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2013年4月18日 (木)

やっと行ったフランス⑤―モンサンミシェル修道院見学―

 フランス第2日めは4時半ごろ起きて、6時50分から7時30分迄ゆっくりと朝食を摂った。パンやフルーツやヨーグルトがたくさんあった。珍しいナシがあったので食べたら甘かったし、ミカンも甘かった。

 7時50分にバスは出発してモンサンミシェルへ向かう。モンサンミッシェルと言えばいつの頃からかフランス旅行の目玉となっていて、私も是非見てみたいと思っていた。

 ルーアンからは約255kmあり、3時間15分ぐらいかかるということであった。添乗員の話では、通常はパリから行くのが多くその場合は5時間もかかるのだそうだ。ノルマンディ地方を走って行くのだ。

 天気はフランス晴れであったがその内靄が出始めた。進んで行くうちに曇りになった。途中の車窓からは牧場や牧草地が広がっているのが目に入った。進んでいくと、羊が多いように感じた。もちろん茶色の斑がはい合った牛も見られたが。

 牧草地や牧場の境のようなところに高い木が並んで立っていて、その木の枝に大きな丸い形の叢がくっついているのが見られた。鳥の巣のように見えたが余りにも多いので不思議に思っていたら、やどり木だと教えてくれた。あちこちに見られた。

 添乗員の小畠さんはノルマンディに関する該博な知識を語ってくれたが殆ど覚えていない。ノルマンディと言えば、第二次世界大戦のノルマンディ上陸が記憶に新しく、映画にもなって見たことがある。この平坦な地をどうやって進軍したのだろうと思った。

 モンサンミシェルについての知識も与えてくれた。島は周囲1kmで、高さ80mの上に修道院が建てられたのだという。小畠さんは、モンサンミッシェルについても詳しく説明をしてくれた。(概要は下に参考に記したものとほぼ同じ)

 途中、カンでトイレ休憩をした。そこの売り場でしか売っていないというプーラールさんのサブレの小箱を1個買ってみた。ガレット、サブレ、クロワッサンが有名なのだそうだ。

 また、この地方では葡萄が作られてなくて、リンゴが栽培されているので、リンゴの発泡酒シードルが特産品だという。シードル→ポムー→カルヴァノスという順にアルコール度が高くなるのだそうだ。

 バスは村に入って行き、大きな駐車場を通り過ぎた。私たちのバスは村内のレストランを予約してあるのでさらに中まで行けるのだそうだ。モンサンミシェルがだんだんと近くに見えるようになった。

 バスを停めると、イヤホンを用意して、歩いてシャトルバス乗り場まで行った。大きなシャトルバスが停車場に停まっていた。満員だったので、次のバスに乗った時一番前に座った。シャトルバスはモンサンミシェルの近くまで運んでくれた。

 降りると歩きながら写真を撮った。島の周りは干潮で完全に干上がっていた。天気は曇りだったがときどき青空がのぞいていた。フランスの天気は変わりやすいと思った。

 敵が来たら落とす柵が上にある入口を入ると、狭い上り道があり観光客で溢れていた。両側に店やホテルが並んでいる。オムレツを売り出したプーラールさんの店があり現地ガイドのアドリースさんが中を見るといいよと教えてくれた。まだオムレツ作りの準備中であった。

 少し行くと土産物屋の一つに連れて行ってくれ、サブレの試食をすると言いと言った。一角にいろいろなサブレを盛ったお盆がおいてあった。店の中は混んでいたので一通りのサブレを取って歩きながら食べたらおいしかった。

 両側の店は帰りに見ることにして坂道を上って行った。お墓の方から中に入るつもりが閉鎖されていたので、さらに上まで登って中に入って行った。金色に光るゴシック様式の尖塔が見られた。金色は金メッキをしたミカエル像だ。

 教会の中に入ると、12時からのミサの準備をしていた。そこから説明を聞きながら回って行った。列柱廊があり、木でできた37本の細い柱が交互にずれながら並んでいた。その周りを歩いて祈りと瞑想に耽ったところだという。

