前立腺生検で名古屋市大病院に入院
先だってPSAの値がやや高かったことを書いた。それで「生検」を勧められ1月21日から23日まで2泊3日の入院をして「生検」を受けた。
21日は「混むから30分ほど早く来るように」という電話があり、早めに出かけたが、別に混んではいなかった。
初めての名古屋市立大学病院入院であった。建物は新しく建設されたり、リニューアルしたりで全く不案内であった。教えてもらった通りに行くと4台のエレベーターがあった。それで12階まで行ったが、どこにナースステーションがあるのか分からなかった。案内板もなく通りかかった人の後を行ったらあった。
後で病棟を歩き回ったとき、北と南に分かれていてそれぞれが迷路の様な病棟だと思った。そのことを看護師さんに話したらそう思うと言っていた。
入院当日はオリエンテーションと血圧や体温を測るぐらいで何もすることがなかった。なぜ前日から入院するのか・・・?と思った。
4人部屋で、八事日赤のときと同じような造りであったが、シャワートイレが備わっているのがよかった。同室の人とはカーテンで仕切られていて顔を合わせることはなかった。
廊下にあるユニバーサルトイレは、掌をかざすと開閉する自動であった。広くて使いやすかったが、最初入った時に「自動で閉まりますから、出るときは触れないでください」と書いてあったので、そのまま立っていたらいつまでも閉まらなかった。「出るときは触れないでください。自動でしまります」と書いてあれば分かりやすいのだ。そのことを看護師さんに伝えたらその通りですねと言った。
やることがないから、持って行った本を読んだり、カードマジックの復習をしたりして過ごした。カードマジックは長い間復習していなかったのでほとんど忘れていた。
夜は「NHKニュース」や「クローズアップ現代」や「鶴瓶の家族に乾杯」を見て9時に寝た。消灯時刻は10時だがいつもの習慣を守った。
その夜はときどきうつらうつらとする時があったが朝6時20分ごろに起床した。歯を磨いていたら看護師さんが来て「今から浣腸です」と言った。前日に浣腸は何時ごろかと聞いた時は分からないと言っていたのにいきなりで驚いた。
ベッドの上で横になりお尻に注射器のようなものを突っ込まれて浣腸をされた。5分ぐらい我慢するようにと言われたが、我慢できるものではない。すぐにトイレに飛び込んだ。便意がものすごく我慢できずにしてしまった。水のようなものがたくさん出て最後に便が少し出た。いつもの朝の量と比べるとずっと少なかった。
朝は絶食でお茶か水だけはOKであったのでお茶を飲んだ。8時ごろにまた便所に行きたくなったので行ったら水のようなものばかり出た。私は食後にも便をする癖があるのでお茶をたくさん飲んだ。そのせいか9時半ごろにまたトイレに行きたくなった。今度は残っていた便が出たので良かったと思った。
10時15分ごろに小便をして出てくると看護師さんが「今から処置室に行きます」と呼びに来た。
※病院食について
入院中に4回の食事を食べたがいずれも薄味でも上手に味付けがしてあった。でも、70歳ぐらいの女性が「とても食べられないくらいまずい。何か持って来て」と家に電話をしていた。先入観でまずいと思っているのかもしれないと感じた。私は味わって食べる方なので一向に気にならない。
なお、帰宅後体重を測ったら61kgで1.7kg減っていた。
―つづく―
21日 夕食
22日術後の昼食
22日夕食
« 電気製品の買い替え―安倍さんを側面援護になってしまった | トップページ | 名古屋市大病院で前立腺生検 »
「健康」カテゴリの記事
- 10月からはジェネリック医薬品が割安(2024.09.22)
- 紙の保険証廃止後は?(2024.08.23)
- 良い睡眠のために(2024.08.10)
- i一番長生きする睡眠時間(2024.08.08)
- 健康10か条のこと(2024.07.30)
ご心配を有難うございます。 結果が出ないので分かりませんが、何ともないことを期待しています。
投稿: らら | 2013年1月25日 (金) 16時48分
ここクアラルンプールで毎年、一緒にスクールで授業を受けているSさんが昨年、PSAの数値が8で前立腺がんの細胞が
見つかったといってました。で治療は手術をしない治療法
(たぶん放射線か)を選択したとのことで、とても元気です。
先回、将棋の米長邦雄氏が前立腺がんと共存していると書きました。残念ながら、先日亡くなられました。今は治療法を患者が選択する時代になりつつあります。これは勿論、増加する医療訴訟への医療サイドの対応という側面もありますが
自分の人生は自分で決めなさいということでしょうか。
それはともかく、検査結果が良好であることをお祈りします。
投稿: Toshi | 2013年1月25日 (金) 08時32分