高野山真言宗が出した巨額の運用損
高野山と言えば、弘法大師が開祖で1200年の歴史を持つ真言宗の総本山である。全国に約3700もの末寺をもち、現代でも「お大師さま」「弘法さま」と親しまれている。
その高野山が資金の運用に失敗して、今年1月現在7億5千万円の含み損を出したというのだ。いったいいつごろから資金の運用を証券会社に任せて利益を得ようとしたのっかは分からないが、内局が07年度から経営コンサルタントを雇い元本保証がない資金運用に切り替えたと新聞には書いてある。
2008年9月にリーマンショックが起きているが、運用を初めた当初は大きな利益が出たと言っているから2007年より前に始めたのであろう。失敗したのはリーマンショック以後の世界金融危機につながったからである。
日経平均は12日に12214円つけていたのが、10月28日には6994円まで大暴落をしたのであった。以後日本経済は低迷をし円高に悩まされてきた。その株価がやっと最近11500円をつけるまでになった。
この間投資信託などで退職金を運用した人たちは多額の損失を出したと言われている。大学でも巨額の損失を出したところがあり、問題になった。
高野山とて例外ではなかったのだ。28億6千万円の元本が、一時は16億5千万円にまで減ったという。真言宗はもともと祈祷宗教であり、弘法大師の事績を見ても奇跡を起こしたことが語られている。
ならば、資産運用に当たってなぜご祈祷をしなかったのであろうか。いやご祈祷はしたのだがご利益がなかったのかも知れない。
真言宗の寺では護摩を焚いてご祈祷をしご利益があると宣伝している。しかし、今回運用に失敗したことでご利益もないことが証明された。所詮は鰯の頭だったのである。
庶民から集めたお布施を運用で増やそうとして失敗した責任は大きい。宗務総長が不信任で更迭されたのは当然である。
ところで、高野山が運用を頼んだコンサルタントのコメントが傑作?である。曰く、「宗教界は金融界の良いお客様。一部の人たちは『丸いお客様』と呼んでいる。悔しい思いを再びされないためには、これまで以上に学ばれてはいかがか」
宗教で集まるお金はもともとその宗教(神や仏など)を頼りにする信者が出すものである。葬式仏教の場合は信士の戒名1つでも宗派によっては100万円をくだらない。
お布施という名目で多額の金を要求する。そこには巧みな心理操作が仕組まれているのだ。それで仕方なしに言われるままに金を出すことになる。
お布施は浄財でも何でもないのだ。その方が都合がよいからお布施と言っているに過ぎない。宗教もお経は1分幾らと護摩木のように値段を付けた方が良い。そうすれば明朗会計になり分かりやすい。そして堂々と有価証券の運用をすればよいのだ。
先ほどのコンサルタントのコメントで驚いたのは、損失を出したことを高野山側の不勉強にすりかえていることである。これは一般の我々対象の資産運用でも同じことが言われていることを示している。「お客様の不勉強です。もっと勉強をしてください」とすましているが、本当は、コンサルタント自身の運用失敗なのだ。
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「丸いお客様」とは言い得て妙があります。信じ込ませる証券会社のコンサルタントも辣腕です。お寺が信者獲得にリクルートした方が確実性があります。
投稿: らら | 2013年3月 3日 (日) 15時28分
お金は現実そのものです。宗教はその現実(お金)を超越した世界に存在しているような錯覚を持たせる?雰囲気があります。ブログにあるよう宗教団体がリスクの高い資金運用をしていたとなると、いささかの違和感を感じてしまいます。宗教界は金融界の丸いお客様とは頭を丸めていて、素直で丸めやすいを掛けた上手い表現だと感心してしまいます。
それはさておき、リーマンショック以後のマーケットの低迷で投資信託で利益を上げた人は数パーセントに過ぎないと言われています。よく勉強したら、宗教団体ならずとも決して手を染めてはいけないということにならないでしょうか?
投稿: Toshi | 2013年3月 3日 (日) 09時36分