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2012年11月 3日 (土)

食べないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ

 「平穏死という選択」のP.186の冒頭に次のように書いてある。

 ”Understanding that pacients stop eating because they are dying, not dying because they have stopped eating,can reduce family and caregiver anxiety."(ハリソン内科教科書)(死を迎える人は、命を終えようとしているから 食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげられる)

 私はこの文は大変重要なことを教えていると思う。

 死を迎える人というのは、いわゆる老衰末期にある人を指す。人は老衰末期になると食べ物を受け付けなくなる。それは自然の摂理に適ったことだ。植物でも水や肥料を受け付けなくなって枯れて死ぬ。

 ところが私たちは栄養を与えないと命が縮まり、死期を早めると考え、何とか食べさせようと試みる。その最たるものが胃ろうである。医学が発達して胃ろうという技術が可能となり、口からではなく、胃へ直接栄養を入れられるようになった。

 ある程度若くて病気になって食べられなくなり、やむなく胃ろうをつける場合は、それにより体力を回復し、またQLO(Quority of life)のある生活を続けられる希望がある。しかし、人生を90年ほども生きてきて、しかも、認知症にでもなっていれば、その先胃ろうによって生かされても何の楽しみもないし、人間としての尊厳もない。

 そういう状態の老衰末期の人にまで胃ろうなどの栄養補給措置をするのはどうかと石飛医師は言うのだ。

 P.187で次のように書いている。「食べさせないと餓死して死ぬのではない。もうまもなく死ぬから食べないのです。もう(人生の)締めくくりなのです。『食べる必要がない』のです。認知症で言葉や意思として『食べたくない』と伝えることはできなくても、体が食べたくないと反応しているのです。それなのに私たちは、『食べさせなければ死んでしまう』と一方的に思い込み、何とか食べさせようとして、誤嚥させ、肺炎を引き起こしていたのです。

 私は、誤嚥性肺炎はこの思い違いから始まっているのだと気づきました。」

 今から40年ぐらい前までは、自宅で介護して自宅で看取るのが普通であった。前にも書いたように私はそれを経験して、自然死というものがどういうものか知っている。だから病院に入れられていろいろな器具や管につながれて苦しんで死ぬ今の状況を憂えるのである。

 石飛医師は、老衰は病気ではないと書いている。それを病気として扱うところから延命措置が取られ、それをしないと医者は患者を殺したとされることを恐れるのだ。

 老衰は病気ではなく自然の摂理なのだと理解することが大事なのだ。

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健康」カテゴリの記事

コメント

 この映画のことは知りませんでした。長尾医師の長いコメントは読みました。映画を見てないので何とも言えません。見てみたいと思います。
 長尾医師は「平穏死10の条件」という本を書いてます。まだ読んでませんが。

 現在は、高齢者でも病院に入れてそこで”病人”として治療や延命の措置をするのが一般的です。最後まで手を尽くしたという自己満足感があるからだと思います。でも、果たしてそれがいいのか・・・?ということが問題になり始めています。 

昨日、ラジオを聴いていたら、10月27日に公開されたばかりの話題作「終の信託」という映画がとりあげられていました。終末期医療、尊厳死、リビングウィルといった今日的で社会性の高いテーマが描かれているのは勿論のこと映画としてのストリーも感動的なものとのことでした。今日のブログのテーマとは少し違うかもしれませんが、人間がどう生き、どう死ぬかについては共通しています。いずれは見たい映画だと思っています。映画を見た人の感想については次のサイトが、少々長いですが、いい内容だと思いました。
http://www.nagaoclinic.or.jp/doctorblog/nagao/2012/09/post-2630.html

私はあまり人の死に直面していません、病院でチューブにつながれて、栄養を流し込まれるという状況はピンときません。現在は、老人の死はみんなそんな風になっているのでしょうか。病院に連れ込まれて、「無理に」「死なさずに」「生かされている」というのが一般的なのですか。
つまらない質問ですが。

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