シッペと牛殺し―子どもの頃の罰―
先日から始まったNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていたら、殿様の松平容保が訓練を観戦しているところで、八重が木に登って見ていたのを見つかり、お咎めを受ける場面があった。
八重は殿様の前で、西田敏行が演じる家老の西郷頼母から「しっぺいにする」と言われる。それを聞いて私は久しぶりに「シッペ」を思い出して懐かしく思った。
私が子どもの頃、シッペは日常茶飯に行われていた。子ども同士の間でも、時には学校の先生からもシッペをされることがあった。
人差し指のシッペや人差し指と中指の2本でやるシッペもあった。当然2本指のシッペの方が痛い。またやる場所として、手の甲や下腕にやる場合と上腕にやる場合があったが、確か上腕の方が効き目があったと記憶する。
シッペも人によって上手な人と対して痛くない人がいた。子ども同士は遊びの中でゲームに負けた方がシッペを受けるのだが、先生や大人が子供にやる場合は罰としてやるのでやられる方はちじみ上がったものだ。
強くやられると、2本の指の跡が赤くついたものであった。だから時には真似だけで許してもらえる場合もあった。
シッペの他に「牛殺し」というのがあった。親指と中指で輪を作り中指で額をはねるのだ。これは牛を殺すとき牛の額を槌で殴って殺したことからきたのであるが、名前の通りとても痛いもの子どもは恐れていた。
こうした罰も今なら体罰に相当するのであろうが、昔は体罰だなどというものは一人もいなかった。
シッペは会津藩では「什の掟」というのがあり、その中に出てくる。以下引用する。
同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていた。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となった。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行った。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
これで見ると、昔からいじめがあったことが分かる。それを防ぐために毎日反省をしたというのだが、いじめがはびこる現代の学校などで取入れたらどうだろう。
この掟に反した場合、罰として
①無念 「無念でありました」と言う。
②しっぺい 手の甲か掌にシッペをする。
③絶交
④その他 手あぶり、雪埋め
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