思わなかった。

Cimg6432

Cimg6424

Cimg6420

Cimg6418

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 3日 (土)

麻生副総理発言撤回で済ましていいものか

 麻生副総理は、アメリカのユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」や中国、韓国なのど強い反発を受けて、「ナチスの手口に学べ」と言った発言を撤回した。

 撤回は新聞によると、官邸主導で行われ、麻生副総理は官僚が作成した文書を記者団の前で読んだのだ。安倍政権はその文書の英訳版を用意して外国政府やメディアへ対処するそうだ。

 とにかく撤回したのだから何が悪いと言いたいのであろう。安倍政権はこれ以上広がらないように火消に努めている。

 2日に国会が開催されたが、会期が6日しかないので、野党の追及もできないようだ。安倍政権は次の国会は10月だから、この国会さへ乗り切ればほとぼりが冷めると踏んでいるという。

 麻生氏はこれまでにも何回も失言を繰り返してきた。しかし、それは彼の本音を漏らしたということだ。今回の発言も本心を喋ったに過ぎない。

 中国の新華社通信ネットは、「日本の政権幹部がキツネの尻尾をさらけだした」と論評したそうだが、キツネの尻尾とは右傾化を指している。その本心を見せたと指摘しているのだ。

 ドイツでは「信じられないほどの間違った発言とベルリン自由大学のフンケ教授が指摘したという。

  麻生氏は、「私の真意とは異なり、誤解を招いたことは遺憾だ」と釈明したそうだが、「真意と異なる」「誤解を招いた」は政治家の釈明の常套句だ。これまでどれだけ聞かされたことであろう。中には「一度喋ってしまえば取り消しても同じ。効果は消えない」と嘯いた自民党政治家もいた。

 日本の首相を務め、現在も副総理である人間が、なんとも軽々しく発言をして、歴史認識のいい加減さや政治感覚の甘さを世界に露呈したのだ。実に恥ずべきことである。

 それを許す日本人について、原東京国際大学名誉教授は、「謝罪すればそれを許す日本の文化も問題だ。内輪で許しあう文化は日本の良さでもあったが、世界では通用しない」と苦言を呈した。

 今回のような発言をすれば、外国ではすぐ辞職に追い込まれるという指摘もある。世界の顰蹙をかった麻生副総理は時期総理候補どころか政治家失格である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月 2日 (金)

安部元章著「手品」から―②―

 安部元章著「手品」は昭和31年虹有社刊で、昭和28年からNTVで放送された「テレビ手品教室」という番組をもとに書かれたということは前回書いた。定価240円となっているが、絶版本のため中古本でも500円以上するようだ。

 それはともかく、安倍氏が序章に書いておられることが、当時の世相や手品について興味深いので取り上げる。なお、著作権は切れていることを断っておく。

 「盛んになった素人の手品研究」

 ここ数年来、紳士芸としての素人手品の研究が盛んになったことは誠に喜ぶべき現象だと思います。

 これは一つには手品が智的な健全娯楽だということが一般に認識され、また、生活をより明るく楽しくしようという風潮が一般にしみこんで来た結果と考えられます。

 現在(1956年)の日本は、曲がりなりにも、とに角経済的にも精神的にもある程度の安定を得てきたことが、素人の手品熱をあおる一つの大きな原動力になったのも事実です。

←日本はまだまだ貧しかったことを思い出す。うどんが1玉10円、コロッケが5円だったと思う。

 ふた昔も前の(昭和の初め)話です。手品の好きな貴族院議員の某男爵に対して、「手品の好きなのはよいが人前でやるのだけはやめてほしい。さもなくば議員を辞職せよ。」という強硬な意見と忠告がなされたという伝説があります。当時としては、いやしくも華族たる者がいやしい芸人風情の真似をするとは何事かというような考え方が一般に行われていました。

