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2013年4月 9日 (火)

昼ご飯が一番豪華。杉浦日向子の「江戸塾」から

 江戸時代は中期までは一日二食だったようだ。三食食べるようになったのは中期以後だという。

 三食では、昼は冷や飯、夜は茶漬けといった感じであった。腹が減った時が食べ時で、人により家により違っていたようだ。私は、この8年ぐらいは一日二食で、ブランチと夕食を摂っている。

 朝ごはんを食べなければ駄目だという人もいれば、逆に朝ごはんは必要ないという人もいる。一日二食だが、慣れればどうということはない。ダイエットにも健康にもいいように感じる。

 江戸時代は、昼食が一番豪華であったそうだ。冷や飯だが焼き魚が付いたのだという。また、午前中で仕事が終わる河岸の衆などは酒もつけて2時間ぐらいかけて食べたそうだ。夜はお茶漬けさらさらで、足りないところは夜食で補った。

 当時の人は、一5合が基準で、二食のときは2合5勺を2回食べた。だからどこの家にも2合5勺の枡があった。それで一人前でない人間を「この一合野郎」と罵ったのだという。面白い言い方である。

 ところで戦時中や戦後の食糧難の頃、1人分の米は2合5勺と言っていたと記憶する。江戸っ子の半分である。それでも2合5勺が配給されればよいのだがそうはいかないことが多かった。

 味噌汁は「御御御付け」と言って朝ごはんのときだけで、具は2種類以上ということになっていたそうだ。御の字が3つつくくらい大切なものであったという。私が子どものころは我が家では味噌汁と言わずに、「御御御付け」と言っていた。子ども心に御が3つも付くなんてどうしてだろうと不思議に思ったものである。今は御御御付けは使わない。

 味噌汁の出しを取るのは上方ではやっていたが、江戸では明治になってからだという。どうしたかというと、味噌にねぎと出し数種が練り込んだ玉状のものがあって、それを溶かして使ったのだそうだ。

 おかずは惣菜屋で買ってきたのだという。1人分から4人分など買いやすい物にしてあった。値段も手ごろであった。四文屋という何でも4文という煮売り屋もあった。

 江戸では自分の家で煮炊きをすることは少なかった。包丁のない家も多く手でぶっちぎっていたのだという。その上江戸では単身者が多かったのでこういうコンビニみたいなのがあったのである。

 最近はスーパーなどで、骨抜きで味付け済みの魚とか惣菜もたくさん売っている。自分で調理をしない若い人が増えたのだと思う。

 現代は調理器具、調理法も発達しているので家庭で料理をするのが一番だと思うのだが。私は「家食い」「家飲み」派である。幸い妻が手料理を作ってくれるので大変有難い。味噌汁でも、インスタント物はどうも味気ない。やはり手作りのものに限る。

 

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