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2013年7月21日 (日)

いい言葉―キョウイクとキョウヨウ―天声人語から

 7月14日の朝日新聞「天声人語」に面白い表現が紹介されていた。それは「キョウイク」と「キョウヨウ」という言葉である。真っ先にこの言葉から連想する漢字は、「教育」であり「教養」であろう。他には「恐育」や「共育」もあるがそれは連想しない。同じように「強要」も「共用」も「供用」も連想しない。

 ではいったいどういう意味なのかそれは後に譲るとして、定年退職をすると男性はややもすると時間や体を持て余すことが多くなりがちである。  

 私の知り合いの奥さんは、「うちの旦那はテレビの前から離れない」とぼやいていた。以前にぬれ落ち葉という言葉が流行ったことがあったが、まさにぬれ落ち葉状態になっているのだ。

 それに対して、健康そのものでしかもいつも元気で忙しそうな男性も見かける。私の古い知人は、手帳の予定表がいつもぎっしりと書きこんであった。時間に追われるぐらいにしてそれをこなしていて、半ば憧憬に似た気持ちでその人を眺めていたものである。

 自分はというとほどほどに忙しく過ごしている。趣味やボランティアや買い物などやることや出かけることが多いからだ。

 ところで「キョウイク」と「キョウヨウ」であるが、どういう意味か想像がついたであろうか?

 その意味は、「今日、行くところがある」つまりキョウイクであり、「今日、用がある」つまりキョウヨウである。

 定年後はこの二つの言葉を念頭に置いて過ごすようにするとよいという教えである。この言葉の出所は心理学者の多胡輝さんの著書「百歳になっても脳を元気に動かす習慣術」の中で紹介されているという。私はこの本を読んだことがないので知らなかった。

 多胡さんは100歳に近い大先輩から教わったのだという。「ボケないための頭の使い方」を実に巧みに表現した言葉だと絶賛しているそうだ。

 日本語は、同音異義語が多いからダジャレもよく作られるが、この言葉もダジャレの一種である。本当によくできたダジャレだと思う。

 「今日も行くところがあっていいなあ」「今日も用があっていいなあ」と思って過ごすようにしたい。行くところがあるができれば病院でないことが望ましいし、今日用があるも同じである。健康で行くところがあり、用があるのが一番である。

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コメント

 いつもblogにコメントを頂き有難うございます。臥龍に点睛となっております。
 敬老パスで今日行く、今日用が増えていいですね。

私の場合は退職後、毎日行くところや用が特に多いわけでもなく、また意識して増やそうともしていない。それよりも毎日の日課を数項目決めてそれをきちんとこなしていくというパターンである。毎朝、
ブログを読んで、できるかぎりコメントを書かせていただくというのが朝の始まりである。その後は英語の学習、ウォーキング、楽器の練習、読書が毎日の定番メニューでこれに行くところや用が不定期に加わることになる。「習慣は第二の天性」ということばもあるので、このスタイルは今後も続けたいと思う。ただし、この度、待望の?敬老パスを入手できたので、いい催し物を見つけて出かける機会を増やしたいと思う。

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