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2012年11月19日 (月)

鼠蹊部ヘルニア入院記―②―手術編

 手術当日は朝食後から絶飲食を言い渡された。午後4時に手術の予定なのでそれまでの時間が待ち遠しい。持って行った本を読みながら過ごした。

 午前11時にシャワーを浴びて体をきれいにし、洗髪もした。午後2時ごろに妻が来た。本当は3時ごろ来るはずっだったのだが妻の判断で早めに来たと言った。前回のとき、手術予定の時刻が早まって間に合わなかったので今回はそういうことがないように早く来たということであった。

 妻の想定は正しかった。私が早めにトイレを済ませて戻ってきたのが2時40分で、部屋には看護師が待っていた。急に手術の予定が早くなって2時45分に手術室に入るのだという。

 大急ぎで背中開きの手術着に着替えて妻も一緒に手術室に向かった。45分に手術室に入った。帽子を被せられて名前の確認の後手術台に上った。

 すぐに血圧計と心電図計が取りつけられ血圧などの測定が始まった。また左の人差し指に酸素濃度測定器が付けられた。 医者は2人いて、看護婦は3人いた。

 しばらく準備の後、左向きとなり足を曲げエビの形をして背骨の下部の辺りが消毒された。そして、触診で背骨が探られところどころに針が刺された。時々グッ、グッツと異様な痛みがあった。指で抑えて柔らかくして針を試しに刺しているらしかった。

 15分ぐらいしたであろうかやっと麻酔薬が注入されたのか足がふわーとしてきて、やがて下肢にしびれがきた。私は、これまでに何度か腰椎麻酔の経験があるがこれほど時間がかかったのは初めてであった。医者に「前はもっと簡単だった」と話した。

 身体を上向きに直してしばらく麻酔が効くのを待った。下半身が全く感覚がなくなり、試しに「痛いですか」と腹を触られたらしいが何も感じなかった。それで顔の上に遮るものが張られて手術が始まった。酸素が不足することがあるのでと言って酸素吸入の管が鼻に付けられた。

 執刀は担当の若い医師で左側に立ち、反対の右には指導医らしいのが立っていた。指導医はいちいち指示を出していた。二人はいろいろと話しながら手術を続けていた。

 若い看護師が頭の上の方にいて、ときど気分などを尋ねてきた。血圧は頻繁に測られた。眠ってはいけないと思っていたが眠気を感じたのでそう言ったら、看護師は「眠ってもいいですよ」と言った。

 でも、そう言われると眠れないものだ。かなり時間が経ってから「お腹に力を入れてみてください」と指示された。自分では力を入れたつもりだが全く感覚がなかった。それでも力が入ったのか医者が「いいですよ」と言った。

 何をされているのか音と話し声が聞こえるだけで早く終わってほしいと思っていた。また、お腹に力を入れるように言われた。

 1時間ぐらい経った頃「終わりました」と言った。看護師に時刻を聞いたら「4時25分です」と言った。手術は1時間余であったようだ。

 すぐに手術台と移動ベッドの間に板が渡されて4人がかりで手術台から板へ、板からベッドへと移された。そして手術室を出た。

 部屋に戻る間廊下の天井が動くのを眺めているのは何か変な感じであった。部屋に着くと運ばれてきたベッドのまま入った。

 「何時間ぐらいこうやっているのですか」と聞いたら、医者は夜の「8時ぐらいまでかな」と言った。それまでは頭を上げないようにじっとしているのだそうだ。だいたい4時間半ある。医者は「遅いので今日の夕食はありません」と言った。でも、何かを買ってきて飲食するのは構わないと言った。腹がへるので妻にパンと牛乳を買ってくるように頼んだ。

 また退屈だからテレビでも見ようと思い、看護師に尋ねたら、見るのはいいと言ったので、妻にテレビのカードを買ってきてもらった。音はイヤホーンで聞くのだ。 テレビを見られるようにしてもらって、妻には帰っていいと言った。

 党首討論で野田首相が解散の時期を明示したというのでそれを報じていた。退屈しのぎに眺めた。それでも8時までは長かった。

 1時間ぐらいすると足の指に感覚が戻ってきた。でも太ももを触ると、まるで何か物体を触っているようで、自分のだという感覚は全くなかった。看護師が血圧や酸素の状態や体温を調べに来たが正常値であった。

 2時間経つと足首辺りまで感覚がもどってきたようであった。本当に少しずつ少しずつだが確実に下から感覚が戻ってくるのが分かった。7時半ごろには太ももの感覚も自分のものだと感じるようになった。でも、おちんちんだけはまだ感覚がなかった。見回りに来た看護師に「8時になったら来て」と頼んだ。

 辛抱してやっと8時が来た。おちんちんの感覚も少し戻っていた。しばらくして看護師が来たので手伝ってもらって、ベッドから降りたが身体を動かすと患部が痛かった。ベッドから足を下ろして床に着くとき力が入りギクッと痛んだ。そろそろと歩いて部屋の窓際にある洗面台まで行った。看護師が「大丈夫ですか。ふらついてますよ」と言った。

 手を洗って水を飲んで戻ろうとしたら、看護師が「あっ、血が!」と言った。見たら床にべっとりと血が広がっていた。看護師は「心配ないです。よくあることです」と言った。そのままベッドの戻り腰かけた。見ると寝巻に血がいっぱい付いていた。急いで看護師が拭くものを取に行き患部の血をふき取ってガーゼを当ててくれた。ベッドを降りたときに患部に力が入ったのが原因だと思った。

 椅子に座って買ってきてもらったアンパンとふかしパンを食べて牛乳を飲んだ。その後痛み止めのロキソニンと胃薬を1錠ずつ飲んだ。

 ベッドに戻るとすぐに消灯の時刻9時になった。寝る前に患部を見てもらったが出血は止まっていた。その夜は体をまっすぐにして寝た。初めておならが出た。

 12時半ごろに眼が覚めて小便に行きたくなった。気を付けてベッドから降りて壁際の手すりにつかまってそろそろと歩いた。動くと患部は痛く感じたがじっとしているときは感じなかった。

 4時過ぎにまたトイレに行ったが、驚いたのは前よりも歩きやすくなっていたことだった。今度は手すりを頼らずに行けた。

 

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