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2013年5月12日 (日)

お上りさん東京へ行く⑥―根津から不忍の池、岩崎記念館

 変わったCafeでコーヒーブレイクをしたあと、へび道を不忍の池方面へ歩いた。上野方面から根津、谷中へ来る人たちもいた。

 臨江寺、本壽寺の前を通り、言問通へ出た。時間は16時20分ごろで目的地の岩崎記念館へ行って見学できるか心配であった。池の端に森鴎外の旧居跡があり鴎外ホテルになっていた。

 上野動物園が見えて来た。道をまたいでモノレールが走っていた。動物園は大変な混みようであった。左手に上野精養軒があった。普通の大きさのレストランだと想像していたが、大きなビルディングだったので驚いた。ハヤシライスでこんな大きなビルの店になるとは。

 不忍の池周辺は勿論数多の人が行き来していた。池には枯れた葦だろうか、一面につくつくと覆っていた。水上音楽堂ではジャズの演奏をしていた。

 池の端1の交差点を渡り、くるっと回って岩崎記念館の入り口に着いた。16時50分になっていた。ところが入口には、みどりの日に関連して18時まで延長し、しかも、入場無料と書いてあった。思わず「ラッキー」と言ってしまった。はるばる歩いて来て諦めていたのに見られるからだ。

 長いアプローチを上って行くと、白っぽい記念館が現れた。向かって右側は工事中なのが残念であった。建物入口に「しばらくお待ちください」という看板が出ていた。係りの人に「待つのですか」と尋ねたら、看板を取り去って、「今から待つ必要はありません。どうぞ」と言った。これもラッキーであった。

 靴をビニール袋に入れて中に入ると行列ができていた。係りの指示に従って2階から見て回った。どの部屋も天井が高い洋室で壁紙が特殊な豪華なもので作られていた。作り方も説明してあった。手間と金がかかる贅沢な物であった。

 室内の写真は禁止されていたのが残念であった。部屋の壁紙の作り方はおなじであったが、色やデザインは違っていた。来客と共にする食堂は狭かったのが意外であった。2階のバルコニーからは西洋庭園と日本家屋とその前の和風の庭が見られた。西洋庭園は当時の走りで、それ以後この庭園を真似て造られるようになったようだ。

 1階に降りて日本家屋へ行った。和室にCafeがあったのでそこで一休みした。客は次々に来ていた。私たちは白玉ぜんざいを食べた。妻が桜煎餅を見つけて買った。家に戻ってから食べたら、桜に匂いがしておいしいかった。婿は壁紙で作った栞セット(2枚入り)を千円で買って喜んでいた。

 西洋庭園に出ると、小岩井農場の物品を売っていたブースが終わったところであった。婿は買いたかったのにと言って残念がった。そこで婿は丸ビルに小岩井農場のレストランを教えてもらってすぐに翌日の予約をした。それで最後の日はもう一度丸の内に行くことに決まった。

 私はこの邸宅は岩崎弥太郎によって建てられたと思っていたが長男の久彌が建てたのであった。(下記参照)

《参考》

 旧岩崎邸庭園は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。往時は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事 なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています。

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