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2013年3月25日 (月)

日本仏教の怠慢―なぜ経典を和訳しなかったのか―

 21日の朝日新聞35面に「お坊さん派遣します」という大きな記事があった。檀家減なのに僧侶の数が増えているので、派遣の坊さんが増えているのだそうだ。僧侶も「派遣」に堕ちたところが皮肉である。もう1つの理由は、寺から請求されるお布施が高額なので、お寺離れが起きていることも一因だという。

 高額なお布施については、「通夜で僧侶に500万円請求された人が、慌てて300万円をかき集めて渡したら、僧侶が怒って翌日の葬儀には来なかった」という例。

 もう1つは、「自宅で母の葬儀をしたが、300万円の請求が来て驚いた。寺に払った読経料と戒名料も合わせると400万円。してやられたと残念。」という例。

 お布施は「布施」であり、本来は檀家の側の気持ちだから、幾らと額を決めて寺が請求するのは筋違いである。そうは言いながら、私も両親の葬儀や妻の両親の葬儀では、寺の言いなりに高額の布施を払ったのであった。そのことについては以前にblogで取り上げた。

 ところで、私が以前からおかしいと感じていることは、お経のことである。21日の記事に、次のような声が紹介されていた。

 「一昨年に妻を亡くした。僧侶が唱える経は何回聞いても分からない。終わった後にこういう意味だと補足してくれると、ありがたみが出てくるかもしれない。訳の分からない話に高い金を支払うと、有難いどころか高いもんだという気持ちしか残らない。」

 全くその通りである。僧侶は通夜に枕経などを30分ほど上げるが、いったい何千巻もあるというお経のどれを唱えているのかさえ分からない。

 葬式当日も30分ほどのお経を聞かされるが何をしゃべっているのか皆目分からないのだ。そんな経の読み代が100万円から500万円というのは何を基準にしているのか理解ができない。

 「知らしむべからず、寄らしむべし」という諺があるが、まさにそんな感じである。経が分からないからこそ、聞く方の無知の大衆は有難く受け止めると考えているのであろう。

 中国では、その昔長安からはるばるとインドまで歩いて行って、経典を持ち帰った玄奘(三蔵法師)という僧がいた。彼は、帰国後、持ち帰った膨大な経典を漢訳したのである。その語学力と努力には頭が下がる。

 だから当時の中国人にはその意味が分かったはずである。ところが、中国に渡り日本に経典を持ち帰った最澄とか空海などは日本語に訳さなかったのである。経典は、比叡山延暦寺や高野山にこもって修行をすることによって、経典を学ぶようになっていたのだ。

 最澄や空海などの当時の僧侶の中国語の力には敬服するが、他の僧侶たちも同じように中国語で書かれた経を学習しなければならなかったのである。

 そのようにして会得した経の内容は、学習の苦労を思うとホイホイと人に伝えるのはもったいないと考えたに違いない。だから、ただ訳の分からないことを呪文のように唱えて有難いと思わせたのだ。

 実際、お経は呪文であった。奈良や平安の都では、国の政治体制の安泰や病気や災害などを祈って頻繁に僧が経をあげたのである。その様子は、テレビドラマ「平清盛」などにも描かれた。

 日本仏教で経典を和訳したのは殆ど知らない。(本願寺系で一部あるようだが)

 もし、経典が和訳されていて、誰にも理解できるものであれば、日本人の仏教を大きく変えていたはずだ。そして今になって「葬式仏教」と蔑まれることもなかったはずである。

 「葬式仏教」にした責任は、ひとえに各宗派の僧侶にあるのだ。今からでも遅くない。誰か現代日本語に訳す人が出ないものかと思う。

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コメント

 南無阿弥陀仏を唱えればよいと言った法然や親鸞は超簡略な呪文にしたところが受け入れられました。私は偶像崇拝とか呪文は受け入れません。

今は全ての権威が否定されたり、虚仮(こけ)にされる時代ですので、人々は無条件にお寺や僧侶の権威を有難がることはなくなりました。医者も先生も昔ほど尊敬されなくなったのと同じです。ただ般若心経や白骨の御文にしても深遠な内容を持った素晴らしい仏教の経典です。ただ僧侶がこれを理解して分かりやすく説明するという手間を省いてきただけだと思います。宗教はいわばサービス産業です。檀家はサービスを受ける消費者です。サービスの質が悪ければ消費者は離れます。現状に危機感を感じているお寺は檀家に満足していただくためにいろいろと知恵を絞っているところもあります。適者が生き残る。これはどの世界でも同じだと思います。

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