 女優になっただけで同窓会名簿から削られ、大女優になってから再び同窓生の待遇が与えられたというような夢のような話があった日本です。

 他人事ではありません。私は子どもの頃から、親にかくれて手品の練習をやりましたが、これも両親が極端に手品をやることを嫌っていたからです。

 父親は昭和19年に許可をしてくれましたが、母親はなかなか許可をしてくれず、「お前は痩せても枯れても女学校の校長であり、経営者なんだ。そのお前が他人の眼を誤魔化すような手品などをやるのは寒気がするほど嫌だからやめてくれ。」と何度も苦言を頂戴したものです。

 ←お母さんが、他人の眼をごまかすような・・・・と言っているのが面白いし、当時は手品と言っていたのだ。今はマジックというほうがかっこよいと思われているが。ちなみに私は「手品」という言い方が好きである。

 戦前は「手品」は下等な芸だと一般的にも思われていたことがわかる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月 1日 (木)

うなぎ,うな重、値段の高騰

 先日スーパーに行ったとき、魚貝売り場のほとんどをウナギのかば焼きが占領していた。ウナギが高いと言われているのに奇怪な・・・と思ってひょいと壁を見ると、今日は「土用丑」と書いた紙が貼ってあった。それで納得であった。

 新聞やテレビによると、ウナギの値段が高騰しているのは日本ウナギが獲れなくなったからだという。最盛期の数パーセントしか獲れなくて、日本ウナギが絶滅危惧種に指定されるかもしれないという記事も何度か見た。

 27日朝のNHKニュースでは、フィリピン産のウナギを稚魚から育て養殖に成功した人のことを紹介していた。フィリピン産ウナギは病気になりやすくて養殖が難しかったのを養殖法を改善して病気を防いだのだそうだ。

 味の評判もよく、これならいけると手ごたえを感じて、養殖場を拡張すると言っていた。また、マダカスカル産やオーストラリア産も輸入が増えているのだとか。

 27日の朝日新聞「サザエさんを探して」ではウナギを取り上げていた。昭和65年の漫画で、ノリスケさんがボーナスが出て気が大きくなったらしく、マスオさんを誘って馴染のウナギ屋へ行く。「ウナギの上を頼むよ!」と言うと、ウナギ屋の主人が「月給は少ないうえボーナスもろくにでねえのに無駄遣いすんじゃねえよ」と諭し、「わるいこたいわねえからノリ茶漬けにしときな」という。ノリスケさんは「あんまり馴染の店でもこまるなあ」とぼやく。

 昭和65年と言えば、就職して間もない頃で月給は12000円ぐらいだったと思う。背広が安くて1万円だった記憶だ。このころ、もりかけ50円、ライスカレーは120円で、うな重は400円もしたと書いてある。

 うなぎを初めて食べたのはいつだったか覚えていないが、大学4年の頃、岡崎の康生通りにかかる乙川の橋のたもとに小さなウナギ屋があって、そこのタレが美味しいというので友人と食べに行ったことがある。

 なんでもその店のタレは減ったら足していくだけで、それで美味しいのだということであった。そのとき初めてウナギのタレはそういうものなのだということを知った。

 値段が幾らであったかは覚えていないが、学生だから奮発をして食べたのであろう。

 記事によると、食ジャーナリストの岸朝子さんは、日本の御馳走の代表格として、寿司、天ぷら、ウナギを挙げ、ウナギが一番格上なのでは・・・と言っているそうだ。

 名古屋や豊川や浜名湖近辺、北陸、若狭などで有名なウナギ屋に入ったことはある。確かにウナギは美味しいと思うが、うな重にしろ、うな丼にしろひつまぶしにしろ、ウナギには副菜が殆どつかない。それで値段が高いこともあるが好んでウナギを食べようとは思わない。だから私はウナギの値段が高騰しても影響されない。

フィリピン、インドネシア産ピカーラ種

水揚げされたビカーラ種。養殖手法は試行錯誤を繰り返しており、成魚に育つ比率はニホンウナギの半分ほどにとどまっている

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年7月 | トップページ | 2013年9月 »