やっと行ったフランス④―第一日め,シャルトル大聖堂とモネの家―
パリを出て高速道路でシャルトルへ向かう途中に雪が降り出した。窓に当たる雪は融けていたが地面が白くなっていくのが分かった。シャルトルに着くと、辺り一面に雪が積もっていて滑らないように気を付けて歩いた。
シャルトルでは、ノートルダム・シャルトル大聖堂を見学した。ノートルダムというのは「我らが貴婦人」という意味で、聖母マリアのことを指す。フランスにはノートルダムという名の寺院がたくさんあるそうだ。私はノートルダム大聖堂と言えばパリのシテ島にあるものだけだと思っていた。
シャルトル大聖堂はステンドグラスが美しいことで知られ、中でもシャトルブルーという青の色が有名なのだそうだ。入場は無料で中に入ると、大きな柱が立ち、天井が高い見事なもので、窓はすべてステンドグラスであった。
夢中でステンドグラスをカメラに収めた。これまでに各地でいろいろな大聖堂を見て来たが確かに素晴らしいステンドグラスであった。(下の写真)その他に聖母マリアの衣というのがガラスに収められていたがはっきりとは見えなかった。11時10分ぐらいから50分まで堂内を見た。
その後歩いて駅前まで行き、レストラン・L’ouestでキャッシュ・ロレーヌ、チキンのクリーム煮とタリアッテレパスタ、クリームキャラメルプリンの昼食であった。飲み物にココアを頼んだら3ユーロであった。
13時ごろにレストランとを出て、バスでジベルニーへ向かった。約100km1時間45分ほどのドライブであった。途中の風景は印象に残っていないが、やたらとロータリー交差点が多かった。信号がなく、ロータリーでスピードを落として進むのだ。
15時ごろに目的地に着いて、モネの家に向かった。道路を渡るときに地下をくぐるのだがアプローチが長く、どうして道路を横断するようにしないのかと思った。
モネの庭園に入る入口の脇にも地下の渡りがあり、それをくぐってモネの池に行くのだ。
中に入ると広い庭園があり、その向こうにモネの家があった。庭園というより農地という感じで花などが植えられていたが、まだ水仙など僅かな花しかなかった。自然のままのの庭園であった。
モネの家は日本の田舎の小学校そっくりの二階建て木造のものだった。部屋は寝室、書斎、キッチンなどいろいろあり、どの部屋にも浮世絵がいっぱい壁に掛けてあった。まるで浮世絵美術館であった。モネの浮世絵への関心の深さをうかがわせるものであった。室内の写真を撮りたかったが、聞くと駄目だと言われた。巨大な睡蓮の絵を描いたアトリエは現在は売店になっていた。
モネの愛した池は、道路を挟んで向こうにあった。きれいな小川が流れていて竹藪があり、また池の岸には大きな柳があった。回遊式で細い道を歩いて回るのだ。池にはあの有名な太鼓橋が架かっていたが緑色に塗られていた。私は赤だと記憶していたのでいぶかしく思ったが、後で絵で確認をするとやはり緑であった。でも、日本の橋なら赤に塗るべきだと思った。
池の睡蓮は時季はずれで、根を残して切り取られていた。我が家のダイニングルームには、ボストン美術館の睡蓮の絵が掛けてある。実物の睡蓮が見られなかったのは残念であった。
16時ごろ出発してルーアンへと向かった。約68kmの距離だ。 ルーアンは上ノルマンディー地方の州都として栄えた。この街を1時間ほど散策した。
ノートルダム・ドルーアン大聖堂、大時計のある通りなどを見て歩き、船を逆さにしたような変哲な建物のところに出た。ジャンヌダルク教会だそうだ。その建物の広場に細い柱があって、そこがジャンヌダルク処刑の場所だったという。ジャンヌダルクが火あぶりにされたのは1431年5月30日で19歳の若さであった。
その教会の近くに市場があり、魚や肉や野菜や果物などを売っていた。公衆トイレに行こうとしたら夕方なので閉まったばかりであった。
バスを停めてある近くの草が生えたところで、中年男性が大便をしていたので女性たちは驚いていた。
ホテルへ行く途中、街を見下ろせる高台にあるル・ドミニオン レストランで夕食を食べた。17時40分ごろに着いた。このレストランは100年前に建てられたのだが、3月の大雪で屋根が落ちて修復中であった。今度の旅行では一番良いレストランであったが、それだけに飲み物も高かった。ビールが7.8ユーロもした。ワインも同じくらいであった。
客は私たちだけで静かな雰囲気であった。ムール貝のクレープ包のココットが珍しく、白身魚のマッシュルーム クリームソースとポテトがメインでニンジンアイスクリームのデザートも初めてであった。
18時50分ごろに出発をして、この日宿泊するノボテル・ルーアン・スットに着いたのは20時20分ぐらいであったが、やっと日が沈んだ後であった。このホテルは、ヨーロッパにあるチェーンホテルだそうだ。
清潔感はあるが、シャワーの使い方が分かりにくく苦労し、水勢も弱かった。またシンクの栓の閉め方も分からず四苦八苦した。バスルームのタオル類が、どれが何に使うタオルか分からず、仕方ないので一番大きなものをバスマットにした。後で聞いたらバスタオルだった。
次の朝の朝食ではいろいろな果物が置いてあってよかった。
○ノートルダム・シャトル大教会
○モネの家と池
○ジャンヌダルクが処刑された場所(柱のところ)とそこにできた教会
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コメント
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ホテルの設備の分かり難さや時には使い難さに困ることがありました。日本はそういうことが少ないですね。
投稿: らら | 2013年4月17日 (水) 08時58分
シャルトル、ジベルニーも定番のコースですね。私の時はそれがフリータイムのオプション設定になっていたので、それらをとらずにパリの地下鉄に乗り、パリの街を散策。エッフェル塔に登ったり、セーヌ川のクルーズを楽しんだりしました。それにしても外国のホテルの部屋に入った時にいつもその部屋の備品や装置の扱い方に戸惑うことが多くあります。中には壊れていたりして。予め添乗員が使用の仕方について、事前に説明してくれるとありがたいのですが。日本のホテルはお客様の立場にたって至れり尽くせりですが、外国では勝手にどうぞというのが殆どですね。
投稿: Toshi | 2013年4月17日 (水) 08時13分