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2013年3月11日 (月)

3.11から2年、原発からの線引きの意味

  3.11の東日本大震災で福島第一原発の原子炉が4基とも壊滅しました。福島では今も15万人もの人々が避難生活を余儀なくさせられています。

 大震災で犠牲になられた方々には心から哀悼の念を表します。

 今日は、先日福島まで行って現地からラジオでレポートされた生々しい状況を紹介します。(おけらのいつかは青空 脱原発から) なお、原文を読みやすく書き直しました。

 

 永岡です。今週報道するラジオは、水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。

 今回は3・11の2周年特集で、国や自治体の定める原発からの距離の線引きの意味合いを語ります。



 今日は水野さんも平野さんも南相馬におられます。南相馬でも昼間は17度ありました。原発から22.23km地点です。みなさんが避難され、警戒区域は解除されても居住は出来ない中、居住の許される、最も原発に近い場所です。線量は年間1ミリを超え、隣は飯舘村です。線量の高いところと比べたら低いものの、放射線管理区域があるのです。

 南相馬からの、水野さんのリポートは、自宅が20km地点で分断された方のお話です。取材を受けたのは鈴木さん、71歳。自宅の敷地が立ち入り禁止になったのです。鈴木さんは、最初は原発について、重大だとの認識はなく、爆発で原発を初めて身近に感じたのです。平野さんは、鈴木さんは驚かれたと伝えました。海も豊かで、立地自治体ではないものの、庁舎は格別に立派ではなく、そんなところでの事実と話されました。

 鈴木さんが事故の深刻さを知ったのは3月13日の夜でした。事故当日の11日は、津波から助かったと思いました。防災無線は津波の話ばかりで、原発による避難の声はありませんでした。断水したので、13日に、鈴木さんは水を何とかしようと山に水を汲みに行ったら、そこは放射線の高い風の来るところであったのです。

 帰ってきたら、道路から南に、警察官が防護服を着て立っていて、南には行けないと言ったのです。防護服を不審に思っいました。警察官は原発については教えてくれませんでした。そのまま山形に避難しました。4月に帰ってきたら家の前に警戒区域とあり、庭で20km圏内、圏外と分かれていたのです。

 平野さんもこの庭を見て、花を植えているところと、荒れたところに分断されているのを見て驚かれました。土の色も変わり、自分の意思でなく土地を分断されたのです。お金、補償については当時は分からず、しかし20km圏内と圏外で補償は違う(鈴木さんの家の住所は20km圏外)、隣は無人なのです。住めるというより、よそで済むサポートのされないところなのです。

 鈴木さんの畑は、立ち入り禁止で、矛盾しています。断りもなく、東電も謝らない!市会議員は何回か来たが、他は誰も来ない。賠償は何もなしです。土地に入れなくても、何もないのです。補償も謝罪もないのです。

 どこに怒りをぶつけていいか分からないのです。平野さんは、ではなぜ線引きできたのか、役所は字(あざ)名のみで区切ったのです。ひどい話で、敷地が分断されるのも知らない、市役所も来ない、解除の説明もない。

 鈴木さんのお姉さんは、300m先の避難地域なので、出て行かないといけないのです。土地だけでなく、姉妹の仲も裂かれたのです。他のお宅にも泥棒が入りました。鈴木さんの近くに泥棒が続出し、夜は辺りが無人で、安心して住めないのです。

 距離による線引きは矛盾だらけです。線量で分けていないのです。山林は線量を自分で測って高いのです。除染もあてに出来ません。お孫さんに野菜をあげられない。野菜は作れない。春菊がブランド品なのに、壊滅です。

 近所の農家もやることをなくしているのです。春菊のハウスの鉄筋が錆びた光景を平野さんは見て、悲惨と言われました。土地のあばら骨であり、責任者は見るべきなのです。鈴木さんは、土地を、土を返してくれと言っておられるのです。

 事故の福島第一原発から、同心円で考えるのは理不尽です。福島の事故は、同心円で考えられない拡散の仕方です。風向きにより違い、160kmの千葉にも届いています。20km、30kmで区切る意味は平野さんはないと断罪されました。それなのに、便宜上同心円で、全国の原発に当てはめようとしているのです。



 

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コメント

 NHKスペシャルを見ても福島原発事故の事後処理が困難を極めていることがわかります。それでも安倍内閣は原発推進と言っています。それがどうしても理解できないです。

投稿: らら | 2013年3月11日 (月) 18時13分

日本国籍を取得して話題になったドナルド・キーンさんが先日のインタビューで「東日本の大震災の際の日本人のモラルの高さと絆の深さは世界を驚嘆させたが、震災後の動きについては率直に言って、がっかりしている」と「直後は東京から明かりが消え、エレーベーターも止まっていたが、今は明るく、必要のない(電光)看板が輝いている。日本人は忘れるのも早い」と嘆いていた。今朝の新聞の週刊誌の広告には、自民党は参議院選挙でも圧勝、野党は候補者も立てられず消滅という衝撃的な見出しが躍っていた。こうなるともう完全に先祖返りは必至である。そう言えば脱原発と騒いだ時期もあったなあということになりかねない。これが日本人の総意なのだろうか?今日も株式市場は活況を呈している。経済が回復すれば全てよしということでは決してないのだが、、、。

投稿: Toshi | 2013年3月11日 (月) 11時16分

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