 続く食堂では修道僧たちは沈黙をして食事をした。階段を下りると迎賓の間で王侯貴族を迎える部屋であった。次が太柱の礼拝の間であった。太い柱が所狭しと立っている暗い部屋であった。

 私は写真を撮りながら進んだので少し遅れてしまった。この部屋に入るとイヤホンから声がするのに仲間の姿が消えていた。それで慌てて大声を出しながら探したが分からなかった。

 少し行くと大きな車輪のあるところに出た。別のグループが説明を聞いていた。納骨堂も覗いたが仲間はいなかった。声も聞こえなくなった。慌てた私は矢印に従って進んだ。ブックショップにも誰もいなかった。さらに進んでとうとう建物の外に出て帰り道を辿った。海が見えるところで、イヤホンに声が入った。添乗員が「どこにいるのだろう。まだいないね。先に行ったのかな?」などと言っているのが聞こえた。

 それで時々聞こえる声を頼りに戻って行った。そしてブックショップで皆さんに会うことができた。私は謝ったのだがそれにしてもどうして突然見失ったのかが不思議でならなかった。ミカエルの神隠し?などと思った。

 そこからは自由行動なので、一人で建物を出て村に戻って行った。途中両側の店を覗きながら歩いた。プーラールさんのオムレツ屋に来ると昼時なので大忙しでオムレツを作っていた。男女二人の職人が大きな鉢に卵などを溶かした物を入れて音楽に合わせてリズミカルにかき回していた。なかなかの労働であった。

 それを二人の人が大きなフライパンに入れて燃える火の上でオムレツにしていた。レストランは満員であった。厚さ10cm直径30cmぐらいのオムレツを食べていた。

 それからサブレの店に行くと客も店員もいなくて、小鳥が2羽来てサブレのかけらを拾っていた。向えにはサブレを山のように積んで売っていた。そこでサブレを少し買った。店主のおばさんが「ガイドは小畠さん?」と聞いたので、そうだと答えた。片言の日本語を並べ面白いおばさんだった。

 あとで小畠さんにそのことを言うと、「人違いだと思う。前にも間違えられたことがある。だいぶ年のガイドと」と言った。

 モンサンミッシェルは大変混雑し、ひどいときは動けないくらいだと言っていたが、今回は他のグループより少し早かったので空いていてよかった。

 ところで、人気のモンサンミッシェルだが観光には3時間あれば十分だと思った。ツアーの中にはモンサンミッシェル島内宿泊だとか近辺宿泊を売りにしているものもあるが、島内には僅かな店があるだけで他には見るべきものがなくもったいない。それより他に時間を使った方が有効である。

 《参考》

 この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民ケルト人が信仰する聖地であった。708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。

 966年にはノルマンディー公リシャール1世フランス語版ベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。

 百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。モン・サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。

 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。

 19世紀には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となっている。 1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。2006.8.5現在、3人の修道士が在住し、9人の修道女が近隣の町から通って運営に当たっている。

近年、堤防の影響により、島の周囲が砂洲化しつつあり、国家事業として、かつての「島」に戻すプロジェクトが進んでいる。2015年完成予定で、駐車場となっている堤防の代わりに橋でつなぎ、海流により堆積砂を取り除く。

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コメント

 あの小さい島に昔、建物を建てたというのは大変な技術だと思います。上手に層を重ねて作ってあります。

モンサンミッシェルはペルーのマチュピツと並んで出かけてみたい世界遺産のベスト3に入っていますね。確かにあのようなちっぽけな島に堅牢な修道院を建てた当時の建築技術には驚いてしまいます。資材を運ぶだけでも大変なことだったと思います。
それだけ宗教が人々を突き動かす力は大きかったのでしょうか。ライトアップされた全景も素晴らしいものでした。でも名物のオムレツは日本人の口にはそれほど美味しくは感じられませんでしたが?それにしても超人気の観光地だけにいつも大変混雑しているようですね。

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