2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« やっと行ったフランス旅行②―往復はタイ国際航空― | トップページ | やっと行ったフランス④―第一日め,シャルトル大聖堂とモネの家― »

2013年4月16日 (火)

やっと行ったフランス旅行③―空港からシャルトルへ向かう―

 0時05分にバンコクを離陸してから12時間余り、4月5日の7時過ぎにパリのシャルル・ドゴール空港に着陸した。ここは数年前にイタリア旅行の帰りに乗り換えをしたところだ。円形の建物のである。

 フランスはサマータイムで時差は7時間であった。時計とカメラの時刻調整は機内ですませておいた。カメラはワールドタイムで簡単に調整できた。

 入国審査を済ませて出ると、現地で世話をする加藤さんが待っていた。その案内でバスのところに行ったら、バスは予想に反して普通の大型バスだったので驚いた。添乗員の小畠さんの説明では、フランスには小さいバスはないのだそうだ。それで自分の好きなところに陣取ることができた。私は2列目に座った。

 運転手はダニエルと言い、物静かな紳士という感じであった。添乗員はとても気遣いがあると彼を評した。英語も話せるということであった。

 9時38分に空港を出発した。最初の目的地シャルトルまで約90kmで1時間45分の予定であったが、走り出してみると、朝のことでもあり、道路は大変な車の混みようであった。道路の両側には落書きが目立った。イタリアに行ったときに余りにも落書きが多いので驚いたが、フランスも同じであった。

 市内を走っているとき、青いビニールシートで覆われた箱のようなものが集まっているのが見られた。不法占拠者の寝るところだという。バラボナアンテナが立っているのもありびっくりした。(写真を参照)添乗員の説明では水があるところに集まるのだそうだ。そういえばセーヌ河畔のホームレスのことが日本でも報じられたことがあったと思いだした。確かホームレスを擁護する運動だったと思う。

 パリなどで物乞いをする人も見かけたが、こういう人でも月の収入が2000ユーロに達する人もいて結構な収入になるらしい。

  市内を抜けると田園地帯を走ったが、道の両側は平たんで地平線が見える広大な土地が続いた。農地のようだが緑の草が生えているだけで作物は見られなかった。(写真参照)延々と続く同じような風景の中を走り、その間添乗員の小畠さんはフランスのことを話してくれたがほとんど忘れてしまった。

 メモによると、イギリスとフランスの関係が中心で、フランスのノルマンディ公がイギリスに渡りウイリアム一世になったという物語であった。これについてはWikipediaから下記に引用するが、このような話を小畠さんが何も見ないで話すのでみんなは驚いていた。

ノルマン人の一部族の首領であったロロは、911年西フランク王国(現在のフランスに相当)の北西部沿岸からセーヌ川を遡って内陸へ侵入した。シャルトルの町を包囲していたノルマン人は、西フランクシャルル3世の軍に破られる。

 また、小畠さんの話によると、そういう関係でフランス語と英語の単語には似たところがあるという。以後気を付けてみると、確かに英語に似た単語があり、フランス語の皆目分からない私はホッとした。toiletは全く同じでよかったが、Musiamやentranceは語尾がseeに変化しているだけで、想像がついた。

 フランスでは第二のジャポニズムがあり、ラーメン、アニメ、コスプレなどを紹介した。これらは日本のテレビでも取り上げられたことがある。その他に以前に書いたように日本酒も入り始めている。

 ボンジュール、ボンソワール、メルシイも基本的なフランス語だとガイドが教えてくれたが、ボンジュールの発音でも結構難しいのだとか。ボンは「好い」で、ジュールが「日」でソワールは「夕方」だそうだ。

 フランスでは北と東の方は危なくて、南西の方に生活の安定した階層が多いそうで安全なのだという。

 フランスでは、シートベルトの着用が厳しくて、観光バスの中での飲食も禁じられているのだそうだ。違反すると本人が罰せられるという。それでバスに入るとすぐにシートベルトの確認があった。

 高速道路を走り出して1時間も経たない頃、Nさんが引きつけを起こし苦しみだした。乗り物酔いだと言っていたが引きつけは珍しい。顔も青くなって苦しんでいた。それでガソリンスタンドで臨時に停車することにした。ついでにトイレも借りたが割合大きなトイレであった。

 コンビニのような店が併設されていた。私はトイレを借りたので何か買ってあげようと思った。 エビアンの水を買ったら1.2ユーロだった。

 Nさんは、その後回復に向かったのでよかった。

Cimg5325

Cimg5330

 

 

 

 

 長年、ヴァイキングの侵入に悩まされてきたシャルル3世は、ノルマン人に土地を与えてヴァイキングの侵入を防がせることに決め、ロロと条約を結んだ(サン・クレール・シュール・エプト条約)。その結果、ロロは、臣下として王に忠誠を誓い、また、キリスト教に改宗した。一方、王は、北西の沿岸部の土地をロロに与え、公爵として封じた。

 間もなくその一帯はノルマンディーと呼ばれるようになる。その後、1066年、7代目のギヨーム2世のとき、イングランドの王位継承を主張してイングランド王国へ侵攻し、ハロルド王を破って即位した(ノルマン・コンクエスト)。ここにノルマン朝が成立した。

 これ以降、ノルマンディー公は、フランスに臣従する一方で、イングランドでは王として君臨した。このイングランドとフランスの複雑な関係は、後の百年戦争の遠因となる。百年戦争の終結後、ノルマンディーはフランス王の支配下に入った。ただし、チャネル諸島だけはイングランドが依然として領有し、「ノルマンディー公」の称号が用いられている。フランス王領となって以後、ノルマンディーはしばしば親王宰地となっている。

 ウィリアム1世William I, 1027年 - 1087年9月9日)は、イングランド(在位:1066年 - 1087年)。通称は征服王(William the Conqueror)。ノルマンディー(ギヨーム2世、在位:1035年 - 1087年)でもあった。イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となった。

 ウィリアムは英語

« やっと行ったフランス旅行②―往復はタイ国際航空― | トップページ | やっと行ったフランス④―第一日め,シャルトル大聖堂とモネの家― »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

 フランスとイギリスの関係はちょっと聞いただけではわかりませんね。そんなことがあったのかという感じです。

フランスとイギリスの確執、戦争の歴史は複雑ですし、それに宗教の話しが絡んでくるとさらにややこしくなります。それはともかく、国民性、風俗、習慣の違いを肌で感じることができるのも旅行の楽し
ですね。私もフランス旅行に出かけた際、添乗員が「サバ」という言葉を知っていますかと質問しました。私は分かりませんでした。これは英語で「ハウ
・アー・ユー」お元気ですかにあたるそうで、サバ
と答えればいいそうです。これだけはしっかり頭に残っています。後は忘れました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: やっと行ったフランス旅行③―空港からシャルトルへ向かう―:

« やっと行ったフランス旅行②―往復はタイ国際航空― | トップページ | やっと行ったフランス④―第一日め,シャルトル大聖堂とモネの家― »